昭和56年
年次世界経済報告
世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて
昭和56年12月15日
経済企画庁
第3章 先進国経済再活性化のための新たな試み
サッチャー政権の経済政策は,従来の政府介入を重視する政策運営が,経済の供給面に欠陥を集積させてその悪化を招いたという認識に立って,民間の活力回復をテコにイギリス経済を長期停滞から脱却させることをその目的としている。
そのため,政策の基本方針として,①手取り所得分をより多くすることによって,勤勉,才能が適切に報われるように労働インセンティブを強化する,②国家の役割を縮小して個人の選択の自由を拡大する,③民間活動の余地を拡大するために公共部門赤字を削減する,④賃金交渉における労使の責任を自覚させる,という四原則を掲げている。
この基本方針にしたがって,現政権は,当面インフレ抑制を最優先の課題とし,中長期的には供給面の強化を図るため,①通貨供給量の伸びの抑制,②政府支出削減及び公共部門赤字幅の縮小,③国有企業の民営化,④労働,財貨,金融市場での市場メカニズムの回復などの政策措置を一貫してとってきた。これは従来の歴代政権の景気調節を中心とする政策運営とは大きく異なっており,所得政策をインフレ抑制の柱とした前保守党政権の政策とも,また所得政策とともに国有化を促進した労働党の政策とも全く異った接近法となっている。
サッチャー政権の経済政策は,79年5月の政権発足後作成された79年度予算(79年6月~80年3月)でまず具体化された。
当面の最大の課題であるインフレ対策としては,通貨供給量の伸びの抑制を基本として,その目標を引き下げ,これを実現するたや,①最低貸出し金利を引上げるとともに,②公共部門借入れ所要額(以下PSBRと略称)の縮小を図ることとした。PSBRの縮小を税負担を増大させることなく達成するため公共支出の削減(キャッュ・リミット制)(注),公務員の定員削減,国有企業への融資・教育・住宅関係費の削減など)が実施された。なお,所得政策,価格規制は廃止された。
供給面に対しては,①勤労意欲の促進のため所得税を減税する(同時に税負担のウエイトを間接税に移す),②企業に投資意欲を喚起させるため税制面でさらに優遇する,③国有企業の民営化,株式放出などにより政府介入を縮小する,④為替管理を全廃する,⑤賃金決定を自主的交渉にまかせる,などの措置がとられた。
ついで80年度予算では,インフレ率を中期的に引下げるために「中期財政金融戦略」という新しい方式が打ち出された。これは従来,一年を単位に別々に示されていた通貨供給量とPSBRの目標を結びつけて,83年度までの期間について整合的に漸減させていくことを明示したものである。このほか,所得税減税,間接税増税,支出削減など前年度と同方向の措置がとられたが,すでに景気下降がはじまっていたことから,PSBRの削減は小幅にとどめられた。
その後,81年度予算では景気が予想を上回る悪化を続けたため,「中期財政金融戦略」のうちPSBRの目標が修正され(第3-2-1表),また,不況の影響が個人部門および企業部門間で異なっており,また企業部門間でも異なっていることを考慮して,税制面の措置を中心に不均衡の是正がはかられた。すなわち,不況による影響が比較的に軽いと判断された個人所得についての物価調整減税は見送られ,北海石油や銀行収益にたいしては臨時付加税がかけられた。また支出面での調節をより効果的にするために,キャッシュ・リミット制の適用を強化する一方,金融面でも新しい金融調節方式に移行するなど,財政金融両面にわたる制度的改善の努力が続けられている。
サッチャー政権が最大の政策努力を払って抑制しようとしている物価上昇率は,80年夏以降ようやく低下しはじめた。
消費者物価上昇率は,第二次石油危機の影響に79年度予算の付加価値税率の大幅引上げ(推定約4%の上乗せ効果)も加わって加速化し,80年春には20%台にのせた。その後は次第に騰勢を鈍化させ,81年9月現在,なお現政権発足時の水準を上回るものの,11.4%(前年同月比)となっている(第3-2-1図)。
過去1年間の物価上昇率の鈍化は,主として,①付加価値税引上げの影響の一巡,②ポンド相場の上昇を反映した輸入物価,原燃料卸売物価の落着き,③不況下での値下げ,マージン幅の縮小,④賃金上昇率の鈍化,⑤生産性低下の下げ止まりなどを反映したものであった。政府がインフレ抑制の中心的手段としたマネー・サプライは,この間むしろ目標を上回って増加したが,金融市場の流動性不足は続き,最低貸出し金利の引上げ等による政府の引締め政策は,きびしい不況およびポンド高を通じてインフレ鎮静化をもたらすこととなったと言える。
今回の不況は,現政権の発足とほぼ時を同じくしてはじまった。イギリス経済は79年4~6月期をピークに下降をはじめ,81年上期にほぼ下げ止まるまでの2年間に,実質GDPで7.6%,鉱工業生産で14.1%(製造業は17.6%)低下して前回の景気の底(74年1~3月期)と同水準,またはそれを下回る低水準に落ち込んだ。固定投資の水準は住宅が前回の底を約3割も下回ったことからそれを実質約5%下回っている。
この過程で雇用の急減,失業者数の急増が続いているため不況の影響がより深刻となっている。前回の不況期には雇用の減少は小幅で失業者数の増加も緩やかであったのに対して,今回は過去2年間に雇用者数は143万人減少し,失業者総数は169万人増加して300万人台にせまっている。
主としてこうした雇用情勢の悪化を反映して,80年春から秋にかけて20%台にのせていた平均賃金収入の伸び(前年同期比上昇率)も,80年秋以降ようやく鈍化傾向に転じ,81年夏現在,12%台となっている(第3-2-1図)。賃金上昇率は,民間部門では労働の需給緩和に比較的はやく敏感に反応して鈍化したのに対して,公共部門では調整がおくれがちであった。とくに79年秋から80年夏にかけては,民官賃金格差に関するクレッグ委員会の勧告もあって,公共部門賃金は大幅上昇(14~28%)を続けた。81年に入ってからも賃上げ要求を中心として公務員ストが相ついだ。しかし,最終的には,80年秋から81年夏にかけての賃金ラウンドは平均7.5%の賃上げとなり,雇用削減を考慮すると,キャッシュ・リミット(81年度6%)内にほぼ収まったとみられる。
不況の深刻化と失業者の急増という大きなコストを払ってようやく実現してきた物価・賃金面での上昇率鈍化であるが,この傾向が持続するかどうかについては,まだ不確定な要因が多い。
政府は,81年の消費者物価上昇率は10%(10~12月期の前年同期比),82年春(4~6月期)には同8%に低下すると予測しているが,その達成はむずかしいとする見方がふえている。政府のマネー・サプライ抑制政策は維持されるとしても,それが実現し,その効果があがるまでにはなお時間がかかるとみられる。また,これまでの物価上昇率の鈍化を主として支えてきた輸入物価も,81年初からのポンド相場の低下から反騰に転じているほか,政府部門の赤字削減のために公共料金,間接税の引上げも引続き実施されるとみられ,住宅ローン金利も高まっている。また,賃金の伸びは大幅に鈍化し,公共部門でも一部国有企業の賃上げ交渉が,11月初,3.8%で妥結するなど上昇圧力が急速に弱まってはいるものの,地方公務員など一部労組はいぜんキャッシュ・リミット(82年度4%)に強く抵抗しており,先行きは必ずしも楽観できない。
つぎに,インフレーション抑制のための中心的手段である通貨供給量の調節についてみよう。このための指標とされているポンド建てM3(注1)の伸びをみると,政府目標をかなり上回っており,調節はこれまでのところ成果をあげているとは言いがたい(第3-2-1表)。すなわち,第1年次(79年6月~80年4月)のポンド建てM3の伸びは年率11.0%と目標(年率7~11%)増の上限に収まったが,81年4月までの第2年次には19.6%と目標(7~11%)を大幅に上回り,また81年2月から10月までの8か月間でも年率19.4%と依然として目標(6~10%)を上回る急増を続けている。
このうち,第2年次の急増には,80年6月央の特別預金制度の補完措置(いわゆるコルセット制(注2)の撤廃により,これまでポンド建てM3に算入されない形で貸し出された分が合算されたという技術的変更がかなり影響している。また,最近の半年間についても,3月央から7月末まで断続的に続いた公務員ストが徴税事務を滞らせたため,民間金融機関に納税資金が滞留したこと,また財政赤字が急増し,市中消化されない公債発行が増大したことがかなり大きな原因となったといわれている。
しかし,こうした特殊要因を除外してみても,通貨供給量の伸びは政府目標をかなり上回っているとみられる。これは,①インフレ,不況による高在庫に対する手当てや賃金上昇に対する支払い増加等のための資金需要,および個人向け住宅ローンの獲得競争などによる銀行の対民間貸出の急増,②公共部門赤字幅(国債の市中消化分を除いた部分)の拡大,③経常収支の改善,ポンド高,高金利による外資流入などによるものである。いま,ポンド建てM3の増加内訳を,上の三要因にわけてみると,時期によってかなりの差が゛あるものの,①の対民間銀行貸出し要因が最大のウエイト(6割以上)を占めており,財政赤字要因がこれにつぎ,最後に海外要因となっている(第3-2-2図)。
通貨供給量の伸びの調節は,従来は主としてイングランド銀行による金利の変更を通じて行われていたが,この調節をより効果的にするために,イングランド銀行は81年8月20日以降,新たな金融調節方式に移行した。この改革の一環として,最低貸出し金利の公表が停止され,金利は金融市場の実勢を反映してより弾力的に決められることとなった。この結果,従来,通貨供給量の調節をむずかしくしていた,いわゆるラウンド・トリッピングを(注)封ずるのが容易となったとみられる。
通貨供給量調節をポンド建てM3を中心とする現行方式ではなくベース・マネー(中央銀行預け金+金融機関保有現金)を基準とする,いわゆるマネタリー・ベース方式にかえることも検討されているが,この方式には問題が多く当面は導入されることはないとみられている。
また,ポンド建てM3には,住宅協会の貸出しを含まないなどの欠陥が指摘されており,このため,よりカバレッジの広い通貨供給量の指標が発表されるようになった(PSL 1=ポンド建てM3+民間保有手形。PSL2=PSL1+貯蓄性預金および証券)。
こうした指標はそれぞれかなり異なったうごきをしており(第3-2-2表),どれを調節の基準にとっても単一の指標を用いることには限界がある。しかし,政府はポンド建てM3の流通速度が中期的にほぼ安定しており,名目所得の伸びとの関連が深いとして,引続きこれを基準としていくこととしている。ただし,ポンド建てM3も短期的には不規則変化をするので,その他の金融指標,たとえば,為替レート,市場金利,住宅ローン金利なども同時に考慮する方針とされている。
通貨供給量の変化と名目所得及び物価の間に,若干のおくれを伴なった直接的な,安定した関係があるという現政権のマネタリスト的な前提条件については,理論的にも,実証的にもまだ論争のあるところである。イギリスでは,第一次石油危機時のインフレは通貨供給量の伸びとの相関で説明されるが,79年以降のインフレについては同様な説明はまだ必ずしもなされていないとされている。またサッチャー政権登場後の,特に80年以降の通貨供給量の伸びの高まりは,名目所得の伸びを急増させず逆に減少させているという指摘もある。
しかし,通貨供給量を「中期財政金融戦略」のような一定の目標を設けて安定的に調節することは,インフレ心理に大きな効果を与え,実際の政策として有効であるというのが,この政策の主張者,支持者の考え方である。
通貨供給量と物価の関係を直接捉えるモデルではないが,英大蔵省マクロ・モデルによれば,通貨供給量(ポンド建てM3)の伸びを1%低下させた場合,物価・賃金には徐々に抑制効果が及ぶ一方,GDP,雇用には最初の1~3年にわたって大きなマイナスがあらわれる(第3-2-3図)。しかし,その悪影響も4~5年後には逆転して,その後は,物価抑制と雇用増という好ましい組合せが進行すると予測されている。
財政支出の削減を図ることは,通貨供給量の調節とならび,かつこれを実現するための一つの手段として現政権の政策の柱となっているが,これについても目標と実績はかなりかけ離れたままである。
ハウ蔵相による過去3回の予算案をみると,各年度とも中央政府一般会計の歳出の伸びは歳入の伸びをかなり下回っており,財政赤字幅の縮小が意図されていた。また,当初予算の歳出の伸びは,80年度を除いて,政府の物価上昇見通し内に抑制されており,ほぼ実質ゼロとなっていた。
現政権は「収入が支出をきめる」という基本方針の下に,支出面での抑制を重視して国防や社会福祉関連費でさえ支出見直しの対象としてきた。また制度面でも次のような改革がすすめられている。①これまで秋に予算とは独立に作成された公共支出計画を,80年度以降,予算案と同時に発表することとし,歳入と歳出のつながりを明確にした。②公共支出計画はこれまで調査年次価格で表示されていたが,税収,PSBR,通貨供給量との関連をつけやすくするため,名目表示に重点を移すこととし,81年度からはじめて名目支出額が表示された。③これまで,行政費,給与を中心に適用されてきたキャッシュ・リミット制の適用範囲を拡大するとともに(81年度,公共部門支出の約60%),公務員給与については81年度の引上げ率6%,82年度4%と物価上昇見通しを大幅に下回る現金支出上限が設定された。④支出膨張の主因の一つである地方自治体への交付金については,「1980年地方自治法」によって支出が見込みを上回った自治体について交付金の減額が可能とされ,その主な支出項目である公共住宅建設の一時凍結が80年10月以降実施されたほか,地方税制度の見直しが検討されている。
こうした政府の努力にもかかわらず,予想を上回る不況による歳出増,歳入減はPSBRの削減どころか,その拡大をもたらしている。たとえば,失業者の増加による財政負担増は,歳出面では失業手当給付増,職業訓練費増など,歳入面では所得税,社会保障拠出の減少などにより,失業者10万人当り合計約3.4億ポンドと推計されている。過去2年半における失業増は約160万人に達しているので,これだけで約54億ポンドの赤字拡大要因となっている。
とくに歳出面での見込み違いが大きく,その実績は各年度とも予算を大幅に上回り,実質ベースでもかなりの増加となった。とくに80年度には,当初予算が前年比23.3%増の大幅増を見込んだにもかかわらず,実績は24.9%増とそれをさらに上回った。このため,PSBRも当初予算の85.4億ポンドのほぼ2倍近い132.2億ポンドに達した。
81年度予算では,こうしたPSBRの拡大を抑制するため,所得税の基礎控除についての物価調整が中止され,一方,間接税,社会保障費負担が引上げられた。これは今回の不況では個人部門の負担が相対的に軽かったという政府の判断を反映したものであるが,労働インセンティブを回復するための個人所得税負担の軽減という本来の目的には相反する措置である。ちなみに,79年度以降の税制措置の変更を考慮して,家計の税引後所得を主な所得階層について推計してみると,79年度には,所得税率引下げや基礎控除についての物価調整減税によって,各所得階層ともほぼ消費者価格の上昇にみあって税引後所得が上昇した。しかし,税引後所得の伸びは80年度,81年度には,いずれも物価上昇率以下にとどまっていることがわかる(第3-2-3表)。
以上のような事情から,PSBRの縮小は「中期財政金融戦略」の目標どおりには進んでいない。政府は,これが直接に通貨供給量の拡大につながらないよう,国債の市場消化の促進策をとっている。すなわち,従来,年齢制限があった物価調整付き国民貯蓄債券の購入規制を81年9月以降は全廃しており,また,81年度には機関投資家向けの物価調整付き長期国債,英石油公社(BNOC)の業績に連動して利子が変動する国民貯蓄石油証券の新規発行がきめられた。
市場メカニズムが作動する効率的競争経済の実現のためには,①国有企業の民営化(第3-2-4表),②国家企業庁(NEB)の役割縮小とその保有株式の放出,③企業地区(Enterprise Zone)の設立による中小規模企業の育成(81年9月末までに11地区のうち8地区発足),④競争的市場条件の強化(「1980年競争法」成立,80年4月),⑤労働市場における硬直性の緩和(「雇用法」成立,80年8月),⑥為替管理の全廃(79年12月)など,多面的な措置がとられている。
これらはいずれも制度的,構造的改革であって,その効果が経済パフオーマンスの改善どなってあらわれるには長い時間がかがる性格のものである。
また,国有産業の民間移管などは,企業経営が全般的に悪化している不況期に当っているので,事業の肩代りをする企業を探すのがむずかしく,またそれに伴う経営合理化,人員整理には労組の反発が強いことなどから,おくれがちである。
上にみてきたように,約3年にわたってサッチャー政権は経済の再生をめざして努力を続けているが,その成果はまだはっきり現われてはいない。その反面,失業者数は300万人に迫り,81年夏の都市暴動等社会不安も発生している。しかし,政府はもともと,通貨供給量の調節を通ずるインフレ抑制には時間もかかり,景気,雇用面への当面の悪影響は予想されていたとして,政策のUターンを拒否しており,81年9月央,内閣の大幅改造によって,その基本方針の堅持を再確認した。失業の一層の増大を回避しつつ,インフレ心理の鎮静化を設備投資の増大や国際競争力の改善等に結びつけ,経済再活性化を図っていくことが今後の課題とされている。