昭和56年

年次世界経済報告

世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて

昭和56年12月15日

経済企画庁


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第1章 1981年の世界経済

第2節 改善しつつあるもなお高水準のインフレ

第2次石油危機をきっかけに悪化した世界のインフレは80年春をピークに改善に向った。これは各国ともインフレ抑制を最優先の課題として金融引締めを強化,維持し,輸入インフレのホーム・メード化防止にかなりの成功を収めたためである。81年に入って石油価格が弱含みに推移していること,80年秋まで上昇傾向にあった一次産業品価格もそれ以降低落に転じたこと,賃金上昇率も徐々に鈍化していることもインフレの改善に役立った。

しかし西欧諸国の物価は,通貨安による輸入物価の反騰,公共料金の引上げ等から81年に入って総じて上昇に転じており,順調に低下してきたアメリカの物価も81年央には低下テンポが鈍化し,主要国の物価上昇率はなお高水準となっている(第1-2-1表)。

1. 比較的順調に改善してきたアメリカのインフレ

アメリカの物価上昇率は,エネルギー,食料価格等の安定と強力な金融引締め政策によりなお高水準とはいえ比較的順調に低下してきた。これを消費者物価の前年同期比で見ると,80年4~6月期の14.5%高をピークとして低下に転じ81年4~6月期には9.8%高となった。

(その要因)

アメリカのインフレ改善の第1の要因はエネルギー価格の安定である。80年後半以降上昇率の鈍化していたエネルギー価格は,81年初にはOPEC原油価格の引上げと国産原油価格の統制撤廃により一時的に上昇したが,その後需給が一段と緩和する中で落着いた動きとなっている。

第2は食料品価格の安定である。食料品は80年末から81年初にかけては10%を越える上昇を示したが,食肉価格の安定等から81年4~6月期には9.0%に下った。

第3は住宅費の安定である。80年中高騰した住宅費は,81年に入ると,住宅抵当金利は引きつづき上昇したものの住宅価格の低落から全体としては上昇率が大幅に鈍化した。

以上3項目を除いた消費者物価の騰勢も81年には少しずつ鈍化している。

これには物価の基調に影響を与える単位労働コストが低下してきていることも寄与している。すなわち賃金(雇主の社会保障費負担分を含む)上昇率は81年初には社会保障税等の引上げもあって上昇率を高めたものの,81年4~

6月期には低下するとともに,労働生産性が81年に入って回復をみせた。その結果1年前には11.0%高だった単位労働コストは81年4~6月期には8.2%高に低下した(第1-2-2表)。

なお最近では,高金利の影響で住宅費(主に住宅抵当金利)が上昇してきているため,物価は再び騰勢を強めている(81年7~9月期は10.9%高)。

2. 改善から再び悪化した西欧のインフレ

一方西欧の価格は80年春をピークに80年中はアメリカと同様改善をみせてきたが,81年に入ってイギリスを除いて再び悪化した。

これをEC全体の消費者物価の前年同期比上昇率でみると80年4~6月期に13.0%高に達した後80年10~12月期には11.9%高とアメリカの水準(12.6%)を下回ったあと,81年7~9月期には12.0%高となっている。

主要国別に見ると,81年に入っても低下をつづけてきたイギリスも最近ではほとんど低下が止っており,西ドイツ,フランス,イタリアは再び上昇率を高めている。その水準も81年7~9月期で西ドイツが前年比一桁の他はイタリア,フランス,イギリスいずれもなお二桁の上昇となっている。

(再び悪化した原因)

81年に入って西欧の物価が上昇した第1の原因は各国ともドル高の影響で為替が下落し輸入物価の上昇率が高まったことである。主要国の輸入物価の上昇率は80年7~9月期または10~12月期を底に再び上昇してきている。すなわち,西ドイツ,イタリアは80年10~12月期のそれぞれ前年同期比12.9%高,27.1%高が81年4~6月期には14.0%高,32.4%高に,またフランスは80年10~12月期の15,7%高が81年4~6月期には18.0%高となった。また石油製品等の輸入価格も,そのドル建て価格は比較的安定していたにもかかわらず81年4~6月期に西ドイツ18.5%高,フランス46.5%高などとなっている。

第2は,財政再建やエネルギー価格政策の観点から交通,公共住宅等公共料金の引上げがつづいていることである(第1-2-3表)。

第3は,イタリア,フランス等何らかの形で賃金の物価スライド制のある国等では,労働需給が極めて緩和し,また生産性の伸びが低いにもかかわらず賃金上昇率が生産性の伸びの鈍化に見合って鈍化しないことから,単位労働コスト上昇率が高水準にとどまっていることである (第1-2-4表)。

3. 低落した一次産品,金価格

(一次産品価格の動向)

80年初の投機的急騰から反落した一次産品価格は80年夏以降再び上昇したが,80年11月をピークに低落に転じた。為替相場変動の影響を除いてみるため,ロイター指数(ポンド建て)をSDR建てに換算してみると,80年2月の1,305に対し,同6月1,225,同11月1,335の後81年9月には1,092となっている。

世界の景気が停滞する中で80年11月まで一次産品価格が上昇したのは,原油価格の上昇,アメリカの熱波やソ連の長雨,冷夏などによる穀物不作や砂糖の不作によるところが大きい。また,イラン・イラク紛争とアメリカ景気の予想外に早い回復も一時期非鉄金属等の先行き需要増大期待を強めた。

その後は主要国の景気低迷による工業原材料に対する需要不振,高金利継続による投機の撤退,穀物や砂糖の豊作見込み等から下げに転じ,81年秋の段階でも弱含みに推移している(第1-2-1図)。

(金価格の動向)

金価格も一次産品とほぼ同様の動きを示した。

ロンドン自由金市場の金価格は80年1月に国際緊張の高まりからオンス850ドルの超高値をつけた後下落した。80年秋のイラン・イラク紛争で9月には一時711ドルとなったものの,81年に入って再び軟化し,81年夏には400ドル近くまで下落した。

80年には,金の供給は南アフリカの減産,共産圏の金売却の大幅減少,IMFの金売却の終了,アメリカ政府の金売却の停止等で前年比半減したにもかかわらず80年,81年と全価格が総じて下落傾向をたどったのは,高金利とドル高のためである。ドル高が修正局面に入った81年秋以降は金価格はオンス400ドルからオンス450ドル前後で推移している(第1-2-2図)。