昭和56年
年次世界経済報告
世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて
昭和56年12月15日
経済企画庁
第5章 困難深まる共産圏経済と東西経済関係の諸問題
76年10月,新体制に移行してからの中国は,農業・工業・国防・科学技術の四つの近代化を推進すべく経済重視策をとり,78年2月には120の大型プロジェクトの建設など大幅な投資増大(注1)による高成長をめざした「国民経済発展の10か年計画要綱(76~85年)」を発表した。こうした政策動向を反映して78年の基本建設投資(固定資本形成)総額は,前年比31.6%増と急増し,西側先進国からのプラント導入契約額(調印ベース)は,60.4億ドルと一気に77年の30倍にふくれあがった。
しかし,この10か年計画は様々な問題を抱えた中国経済の実情を必ずしも十分に踏まえて作成されたものではなかった。このため,工・農業間及び重工業・軽工業間,エネルギー需給等のアンバランスが表面化し,早くも78年末には国民経済を調整する必要が提起された。79年6月の全国人民代表大会では10か年計画を棚上げとし(注2),79~81年の3年間に「調整,改革,整頓,向上」の八字方針に集約される調整政策を実施し,経済の建て直しをはかることが決定された。八字方針の中で柱となるのは「調整」と「改革」であり,中でも「調整」が主眼とされていた。
「調整」とは,①過大な蓄積率(注3)を引き下げ,消費を拡大し,安定成長下で民生の向上をはかること,②農業,軽工業及び重工業部門内で隘路となっているエネルギー・輸送・建材工業の発展をはかり,各産業部門間のアンバランスを是正すること等である。79年以降,農業,軽工業及び重工業の隘路部門に対する投資の増大等各種優遇措置や,農産物買い付け価格・賃金引き上げ等が行われた。
「改革」とは,地方・企業の自主権拡大や市場メカニズムの導入等により,中央集権的色彩の濃い経済管理体制を徐々に改め,経済システムの効率化をはかることである。79年から,企業の利潤留保と留保資金の活用,計画外生産や労働者に対する考課権の付与等企業の自主権拡大が試行され,80年6月には試行企業数も6,600に達し,国営工業企業総数の16%,生産総額の60%(注4)を占めるに至った。また財政・対外貿易面などでの地方の自由裁量の範囲も拡大された。そのほか投資資金の財政資金から銀行融資への切り換え,生産財の市場取引の増大や自由価格の範囲拡大,企業の効率的再編など財政・金融・価格・流通・労働管理・対外貿易制度など多方面にわたる改革が徐々に試行され始めた。
また,「整頓」とは非効率企業を整理・淘汰することであり,「向上」とは,生産・管理・技術水準の向上をはかることであった。
その他調整政策の具体的措置には,輸出の拡大と外資の利用促進,科学技術・教育事業の推進,人口増加の抑制等も盛り込まれていた。
80年の工農業総生産額は前年比7.2%増と,79年の伸び(8.5%)はやや下回ったものの,計画(5.5%)を上回った。工業生産は,原燃料供給,融資など多くの面で優遇されている軽工業の好調に支えられ,前年比8.7%増と増大した。農業生産も天候不順等により食糧生産が減少(4.2%減)したものの,綿花,油料作物等経済作物の好調により2.7%増となった(第5-3-1表)。
こうした生産の発展以外にも,国民の所得増,雇用の拡大など民生の向上面でもある程度の成果があがった。
しかし,同時に以下のような新たな問題が生じ,中央政府の危機感が高まった。まず第1に,「調整」の要とされた基本建設投資の削減が進まなかったことである。79,80年の基本建設投資総額は建設中の大中型プロジェクト数の減少にもかかわらず,それぞれ前年比4.2%増,7.8%増と増加している。これは国家予算内投資が前年比減少したものの依然として計画を超過した上,地方・企業の自己調達資金等を利用した国家予算外投資が計画を下回ったものの79年には前年比25.5%増,80年には更に同145.9%増と急増したことによる(第5-3-2表)。この背景としては「改革」の実施に伴い,地方や企業の手持ち資金が増えたほか,銀行融資や外資の利用等により資金ルートが多様化し,投資の認可に対する中央の統制が緩んだことなどがあげられる。
また,地方の綿花,煙草等の原料生産地が自己調達資金を使って小型の加工工場を乱立したため,非効率な重複投資が増大したが,これは原材料・エネルギー不足等に拍車をかけることになった。
第2は,79,80年と二年連続して歳出の10%以上に相当する大幅な財政赤字が生じたことである(第5-3-3表)。これは歳入が減少する一方で歳出が増大したためである。すなわち歳入は重工業生産の鈍化や「改革」の実施により,地方や企業の自主財源を拡大したこと等から減少し,一方歳出は基本建設支出や行政管理費・国防費等の増加,農産物買い付け価格・賃金引き上げなどから増大した。
財政赤字補填のための通貨増発は80年には計画の2倍強の76億元に達した。
第3は,物価上昇の深刻化である。79年の小売物価が前年比1.9%高となった後,80年には同6.0%高となった。このうち80年には,都市部の上昇率(8.1%)が農村(4.4%)を上回り,品目別にみると副食品を始めとする食料品価格の上昇が著しかった(第5-3-1図)。
インフレの原因としては,①前述した財政赤字補填のための通貨発行増(80年の貨幣流通量は前年比29.3%増),②農産物買い付け価格と小売価格の逆鞘を縮小し,財政負担を軽減するため79年11月に8品目の副食品価格を大幅に引き上げたこと,③自由価格の範囲が拡大される中で農産物買い付け価格・賃金引き上げ,企業による奨励金の乱発,就業者数の増加等による国民の購買力増(79年20%,80年18.7%)に商品供給量の増加(同15%,13.3%)が追いつかたかったこと,④企業による不当な価格引き上げ,などがあげられる。53~79年に年平均0.8%高と物価が安定していた中国において,79~80年の物価上昇は極めて大幅なものであり,民生向上を政策の主眼とする現政権の危機意識を煽ることとなった。
第4に,エネルギーの増産見通しが厳しくなったことである。中国では50年以降年率25%で増加してきた石油生産が,80年には初めて前年比減少となった(第5-3-2図)。これは大慶など既存油田の生産が頭打ちの状態にある外,R/P(埋蔵量/生産量)の低下から探査活動に重点が移ったためである。79年以来西側先進国から外資を導入し,渤海,南シナ海,黄海等で海底油田探査を行っており,試掘結果では潮海等で油層が発見されている。しかし海底油田の生産見通しがたつのは早くとも80年代後半とされており,85年の石油生産は8,000~9,000万トンの水準にまで低下するという見方も明らかにされた(80年は10,595万トン)。78年当時は石油生産が85年には2億トンを越えると極めて楽観的に見ていただけに,石油生産見通しの大幅下方修正はエネルギー消費の2割強,輸出の1割強を石油に依存する中国に対し,大幅な計画修正を余儀なくさせることになる。
また石油のみならず,エネルギー消費の7割を占める石炭生産も新坑建設の遅れ,輸送の隘路等から80年に減少しており,石油と同様に外資導入により開発を進めているが,これも90年まで大幅な増産は望めないとされている。
第5には貿易面で混乱が生じたことである。「改革」の一環として三市二省(北京・上海・天津市,広東・福建省)等に対して一定の範囲内で対外貿易,外貨取得権が与えられた。これは分権化により輸出の増大をはかるための措置であったが,窓口の多様化による混乱が生じ,地方間の競争の激化による輸出品価格の値くずれなどの問題が生じた。
こうした諸問題に対処すべく,80年12月に開かれた党中央工作会議において,経済調整を強化すべきことが提起された。
80年末以降,物価の凍結(80年12月),徴税強化や歳出削減等財政管理の強化(81年2月),信用統制強化(81年2月)等,再び中央の集中管理を志向した措置が相次いで通達されたが,調整強化の具体的内容は81年2月の全国人民代表大会常務委員会会議において,財政赤字とインフレの解消をねらった81年計画の修正案という形で明らかにされた。
まず第1に,財政収支をバランスさせるため81年の基本建設投資を一気に当初目標比45.5%減の300億元に圧縮するζとが決定された。その他国防費,行政管理費,企業の更改資金等を削減し,歳出を当初目標比13.2%減,歳入も同9.1%減に下方修正し,81年中に財政収支を均衡させることを目標としている。また,地方・企業の余剰資金吸い上げの,ため,40~50億元の国債発行を行ない,加えて地方から80億元借り入れるごとを決定した。
第2に,通貨を回収し,インフレを鎮静化するため,奨励金支給の抑制や貯蓄の奨励によって,購買力の増大を抑える一方,軽工業生産を当初計画通り前年比8%以上増やすことによって,消費財の供給を増加させる。
第3に,農業については引き続き生産責任制の導入や多角経営を進めるが,食糧生産をないがしろにせぬよう配慮する。
第4に,投資の大幅削減に伴い,石油・石炭・鉄鋼等重工業品の生産目標を引き下げるが,エネルギー・輸送・建材部門や住宅建設・教育等民生向上のための投資は優先的に配慮する。
第5に,エネルギー消費の定量管理や機械設備の省エネ型への改造等エネルギー節約を一層強化する。
第6に,非効率企業の閉鎖・合併・転業を促進するが,閉鎖企業の設備は保管し,労働者には基本賃金(注5)を支給する。
第7に,「改革」については企業の協業等効率的再編,投資の有償制など「調整」に有利な改革は進めるが,企業の自主権拡大は続行するものの,その試行範囲は,これ以上拡大せず,価格改訂等は慎重に進め,「改革」と「調整」が矛盾する場合,「改革」よりも「調整」を優先させる。
第8に,対外貿易・外貨管理を強化し,耐久消費財等の輸入を規制するが,ひきつづき対外的開放政策を堅持し,選別的に外資導入を行なう,などである。
81年初には,調整強化に伴う投資削減の必要を理由に,日本,西独など西側先進国の関係しているプラント建設の中止が中国側から通告された。このうち日本企業の受注分は,宝山製鉄所熱延プラント,北京・東方・勝利・南京石油化学コンビナート等計約3,100億円にのぼっていた。その後日中間の交渉で,石油化学プラントの機器は契約通り中国側が引きとることとなった。
また宝山製鉄所第一期工事,大慶石油化学コンビナートの建設継続のため,日本が①円借款の一部を転用した商品借款,②輸出入銀行のサプライヤーズクレジット,③民間銀行のシンジケート・ローンの組み合わせで総額3,000億円程度の資金供与を行うことで中国側も原則的に合意している。
81年の工業生産は,1~9月に前年同期比1.5%増という低い水準にとどまっている(80年8.7%増)。これは優遇されている軽工業が,同期に12.4%増と好調である,にもかかわらず,重工業が7.6%減と大幅に減少しているためである。
農業生産をみると,冬小麦など夏収作物及び早稲の生産が天候不順や栽培面積の減少にもかかわらず,生産責任制の浸透等によりそれぞれ6,000万トン(前年比5.3%増),5,000万トン(同2%増)以上となった。夏以降の洪水の被害にもかかわらず,政府は,81年の食糧生産は不作であった80年を上回り,史上最高の79年の水準に近づくとみている。
商品小売総額は上期に前年同期比9.0%増大(注6)し,都市と農村の預金残高も増加するなど通貨回収が進んでいるため,インフレも鎮静化に向っていると思われる。
また雇用面では,サービス業を拡充し,集団所有制企業や個人営業を中心に雇用拡大をはかっているが,上期には前年同期比12.8%増の282万人が新規に就業した。
貿易動向をみると,上期には輸入の伸び(22.7%)が,輸出の伸び(14.9%)を上回り,貿易収支は8億元(4.8億ドル)の赤字となった。その後プラント機器導入の一段落,消費財の輸入規制などから,輸入の伸びが急減し,1~9月に前年同期比8.9%増の140.3億ドル,輸出が同13.2%増の146.9億ドルとなったため,貿易収支は一転して6.6億ドルの黒字となったと伝えられる(80年12.7億ドルの赤字)(第5-3-4表)。
調整強化策実施後半年を経て,中国経済はまた新たな問題を抱えることとなった。
それは,基本建設投資の削減が計画の前年比44.3%減を下回り,上期に22.0%減にとどまった中で,重工業生産が予想外に大きく落ち込んだことである(8.2%減)。
調整期にはエネルギー節約的で資金回収が速く,雇用対策や外貨獲得面でも有利な軽工業を奨励しているため,調整強化による投資削減は専らエネルギー・輸送部門等を除いた機械,鉄鋼などの重工業部門について行われている。投資削減に伴い生産任務が大幅に削減されている重工業部門は省エネルギー型への設備改造等効率化,重工業品生産工場での軽工業品の生産等が要請されている。しかし,こうした中で,品質の低下,欠損の増加など,企業の経営効率が低下したとされている。
また,重工業生産の減少は,企業の上納利潤の減少(1~6月に前年同期比12.3%減)や,工商税の伸び悩み(同3.6%増)につながった。このため81年の財政収支赤字は,80年(128億元)に比べれば大幅に縮小するものの,30億元程度に達すると見られている(谷牧副首相発言)。
こうした重工業生産の不振は,工業生産全体の成長テンポを大きく鈍化させ,軽工業の生産に必要な設備・原材料不足にもつながるため,8月以降は,重工業生産も一定のレベルを維持することが必要であるという意見も表明されるようになり,8月以降重工業生産は,やや上向きに転じている。
3. 中国経済の今後の課題―「調整」と「改革」の調和を求めて
こうして中国は,78年以来経済政策の上で試行錯誤を続けている。81年からは,調整強化策を実施し,再び中央集権的傾向を強めているが,権力の相対的分散を求め返る「改革」をも否定せず,若干テンポを緩めながらもそれを進めていこうとしている。
「調整」はマクロ的なバランスをはかるため行政介入的中央集権的措置が必要とされ,反対に「改革」は権力の相対的分散と市場原理の導入が求められるため,二つの政策は,しばしば矛盾を生じるとされてきた。確かに調整強化策実施の背景として,「改革」の実施により経済活動の混乱が生じたという側面がある。
また中国には「改革」を全面的に実施する基盤が整っていないことも事実である。それは第1に,中国が1人当たりGNPが260ドル(79年)にすぎない開発途上国であり(第5-3-5表),産業構造も遅れている上,膨大な過剰労働力を有し,エネルギー・資材・資金不足の状況にあることである。
第2に,従来の行政的縦割管理体制の弊害により,地域・生産経営単位間の連係が不十分であること,価格体系が不合理であること等,それ自体「改革」の課題であるが,短期間には解決が困難な問題が企業の自主権拡大等その他の「改革」を進める際の障害となること等があげられる。
しかし,長年にわたる中央集権的管理体制等がもたらした経済効率の低下は著しく,企業の経営水準・投資効率等は今だに57年の水準に復していない。たとえば国営工業企業の100元の資金の生み出す利潤は57年の24元から79年には16元に,80年でも16.7元に低下し,近年国民所得を1元増加させるのに必要な追加投資は第1次5か年計画期(53~57年)に比べ倍増している(第5-3-3図)。
こういった状況からみても,エネルギーをはじめ資源を多投できない調整期はいうまでもなく,より長期的にも「改革」の実施による経済の効率化が必要とみられるのである。
このため当面は「調整」を重視しながらも,法令の整備や市場予測の強化など「改革」のための基盤整備をはかりつつ,選別的に「調整」に有利な「改革」を進めることになろう。最近では経済責任制の導入,企業の効率的再編などの「改革」が積極的に進められている。
こうした中で当初81年に終了する予定であった調整政策は,延長されることが確認されているが,「改革」をも含めた調整政策は,今後かなり長期にわたって中国経済の基本路線となる可能性が強い。
81年6月には,趙紫陽首相(80年9月就任),胡耀邦党主席,とう小平中央軍事委員会主席という三頭体制の現政権が成立したが,現政権が「調整」と「改革」を適度に調和させ,「調整」の中では重工業と軽工業発展等のバランスをとり,いかに効率的に中国経済の近代化を進めていくかが注目される。