昭和59年
年次世界経済報告
拡大するアメリカ経済と高金利下の世界経済
経済企画庁
第1章 1984年の世界経済
1983年に入って先進国経済は回復に転じ,アメリカでは失業率が低下したものの,西ヨーロッパ諸国の就業者数はなお減少を続け,失業率も上昇するなど,労働市場は厳しい情勢となっている。
アメリカでは,81年末から急増に転じた失業率が82年末には10.6%(失業者数1,189万人)にまで達したが,83年以降は景気回復とともに急速に低下し,84年7~9月期には7.4%(851万人)と急増前の81年上期の水準まで低下している。これを就業者数と労働力人口の動きに分けてみると,就業者数は失業率の急上昇した81年央から82年末までに1.7%微減したにとどまり,83年以降は増加に転じて,82年末から84年4~6月期までに6.1%増加した。これは,回復期における回復力が強く,急速に雇用を拡大したこと,先端技術産業及びサービス産業の急成長に伴なう雇用の増大等の寄与が大きかったこと等によるとみられる。また,84年7月以降失業率の低下傾向は一服しているものの,就業者数は増加している(第1-2-1図)。
西ヨーロッパにおいては,84年に入っても多くの国で就業者数がなお減少傾向にあり,失業率も増加傾向にあるなど依然厳しい情勢にある。主要国の雇用情勢をみると,イギリスは81年央以降景気は回復過程にあるものの,その回復力は弱い。失業率は80年初以降上昇傾向をたどっており,83年1~3月期に12.5%に達したあと,一時低下したものの,84年に入って再び上昇に転じ7~9月期には12.8%となった。しかし,減少してきた就業者数は83年1~3月期を底に増加に転じている。西ドイツでも,80年以降上昇してきた失業率が83年4~6月期に9.4%となったあと,景気の回復もあって失業率は一時低下したが,84年初以降再び上昇し,7~9月期には9.3%とピーク時とほぼ同水準となった。他方,就業者数は,84年に入ると,労使紛争の影響もあって,減少傾向をたどっている。このため,西ドイツ,フランス等では外人労働者の帰国促進策を実施している。フランス,イタリアでは84年に入り景気は回復ないし底入したとみられるものの,失業率の上昇,就業者数の減少傾向が続いている。EC諸国(ギリシャを除く9か国)全体の失業率をみても,79年の5.5%から上昇し,83年1~3月期に11.1%に達したあと低下してきたが,84年に入って再び上昇し,4月には11.2%を記録した。
このように,西ヨーロッパの失業率が景気回復ないしは底入したにもかかわらず,なお高水準にあり,フランス,イタリアではなお上昇しているのは,以下のような理由によるとみられる。
まず第1は,従来に比べ今回の景気回復期は回復力が弱いことである。
その第2は,西ヨーロッパ諸国においては,総じて景気回復期に就業者数が増加に転じるまでのタイム・ラグがアメリカに比べ長いことである。
第3は,中長期的に若年,女性層の労働力供給増加や労働代替投資等に伴う失業が増加していることである。
第4は,労働者を多く雇用していた既往の基幹産業(鉄鋼,自動車等)で,国際競争力の低下から雇用の減少がみられる反面,現在日米の景気を先導している,先端技術産業や同関連産業がまだ小規模であり,また,これら産業での設備投資が比較的に乏しいためとみられる。
第5は,企業家が新規雇用に慎重になり,時間外労働の延長によって需要増に対応する例もみられる。
79年3月の第2次石油危機の発生,世界的な農産物の不作等により,先進諸国の輸入価格は急騰し,これが国内諸物価を引き上げ,80年には世界的な高インフレとなった。しかし,その騰勢も先進国景気の停滞とともに弱まり,82年に入ると騰勢が一斉に鈍化した。83年初以降はアメリカを始めとする各国の景気が回復過程に入ったにもかかわらず,賃金の上昇率が引き続き低下しており(第3章参照),各国とも輸入物価が原油価格の低下,一次産品価格の落ち着き等もあって鎮静あるいは低下している。さらに,多くの国で失業率がなお上昇していること等を背景として,84年上半期の消費者物価の上昇率は60年代から70年代初めの水準まで低下した(第1-2-2図)。その中にあってフランス,イタリア等では,賃金,消費者物価の上昇率がなお高いが,その上昇率は目立って低下してきており,84年4~6月期のEC全体の上昇率は6.5%,OECD全体では5.4%と70年代初めの低い水準となっている(第1-2-1表)。
このように,80年に高インフレとなり,それが83年央以降鎮静した要因を主要先進国についてみると,以下のとおりである。
80年4~6月期前後には先進主要国の消費者物価が著騰した。これには,第2次石油危機等により輸入物価が多くの国で暴騰したこと,先進国の景気が80年1~3月期まで拡大していたこと,インデクセーションによる賃金の上昇や為替レート安によるインフレ期待など,国内的にも上昇要因が働いていた。第1-2-3図にみるように,この時期に物価上昇率の高かったアメリカ,イギリス,フランスでは賃金の上昇,インフレ期待等から国内消費需要が大幅に増大したことが最も大きく影響した。一方,比較的に物価の安定していた西ドイツ,日本では輸入物価の上昇が上昇主因となっていた。
次に,83年10~12月期から84年4~6月期の物価動向をみると,輸入物価の上昇率低下,賃金上昇率の落ち着きにより,各国とも物価上昇率は低下している。とくに,アメリカ,日本では,景気拡大中で,国内消費需要が増大しているものの,輸入物価が下落あるいは横ばいとなり,又,生産の拡大等による労働コストの低下が物価鎮静に大きく寄与している。しかし,西ヨーロッパ諸国では輸入物価上昇率の低下幅が小さく,中でも西ドイツでは輸入物価の上昇が物価の一層の鎮静化を阻んでいる。またイギリス,フランスでは労働コストの低下幅が小さく,個人消費需要も強いことが,物価上昇率が比較的高い原因となっている。
その後,84年10月までの各国の消費者物価(前年同期比)上昇率は,アメリカ景気の予想を上回る拡大,その他諸国の景気回復により,各国とも設備投資の増大,個人消費の回復等がみられるにもかかわらず,賃金上昇率の鈍化等もあって,引き続き鎮静化しており,西ドイツ,日本は更に鎮静して2%前後となり,アメリカ(4%),イギリス(5%)も騰勢を弱め,上昇率の高かったイタリアにおいても9月には1桁台となった。
83年3月のOPECによる基準原油価格値下げ(アラビアン・ライト34ドル/バーレル→29ドル/バーレル)後の石油情勢をみると,83年央から84年にかけてスポット価格は公式販売価格を下回っているものの総じて安定的に推移した。また,OPEC生産も落ち着いた動きを示した(第1-2-4図)。しかし,84年7月末以降,スポット価格は低下しており,10月に入り北海原油価格が引き下げられ,これに追随しOPEC加盟国であるナイジェリアでも価格を引き下げた。
最近のような,価格低下をもたらした要因として,エネルギー需給をみてみよう。世界の一次エネルギー需要は,83年まで4年連続の減少となった。しかし,84年に入り景気が拡大しているアメリカ,日本を中心に一次エネルギー消費は増加している。一方,供給も石油を中心に80年以降減少を続けたが,83年には,石油生産の減少幅が縮小した。84年に入り,需要の回復から石油生産も増加している。84年1~9月期の自由世界の石油需給をみると,需要は日量4,517万バーレル,前年同期差日量127万バーレル増(前年同期比2.9%増)となっている。一方,供給は,日量4,553万バーレル,前年同期差日量187万バーレル(同4.3%増)となり,需要を上回る増加となっている。この差は,日量約36万バーレルあり,依然供給過剰の状態が続いていることを意味している(第1-2-2表)。
先進国の地域別の石油需要をみると,北米地域では,景気拡大から石油需要は拡大している(1~9月期前年同期比4.6%増)。特にアメリカでは,83年6月に前年同月比で増加に転じた後,84年に入り急増している。また,太平洋地域(日本,オーストラリア,ニユージーランド)でも,1~9月期前年同期比6.0%増となっている。
一方,ヨーロッパ地域では,1~9月期同0.9%増と小幅な増加となっている。これは,景気回復のテンポが緩やかなこと,ドル高により83年初の原油価格低下の効果が相殺されていること等のためである。まず,実質GNP増加率(前年同期比)をみると,アメリカで1~9月期7.3%,日本1~6月期5.8%となっているのに対し,イギリス,西ドイツ,フランスでは1~6月期各々2.7%,2.2%,1.7%,と低い伸びとなっている。このため,所得効果による石油需要増加は,ヨーロッパではあまり大きくない。
次に,為替相場の変化と物価上昇(各国の消費者物価)を考慮した実質のOPEC原油価格を示したのが第1-2-5図である(これは,原油の相対価格の変化を示すと考えられる)。アメリカでは,80年12月を規準として84年央には24ドル/バーレル以下まで低下しており,82年1月と比べ24.1%下落し,日本でも17.1%下落している。しかし,ヨーロッパ各国では,ドル高により実質原油価格は,83年初以降むしろ上昇している。82年1月と比べ,84年央に西ドイツでは2.0%と小幅ながら下落してはいるものの,イギリス,フランスでは,各々5.8%上昇,1.4%上昇と上昇している。結局,ヨーロッパ各国にとって価格引下げの効果は,ドル高により相殺され,イギリス,フランス等では実質原油価格は,上昇さえしている。この結果,価格低下による石油需要の増加は,期待できない。
自由世界の石油需要は1~9月期前年同期比日量127万バーレル増加しているものの,同120万バーレルの非OPECの生産増によりOPEC石油への需要はほとんど増えていない。OPEC生産は,83年2~3月に日量1,400万バーレル台に激減した後回復し,83年後半はOPEC全体の上限(日量1,750万バーレル)を上回る日量1,880~1,930万バーレルで安定的に推移していた。しかし84年に入り,月別の推移をみると5月には,ペルシア湾でのタンカー攻撃の激化から,ペルシア湾からの原油輸出が減少し,OPEC生産は全体の上限近くまで減少した。6月には,その反動や,湾岸諸国以外の増産から日量1,850万バーレルまで増加した。しかし,この結果,スポット価格は低下し,OPEC生産は夏場の不需要期ということもあって8~9月に全体の生産上限を下回わる水準にまで低下している(7~9月前年同期比11.2%減)。
こうした中で,84年10月央のノルウェー石油公社の原油価格値下げ(一部の長期契約原油価格をスポット価格に関連させる)を契機に,英石油公社は,1.20~1.35ドル/バーレル,また,これに追随してOPEC加盟国であるナイジェリアは1.00~2.00ドル/バーレル各々公式販売価格を引き下げた(新価格北海原油ブレント油28.65ドル/バーレル,ナイジェリア・ボニーライト28.00ドル/バーレル)。
このような価格引下げの背景としては,前にみたような供給過剰の問題に加え,軽質原油と重質原油との油種間価格格差の問題が挙げられよう。今回の価格引下げは,軽質原油が中心である。精製設備の高度化,即ち分解装置の普及により,重質原油からでも軽質原油と同じように付加価値の高い軽質製品を生産できるようになった。そのため公式販売価格が相対的に安い重質原油へ需要が集中し,軽質原油は供給過剰の状態にある。この現象は,最近のスポット価格の動向に現れている。軽質原油であるアラビアン・ライトのスポット価格は公式販売価格を1~2ドル/バーレル下回っているのに対し,重質原油であるアラビアン・ヘビーのスポット価格は,平均すると1ドル/バーレル程度上回わっている(公式販売価格,アラビアン・ライト29ドル/バーレル,アラビアン・ヘビー26ドル/バーレル)。
OPECは,北海原油価格の値下げや,それに追随したナイジェリアの価格引下げに対応し,10月末に臨時総会を開催し,①基準原油価格の維持,②このため暫定的にOPEC全体の生産上限の日量150万バーレル削減及び国別生産割当の改訂(新上限日量1,600万バーレル,11月1日より実施)③油種間価格格差問題を検討するための閣僚委の設置等を決定した。即ち,懸案であった油種間価格格差問題については次回定例総会(12月19日開催予定)に先送りとなり,ナイジェリアの価格引下げについても,黙認される形となった。
国際商品市況をロイター商品相場指数(SDR換算)でみると,83年1月
を底として上昇に転じ8月に1,138.2まで上昇した。その後は一進一退を続け,84年2月にやや上昇して1,123.4を付けたあと反落している。
83年1~8月間の上昇は,穀物,綿花等がアメリカでPIK(現物支給による新減反補償計画)を含む減反計画を実施したことと,その後のアメリカ主産地に熱波による被害が発生したために急騰したこと,さらに,コプラ,牛原皮,羊毛,砂糖,ココア等も主産出国の異常気象(干ばつ,熱波,豪雨,洪水等)により生産減予想などから値上がりしたことによるものであった。
また,先進国景気の回復予想と投機売りの反動等もあって,LME(ロンドン金属取引所)銅は82年7月から83年5月まで上昇した。しかし,その後はドル高,高金利による金融商品への資金流入もあって英ポンド相場の低下にもかかわらず停滞しており,84年8月のSDR換算の銅相場は82年7月に比べほぼ同水準にある。亜鉛は82年末からのアメリカの自動車生産,住宅着工の増加,それに先進国での生産調整による供給のひっ迫等から上昇を続け,この間に15%程度の上昇を示した。しかし,鉛はほぼ同水準にあった。
84年春以降,アメリカでの穀物類等の作付面積が本年はPIKが小麦を除いて実施されなかったため,作付面積が拡大したことと,天候が順調なことなどから豊作が予想され,砂糖,天然ゴム等の生産も増加予想から値下がりしており,一次産品市況は低下してきている。