昭和53年度
年次世界経済報告
石油ショック後の調整進む世界経済
昭和53年12月15日
経済企画庁
第3章 成長条件の変化と先進国経済
1974~75年の不況後における先進国経済の回復が順調に進んでいない一つの大きな原因は,前節でのべたように,西ドイツをはじめとする西ヨーロッパ主要国が,あるいはインフレ再燃に対する懸念から,あるいは国際収支赤字に対処するために,消極的な財政金融政策を採用したことにある。しかし,さらに基本的な問題として,60年代から70年代はじめにかけての経済成長パターンが,第一にその内在的要因によって,第二に,石油ショックや二桁インフレを契機とする戦後最大の不況によって維持できなくなった,という事情によるところが少なくない。また,このような構造的要因に加えて,1974年以来,すでに5年にわたってアメリカ以外の先進国経済が低成長をつづけたという事実が,この構造的要因をさらに根深いものにしていることも見逃すことはできない。以下ではこれらの事情を検討してみよう。
1960年代から1970年代のはじめにかけて,OECD諸国は近代世界経済史上でもほとんど前例のない高成長を実現した。OECD諸国全体の経済成長率は,60年代には年平均4.9%にのぼり,さらに,70~73年には5.1%に達した。
この経済成長の実績がいかにめざましいものであったかは,1961年の第一回OECD閣僚理事会で採択された「目標」が,「加盟国の実質GNPを10年間に50%増加させること」-つまり,年平均4.1%の成長をめざしていたことを想起すれば十分であろう。
このような高い成長が実現した原因の第一は,多くの国で固定投資,とくに民間設備投資が急速な拡大を示したことであり,第二は,貿易自由化やEC経済統合を背景に世界貿易が急速に拡大し,それにともなって先進国の輸出が大幅にふえたことである。
たとえば,OECD全体についてみると,60年代の実質GDPは年平均4.9%の成長を示したが,この間,固定投資は年6.2%,輸出(商品・サービスの輸出,以下同様)は8.0%と,これを大きく上回る拡大を記録した。実質GDPに対する弾性値でみれば,それぞれ1.3,1.6に達する。(第III-2-1表)。
ここではまず,投資の増大に注目しよう。
投資の増大は,日本と西ヨーロッパ諸国でとくに著しかった。これらの国では戦後の復興期から50年代を通じて,耐久消費財の需要が大幅に増大したことや,それを中心に経済が高い成長を持続したために,企業のコンフィデンスが高まり,民間設備投資が増大し,これがさらに経済成長を促し,それが利潤の増大を通じて企業の投資意欲をたかめるという「好循環」を生みだした。その結果,第III-2-1表にもみられるように,60年代における固定投資の増加率は国内総生産(GDP)の伸びを大きく上回り,その弾性値は,西ヨーロッパでは1.3,日本では1.4にも達した。GDPに占める固定投資の比率は,西ヨーロッパでは,61年の21.6%から,70年には23.0%へ上昇し,日本では24.0%から34.9%へ上昇した。
しかし,このような投資比率の上昇は,経済成長率が次第に高まるか,さもなければ,国民所得に占める法人利潤の割合が上昇をつづけない限り,いつまでもつづけることはできない。ところが,実際には西ヨーロッパや日本の経済成長率は,第III-2-1表にもみられるように,石油ショック以前においても,70年代に入ってやや低下を示していた。また,あとでみるように,国民所得に対する利潤の割合も,完全雇用状態にともなう賃金上昇の加速を反映して,60年代以来低下する傾向を示した。
このためもあって,70~73年になると固定投資の伸びは西ヨーロッパでも,日本でもやや衰え,GDPに対する弾性値も,西ヨーロッパでは60年代の1.3から1.0に,日本では1.4からl.2に低下した。とくに日本の場合,民間設備投資だけについてみると,弾性値は65~70年の1.8から,70~73年には0.8へと急激に低下している。
つまり,日本や西ヨーロッパでは,投資の急成長を軸とする高成長が,70年代初頭にはかなりの変調を示していたということができよう。
これに対して,アメリカではかなり事情が違っている。アメリカ経済も,60年代には,ケネディ政権によるニュー・エコノミックスといわれたケインズ的需要拡大政策の採用や,ヴェトナム戦争に伴なう軍事支出の増大によって,9年間一度も景気後退がないという異例の繁栄をつづけ,平均成長率は4%にのぼった(50年代は3.3%)。このため民間設備投資も好調な拡大をつづけたが,固定投資全体のGDP弾性値は1.03であり,投資比率はわずかの上昇にとどまった(第III-2-1図)。
このためもあって,前出第III-2-1表のとおり,70~73年には他の諸国で投資の伸びが鈍ったのに対して,アメリカでは60年代を上回る増加をつづけた。
このように,60年代におけるOECD諸国の高成長は,投資比率の増大に大きく依存していたが,アメリカではどちらかといえば,投資・消費が比較的バランスして拡大をつづけていた。これに対して,西ヨーロッパや日本では投資の増大に依存する程度がアメリカにくらべて著しく大きかったといえよう。
このような情勢のもとで,73~74年に石油ショック,二桁インフレ,それに続いて74~75年には戦後最大の不況が発生し,多くの国では75年の生産水準は生産能力を大きく下回ることになった(第III-2-2図)。さらに,石油価格の高騰,将来の石油供給に対する不安,環境問題のたかまり,などによって将来に対する不確実性が増大したことも加わって,投資過剰傾向の大かった日本や西ヨーロッパでは企業の投資意欲は急速に衰えた。しかし,その中で,投資比率の上昇が小幅にとどまっていたアメリカでは,設備過剰圧力が相対的に少なかったうえに,石油の自給度が高いことなどが,他の国に比べて有利な点であった。
このほかに,西ヨーロッパや日本の投資回復をおくらせている要因として,企業利潤のシェア(法人所得/雇用者所得+法人所得)の低下傾向が考えられる。1960年代からの動きをみると,アメリカでは,60年代に14.5%であったシェアは74~75年不況期には9.2%にまで落込んだが,76年には11%にまで回復している。一方,日本では,74~75年不況期の低下は大幅で,60年代平均の19.6%から74~75年には11.2%へと8.4ポイントも低下し,76年になっても12.5%まで回復したにとどまっている。また西ヨーロッパ主要国でも70年代に入ってからの利潤のシェアの低下がみとめられ,例えば,西ドイツでは,1960年には12.8%もあったシェアは,70年代になると7%前後で推移しており,76年でも7.7%にとどまっている。
こうした西ヨーロッパ諸国における企業利潤のシェアの低下傾向をもたらした要因のひとつに労働分配率(雇用者所得/分配国民所得)の趨勢的上昇があげられる。第III-2-3図は労働分配率の長期的動向を示したものであるが,アメリカでは,60年代後半に上昇したものの,70年代に入ってからは,ほとんど横ばいとなっているのに対し,西ヨーロッパでは,60年代の上昇のあと,70年代になっても概して上昇を続け,その上昇テンポはむしろ高まっている国が多い。
以上の様に,企業利潤の動きにみられる米-欧日の相違が70年代に入ってからの投資活動の差をもたらすひとつの要因となっている。とりわけ,73~76年には日本,西ヨーロッパのほかアメリカでも投資比率は低下したが,その程度は欧・日に比ベアメリカでは小さい。
こうした大きな流れの相違の上に短期的な操業度や利潤回復の差が加わって,アメリカとその他の国には投資回復テンポに大きな差がみられ,73~74年のピーク年を100として,主要国の民間設備投資の推移をみると,第III-2-4図のようになる。78年の予測値(OECD事務局による)をピーク年とくらべると,アメリカでは5%上回るとみられているのに対して,英,独ではピーク水準にようやく回復した程度であり,その他の国の回復は著しく遅れている。
民間設備投資の回復のおくれが,いかに西ヨーロッパや日本の景気回復の足を引張っているかは,主要国の財別工業生産の動きにも表われている。第III-2-2表にみられるように,60年代には資本財や中間財の生産増加は工業生産全体の伸びを上回っている国が多かった。しかし,73~77年の伸びをみると,アメリカでは工業生産全体が年平均2.0%伸びたのに対して,資本財の伸びは2.7%と上回っているが,その他の国では,資本財生産の伸びは平均を下回っている。とくに,日本では生産全体としても73年の水準に回復しておらず,なかでも資本財,中間財部門の回復の遅れが目立っている。
1960年代に先進国経済が順調に成長した第二の要因は,先進国相互間貿易の急速な拡大であった。輸出の増大は,その国の需要をふやし,生産をたかめることはいうまでもない。さらに重要なことは,輸出増加によって拡大を促される産業部門は主としてその国でもっとも効率の高い分野であり,それによって経済全体の生産性をたかめる効果を持っていることである。また輸出増加-生産活動の増大-投資の増加-国内需要の上昇-輸入の増加,という経路を経て,他国の経済にも好影響を及ぼすことが多い。このようにして,60年代から70年代はじめにかけて,OECD諸国は相互に輸出入依存度をたかめながら,高い経済成長を実現した。OECD諸国全体の実質GDPに対する輸出の比率は60年の10.3%から,73年には15.0%へと上昇をつづけた。
しかし,この点に関しても,アメリカと,西ヨーロッパや日本との間には少なからぬ相違がみられる。たしかに,輸出の増加テンポがGDPの伸びを大きく上回っていたことはこの3地域に共通であった。しかし,この3者の輸出依存度の水準には大きな差があるために,輸出増加が国内経済活動に及ぼした影響にはかなりの相違がみられる。いまこの点をみるために,総需要(国内投資+国内消費+輸出)の増加分のうち,どれだけが輸出増加で占められていたかを計算してみると,第III-2-3表のとおりである。すなわち,60~73年の期間についてみると,西ヨーロッパでは総需要増加の36%が輸出によって占められていたのに対し,日本ではこの割合は13.2%であり,アメリカでは9.2%にすぎなかった。
このような点を考えると,西ヨーロッパ諸国や日本における60年代の高成長は,輸出の増大に依存するところがかなり大きかったといえる。これに対してアメリカの場合,世界貿易の拡大によって少なからぬ好影響を受けたことはもちろんであるが,その程度は西ヨーロッパに比較すればもとより,日本にくらべてもかなり小さかったとみられる。
74~75年の不況と,その後における先進国景気の緩慢な回復を反映して,世界貿易数量の増加テンポは著しく鈍化している。世界(共産圏を除く)の輸入数量は65~73年には年平均9.1%という高い伸びを示したが,73年から77年までは年平均4.0%へと大きく鈍化している。
世界の工業品輸出数量にも同様の傾向がみられ,年平均増加率は65~73年の10.6%から,73~77年には5.2%へと半減している。
このような状況のもとで,主要国の輸出の増加テンポも鈍り,それがまた各国の景気回復を鈍らせる一つの大きな要因となっている。しかし,国別にみると,その影響には大きな差がみられる。第III-2-4表は上記の二つの期間について,主要国の工業品輸出数量の年増加率を比較したものである。73~77年と65~73年をくらべると,西ヨーロッパ主要国では伸びがほとんど半減しており,アメリカでは8.6%から3.2%へ大幅に低下している。これに対して,日本の場合は13.6%から11.7%へと,ごくわずかの鈍化にとどまっている。
こうして,西ヨーロッパでは,工業品輸出の鈍化が,73年以来の経済拡大鈍化の大きな要因になったとみられる。アメリカの場合は,輸出の鈍化は著しかったが,総需要に占める輸出の割合が低いこともあって,景気全体への影響はそれほど大きくなかった。これに対して,日本の場合,結果的にみれば輸出は鈍化したとはいえ,その程度は軽微であり,依然として高い輸出の伸びが国内景気の回復に少なからず貢献したということになる。この点は73年から76年までのわが国の総需要増加額(実質)の85%までが輸出増加で占められた事実にも表われている(前出第III-2-3表)。
なお,ここで注目されるのは,西ヨーロッパやアメリカでも,輸出数量の鈍化にも拘らず,その伸びは各国の工業生産の伸びを上回っていることである。これは,不況下にも先進国間の国際分業の進展がなおつづいていることによる面もあるが,それ以上に,73年以来OPEC諸国や非産油途上国への輸出が急速な増加を示していることが大きく貢献している(後述第4章第3節参照)。
この点は,全商品の輸入数量増加率が,先進工業国では73年以降著しく低下しているのに対して,OPECはもとより,非産油途上国でもむしろ高まっている(第III-2-5図)ことからもうかがえる。
つぎに,60年代はじめ以来の先進国における産業構造の変化が,輸出入の動きによってどのような影響を受けていたか,それが石油ショック以後いかに変化しているか,という点をみよう。とくに,アメリカ,西ヨーロッパ,日本という三大工業地域の間にみられる相違と,それが75年不況後の回復テンポに及ぼしている影響を中心に検討する。
(産業構造高度化の趨勢)
60年代はじめから,石油ショック直前の73年までについてみると,先進国の工業生産は,加工度の低い部門から高い部門へ,資本集約度の低い分野から高い分野へと,次第に重点が移っている。これは,第一に,所得水準の向上などに伴って,先進諸国の需要が加工度が高く,資本を多量に必要とする製品に向かっていることを反映するものと考えられる。第二に,中進国をはじめとする発展途上国との間の分業関係の進展も,このような工業生産構造の変化を促進する大きな要因となっている。
このような産業構造の変化をあとづけるために,ここでは,製造業を①石油精製,一次金属などの素材型産業,②繊維,皮革,食料などの低加工型産業,③衣類,一機械などの高加工型産業,の三つに分類し,さらに,それぞれを比較的労働集約的なものと,比較的資本集約的なものに分けて,それぞれの部門が工業生産全体に占めるウェイトの変化を検討してみよう(各部門の定義については第III-2-6図の注参照)。また,検討の対象としては,日本,アメリカ及び西ドイツをとり上げることにする。
第III-2-6図は,この3国について,素材型,低加工型,高加工型産業が,製造業生産全体に占める比率の推移を示している。素材型産業の割合は3国ともやや低下する傾向を示しながらも,ほぼ安定している。また,アメリカでは,低加工型はやや低下,高加工型はやや上昇する傾向にあるものの,比率の変化は緩やかである。
これに対して日本と西ドイツでは構造変化は急速で,高加工型産業のウェイトが上昇し,低加工型は低下している。とくに日本の変化は顕著であり,55年には工業生産全体の20%に過ぎなかった高加工型は,73年には37%に上昇し,一方,低加工型のシェアはこの間に41%から25%へ下っている。
このような産業構造の変化,とくに高加工度化はさらに追究すると,主として低加工型の中では,労働集約産業の低下と,高加工型の中では,資本集約産業の成長によってもたらされたものであることがわかる(第III-2-7図)。そこで,以下ではこの二つの部門についてややくわしくみてゆくことにしよう。
(低加工・労働集約産業の後退とその要因)
低加工・労働集約産業(食品加工,繊維,はきものなど)の全工業生産に占める比率は,60年から73年にかけて,いずれの国でも低下したが,アメリカでは0.5ポイントの低下にとどまったのに対して,西ドイツでは5ポイント,日本では24%から18%へ,6ポイントの急減を示した(第III-2-5表)。
ここで注目すべき点が二つあげられる。
第一は,繊維産業(衣類を除く)の動きである。繊維産業の割合は,アメリカでは50年代央以来約4%で,73年までほとんど動いていない。これに対して,西ドイツでは60年の6.5%から73年の3.9%へ,日本では10.7%から5.7%へと急激に低下しており,この間における低加工・労働集約部門のシェア低下のほとんどが,繊維産業の相対的縮小によって生じたものであることがわかる。
第二は,この分野の相対的縮小に果した輸出入の影響が,西ドイツと日本では全く異なっていることである。第III-2-5表にみられるように,日本では,生産額に対する輸出額の割合(以下輸出比率と呼ぶ)が急速に低下する一方,輸入比率は急上昇を示した。この結果,わが国では輸出入比率の変化だけで,国内生産を大きく低下させる要因(11%)となった。ところが,西ドイツでは,輸入比率の上昇は日本より大幅であったが,日本とは逆に輸出比率も上昇している。このため,純輸入比率の上昇は2%にとどまっており,輸出入の変化によるこの部門の国内生産への影響は軽微なものであった。アメリカについてはこのような海外要因による影響はさらに小さかった。
(機械産業の拡大と輸出の役割)
つぎに,高加工・資本集約産業の典型である機械産業についてみよう。機械産業の工業生産総額に占める割合は,60年から73年にかけて,米,日,独,いずれの国でも高まったが,とくに日本では25%から33%へと,8ポイントも上昇した(第III-2-6表)。
しかし,ここでも,生産比率の上昇に対する海外要因の役割には国によって大きな差がある。
アメリカでは,輸出入は生産にくらべて小規模ではあるが,60~73年の間に輸出比率がやや上昇したのに対して,輸入比率は1.5%から8.0%へ,大幅に上昇した。これは日本,西ヨーロッパの機械産業の成長と,中進国製品の進出によるものであった。その結果,この期間に純輸出比率は3ポイント低下し,国内機械産業の拡大にとって若干のマイナス要因となった。西ドイツでは,ECの一員であるという事情もあって,輸出比率がアメリカ,日本にくらべ高く,60~73年の間にさらにその比率を4.7ポイント高めたが,同時に輸入比率も同期間に5.3ポイント上昇しており,純輸出比率はこの間ほとんど変化しなかった。つまり海外要因は国内生産にとってほぼ中立であった。
これに対して日本の場合,海外要因は機械産業の成長にとって少なからぬプラスとなっていた。すなわち,同じ期間に,輸出比率は8%から16%へと高まる一方,輸入額は生産の3%にすぎず,この比率はこの13年間ほとんど動いていない。この結果,純輸出比率は8ポイントも上昇した。
つまり,アメリカと西ドイツの機械産業は,輸出もふやすが輸入依存も高めるというかたちで水平分業を深化させながら発展したのに対して,わが国の場合は,主として国内需要の高成長と輸出増大を柱として拡大したといえる。
石油ショック以後,世界貿易の伸びが鈍化し,これが成長を減速させる大きな要因になったが,先進国の輸出は不況下にあってもOPECやその他の途上国の市場拡大によって増大し,低くなった成長を支えるのに大きな役割を果したことは前述の通りである。
この点は米・日・独三国の工業品の輸出入比率の変化にもはっきりと表われている。73年から76年までについてみると,3国とも製造業全体では輸出比率の上昇は,輸入比率の増大を上回っている。
第III-2-7表はこれを産業別に表示したものであるが,とくに注目すべきは次の二つの点である。
第一は,60~73年には低加工・労働集約産業では,程度の差はあるが3国とも純輸出比率が低下し,海外要因が国内生産にとってマイナスとなっていたのに対し,73~76年には,海外要因は殆んど中立的になっていることである。これは,輸入の増大は続いているものの,輸出がOPEC向けなどを中心にかなり増大しているためと思われる。
第二は,高加工・資本集約産業の純輸出比率の動きにみられる米・日・独の相違である。
アメリカでは,純輸出比率は60~73年に3ポイント低下したあと,73~76年の3年間で逆に3.4ポイント上昇し,この部門の生産を下支えする要因となった。中進国製品の進出などによって輸入比率は増加を続けているが,輸出比率がさらに大幅に上昇したためである。
日本では,60年代にも上昇を続けていた純輸出比率が,73~76年に11ポイントの急上昇を示した。輸出比率が16%から28%へ12ポイントも上昇したのに対し輸入比率が60年代から3%前後でほとんど変化していないためである。
一方,西ドイツでも,輸出比率は60年代から上昇を続け,73~76年には日本同様11ポイントと急上昇し,76年にはその比率は48%にも達している。しかし一方で輸入比率も増加を続け,この3年間に4.4ポイント上昇している。このため,純輸出比率は6.7ポイントの上昇にとどまった。
以上,米・日・独三国の産業構造の変化に対して,輸出入の動きがどのような影響を与えてきたかを検討してきた。この意味するところを以下にまとめてみよう。
第一に,産業構造の高加工度化に対する海外要因の役割は,アメリカ,西ドイツにくらべて,日本では桁違いに大きかった。高加工・資本集約産業においては輸出比率が急速に上昇,輸入比率は微増にとどまったのに対して,低加工・労働集約部門では,輸出比率の急速な低下,輸入比率の急上昇という対照的な動きがみられ,これが生産構造の急速な変化を促す大きな要因になった。
西ドイツでは,工業品の国際分業が著しく進んでおり,輸出入比率の水準は高いが,その変化をみると,輸出のふえた分にほぼ相応して輸入もふえるというかたちになっている。したがって,大分類でみた産業構造の高加工度化に対する海外要因の影響は日本にくらべ小さかった。アメリカでは,元来輸出入比率が低く,産業構造は主として国内要因によって決められる傾向が強いが,70年代に入ってからは,機械や高加工・労働集約産業(衣類など)では輸入比率の上昇が輸出比率のそれを上回る傾向がみられる。したがって,今後海外要因の影響が大きくなる可能性が強い。
第二に,このような従来の動きからみると,世界全体の成長が鈍化し,世界貿易が停滞した場合,その影響をもっとも強く受けるのは西ドイツなどの西ヨーロッパ諸国と日本だと考えられる。
西ドイツの場合には,製造業の輸出比率が著しく高いため,輸出の鈍化は国内産業に大きな影響を与えることになる。現に最近の西ドイツ経済の回復が緩慢なのも,この要因によるところが少なくない。また,こうした影響は程度に多少の差はあっても,西ヨーロッパ諸国にはほぼ共通しているものと思われる。
日本の場合,60年代に海外要因による機械産業への成長促進効果はとくに大きかったことから考えると,世界貿易鈍化の影響も大きい筈である。しかし,76年までについてみると,企業の輸出努力,品質の向上,価格面での有利性などにより世界貿易の増勢が鈍化する中で,輸出の伸びは高く維持され,これが機械,鉄鋼産業の生産を下支えする大きな要因となっていた。しかし,77年夏以来の円レートの上昇や欧米諸国との間の通商摩擦問題などを考慮すると,今後輸出比率を大きく高めることは期待できず,反面輸入比率の上昇が予想される。したがって日本の場合には世界経済の成長鈍化の影響はむしろ今後表面化してくる可能性が大きい。
以上のようにみてくると,75年以来先進国経済が全体として伸び悩んでいる一つの大きな原因は,60年代の経済成長パターンと深くかかわり合っているといえる。
まず,アメリカ経済が比較的順調な拡大をつづけているのは,積極的な景気対策がとられたという政策面の事情やエネルギー自給度の高さなどにもよるが,60年代の成長過程で投資と消費の伸びがほぼ均衡していたことや,輸出依存度が低いことも少なからず影響している。
これに対して,西ヨーロッパや日本では,60年代における高成長は投資比率の上昇や輸出の増大によるところが大きかった。このため,75年以後民間設備投資の停滞もアメリカより顕著にあらわれることになり,輸出も世界貿易鈍化の影響を強く受けることになりやすい体質となっていた。とくに輸出依存度の高い西ヨーロッパでは輸出鈍化は,企業の投資意欲にも大きな影響を与えているものと思われる。
わが国の場合,60~73年の投資比率の上昇がとくに大幅であったことも加わって,75年以後の民間設備投資の停滞は主要国中最も著しく,これが成長鈍化の最大の要因となっている。ただ,77年までは,輸出が高い伸びを示したことなどによって,国内経済活動は大きく支えられてきたといえる。
このようにみてくると,73年以来のアメリカ以外の先進国経済の成長鈍化には操業度の低さなど短期的な要因のほかに,①インフレ再燃懸念から多くの国で慎重な財政政策がとられたこと,②それ以前の投資が先行き期待が大きくやや行き過ぎ気味であったところへ,石油ショックを契機とする戦後最大の不況によって,設備過剰が一気に表面化して中期的な調整局面に入ったこと,③さらに,労働分配率の上昇,エネルギー・コストの上昇,環境問題などによって利潤率が低下するなど投資環境が悪化していること,④生産構造が海外依存度を高めていたところに世界貿易の増勢鈍化がおこったため,その調整の必要が生じたことなどのやや中期的な要因が重なっていると思われる。
したがって,当面アメリカ以外では民間設備投資の急速な盛上がりを,期待することはできそうもない。ただ,投資意欲がこれ以上に沈滞するのを防止するためにも,主要国を中心に各国の事情に応じつつ,積極的な経済運営に努めることが望ましい。現在以上に失業がふえない程度の適切な成長を維持するとともに,設備投資の調整が終了するにともなって,経済の健全な成長が再現されるよう,賃金・物価の安定化,研究開発投資の促進,発展途上国の成長促進等投資再拡大のための基礎条件を整備することが必要と考えられる。