昭和54年
年次世界経済報告
エネルギー制約とスタグフレーションに挑む世界経済
経済企画庁
第2章 第二次石油危機と世界経済
(1)1973年の第一次石油危機を契機としてそれまでの世界の経常収支の構造は一変した。すなわち石油危機以前,1967年~72年のOPECの黒字(エクアドル,ガボンを除き非OPECであるオマーンを含む)は年平均で7億ドルにすぎず,もっぱら先進国が経常収支の大幅黒字を資本勘定を通じて非産油途上国に還流するというパターンをとっていた。しかし,73年の石油価格の4倍の引き上げにより,OPEC諸国に膨大な石油収入が生じた結果,経常収支の黒字は67~72年平均の7億ドル,73年の60億ドルから7碑には680億ドルに増大した。逆に先進国は石油代金の支払増加を通じて,67~72年平均85億ドル,73年200億ドルの黒字から74年には一挙に180億ドルの赤字に転落した。また非産油途上国は本源的に資本輸入国であり,石油危機以前の67~72年にも平均81億ドルの赤字となっていたが,石油危機によってその赤字幅は3.7倍(74年300億ドル)に拡大した。
74~78年の各グループの年平均の経常収支を見ると,産油国が約360億ドルの黒字に対して先進国はわずか6億ドルの黒字にとどまり,非産油途上国は約290億ドルの赤字となっている。これを67~72年の世界の経常収支の構造と比較すると,産油国と先進国の立場がちょうど逆転していることがわかる。すなわち第一に膨大な経常収支の黒字を持ったO PEC諸国の登場により,先進国が74~78年平均でごくわずかの黒字に縮小したこと,第二に,その結果OPEC諸国が主たる資本輸出国として本源的な資金供給者となったことである。
(2)74年に急激に拡大したOPEC黒字(公的移転を除く)はその後急速に縮小して77年には320億ドルと74年の黒字(680億ドル)の1/2以下となった。さらに78年にはOPEC全体の黒字はわずか60億ドルに縮小し,74年の黒字の1/10以下,77年と比べても1/5以下となっている。この間の世界輸出額(共産圏を除く)に対するOPEC諸国の経常黒字の比率を見ると,74年に輸出額の8.8%に相当したものが75年~77年には3.1%~4.5%で推移し,78年にはわずか0.5%にまで落ち込んでいる。
こうしたOPEC諸国の経常黒字縮小の主な要因は次の四つが考えられる。
最も大きい要因はOPEC諸国の国内開発の進展等に伴う輸入の増大である。74~78年の石油輸出国の輸入動向(金額ベース)を見ると74,75年に対前年比約60%の伸びを見せたあと,68~78年の3年間は20%~30%と伸びが低下しているものの,かなりの高水準となっている(この間の世界の輸入額は名目で年平均13%程度の伸び)。輸出に対する輸入の比率を見ると,いっそうこの傾向がはっきりする。第一次石油危機以前の70~73年は50%台,すなわち輸出額の約%が輸入額に振りむけられてきた。74年は石油価格引き上げによる石油収入の急激な増大からこの比率は27.3%にまで低下したが75年から再び増大して78年には72.5%にまで高まっている(第2-3-2表)。
また,サービスの支払い,(輸入)もかなり速いテンポで増大している。サービス収支(民間の移転を含む)の赤字は73年の124億ドルから78年の350億ドルヘ約2.8倍に増加している。この増加の主因は外国からの労働力の大量の流入による支払いの増大,また国内開発の進展に伴って土木,建築,コンサルティングなどの専門的サービスに対する支払いが増大していることによるものである。
第二に世界の石油消費量そのものが,石油危機後の世界の景気後退とそれに続く世界の成長率の相対的な低さ(OECD諸国の成長率は68~73年平均4.8%から74-78年平均では2.5%へ低下している)から75~76年と減少し,その後も低い伸びにとどまっていることである。
第三はOPECの石油価格が77年7月から78年末まで据え置かれたことによって実質石油価格が低下したことである。この間工業品の輸入価格が上昇しでいる上,ドルの実効レート11.8%が下落したことにより,OPECの交易条件は悪化した。
第四に非OPECでの原油増産―北海,アラスガ,メキシコ等―が進んでいることがある。
次にこれをハイ・アブソーバーとロー・アブソーバーとに分けてみると,まずハイ・アブソーバーの諸国は第二次石油危機直後の75年からすでに経常黒字は縮小しており78年には総体として100億ドルもの赤字を出している。これに対してロー・アブソーバーでは,経常黒字額は74~77年の間に250-350億ドルと安定的に推移しており,OPECの黒字が急速に縮小した78年でも160億ドルの黒字となっている。このことからOPEC黒字の縮小は主にハイ・アブソーバーを中心として進展して来たことが分る。
(3)79年の世界の経常収支(OPEC)78年末のOPECアブダビ総会以降,79年3月,6月の総会で決定された原油価格の引き上げは均衡化に向っていた世界の経常収支構造を再び根底からくつがえすものとなった。IMFの推計によれば79年中に石油輸出国の経常黒字は430億ドルに達し,7月からの1年間では,500億ドル以上になると見込まれている。また,石油輸出量を78年と同量とすると原油価水準から60%引き上げられていることから,石油収入は750億ドル増加することになるとされている。世界の輸出額とOPECの経常黒字との比率を見ると78年には0.5%にまで落ち込んでいたものが,79年には経常黒字を430億ドルとすると3.2%に高まることになる(79年上半期の輸出額を年換算して算出)。もっとも,これは74年第一次石油危機当時の8.8%の半分以下であって,この面から見た第二次石油危機の相対的規模は前回の石油危機に比べて比較的小さいと考えられる。
こうしたOPEC黒字が今後順調に縮小するかどうかはOPEC諸国の輸入動向と石油価格のゆくえにかかるところが大きい。まず前者については,とくにOPEC諸国の輸入額の40%以上(78年)を占めるサウジアラビアとイランの動向が重要である。イランでは昨年末からの政変によって輸入がかなり落ち込んでいるが,保守派の台頭により国内の近代化(工業開発)のテンポはスローダウンを余儀なくされると思われる。
また,サウジアラビアでもオイル・マネーを基礎とした急速な国内の近代化が社会にあつれきを生じさせることに対する懸念から急激な輸入の拡大に慎重な態度をとる恐れもある。ただ,イランを除くハイ・アブソーバーでは従来からの開発テンポを維持する必要からかなりのテンポの輸入増がつづくと思われるが,OPEC諸国全体としては前回のような急速な輸入の伸びは期待できず,この点から第二次石油危機以降のOPEC諸国の経常黒字の縮小のテンポは緩慢なものとなる可能性がある。
第二に前回のOPEC黒字の縮小の一つの原因となったドル安等による交易条件の悪化については,OPEC諸国はそれに対応して,石油価格を引上げてゆく戦略をとるものと一般に予想されている。現に6月のジユネーブ総会において,サウジアラビアのヤマニ石油相はドルが5%減価した場合は石油価格の調整を行う旨表明している。また,10月のI MF総会でもサウジアラビアはドルの下落に対しては石油価格を引き上げることを示唆している。
一方,非OPEC地域の原油生産は順調に拡大(79年1~6月,454万B/D)している。今後も米国国内生産が増大する見込みは少ないものの,北海は82,83年頃まで増大するものと見込まれ,またメキシコ等の増産が期待できるなど全体として当面増産が期待でき,世界の石油需給の緩和要因として働くと思われる。
以上要するに今回のOPEC黒字の縮小テンポは前回ほどの輸入の急速な伸びが期待できないこと,ドルの減価に対する価格引上げの可能性を考えると非OPEC地域での生産拡大等のOPEC黒字縮小要因はあるものの第一次石油危機に比べて緩慢なものとなる公算が大きい。
(非産油途上国)
上で述べたIMFの推計によれば,79年7月からの1年間に支払う非産油途上国の追加的石油輸入代金は50億ドルとされているが,このうちネットの石油輸出国(例えばメキシコ,マレーシアなど)を除いたネットの石油輸入国の石油代金は120億ドルに達するものと見られている。
また,モルガン銀行(World Financial Markets,July1979)によれば非産油途上国原油輸入支払額の増加分は79年に55億ドル,80年に35億ドルになると見られている。ただ,,これも非産油途上国のうちネットの石油輸出国を除いた原油輸入支払増加額は79年に120-130億ドル,80年に50~60億ドルに達するとされている。
こうした石油値上げによる直接効果のほかに,購買力移転によってもたらされるデフレ効果が世界の景気に悪影響を及ぼすことによって途上国の貿易を通じて二次的な影響を与えることになるであろう。またアメリカの景気後退はアメリ力が途上国の輸出額の約1/4を占めるだけに,途上国輸出の鈍化を通じて経常収支動向にマイナス効果をもたらそう。
今回の石油危機によって,すでに78年から悪化傾向にあった非産油途上国の経常収支赤字は79年で過去最高の380億ドル(75年)を上回る430億ドルに達すると見られ(IMF,公的移転を除く),経常収支のファイナンス問題が再び大きく浮び上ってきたのはすでに見たところである。
(先進国)
78年の世界の経常収支構造は前に見たように石油輸出国の黒宇が大幅に縮小し,先進国がグループ全体として大幅な黒字に転化するなど第一次石油危機以前のパターンに戻りつつあった。国別に見てもイギリス,フランス,イタリア,ヨーロッパの小国などで経常収支ポジションの著レい改善が見られたほか,アメリカと日本,西ドイツの間の不均衡が縮小に向った。
今回の石油危機は,このようにアメリカと日・独の不均衡が解消に向い,英,仏,伊の経常収支も黒字となっているような段階でおこったが,先進国は再び石油代金の支払増(79年7月からの1年で700億ドル)を通じて経常黒字は78年の270億ドルから収支がバランスするまで落ち込むとみられる。
(1)国際的資金フローの変化
OPECの73年の石油価格引き上げは世界の国際収支構造を根底からくつがえすほどの大きさであったが,こうした変化にともなって国際的な資金の流れも大きな変化を遂げた。
第一次石油危機前後における最大の変化は資金供給者の交代である。
73年以前においては先進国が年平均約85億ドル(67へ72年公的移転を除く)にのぼる経常黒字を背景に資本勘定,移転支出(直接投資,公的移転等)を通じて非産油途上国に資金還流するパターンをとっていた。一方この間のOPEC諸国の経常黒字は7億ドルとほぼ収支がバランスにちかいかたちとなっていた。しかし74年以降石油輸出国は大幅な経常黒字となり,先進国がごくわずかな黒字に縮小するのにともない,資本輸出面でも先進国との立場が逆転した。すなわち石油危機直前の73年の世界の資本収支を見ると先進国が122億ドルの流出超と大幅な資本の流出を示していたのに対し,石油輸出国は19億ドルの流出超にとどまっていた。しかし,石油危機後74~78年平均の各グループの資本収支を見ると,先進国が経常黒字幅の縮小から56億ドルの出超と絶対額でも73年の半分以下に減少したのに対して,石油輸出国は年平均247億ドルの流出超と先進国に代わる主たる資本輸出国となった。
こうした石油危機による本源的資金供給者の交代は従来なかった新しい問題を生み出した。すなわち石油危機以前は本源的資本供給者である先進国が本源的資金需要者である非産油途上国に直接,政府開発援助・直接投資などのかたちで資金供給を行っていたのに対し,石油危機後,先進国にとって代わった石油輸出国は直接非産油途上国に資金を供給せずに先進国に還流させた。こうして先進国は自らの資金ではなく,石油輸出国から流入する資金を非産油途上国に供給するという仲介機関としての役割を担わされることとなった。
(2)オイル・マネーの還流
(オイル・マネーの一次還流)
第一次石油危機によって石油輸出国に発生した巨額の経常黒字,いわゆるオイル・マネーは74年当初は果してうまく還流するかどうかが懸念されていた。しかし,その後の動きを見るとオイル・マネーはまず先進国の金融市場,資本市場に投下され,そこを通じて二次的還流として非産油途上国に流入した。ここでは石油輸出国が本源的な資金供給者として自らの経常黒字をどのようなチャンネルを通じて投資してきたか(いわゆる一次還流)を概観し,合わせてその問題点を検討する。
オイル・マネーの還流状況をイングランド銀行の四季報によって見たのが第2-3-6表である。これによればOPEC諸国の総投資額は74~78年で約1,750億ドルに達している。年々の動きでは経常黒字の絶対額を反映して石油危機直後の74年に投資総額が570億ドルとなっているのに対し,逆に78年には119億ドルにまで減少しているが,74~78年平均で見るとほぼ350億ドルの規模となっている。還流の形態も年々の動きをみるとかなり変わってきているがすう勢としては次のような点が言える。
まず第一に先進国(ユーロ市場を含む)への資金流入がその大部分を占めたことである。第2-3-6表のうち非産油途上国に対する直接的な資金の流れはその他の諸国の分類の「2国間投資その他」の項目に含まれる。これをDACの資料によって細分化してみると,非産油途上国に対する割合は74~78年の累積額で全体の14.9%にすぎず,国際機関を含めても20.5%にとどまっている。したがって全体の投資額(約1,750億ドル)のうち約80%にあたる約1,390億ドルは何らかのかたちで,先進国に還流したことになる。
第二に民間銀行を中心とした還流が多かったことである。74年には総投資額の50%が銀行預金にあてられ,その後低下したものの74~78年累積額では約650億ドルと全体の37%を占めている。これは先進国に投資された金額の47%にあたる。
第三にドル離れの傾向が進んでいることである。ドル離れの前にはポンド離れ現象があった。すなわちイギリスへの投資のうち外貨建ての預金を除くポンド建て分は75年以降ほとんどふえておらずポンド危機がはっきりとした76年にはネットで11億ドルの流出となった。アメリカへの流入額もドルの下落のはじまった77年より減少し,ドル不安の高まった78年にわずか13億ドルとなった。逆にその他諸国への流入額の比率は100%を超え, ドルからその他資産へのシフトがはじまっていることを示している。ただ,こうしたドル資産からの逃避によってドルの下落を助長することになれば,OPEC諸国―特にサウジアラビア―のドル資産が目減りすることを余儀なくされるはずである。現在もドルで石油代金を受け取っているOPECとしてはこうしたジレンマを持っているといえよう(6月に開かれたOPECのジュネープ総会でも実質収入が減価した場合石油価格表示を通貨バスケット方式に切り換えるため,特別総会を開催することを決定をしているが,技術的問題の困難さ等を考えれば直ちに実現するとは考えにくい)。
なお,OPEC諸国から直接非産油途上国へ流れた資金を見ると石油危機後の74~77年の平均ではそのシェアは10.5%にまで高まっている。
しかし,74―77年までの累積額は約210億ドルと同期間の石油輸出国の経常黒字累積額(1,750億ドル)に比べるとまだOPEC諸国から途上国への直接的な資金供与のルートは細い。また地域別にみるとその資金の流れが大きく偏在していることがわかる。すなわち74~77年の途上国への直接的な資金の流れ(約211億ドル)のうち約42%にあたる8億ドルは中東地域であり,これにエジプト,アルジェリア等の「サハラ以北のアフリカ」を加えると実に全体の84%に達している。
以上のようにOPEC諸国の投資態度に共通して見られるのはリスク回避の性向が強いことである。このようにOPEC諸国が直接,資金需要者である非産油途上国等に融資することなく,先進国に還流させたことによって途上国貸付の役割は先進国,とりわけ民間銀行が担うことになった。
(対非産油途上国向け貸付の増大)
このようにオイル・マネーといわれるOPEC諸国の経常黒字は,主として,まず先進国に流入し,その中でも民間銀行への流入の比率が高かったため,次にそこからの第二次的還流が問題となった。ここではその中で中心的役割を果したアメリカの民間銀行とユーロ・バンクについて貸付動向を申心に検討する。
まずアメリカ在住の民間銀行の対外貸付を見ると,貸付残高は74年から急増している。すなわち73年末に約260億ドルであった対外貸付残高は78年末には,1,150億ドルとほぼ4.4倍に達した。これはオイル・マネーが急激に流入したことにより,対外貸付の資金的基礎が与えられたのに加えて74年初めから対外投融資規制が緩和されたことなどによるものである。こうして74年から年々100億ドルを上回る貸付額の増加が見られたが特に78年に貸出の純増額は248億ドルにのぼった。これはドル安の進展により海外からの借り入れ需要が増加したこと,また海外からの借り入れに対する準備率の規制が78年8月に撤廃されたことに加え大手商業銀行が国際的貸付けに意欲的であった結果であろうーと考えられる。
地域別にみると中南米の比重が圧倒的に高い。すなわち中南米向け貸付け残高の全体に占めるシェア(バハマ等のオフショア・センター向けの貸出しを除く)は78年末残高の28.4%,74~78年貸出純増額の31.0%と米銀対外貸付けのほぼ3割を占めている。
また非産油途上国全体では78年末時点で米銀の対外貸付けは残高の38%,74~78年の貸出純増額の47.4%を占めている。非産油途上国の借入れ残高の増加率は,74~78年平均で45.8%にものぼった。
次にユーロ市場を通した貸付けを見ると,ユーロ市場の規模は70年代に入り拡大を続けている。BISの推計によれば78年末のグロスの残高(5,108億ドル)は70年末の6.8倍に達し,石油危機直後の73年末と比べても2.7倍の規模に達している。またグロスの残高から主として銀行間預金を控除したネットの規模で見でも78年末3,75億ドルと70年末の6.6倍,73年末の2.8倍に達している。
ユーロ市場からの貸付けを見ると(第2-3-8表),74年には石油危機によってほとんどの国が経常赤字になったことを反映して工業国からの借入れが全体の70%を占め,OPEC諸国を含めた開発途上国は25%にとどまっていた。しかし75年には世界的な景気後退により工業国からの資金需要が急減する一方,大幅な経常赤字に陥った非OPEC諸国からの資金調達が急増した。OPEC諸国を含む開発途上国の借入れは75年より全体の50%を超え,それ以降こうした傾向が続いている。
その内訳をみると,ブラジル,メキシコ,韓国などの比較的成長率の高い申進国を申心に上位10か国の借入れ額が開発途上国借入れ全体の80%前後を占めており,借入れ側の集中度が高いものとなっている。これは民間銀行の貸出しが比較的信用度の高い中進国を中心として流れた当然の帰結であるが,こうした特定国への貸付けの集中はフローとしての問題とは別に,債務累積というストックの問題を生じさせることとなった。
(途上国貸付拡大の問題点)
以上のように第一次石油危機後の民間銀行部門一米銀ユーロ・バンク―は途上国への融資などを通じてオイル・マネーの還流に大きな役割を果してきた。しかしその反面,①途上国の債務残高の水準は前回に比してかなり高くなっている。②特定国への貸付が集中している,③民間市場からの節度のない借り入れが妥当な水準を超えており,また国際収支調整のための努力を怠らせる結果となっているのではないかという通貨当局あるいは銀行監督機関の懸念も増大しているなどの問題が出て来た。また,銀行サイドから見ても貸出期間が次第に長期化しており,スプレッドが縮小するなどの問題がある。
特定国への貸付けの集中,それによる与信リスクについては78年11月にアメリカでFRB,通貨監督室(the Controller of Currency),連邦預金保険公社(the Federal Deposit Insurance Corporation)の三者は現在国内貸出について適用されている自己資本の一定割合を一貸出先に対する限度とする規定を海外融資に適用する旨公表した。また西ドイツでもルクセンブルグとの間で協定を結び,ルクセンブルグにある西ドイツ系の銀行の海外関係業務に関する報告を入手できるようにしてこれら銀行に対する監督を強化している。
また第二の国際収支調整面から見た民間銀行の貸出しについて,IM Fでは国際収支の調整期間を延長するという面で効果はあったものの,一部の国ではそれが逆に調整を遅らせることとなっているということを指摘している。こうしたことから本年に入ってユーロ預金に対する準備率賦課の是非等ユーロ市場規制の論議が高まっている。
(補完的融資制度の発効)
こうした中にあって公的資金の充実が望まれるがIMFは79年2月に総額77.8億SDRにのぼる資金規模をもつ補完的融資制度を発足させた。これは第一次石油危機直後に設立されたオイル・ファシリティと異なり信用供与にあたっては調整策の実施計画を提出するなどの条件が付加されるが,民間資金の調達に限度のあるような低所得国にとっては望ましいものと言えよう。
以上のように世界経済は第二次石油危機により再びOPEC黒字と非産油途上国赤字の大幅増大と,両者をつなぐオイル・マネーの還流という問題に直面させられている。前回の場合には,OPEC黒字が比較的順調に縮小した上,先進国の民間金融機関を通ずるオイル・マネーの還流が順調に進み,非産油途上国赤字はおおむね円滑にファイナンスされた。しかし,そのこと自体が,途上国の累積債務の増大・質の悪化,貸付けの特定国への集中,貸手側の与信リスクの増大等の問題点を生み出している。今回は当初のOPEC黒字の規模は相対的には前回程の大きさではないにしても,その縮小テンポは前回より遅いと見られる。
こうした中でオイル・マネーの還流と非産油途上国赤字のファイナンスを円滑に行っていくためには,まずIMFの補完的融資制度の資金的規模を拡大すること等によって従来のOPEC諸国→民間銀行→非産油途上国という資金の流れをOPEC諸国→公的機関→非産油途上国というパターンに徐々とシフトさせる必要があろう。そうすることにより非産油途上国は公的機関を通じた安定的な資金供給を受けられ,資金配分の偏在も是正されることになるからである。また膨大な経常黒字による資金的基礎をもつOPEC諸国が公的援助,直接投資などのかたちでそれを直接途上国に還流させることが望まれる。こうした直接的な還流はより安定的な国際資金フロー・システムの形成に資することになるであろう。しかしそうした努力を行ってもオイル・マネーの大部分は前回同様先進国の金融市場に向うものと思われるので,民間銀行の役割はひきつづいて重要であろう。カントリー・リスクの分析等により融資リスクの評価を厳しくして行きすぎた貸出しを抑制する一方,公的機関との協調融資,並行融資によって適切な資金供給に努めることが要請されている。