昭和54年
年次世界経済報告
エネルギー制約とスタグフレーションに挑む世界経済
経済企画庁
第3章 スタグフレーションと世界経済
(1)先進国経済の病弊であるスタグフレーション(インフレと失業の共存)はすでに1960年代後半から先進国を冒していたが,70年代に入ると急速に悪化した。
スタグフレーションの度合いを示す一つの指標として,便宜的に消費者物価上昇率と失業率の和を用いると,主要国のスタグフレーション度は第3-1-1図のように推移している。すなわちアメリカのスタグフレーション度は1960年以降67年頃まではほぼ7%弱で安定していた。これは景気が悪くて失業率が高まる時は物価が安定しているという風に失業と物価のトレード・オフ関係が良好だったからである。ところが68年頃からこのトレード・オフ関係が悪化しはじめ,73年の第一次石油危機以前にすでにアメリカのスタグフレーション度は平均10%近い水準に高まった。
アメリカ経済のスタグフレーション体質はこうした石油危機に襲われる前にすでにかなり強まっていたが,第一次石油危機けそれを更に一段と悪化させることになった。すなわち74~78年のスタグフレーション度は平均15%となっている。物価,失業ともに第一次石油危機以前と比べると水準が高まっている。76~78年には74,75年のピークからやや低下したが,73年以前の水準には戻らず,79年に入ると再び悪化している。
アメリカに見られるこうしたスタグフレーションの悪化傾向は,欧米主要国に共通して見られる現象である。その中でイギリス,イタリアは,第一次石油危機以降インフレ悪化が甚だしいため,スタグフレーション度は平均20%を越える高水準になっている。カナダ,フランスはアメリカと似かよっているが,水準はより高い。これに対して西ドイツにも他の主要国と同様の悪化は見られるものの,その全体的な水準は石油危機以降も平均9%と比較的低く,しかも着実に低下して来ている。また日本は74年にいわゆる狂乱物価に陥ったためスタグフレーション度は25%を越えるところまで急騰したが,その後急速に改善して79年上期では4.9%と国際的に見ても低い水準となマている。
(2)以上のように73~74年の第一次石油危機は各国のスタグフレーションを一挙に悪化させた。
もちろん74年以降のスタグフレーションの悪化はすべてが石油危機のせいではない 73~74年における世界各国のインフレ悪化は,それまでの各国の過度な拡大策,とくにマネー・サプライの急増という政策面での失敗に世界的農産物の不作,石油危機,という不運が重なった結果である。たとえばアメリカの場合75年の消費者物価上昇率10.3%の内,石油危機による分は1.7%であり,また,失業率8.5%の内石油危機による分は1.9%であると分析されている(DRI)。その他は農産物価格の急騰,ドル切下げ,74年以前の財政金融政策の影響,賃金物価統制の撤廃等の影響である。しかし,石油危機の影響は消費者物価に対しても失業率に対しても他の要因と比べて最も大きい。こうした事情は他の国についでも同様と思われる。
(3)石油危機が石油輸入国のスタグフレーションを悪化させるのは,それがインフレ・デフレ両効果を持つ故,当然である。より問題なのは,スタグフレーション体質の強い国ほど石油危機からの立ち直りが困難となるということである。
先に見たように,第一次石油危機で高められたスタグフレーション度のその後の推移を見ると,国によって大きく異なっている。こうした差が出るのは,需要管理政策の適否等もあるが,基本的には次のようなメカニズムによるものと考えられる。
石油危機とは,石油輸入国からみれば,石油価格の大幅上昇による交易条件の悪化から全体として産油国へ所得が吸い上げられるようになったことに他ならない(石油危機のデフレ効果)。第一次石油危機なかりし場合に比べて1974年の名目GNPはどれだけ減少したかを主要国についてみたのが第3-1-2表である。伊,英,日,仏から産油国への所得流出の比率が3%台で高いのに対して,米は1.3%にとどまった。就業者1人あたりでは,アメリカを除いて年間300ドル強の所得を,産油国に強制的に吸い上げられたことになる。
こうした所得流出が生じた場合には,生産性の上昇率は鈍化することになるので,実質賃金の伸びを生産性上昇率の範囲に抑えるとともに,設備投資,技術開発等による生産性の向上を図ることが必要である。
しかし,石油価格引上げから生じた物価上昇にょる実質所得減少分を取り戻すため直ちに名目賃金の引上げを図れば,スタグフレーション体質の強い国では,それは物価上昇に転嫁されて賃金と物価の悪循環を招き,設備投資を減退させて生産性が伸び悩むこととなる可能性が大きい。スタグフレーション体質の強い国が石油危機からなかなか立ち直れない大きな理由はここにあるといえよう。
(4)いま73年から77年までの労働生産性,就業者1人あたり実質賃金,就業者1人あたり実質利潤それぞれの伸び率を独,仏,英についてみると(第3-1-3表),各国とも実質賃金は労働生産性よりも伸び率が高い(このため労働分配率は各国で高まった)けれども,両者の関係は独と仏英では著しく異なる。西ドイツの実質賃金上昇率は4年間で14.8%と労働生産性の伸び(13.2%)をやや上回る程度にとどまったのに対して,フランスの実質賃金は21.4%増と生産性の伸び(11.6%)の約2倍にのぼっており,イギリスでも同様の傾向にある。
この結果,就業者1人あたり実質利潤は,西ドイツでは4年間に9.2%増加したが,フランスとイギリスでは減少することとなった。こうした違いが独と仏英の設備投資の最近の差(77,78年の民間設備投資の対GNP比率は独が11.9%,仏は9.3%,英は10.0%,3節参照。)をもたらした理由の一つであったことは否定できない。
(5)第一次石油危機以降各国のスタグフレーション,とくにインフドが悪化した中で,世界経済にとって特に大きな影響を及ぼすのはアメリカの悪化である。何故ならアメリカは,基軸通貨国であり,石油はドルで値段づけられている。したがってアメリカのインフレ悪化は,他の国の場合とは異なり,石油価格の引上げを誘発するきっかけとなり得る。現に第二次石油危機は,直接的にはイラン革命に端を発した石油需給の一時的なひっ迫によってひき起されたものであるが,その背景には第一次石油危機以来のドル減価で低下した石油の相対的価格を改善しようというOPECの意図があったといえよう。