昭和54年

年次世界経済報告

エネルギー制約とスタグフレーションに挑む世界経済

経済企画庁


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第1章 1979年の世界経済

第1節 先進国の経済動向

先進国全体としての景気動向をみると,75年半ばから回復に転じ,約1年間の回復テンポは急速であったものの,その後勢いが衰え,かなり順調な回復基調をとりもどしたのは77年末以降のことであった。これは,アメリカ経済がほぼ一貫して比較的順調な回復を維持したのに対して,その他の主要先進国の足取りは順調とは言いがたく,とくに西ヨーロッパ諸国の歩みが緩慢であったためである(第1-1-1図)。その後,景気テコ入れなどもあって77年末頃には,西欧経済も勢いを盛り返し,先進国経済は1年余にわたって足並みをそろえて上昇することになるが,79年春には再び転期が訪れた。西欧・日本が景気上昇を続ける一方でこんどは,満4年にわたって順調な回復過程をたどってきたアメリカの景気が頭打ちから下降に向いつつあるからである。

この間の推移を経済成長率でみると(第1-1-2表),76~78年の平均は,景気回復期間であったにもかかわらず,アメリカを除いて主要国のいずれも,73年までの10年間の平均成長率を下回った。このため,西欧・日本などの雇用情勢には,78年以降やや明るさが出て来たものの,その改善テンポはきわめて緩慢であり,失業率はいぜんとして高水準であった。

また,物価も総じて鎮静化傾向をたどったが,多くの国でまだその水準が高く,エネルギー問題への対応も遅々として進まなかった。さらに,78年中頃からは一次産品価格もかなり上昇した。

こうした状況の中で先進国経済は再び石油価格の高騰に見舞われた。このため,物価上昇が加速され,金融引締めを強化する国が多くなっている。

さらに石油価格の高騰等は,輸入金額をふくらませ,多くの国で貿易収支を悪化させ始めている。ただ,77年以来問題となっていた主要先進国間の経常収支の不均衡は,西ヨーロッパ・日本とアメリカとの間にあった景気格差の縮小や,77年夏から78年10月まで続いた為替レートの大幅な変化などを反映して,縮小を続けている。したがって,この面からは,主要国間の為替レートを大きく変動させる要因は少なくなっているが,世界的なインフレ傾向や,アメリカのインフレ高進などを反映して79年6月頃まで比較的安定していた国際通貨市場に再び不安感が高まり,ドルの下落,ドイツ・マルク(以下マルクと略称)の上昇,金価格の高騰などが起った。このためアメリカは79年に入り,インフレ抑制に加え,ドル相場の安定を狙って,公定歩合の大幅引上げを含む新金融措置を実施した。

1. 景気下降に向うアメリカ経済

アメリカの実質GNPは77年中の5.7%(年内上昇率,10~12月期の前年同期比)にひきつづき78年中も4.8%と順調に拡大した。これは住宅投資が高水準ながら横ばいとなったものの,設備投資はさらに伸びを高め,又前年停滞していた輸出が大きく増加に転じたためである(設備投資の年内上昇率は7.5%から10.5%へ,輸出は同マイナス0.4%から17.0%へ)。設備投資が伸びを高めた背景には稼動率が急速に上昇したことのほか(製造業の10~12月期同しの水準で比較してみると,77年の82.6%に対し,78年は86.4%),利潤が好調に増加(77年13.3%増,78年16.3%増)したことがあげられる。

輸出の増加については他の先進諸国の景気上昇テンポが高まったことが大きな要因であるが,このほかに77,78年のドル下落の効果や農産物の輸出増の寄与もあげられる。また今回の景気回復をリードしてきた個人消費支出も,78年中も勢いを失うことなく増加を続け,インフレが加速する中にあってむしろ貯蓄率は期を追って下っていった。

こうした情勢下,とくに堅調な個人消費を反映して第三次産業を中心に雇用者が急増を続け,失業率も77年末(10~12月期)の6.6%から,78年末には5.8%に下った。

しかし,79年に入ると, 4~6月のトラック運転手労組のストライキ,ガソリン・パニック,6月末の原油価格の大幅引上げなどの攪乱要因もあって,景気はジグザグな動きを示しつつ頭打ち状態となっている。これを実質GNPの動向でみると,1~3月期は前期比年率1.1%増(78年10~12月期は5.6%増)と鈍化したあと,4~6月期2.3%減,7~9月期3.5%増となっており,7~9月期の水準はほぼ78年10~12月期と同水準となっている。

景気が頭打ちとなった要因を需要項目別に見ると,住宅投資と個人消費支出の減少に目がとまる。住宅投資は,今回復期間中大きな伸びを示していたが,相つぐ金利引上げの影響もあって,78年は高水準ながら伸び悩みとなった。79年に入ると,①金利が一段と上昇したこと,②これまでの高水準を支える一因となっていた住宅資金の供給が頭打ちから減少傾向となっていること,③所得も,景気の悪化に伴う雇用の伸び悩みやインフレの昂進などによって実質減少に転じたこと,などの要因から減少傾向を示すようになった。

第1-1-3表 アメリカの主要経済指標

個人消費支出の減少要因としては,前記の所得要因のほかに,78年中インフレ心理から貯蓄率が年末にかけて非常な低水準に下ったことの反動を見逃すことはできない。消費者信用も78年中著るしく増大して,返済額は次第に家計の負担となり始めていた。その後79年に入り,年初の寒波や春のガソリン・パニックが大きな影響を与えた。これらは満3年にわたって増加し,減少に転じようとしていた自動車の販売に端的にあらわれ,4~6月期の個人消費は実質で前期比0.7%の減少となった。その後,①ガソリン・パニックが峠をこえたことと,②インフレがなかなか鎮静しないという予想から再び買い急ぎが起っていること,③不振に陥った自動車業界が猛烈な販売努力をしたこと,などから7~9月期には再び持ち直したが,基調には変化がなく,むしろこうした動きはあとにくる落込みをひどくするものであると考えられる。実質個人可処分所得が伸び悩んでいるにもかかわらず,個人消費が異常な強さを維持しているのはインフレが時とともに悪化しているからである。これについては 第3章第2節 で詳述する。

国際収支の動向をみると,景気拡大にともなって輸入が急増を続ける一方,輸出の伸びは低かったので,76年後半から,貿易収支は赤字幅を急速に拡大した (第1-1-4図)。 78年に入って,他の先進国の景気拡大テンポがもち直すにつれて輸出が増加に転じ,赤字幅は縮小の方向に向ったが,依然として巨額であった。こうした情勢に77年秋以降のインフレの高まりが加わって,ドルは77年春頃より低落を始め,78年秋にはドルの全面安となり国際通貨不安にまで発展した。

この間,当局は77年8月以降相次いで公定歩合を引上げ,78年11月には公定歩合の1%引上げや市場介入資金の大量調達を含む総合的なドル防衛対策を打ち出した。その後79年6月まで貿易収支の改善基調などもあって,ドルは堅調に推移していたが,インフレがさらに昂進していることを基本的な理由に,6月末以降再び下落に転じ,度重なる公定歩合の引上げにもかかわらず,その勢いは衰えなかった。そして先のドル防衛策から約1年後の10月,再び公定歩合の1%引上げ,限界預金準備率の適用,資金供給コントロール方式の変更からなる新たな金融引締め措置の採用を余儀なくされた。公定歩合はこの結果史上最高の12%となっている。

2. ゆるやかな上昇続く西ヨーロッパ経済

アメリカの景気が下降局面に入りつつあるのと対照的に西ヨーロッパの景気は比較的順調な上昇過程にある。西ヨーロッパの鉱工業生産指数をみると(第1-1-5図)77年に停滞した後78年に入ってから上昇に転じ,秋以降は主要4か国だけでなく,ベルギー,オランダなどすべての国で上昇となった。

漸進的な改善のみられた78年の特徴は以下の四つに集約される。

第一は,西ヨーロッパ諸国の平均インフレ率の低下と,その各国間の格差の縮小である。EC全体でみると平均インフレ率は77年10.8%から78年7.5%へ改善きれるとともに,EC内のインフレ率の最高と最低の差は,77年の14.6%から78年には9.5%となった。

第二は,77年に急激に増大した失業が改善し,EC域内全体では78年7~9月期からその増加が止まったことである。

第三は,各国のほぼ同時的な景気回復から,西ヨーロッパ諸国の相互貿易が進展したことである。78年のECの地域別貿易をみると,域外輸出が18.2%増にとどまったのに対して域内向は23.3%増加した。77年の停滞期には,互いに輸出市場を狭め合いこれが各国の景気回復を弱める大きな要因となっていたのに対し,78年よりの回復は,お互いにその市場を広める役割を果した。

第四は,景気拡大的な経済政策が,第一次石油危機からの調整をほぼ終了しつつあった西ヨーロッパ経済に自律的反転を促したことである。78年における需要の増加率をみると各国間でまだ,内容の差はあるものの,需要項目すべてが伸びを高めた。とくに77年には停滞していた固定投資がやや回復し,79年も堅調を続けると予測されている。

第1-1-6表 ECの主要経済指標

四大国の回復状況を総需要に対する需要項目別増加寄与度でみると(第1-1-7図),比較的早く回復した西ドイツでは78年4~6月期から設備投資・個人消費を中心に自律的上昇基調が強まってきている。フランス,イタリアでも個人消費の堅調に加えて78年なってから設備投資が出始めている。ただイギリスでは78年に入って個人消費の伸びは高まっているものの,設備投資はすでにやや山をこした感がみられる。総じて各国共通していえることは,77年に国内需要が低下し,海外需要依存型経済となったあと,78年に入り国内需要は再び回復に向い,海外需要を上まわった。回復が最もおそかったイタリアでも,78年7~9月期には海外需要依存型を脱し,国内需要主導型へと変化してきたとみられる。

西欧小国でも,78年にはインフレが鎮静し経常収支も改善され,西欧小国全体のGDP成長率は77年の1.9%から78年は2.4%へ上昇した。

しかし79年に入ると,第二次石油危機は順調に推移するかに見えていた西ヨーロパッ経済にいくつかの変化をもたらすこととなった。

第一に,インフレ率が再び高まったことである。78年秋から79年の年初にかけて西ヨーロッパ主要国の物価上昇率は軒並み前年同期の上昇率を上まわった。これには悪天候による食料品の値上りや原油,一次産品の価格上昇が大きくひびいている。これに加えて6月末OPEC総会における原油価格の大幅な引上げは,西ヨーロッパ諸国の物価上昇をさらに加速させることとなった。

第二に,これを背景に79年初頭以来西ヨーロッパ各国は金融引締めに転じ,物価上昇のたかまりとともに,引締め度合をさらに強めてきていることである。多くの国でマネーサプライ・コントロールが強化され,西ドイツで3月,7月,11月,イタリアで10月に公定歩合が引き上げられたほか,フランスでも短期金利の上昇がいちじるしい。またイギリスでは5月にサッチャー新政権が誕生し,6月の引締め型予算発表と同時に,年初来下降傾向にあった最低貸出し金利が再び14%の高水準に引上げられた。その他西欧小国でもあいついで公定歩合の引き上げが実施された。

第三に,OPECによる石油価格の相次ぐ引上げや一次産品の値上りにともなって,多くの国で輸入額の増加テンポがたかまり,西ドイツの貿易黒字縮小が加速され,イギリス・フランス・イタリアでは貿易収支が赤字に転じたことである。

これらの変化は,79年の下期に入って西ヨーロッパ経済の成長テンポを鈍化させつつあり(イギリスでは景気下降に転じた),基調としては底固さを保ってはいるものの,エネルギー供給制約という新たな要因とともに景気の先行きを再び不透明なものとしている。

3. 高まる物価上昇

78年まで,アメリカを除いておおむね鎮静化の方向にあった先進主要国の物価は78年秋頃から一斉に加速した。これを消費者物価の主要項目別に見ると(第1-1-10表),アメリカを除いて食料の上昇率が高まっているほか,いずれの国においてもエネルギーや非鉄金属価格が顕著に上昇した。それと同時に,食料,エネルギー以外の物価も上昇率が高まる国がふえてきている。

78年秋以降の各国の物価上昇率の高まりは以下の要因による。①79年に入って原油価格が大幅に引上げられ,また一次産品価格も78年後半より上昇率を高めた。②78年末以来のドルの安定によりその他諸国の通貨の実効レートが低下して,アメリカ以外の国,とくに日本や西ドイツでは為替面からも輸入価格が押し上げられた。③以上のことを反映して,78年末頃から,各国とも輸入物価が上昇し始め,最近になるにしたがってその勢いが強くなってきた(第1-1-11表)。④ 需給の状況を製造業の稼働率でみると(第1-1-12表),各国とも景気上昇を反映して,78年末頃より急速に上昇している。⑤ コスト面をみると(第1-1-13表),製造業の賃金コストは日本,西ドイツでおちついているほかは,アメリカ,イギリス,フランス,イタリアとも高い上昇を示している。

こうした情勢を背景に多くの国で,金融政策が引締めに転換されている。

第1-1-8表 主要国の消費者物価

第1-1-9表 主要国の卸売物価

4. ゆるやかな拡大つづける世界貿易

77年中ほとんど横ばいで推移した世界輸入数量(共産圏を除く)も(第1-1-14図),78年に入ると,先進国景気の足取りがそろってきたことや,発展途上国経済の拡大が順調に続いたことを背景に,回復基調をたどり,年間の増加率(10~12月期の前年同期比)は8.4%にも達した(77年は1.9%)。

先進国の中では,アメリカの輸入が堅調に増加し続けたほか,西ヨーロッパや日本の輸入は為替レートが上昇した効果なども加わって,期を追って増加率が高まった。また,非産油発展途上国の輸入は,その経済が拡大傾向を続けている上に,輸入抑制をゆるめる国が多かったために高い伸びを続けた(年内上昇率は10.2%)。とくにそれらの中では,中進国の輸入増大が目立った。また産油国の輸入も,78年中は順調に拡大した(同9.8%)。

こうした情勢を反映して,先進国,非産油発展途上国とも輸出の伸びが高まり,数量で先進国は7.3%増(77年中は4.0%増),非産油発展途上国は11.4%増(77年中は0.9%増)となった。しかし,石油需給の緩和などから産油国の輸出の伸びは3.1%にとどまった。

79年に入ると,上期中は非産油発展途上国の輸入拡大はつづいているものの,産油国については①ハイ・アブソーバー諸国( )が78年中の経常収支の悪化から輸入抑制にのり出してきたこと,②とくに政変の影響でイランの輸入が大幅に減少していること,などから輸入が減少している。また,先進国についても,アメリカを中心として輸入の勢いがやや衰えている。79年の輸出をみると,1~3月期は比較的堅調であったものの,4~6月期になると,先進国の伸びがやや鈍り,非産油発展途上国でも韓国・台湾などの中進国の勢いに衰えが見え始めている。

今後については,石油の大幅値上げによって産油国(特にハイ・アブソーバー)の経常収支が改善したことから,これらの国の輸入が持ち直してくると思われるものの,先進国の景気は鈍化し,また非産油発展途上国の輸入も,その影響を受けることを考えると,世界の輸入数量の伸びは徐々に低下していくものと思われる。

5. 安定から波乱含みの国際通貨

(1)地域別経常収支

73年の第一次石油危機によって,世界の経常収支構造は大きな変化を遂げ,OPEC諸国が大幅な黒字となる一方,先進国,非産油途上国は赤字に陥った。しかし74年以降は,OPECの急速な輸入拡大,実質石油価格の横ばいないしは低下,などからOPEC諸国の黒字が縮小し,先進国,非産油途上国の赤字も改善の方向にあった。特に78年にはこの傾向が一層はっきりし,OPEC諸国の経常黒字は60億ドルにまで縮小する一方,先進国は270億ドルの黒字を記録するほどであった(第2-3-1表参照)。

しかし,こうした世界の経常収支の流れも79年を境に再び大きな変化を遂げようとしている。すなわち,原油価格の大幅引上げにより,OPEC諸国は再び大幅な黒宇(430億ドル,IMF,公的移転を除く)となることが予想される一方,先進国の黒字は消滅し非産油途主国の赤字は大幅に拡大することが避けられない状況にある。

次に先進国内部の経常収支を見ると,78年以後アメリカ,西ドイツ,日本の不均衡は是正される方向にあった(第1-1-15図)。すなわち,アメリカの経常収支の赤字は78年1~3月期の約69億ドルをーピークに縮小傾向にあり,ドル不安が最も高まった78年10~12月期には赤字は約3億ドルにまで縮小していた。その後,79年1~3月期には黒字(約4億ドル)に転じている。工業品収支のこの間の動向をみると,貿易収支の赤字幅が最も拡大した78年1~3月期に約31億ドルの赤字となっていたが,その後輸入を大きく上回る輸出の伸びによって78年1~3月期には黒字(約4億ドル)に転じ,79年1~3月期に5億ドルの黒字となった。これにより78年に58億ドルの赤字であった工業品収支は79年1~6月には約6億ドルの黒字となっており,アメリカの経常収支改善の大きな要因となっている。

この間の推移を輸出入の動向でみると78年中のアメリカの輸出の増加テンポには著しいものがあり,輸入の伸びを上回っている。79年に入ると,石油輸入金額等のふくらみから,輸入も急増しているが,輸出の高い伸びは続いており,テンポは鈍化したものの貿易収支赤字の縮小傾向は続いている。

こうしたアメリカの経常収支ポジションの改善傾向に対応して日本,西ドイツの経常収支の黒字も急速に縮小し,79年に入って日本,西ドイツとも4~6月期には赤字に転じた。輸出入の動向をみると,日本では78年10~12月期から輸入の伸びが輸出の伸びを大きく上回り,以後その傾向が続いている。

また西ドイツでも,78年7~9月期以降同様に輸入の伸びが高まっている。

他方,78年中,西欧諸国の景気拡大による好調な輸出を背景に改善基調を続けていた英,仏,伊の経常収支は,79年に入ると,石油や一次産品価格の高騰から輸入金額がふくらみ,黒字幅の縮小(仏,伊)ないし,赤字転化(英)をみるようになった。

いま,79年に入ってからの貿易収支の動向を前年の同期と比較してみると(第1-1-16表),アメリカの改善,日,独の悪化という78年以来の傾向には変化がおきていない。また,フランス,イタリアの悪化も小幅にとどまっている。これをさらに石油輸入の増加による分とそれ以外の分とに分けてみると,アメリカの改善,日本の悪化は非石油収支の大幅な変化によるところが大きいことがわかる。フランスも石油以外の収支は好調に推移している。西ドイツの貿易収支の悪化は原油輸入の増加によるところが大きいが,非石油収支も若干ながら悪化を示し,78年下期以来の傾向がなお続いていると考えられる。こうした中で,イギリスだけは,北海石油の増産などから石油収支が改善しているにもかかわらず,非石油収支は大幅に悪化し,全体としての貿易収支も赤字幅を拡大させている。こうして大きくみると,主要国間の経常収支不均衡の縮小傾向は79年に入っても崩れていないということができよう。

(2)  ドルは安定から再び動揺ヘ

77年9月以来ほぼ一貫して低落してきだドルは,78年10月末までにカナダ・ドルを除くすべての主要通貨に対して大幅な下落を示した。特に経常収支が黒字を示し,物価も安定しているドイツ・マルク,日本・円,スイス・フランに対する落ち込み幅が大きく, 77年9月末から78年10月末までのほぼ1年間に円は50.8%,マルクは33.3%,スイス・フラン58.3%と大幅な上昇を示した。これに対しアメリカは78年11月に公定歩合の引き上げ(8.5→9.5%)などの金融引き締め策と為替市場への介入のための,300億ドルの資金調達等から成る総合的なドル防衛策を発表した。

これをうけてドルは一転して上昇に向い79年に入っても6月央まで堅調な動きを続けた。78年10月末から79年6月央までにドルはモルガン銀行発表の実効変動率で7.7%の上昇を示す一方,マルクは9.6%,スイス・フランは14.4%,日本円は20.0%の下落となった。このようなドル堅調の要因としては,①上記のドル防衛策によって,アメリカが為替市場への介入政策を明確に打ち出し各国もこれに協調的な市場介入を行ったこと,②先にのべたように先進国間の経常収支不均衡が急速に改善していたこと,③78年末からのイラン政変による石油需給の悪化の各国に及ぼす影響はアメリカにとって相対的に小さいという市場の判断があったこと,④アメリカの金利水準が相対的に高かったことから,短期資金が還流したこと,などがあげられる。

しかし,このように堅調な動きを続けたドルも6月央から再び軟弱な地合いに転じた。これは6月のOPEC総会を前にして,市場の見方が石油価格の引き上げの影響は,他の主要国に比べてアメリカが必ずしも小さいとは言えないという方向に変化したこと,アメリカと他の諸国との金利差が縮小したこと,アメリカの物価高騰がいっこうに鎮静化しないことによるものである。

このようなドルの低落傾向に対してアメリカでは7,8,9月と連続して各々0.5%公定歩合を引き上げたが,アメリカのインフレ昂進を主因としたドルへの不信感が強まり,10月初にドルはドル=1.74マルク,1.55スイス・フランの水準まで落ちこんだ。

このため78年11月のドル防衛策のあと1年たらずのうちに再び新たな金融引締め措置をとることを余儀なくされた。10月6日に発表された新金融措置は,①公定歩合の引き上げ(11.0→12.0%),②銀行(外国銀行を含む)の取り入れ資金増加額に対する8%の準備率の適用,③公開市場操作における目標を従来のフェデラル・ファンドレートから銀行準備の管理へ変更することから成り,金融面からの量的規制に重点が置かれたものであった。これを受けてドルは急速にもち直し,10月末には1ドル=1.80マルクの水準となっている。しかし,物価の持続的上昇から,基軸通貨ドルは依然として波乱要因をかかえており,さらに11月には米・イラン間の抗争も加わって不透明感が強まっている。

なお,10月のIMF総会においてはSDR代替勘定についての検討がなされた。これはアメリカ以外にある各国通貨当局の保有するドルの一部をIM Fに預託し,SDR建て債券に置き換えようとするものであり,今後の国際通貨制度の改善に寄与するものであると期待されている。しかし為替リスク,流動性など多くの問題が未解決のまま残されており,今後さらに検討を続けていくことが合意されている。

第1-1-17表 主要国通貨の変動率

(3)  EMSの発足と通貨調整

1979年1月から発足が予定されていた欧州通貨制度(European Monetary System以下EMSと略す)は農業問題に関する独・仏の調整の遅れから発足が延期されていたが,その後合意が形成されて3月13日には正式にスタートすることとなった。加盟国はイギリスを除くEC8カ国であり,これらの国は設定された中心レートの上下各2.25%の変動幅をもつが,旧スネークから離脱し,単独にフロートしていたイタリアは6%の拡大変動幅を採用した。

発足後のEMSはドルが比較的安定していたという落ち着いた通貨情勢の中で平穏に推移していたが,5月以降,ベルギー・フラン,またデンマーク・クローネが早期警戒指標であるECUに対するかい離の限度を突破し,さらにドイツ・マルクに対するパリテイ・グリッドの下限に接近する事態がみられた。これに対し,これらの国ではもっぱら市場介入と公定歩合の引き上げによって対処した。公定歩合の引上げは,ベルギーでは5月以来4回,累計4%(6.0→10.0%),デンマークでは2回,累計3%(8.0→11.0%)にわたっている。またオランダも5度にわたって公定歩合を3.O%(6.5→9.5%)引き上げた。マルクは国内金利の上昇,通貨調整の思惑からEMS内でじりじりと上昇してきたが,ドル不安が表面化し,マルクが急上昇したため,9月には発足後初の通貨調整が行なわれた。これによってマルクは①デンマーク・クローネに対して5%,②その他EMS通貨に対して2%切り上げられた。しかし,EMS内の弱い通貨であるベルギー・フランについては調整が行なわれず,また上記の調整も小幅であるなどの問題が残されているまた,11月米・イラン関係の悪化からマルクが高騰したことにより,デンマーク・クローネは9月に続いて再度5%の切り下げを行った。

(4)金の高騰

79年の国際金融市場をにぎわせた金価格の動向をロンドン自由金相場でみると,76年8月の1オンス=104ドルを底に上昇に転じ,ドルが大幅に下落した77年9月から78年10月までの間では57.5%の上昇を示した。ただ,この間ヨーロッパの金といわれるスイス・フランも58.7%を上昇し,スイス・フラン建てでみた金価格にはあまり変化がみられなかった(第1-1-18図)。

しかしその後ドルはもち直したにもかかわらず,金価格はひとり上昇を続け,7月に1オンス=300ドルの大台を突破したあとは次第に投機色が強まり,10月初には1オンス=426ドルの史上最高値を記録した(78年10月平均比75.6%高,スイス・フラン建てでは88.1%高)。

金価格の急騰の原因としては,まず供給面では①自由世界の金生産は70年頃に比べると,ここ数年3/4程度の水準になっているところに,その大宗を占める南アフリカが貿易収支の好調を背景に供給を急いでふやす必要がなくなっていること,②IMFの金売却(月約44万オンス)は80年5月に終了する予定,③アメリカの金売却量も5月から半減(月150万→月75万オンス)されたこと,などが指摘され,需要面では①世界的インフレの昂進による退蔵投機的需要の増大,②とくに石油収入の増加を背景にOPEC諸国が金買いに出たこと,③ドルの下落などがあげられている。

しかし,10月初めの新金融措置に見られるドルを防衛しようとするアメリカの強し態度を前に,投機色はややおさまり,10月末には1オンス=376ドルとなった。

6. 石油の需給ひっ迫と大幅値上げ

(1)原油価格の動向

OPECの原油価格は77年7月から78年12月まで約1年半に亘り,世界景気の緩慢な回復等による石油需要の伸びの鈍化と,非OPEC産原油の増加を主因として,据え置かれたままであった。しかし,78年になって,先進国の景気が足並みをそろえて上昇し始めると,原油の需要も増加し,ごれを背景に78年12月のOPECアブダビ総会では,標準油種価格を79年について四半期毎に累計で14.5%(年平均もは10%)引き上げるごとが決定された。

79年に入るとさらに,①78年末からのイランの石油輸出全面停止の継続(第1-1-19図)。それに伴う原油供給の先行き不安の強まり,②欧州の寒冬による石油需要増加などの要素も加わってスポット価格が高騰し(第1-1-20図),2月半ばからアブダビなど軽質油生産国を中心に公式価格の引き上けが相次いで実施された。そのため早くも3月末には,OPECは,ジュネーブで臨時総会を開き,①79年10月からと決められていた標準油種価格14.546ドル/バーレルを,4月1日から繰り上げ実施すること,②各油種の公式販売価格に対する割増金については,加盟国が各々の自由裁量で付加できることなどを決めた。これを受けて,サウジアラビアを除く各国は5月以降,割増金の付加という形で次々と大幅な公式販売価格の値上げを行ったため,これまで原油の比重,硫黄分,地理的位置などにより決められていた各油種の価格付けは大きく乱れることとなった。また,サウジアラビアがイランの生産回復を理由に4~6月の産油量の上限を1~3月の950万バーレル/日から850万バーレル/日へ引き下げたこと,消費国の景気回復,原油供給への先行き懸念から需給はひっ迫化,それを反映してスポット価格も5月以降再度高騰した( 第1-1-20図 )。これには,アメリカのガソリン・パニックやエ ンタイトルメント制度による輸入軽油類への補助金交付等も影響している。

このような状況の中で6月末,再びジュネーブで開かれたOPEC総会は,①標準油種価格をさらに18ドル/バーレルまで引き上げること,②加盟国は当該国の生産油種と標準油種との通常の価格差に最大2ドル/バーレルまでマーケット・プレミアムを付加できること,③プレミアムを付加しても最高23.5ドル/バーレルを越えてはならないことなどを決めた。しかし,価格体系の統一は不調に終り,イランがイラニアン・ライトの公式販売価格を22ドル/バーレルと決めたのに対し,イラニアン・ライトと同品質のアラビアン・ライトが18ドル/パーレル,それよりも良質なアブダビ・マーバンは21.56ドル/バーレルと事実上の多重価格制となった。これは人口が多く多額の経済開発資金を必要とするため,当面の名目収入の増加を図らねばならないイラン,アルジェリアなどの諸国と,世界経済ひいてはドルの安定にょり実質石油収入の確保を図ろうとするサウジアラビアなどの妥協の結果と考えられる。

この結果,標準油種価格は,78年末の12.70ドル/バーレルと比べると,41.7%の上昇となった。79年以降の油種間格差の著しい拡大を考慮し,各油種の公式販売価格を産油量で加重平均したOPEC平均公式販売価格を見ると,79年7月には20ドル/バーレルを突破し,78年末比で約60%上昇したものと推定されている(第1-1-21表)。なお79年4~6月期にはOPECが重視している石油と工業製品との相対価格は,74年ピーク時に近い水準まで戻しているほか7月以降はピークを上回ったものと見られる(第1-1-22図)。

7月以降は,サウジアラビアの増産で一時小康を取り戻したものの,8月1日のナイジェリアによるBP資産の接収を契機にスポット価格が再び上昇に転じた。さらに10月には季節的な需要期入り,消費国側のイランの石油生産に対する先行き不安,年末のOPEC総会を控えての思惑などを背景に石油需要が増加し,クウェート,イラン,イラク,リビア,アルジェリア,ナイジェリアなどの諸国が相次いで公式販売価格の引き上げを行った。中でも軽質油生産国のリビア,アルジエリアなどの諸国は6月のOPEC総会て決定された上限価格23.5ドル/バーレルを上回る値上げを実施した。加えて11月にはアメリカ・イラン関係が悪化し,国際石油情勢の先行きは不透明になっている。

(2)  OPECの原油生産

78年のOPECの産油量は,約2,990万バーレル/日と,前年比3.8%の減少となった(第1-1-23表)。これを上半期,下半期に分けて見ると,上半期は世界的な石油消費の伸びの鈍化,非OPEC原油の増産等を主因に前年同期比で7.5%減と大きな落ち込みを示したのに対し下半期は78年末のアブダビ総会を控えての思惑,先進国の景気回復等の要因から需要が増加し,OPECの産油量は前年同期比で0.2%増と次第に増勢に向かった。79年に入ってもとの傾向は続いており,上半期にイランの産油量が256万バーレル/日(前年同期比54.1%減)と大きく落ち込んだ反面,多くの国が増産を行い,OPEC全体の産油量は3,017万バーレル/日(同5.6%増)となっている。

7. 高騰した一次産品価格

一次産品市況をロイター商品相場指数(SDR建て)でみると(第1-1-24図),77年後半からほぼ1年間弱含み横ばいで推移したあと,再び上昇し始め,とくに79年に入ってからの上昇には大きいものがあった。78年4~6月期の底から石油価格が大幅に引上げられた79年7~9月期までの5四半期間の上昇率は22.7%(年率17.8%)である。これは74~75年不況からの今景気回復期における2回目の価格上昇であり,コーヒー,大豆,すずなどを中心に一次産品価格が高騰した75年10~12月期から77年4~6月期までの年率換算15.6%を上回る勢いであった。

一次産品価格が最近このように高騰した原因としては,①先進国,発展途上国経済とも78年申は順調に拡大し,79年に入っても,西欧,日本の景気上昇が続いたこと,②79年に入って石油価格が大幅に上昇したこと,③先進国のインフレが昂進し,通貨不安などから換物需要が起ったこと,④ソ連,インドにおける穀物不作などから,小麦,とうもろこしなどが上昇したこと,⑤78年末以来のイランの政情不安,79年2月の中越紛争,欧米諸国における79年初の寒波,などがあげられる。

今回の一次産品価格高騰を前回の状況と対比すると,次のようになる。まず上昇幅をみると,前回は71年1~3月期を底に原油価格が大幅に引上げられた74年第1~3月期まで一次産品価格が急騰したが,この9四半期間の上昇率は115.7%(年率40.7%)にものぼった。これと比べると今回の上昇幅は小さい。前回は石油価格の上昇幅が5.1倍と大幅だったから当然ともいえるが,石油価格の上昇に対する弾性値でみても0.42と今回の弾性値0.36を上回っている。石油以外の上昇要因の対比は第1-1-25表に示すとおりであるが,景気要因をみても前回が世界景気の同時ブームで過熱状況にあり,OECD諸国の鉱工業生産上昇率が年率で8.2%であったのに対して,今回は78年に入ってようやく先進国景気が足並みをそろえて上昇したものの,その勢いは急激ではなく,79年4~6月期までの5四半期間で年率5.5%の上昇にとどまっている。また,一次産品価格上昇の鉱工業生産増加率に対する弾性値でみても,前回の5.96に対して,今回は2.34と小さい。世界インフレの状況についても同様なことがいえる(第1-1-26図)。

このように,今回一次産品価格が急騰したといっても,前回の石油危機時の高騰と比べると,上昇率においても,石油価格上昇,景気上昇,世界の物価上昇などの基本的な上昇要因との対比においても前回を下まわっている。

これは,①これらの基本的な要因の上昇度合が今回は前回ほど激しくなく,投機を呼ぶ度合が少なかったこと,②今回は各国とも変動相場制下にあり,またマネー・サプライの管理がなされているなど,過剰流動性の発生がおさえられていること。③前回は環境問題,資源ナショナリズムの高まり,穀物不作,アンチョビ不漁などの特殊条件の重なりが世界の不安心理を一挙に高めたのに対して,今回も似かよった状況は存在するものの,その程度はひどくなく,問題の解決なり鎮静化なりの方向が出ているものが多いこと,などによる。

今後については,①穀物が,本年のアメリカ収穫高予想ではとうもろこし,大豆が史上最高,小麦が史上2位の豊作と見込まれており,ソ連などの不作を見込んでも今後値下がりするものと見込まれるほか,③非鉄金属を中心とした工業用原料もアメリカの景気後退や主要先進国での金融引締めによる景気上昇鈍化などから,上昇するにしても基調は強くないものと思われる。最近の動向をややくわしくみても,一次産品価格は79年に入って,原油価格の引上げなどを反映して,景気動向とは関係なく上昇しているが,月別にみると,6月にピークをつけたあとは騰勢に一服気配が見える。

ただ注意すべきは,このように落着くかに見えた一次産品価格が,その後の金高騰やドル不安などから,非鉄金属,砂糖,ゴムなどを中心に再び上昇したことである。これはアメリカの新金融措置の採用(10月初)後,やや落着いたが,今後もイラン問題や原油価格の動向などが不透明であり,こうした点からの波乱要因が懸念される。