昭和53年度
年次世界経済報告
石油ショック後の調整進む世界経済
昭和53年12月15日
経済企画庁
第3章 成長条件の変化と先進国経済
今回の景気回復過程では,アメリカとその他の先進国との間には回復テンポの大きな差がみとめられる。この理由としては,大きく分けて以下の五つが挙げられよう。
第一は,資源賦存上の相違により,石油ショックの影響度に少なからぬ差がみられたことである。西ヨーロッパや日本と異なり,アメリカでは,石油の自給度が高かったために,OPECの石油価格引上げによる経常収支への影響が比較的小さかった(後出第IV-1-3表参照)。それだけでなく国内産石油価格を低く抑える政策をとってきたために,エネルギー価格上昇による国内物価水準への影響も相対的に小幅であった。
第二は,アメリカと西ヨーロッパ諸国の間にみられる経済政策の相違である。西ヨーロッパ諸国の多くは,激しいインフレが続き,経常収支も大幅な赤字となったため,76年から77年にかけて再び緊縮政策を採用せざるをえなくなった。国際収支や物価に比較的問題の少なかった西ドイツやスイスでも,物価の一層の安定を重視したり,財政赤字の縮小を図るために,慎重な政策がとられた。これに対してアメリカでは,失業率の引下げに政策の重点がおかれたために,西ヨーロッパに比べて積極的な政策態度がみられた。
第三は,1960年代の経済成長パターンの相違が,70年代に入って,とくに石油ショック以後の経済情勢に少なからぬ影響を及ぼしているとみられることである。西ヨーロッパ諸国や日本では,60年代には民間設備投資の高い伸びと,輸出の急速な拡大が,経済の高成長の軸となっていた。その結果,投資が投資を呼び,輸出増がさらに投資を刺激するという「好循環」が生じ,これが高い成長をもたらした。しかし,石油ショックなどにより景気が低迷すると,一挙に設備過剰が表面化する一方,世界貿易の鈍化による輸出の伸びの低下によって大きな影響を受けることになった。これに対してアメリカでは,60年代の投資増加は相対的にみるとそれほど大きなものではなく,その結果,石油ショック後の設備過剰も西ヨーロッパや日本ほど深刻ではなかった。また,国内市場が広大で,伝統的に輸出への依存度が低いために,世界貿易の停滞による景気への悪影響も小さかったと考えられる。
このような事情を反映して,第四に,アメリカ以外の先進国では需要の回復が不十分なために設備の操業度が低く,利潤の増加も小さくなり,ただでさえ弱い設備投資の盛上りを一層弱めていることがあげられる。
たとえば,アメリカと西ドイツについて不況の谷から最近までの製造業操業度の動きをみると,アメリカが70.9(75年1~3月)から85.0(78年9月)へと14.1ポイント上昇したのに対して,西ドイツは75.2(75年4,7月)から80.2(78年7月)へと5ポイントの上昇にとどまり,しかも最近の1年間は横ばいとなっている。また,社内留保の74~77年平均を65~69年平均と比較してみると,アメリカでは約27%の低下にとどまっているのに対して,西ドイツでは約7割も落込んでいる。
さらに,第五として,低い成長が74年以来すでに5年近く続いているうえに,為替レートが大きく変動するなどの事情も重なって企業行動が消極的になっているという要因もあろう。
しかし,こうした五つの要因の中で,最も基本的なものは,第二,第三の要因であり,第四,第五はこれから派生する要素が強いと思われるので,以下では第二,第三の要因に焦点をあてて分析を進めていくことにする。