昭和56年
年次世界経済報告
世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて
昭和56年12月15日
経済企画庁
むすび
1981年は世界経済にとって第2次石油危機の影響を克服して新しい発展への出発点へ立つことが期待された年であった。事実石油危機に端を発した世界インフレは80年春には頭を打ち,またその次的な所得移転に伴う直接的なデフレ的影響も81年初頭にはおおむね出つくしらつあったとみられる。そうした中で石油の消費節約が大いに進展し,世界の石油需給は緩和した。
しかし81年を終りつつある現在,世界経済は総じてなお高水準のインフレと景気低迷等に悩まされている。
欧米先進国では,石油価格高騰による輸入インフレのホーム・メード化を防止するのにはある程度成功したものの,その手段として主に金融引締めが使用されたため,異常な高金利に見舞われた。とくにアメリカでは新しい金融調節方式に基づいて長期にわたって強い金融引締めが実施されたため,金利水準が極めて高くなるとともにその変動が大きくなり,それが為替市場や欧州等の国内金融市場を攪乱する一因ともなった。
高金利のデフレ圧力等から,80年来回復を続けてきたアメリカの景気は1年足らずで息切れし,また西欧の景気は,下げ止まってきたとはみられるものの,為替下落による交易条件悪化の実質所得に及ぼす影響もあって,内需がなお弱く低迷を続けている。そのため特に西欧では雇用情勢が深刻化し,イギリス等では社会不安を惹き起すに至っている。一方インフレも石油価格は安定したものの,財貨・労働市場の硬直性や西欧では通貨安もあって多くの国でなお高水準となっている。こうしたスタグフレーションの悪化を主因に,多くの国で保護主義的圧力が強まっている。
スタグフレーションに陥ったのは,70年代における需要管理政策の失敗に加え,内外からの供給面の構造変化への対応が不十分であったためとの認識に基づき,欧米主要先進国は需要管理を安定化するとともに供給面を重視する政策により,それぞれに経済の再活性化を図っている。とくにアメリカは,レーガン大統領の下で「小さな政府」を志向する大胆な経済再生計画を打ち出した。
しかし,大規模な減税を行う一方で国防支出の大幅増強が計画されている上,高金利が長引き景気が停滞をつづけて財政赤字が計画どおり縮小せず,それが再び高金利を持続させる要因になりかねないとの不安が強く,経済再生計画はスタートから厳しい状況下にある。
同様な考え方に基づいて,すでに二年半前から経済再活性化を図っているイギリスも,インフレは鎮静化しつつあるものの,失業が戦後最高水準に達し,社会不安が発生するなど困難な局面にある。
一方フランスはアメリカ,イギリスとは異なる考え方の下に公共部門の機能を重視して雇用拡大策,主要企業の国有化等を打ち出したが,一方でインフレ悪化,フラン下落の悪循環等の問題に対する回答を求められている。
高金利の継続と欧米先進国のスタグフレーションの深まりは,第2次石油危機の影響に喘ぐ非産油途上国に新たな重圧を課している。すなわち石油輸入金額の膨張に加え,先進国の景気停滞と保護主義の高まりによる輸出の伸び悩み,高金利による金利支払負担の増大で非産油途上国の経常収支赤字は拡大をつづけている。そのため,ひきつづき経済発展が必要とされるにもかかわらず,多くの非産油途上国は厳しい調整への転換を余儀なくされている。
一方西側とは体制を異にする共産圏経済も,計画管理体制に伴いがちな硬直性や経済的インセンナィブ活用のむずかしさ等内的要因に石油危機,西側経済の停滞等外的要因も加わって,西側経済に劣らぬ経済的困難に陥っている。とくに70年代に開発戦略の転換に失敗したポーランドは経済的困難に政治的自由化を求める政労対立が加わって危機的状況に陥っている。また調整政策に転じていた中国も,過大な蓄積率や産業間不均衡の是正等をねらう「調整」と地方・企業の自主権拡大等を図る「改革」との連係が十分でなかったこと等から大幅財政赤字,インフレ等のひずみが発生した外,エネルギー生産も減少する等の問題に見舞われ,「調整」の強化等を迫られている。
一方緊張緩和の進展に伴い東西両側の経済的必要性が合致したことから順調に拡大してきた東西経済関係は,70年代末からの東西関係の不安定化とともにさまざまな問題に直面している。