昭和56年
年次世界経済報告
世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて
昭和56年12月15日
経済企画庁
第1章 1981年の世界経済
第2次石油危機のデフレ効果とインフレ抑制のための引締め政策の影響で79年後半から80年春にかけて景気後退に入った欧米先進国経済は,アメリカがその夏には回復に転じ,西欧諸国も81年央には総じて下げ止まってきている。しかし,アメリカの回復は81年春には早くも息切れし,また西欧の景気は総じて底離れができず,全体として欧米先進国の景気はなお停滞気味に推移している(第1-1-1表および第1-1-1図)。
これはアメリカを中心とする強い金融引締めが各国経済に異常な高金利の重石を載せているほか,西欧諸国はドル高による為替レートの下落からくる交易条件悪化によって実質所得の伸び悩みが生じているためである。こうしたなかで,とくに西欧では失業が極めて高い水準となっている。
80年の4~6月期に,実質可処分所得の減少や金利の上昇,信用規制措置等から主として消費を中心に,実質GNPで前期比年率9.9%減という大幅な下降を示したアメリカの景気は,同年7~9月期には回復に転じ,81年1~3月期に至るまで急速に回復した。アメリカの景気が極めて早期に回復に転じた背景には,80年4~6月期を境に,物価上昇率が低下に転じ,それに伴い夏にかけて金利が急速に低下したこと及び3月に導入された信用規制が7月に撤廃されたことなどがある。
しかし,この景気も81年4~6月期には停滞傾向に転じ実質GNPは前期比年率1.6%減となり7~9月期には同0.6%増となった(第一次改定値)。
アメリカの景気回復は1年にして早くも息切れ状態となっている。これは80年後半以降再び上昇して来た金利の高水準が長期化するに伴い,回復を主導して来た個人消費(とくに耐久財)が停滞している他住宅投資が減少した上,純輸出(輸出と輸入の差)の成長に対する寄与がマイナスに転じたためである。
個人消費は,金利の低下や信用規制の撤廃とともに回復に転じ,実質可処分所得の伸びに貯蓄率の低下が加わって81年1~3月期までの景気回復の牽引力となった。80年4~6月期から81年1~3月期までの実質GNPの伸び率4.9%に対し実質個人消費の伸びは同6.0%となっている。しかし81年4~6月期には,実質個人可処分所得が伸び悩んだ上貯蓄率が反転上昇したため,実質個人消費は耐久財を中心に前期比年率2.1%の減少となった。耐久財の落込みには高金利の長期化や1~3月期の自動車販売を押し上げた販売促進策(リベート)の終了の影響もあった。
住宅投資も金利の低下と政府の住宅振興等から急回復を示し,80年10~12月期には4~6月期を17.4%上回る水準にまで回復した。しかし81年に入ると住宅抵当金利の高騰から頭打ちとなり,4~6月期には前期比年率22.8の減少となった。
設備投資は,景気の急回復を反映して80年10~12月期には早くも増加に転じ,81年1~3月期には暖冬による建設活動の進捗や,リベート販売による自動車購入の増大等もあって前期比年率13.4%の回復を見せたが,4~6月期には景気の先行き不透明惑や長期金利の上昇から同2.2%の減少となった。
純輸出は81年1~3月期までの回復には中立的であったが,4~6月期には実質GNPの減少幅(前期比年率)1.6%の内1.2%を占め,景気を停滞させる大きな要因として働いた。これは石油輸入量は減少しているものの,ドル高,貿易相手国の景気停滞から石油以外の貿易収支が悪化しているためである。
こうしたことから81年4~6月期の最終需要は前期比年率4.7%の大幅減少となった。実質GNPの減少幅が1.6と比較的小幅にとどまったのは,意図せざる在庫積増しが大幅だったからにほかならない(第1-1-2表)。
今回の景気回復は,同じ石油危機からの回復過程であった前回(75~76年)のそれとかなり違ったパターンを示している。その最大の特徴は回復後1年で早くも景気が後退に転じたことである。前回は回復に転じた景気はその後ほぼ一本調子で上昇し,その拡大過程は5年に及んだ。
回復前の落込みぶりも今回は前回と大きく異なっていた。前回は長期にわたって低下がつづいたため全体の落込み幅も深くなったが,今回は落込みの角度は急だったものの短期間に済んだためその絶対的な深さは前回程ではない(第1-1-2図)。
こうした差異をもたらした原因はいくつか考えられる。
その第1は,在庫投資行動の相違である。前回は,世界的物不足感の高まりから景気が後退に転ずる前に大幅な投機的在庫投資が行われた上,景気後退に入ってからもなお暫らく在庫積増しがなされたため,ボトム近辺での在庫調整が極めて大幅になった。これに対して今回は,かなり前から景気後退が予想されていた上,金利が高水準だったこともあって,企業の在庫投資に対する態度は極めて慎重なものとなり,前回のような在庫率の上昇は避けられていた。こうした差異は回復局面において前回は在庫投資が初期から回復にプラスの寄与をしたのに対して,今回はそれぞれなかなかプラスの寄与をしなかったという相違をもたらすこととなった(第1-1-3図)。
第2は,個人消費の相違である。消費の減少は,前回は主として景気後退と同時に悪化したインフレによる実質可処分所得の減少によってもたらされたが,今回は,高金利と信用規制を契機とする耐久財の需要減退を中心とする消費性向の低下によってもたらされた。このため前回は実質可処分所得の回復に伴い消費は息長く回復をつづけたのに対して,今回は金利低下と信用規制撤廃によって急回復した反面,81年に入って高金利の長期化傾向が明らかになるにつれて停滞したのである。
金利の影響の差が現われているのは住宅投資も同様である(第1-1-4図)。
第3は設備投資である。前回は70年代初頭の投資ブームの後に来た不況により需要の落込みが大きかった上,インフレの急速な鎮静化から実質長期金利が高騰したため設備投資は大きく落込み,その回復も遅れたが,今回は需要の落込みも前回程でなく,高金利も短期金利が中心で実質長期金利はそれ程著しい上昇を示さなかったため,設備投資の減少幅は小さくなっている。
エネルギー,先端技術,国防関連等に対する投資及び相対価格体系や技術・需要構造の変化に対応する投資が根強いのも設備投資の落込みを防いでいる一因であろう。もっとも81年に入って実質長期金利がさらに上昇し出してからは設備投資も停滞気味になった。
しかし,前回と今回の景気回復局面における最大の相違点は政策スタンスの相違である。すなわち,前回は不況の深刻化が明らかになるや,財政面から直ちに大規模な減税が行なわれ,金融政策もそれを支持して緩和に転じたのに対して,今回は81年10月まで大きな減税等はなく,金融政策はむしろ引締め基調が堅持された(第1-1-5図)。
すなわち,まず財政政策の推移をみると連邦財政赤字の対GNP比率は前回は74年央のほぼ0%から76年初には4%に拡大したが,今回は79年末の1%から81年初の2%とわずかな拡大にとどまった。
より大きな相違は金融政策である。前回は74年4月以降,77年8月まで公定歩合の引き上げはなく,マネー・サプライ(M2)を完成財卸売物価で割った実質マネー・サプライも景気回復期には大幅に伸びている。これに対し今回は,公定歩合は回復初期の80年9月以来,81年5月までに4回計4%(大銀行が頻繁に借り入れた場合に適用される高率適用を含めると8%)にわたって引き上げられ,実質マネー・サプライも,減少傾向が止まっただけで増加は示していない。今回のこのような政策スタンスは,インフレーションの抑制を優先させるとの観点によるものであるが,厳しい金融引き締めは,人々のインフレ心理ともあいまって市中金利の高騰を招いた。
これをプライム・レートの動きでみると,80年春の景気後退の過程で11%まで下った後(80年8月),12月の21.5%まで一本調子で上昇した。81年4月には17%まで低下したもののその後再び上昇に転じて7月には20.5%の高水準となった後,9月にはようやく低下に向った。このように81年に入って高金利が長期化した背景には,NOW勘定(要求払預金と同等の機能を持つ付利金融資産)等の新種の金融資産の導入によるマネー・サプライ統計の混乱によりマネー・サプライの適正な管理が困難となったほか,今後の連邦財政収支の見通しに対する不安等から,インフレ心理が継続したということもある。このため物価上昇率がやや低下したにもかかわらず,高金利が継続し,実質金利が上昇するとともに,80年にはそれ程上昇しなかった長期金利も上昇してきたのである。
以上のように,インフレ対策最優先の金融引締の維持と,それに基づく高金利,さらにはドル高が今回の景気の息切れをもたらした最大の原因である。
もっとも81年秋には景気が後退に向ったこと等から,市中の短期金利は低下を示し,これに伴ない,高率適用が2回(9,10月)にわたる引き下げの後,廃止された(11月)他,公定歩合も1%引き下げられた(11月)。
こうした中で81年10月よりレーガン政権の経済再生計画がいよいよ実施に移された(詳細は第3章参照)。レーガン政権はこれによりインフレがひきつづき改善するとともに実質成長率も高まり,アメリカ経済は82年から経済再生への第一歩を踏み出すとの強気の見通しを打ち出している。
これに対してこれまでの高金利等から景気はなお当面停滞をつづけるとの見方も多く,アメリカの経済政策と景気のゆくえが今後とも注目される。
80年春から後退に入った(イギリスは79年後半から)西欧の景気は,81年初には一部の国で下げ止まったかにみえたが,なお年央まで後退をつづけることとなった。
すなわちこれを主要国の実質GDPの推移でみると,80年後半のマイナス成長の後,81年1~3月期には西ドイツが前期比年率1.4%増,イタリア同1.2%増となったものの,フランスは同4.4%減,イギリスも同1.6%減とそれぞれ減少をつづけた。4~6月期にはフランスが4.7%増となったものの,西ドイツ(2.7%減),イタリア(3.2%減)も再び減少に転じ,イギリス(2.4%減)はひきつづき減少した(第1-1-1表)。EC全体の実質GDP成長率も80年下期の2.5%減の後,81年上期は1.0%減と推定されている(第1-1-3表)。
当初81年上期には終わるものと予想されていた西欧の景気後退は予想外に長引いた。これは第1に,国内最終需要が弱かったためである。これには長引く高金利と為替相場下落による交易条件悪化等による実質所得の伸び悩み等が響いている。第2は,在庫調整の長期化である。在庫投資は国内最終需要の弱さを反映して大幅なマイナスがつづいた。
インフレ鎮静化の遅れにアメリカの高金利の影響等もあって西欧の高金利も長引いている。とくに西ドイツでは実質金利が極めて高い水準となった。そのため建設投資等固定投資が弱まったほか,在庫投資も減少している。イギリスではさらにポンドが高かったこともあって製造業を中心に利潤が大幅に圧縮され,在庫投資と設備投資の大幅縮少が生じた(第1-1-4表,第1-1-5表および第1-1-6表)。
一方,為替相場下落による交易条件の悪化は,輸出増をもたらして景気を下支えする要因ともなるが,実質所得を海外に流出させることにより消費等の内需を弱める面もある。とくに81年に入って西ドイツの個人消費が極めて弱くなっているのには,交易条件の悪化による実質所得の伸び悩みが響いていると考えられる(連銀の計算によればGNPの1%)(第1-1-6図)。
EC全体としても,固定投資,個人消費の減少に政府消費の減少も加わって国内最終需要(在庫投資は除く)は80年下期につづき81年上期もマイナスとなるとみられている(第1-1-3表)。
さらにこうした国内最終需要の減少によって在庫の過剰感が一層強まり在庫調整が長引いたのも景気後退を長引かせた一因となったのはいうまでもない。
しかしながら西欧の景気も81年央にはおおむね下げ止まってきているとみられる。主要国の実質GDPの動きをみると,81年7~9月期にはイタリアが前期比年率で6.2%減となったものの,フランスは前期にひきつづき1.6%増,イギリスも1.2%増となった。
こうして西欧景気がようやく下げ止まってきたのは,輸出の増加と在庫調整の進展によるところが大きい。
西欧の輸出は80年中はおおむね低水準であったが81年に入ってからは通貨安による国際競争力の強まり等で上向いてきている。とくにOPEC向けの増大が著しく,最近ではアメリカ向けも増加している。
在庫は,企業の在庫水準の判断にみられるように(第1-1-7表),過剰感が強まっていたが,81年4~6月期にはEC全体として頭打ちとなった。各国とも在庫投資の寄与度はおおむね80年後半から大幅なマイナスとなっており在庫調整はかなり進展しているものとみられる。80年中大幅な在庫調整が続いたイギリスでは81年1~3月期には在庫投資の寄与度はプラスとなった。西ドイツ,フランスでは在庫投資の寄与度はいぜんマイナスとなっているものの, EC全体では81年下期には在庫投資は増加に転じるとEC委員会ではみている。
これに対してインフレ鎮静化の遅れや高金利の影響から,消費,投資等の国内最終需要は総じていぜん弱い。そのため景気は上げ止まってきているもののなお底離れができないでいる。
こうして景気回復が遅れる中で,西欧の雇用情勢は一段と悪化している。79年末に5.6%だったECの失業率は80年末に7.0%に達した後81年10月には8.8%となった。79年末に606万人だった失業者は81年10月には967万人へ増加している(第1-1-7図。)
雇用情勢が最も深刻なのはイギリスで,81年10月には失業率が11.3%,失業者は273万人となっている。フランスも10月の求職者は182万人,イタリアも7月の失業率が8.8%,失業者は200万人を越えた。西欧の中では比較的雇用情勢の安定していた西ドイツも10月の失業率は6.3%の高水準となり,失業者数も146万人に上った。
こうした失業の高まりは,熟練労働者が優遇されがちな雇用慣行のなかで若年,外国人労働者にいちじるしい。また,近年,女子も労働市場への参入増等のため失業が増加している。雇用情勢の深刻なイギリスでは81年夏に若年層や移民労働者を中心に都市暴動が頻発するなど社会不安が発生した。
こうした中でインフレ抑制を最優先の課題として引締め政策を維持してきた西欧諸国の経済政策が岐路に立たされている。
西ドイツはひきつづきインフレ抑制を第1とし,歳出の伸びを抑制することにより財政赤字幅を縮小する緊縮型の82年度予算案を策定したが,金融政策面では経常収支の改善傾向とマルクの回復から特別ロンバート・レートを引下げるなど一部手直しが行なわれた。イギリスでは戦後最悪となった雇用情勢に対処するため雇用対策を導入しつつも,なお中期的な観点から引締め路線を堅持している。イタリアも衰える兆しの見えないインフレの抑制を目指して金融引締めを維持するとともに財政赤字の圧縮を図る82年度予算案を決定した。
これに対して,フランスでは5月に登場した新政権が,雇用対策を最優先として積極的な財政拡大,金融緩和等の政策転換を打ち出したものの,インフレが再び悪化してきたことから,物価を抑制する必要性にも迫られている。
以上のようにインフレはなお高水準であり,失業の増大もなおつづいている中で,西欧諸国の経済政策は厳しい選択を迫られている。