昭和53年度
年次世界経済報告
石油ショック後の調整進む世界経済
昭和53年12月15日
経済企画庁
第2章 フロート制下の為替相場変動と国際収支
戦後二十数年にわたって維持されていた固定相場制度が崩壊し,主要国通貨が変動相場制(以下フロート制と呼ぶ)に移行した1973年はじめ以来,5年有余が経過している。この間,世界経済は73年秋の石油ショックとそれにもとずく世界の国際収支構造の大きな変化,ほとんどの国で物価上昇率が10%をこえた異常なインフレ,74~75年の戦後最大の不況など,大きな変動を経験した。このような激動の時期に,国際通貨情勢が極端な変動や危機的状況に陥らないですんだのは,弾力的なフロート制の機能によるところが少なくなかったと思われる。しかし,76年に先進国景気が回復過程に入って以来,先進主要国の国際収支には相ついで大きな不均衡が生じ,為替レートも変動をくり返している。逆にいえば,主要国の為替レートが大幅に変動しているにもかかわらず,主要国間の国際収支不均衡が続いているということになる。
さらに問題なのはレートが急激に上昇した国で,そ抗が輸出数量への抑制効果を通じて景気回復テンポに影響を及ぼしたり,国際通貨情勢の動揺が,各国企業のコンフィデンスにマイナスの影響を与えたりしているとみられることである。
フロート制に移行した当時においては,フロート下で為替レートが大きく変化することを懸念する向きもあったが,同時に,為替レートの調整効果にも少なからぬ期待がかけられていた。すなわち,フロート制のもとでは,各国の物価上昇率の相違や貿易収支の変化などを反映して為替レートが弾力的に変化し,これによって国際収支の均衡が自動的に達成されると期待された。その結果,各国は国際収支状況に制約されることなく,国内需要管理政策を実施することも可能になると考えられた。また,レートの変動についても,市場の調整機能が働き,とくに投機にも安定化機能があり,大幅に変動をくり返さないですむとの見方も少なくなかった。
しかし,フロート制移行後5年余の実績は必らずしも期待どおりでないことを示しており,とくに最近一年余にみられたレートの大幅な変動と,国際収支不均衡を前にして,フロート制の機能に疑問を呈する向きがふえている。またより安定的な国際通貨体制を模索する動きもみられる。
本節では,73年以来の主要国の経常収支と為替レートの動きを検討することによって,①レートの大幅な変化がなぜ生じたか,②レートの変化が各国の経常収支の調整にどの程度効果をもっていたか,という点を明らかにしたい。
石油ショック以前の世界の経常収支構造は,先進工業国の大幅な黒字,ほぼそれに見合う非産油途上国の赤字,そして産油国が若干の黒字を示すというパターンであった。しかし,原油価格高騰を契機に74年以後は,産油国の大幅黒字,先進工業国を含むその他諸国の赤字へとそのパターンは一変した。
74年以後の先進主要国の経常収支の推移をみると,こうした構造変化と新しい枠組のなかで年々激しい変化を示している( 第II-1-1表)。以下これを概観すると,石油ショックの影響をもろに受けた74年には,西ドイツとアメリカを除いて,主要国の経常収支は軒並み50~80億ドル程度の大幅赤字に陥った。75年には,先進諸国9不況を反映してこれら諸国の経常収支は大幅な改善を示し,特にアメリカでは,184億ドルの大幅黒字を計上した。しかし,仏,英,伊では76年に入り景気が回復に向かうにつれて,国内需要の水準が相対的に高く,またインフレの鎮静化が遅れたため経常収支が再び大きく悪化した(76年下半期にはこれら3国合計で年率152億ドルの赤字)。これに対して76年秋以降緊縮措置がとられた結果,77年には仏,英,伊の経常収支が好転することになったが,反面,アメリカの大幅赤字(153億ドル),日本の大幅黒字(109億ドル)と新たに日米間の不均衡が大きな問題となるに至った。この間75年以来,西ドイツの経常収支黒字幅は約40億ドルを維持している。
このような国際収支の激しい変動を映して,主要国の為替相場はフロート制のもとで,大きな変化をくり返している。その状況は 第II-1-2表 に示す通りである。とくに77年9月から78年10月までの間には,円の対ドル・レートは50.8%,マルクは33.3%もの上昇となり,米ドルの実効レート(ロイター・カレンシー・インデックス)も26.8%の大幅な低下を示した。
フロート下のレート変動が大幅になった第一の原因は,73年以来主要国間にみられる物価上昇率の格差が著しく大きくなっていることである。
先進国全体として,60年代末ごろから物価上昇テンポか高まり,74~75年の2桁インフレはもとより,現在まで多くの国でかなりのインフレが続いている。こうしたなかで,イギリス,イタリアのように激しいインフレ傾向がつづいた国と,西ドイツ,日本のように物価が急速に鎮静化した国との間には,年々の物価上昇率は大きな差が生じている。いま,工業品卸売物価について,主要6ヵ国の上昇率を比較し,6か国中最大の上昇をみた国と,最低の上昇を示した国とのひらきをみると,60年代後半ではその差は大きくても3~4パーセント・ポイントであり,70~73年の平均も8.2ポイントであった。ところが,その後は74年27.3ポイント,75年22.5ポイントと大きくなり,77年でみても最高(イギリスの19.2%)と最低(日本の1.7%)の差は17.5ポイントにも及んでいる(第II-1-1図)。
このように,各国間の物価上昇率の格差が拡大したのには,フロート制のもとでは,固定制下とは異なり,インフレの結果国際収支が赤字となっても,直ちに景気抑制策がとられない傾向があることやレート変動の物価効果も影響している。
物価上昇率に毎年このように大きな相違が生じている以上,これを反映して各国の為替レートが大きく変化するのは,ある意味で当然だともいえる。事実,フロート制下に生じた為替レートの変化は,4~5年という期間をとってみると,各国の物価格差を相殺する方向に動いており,この面ではフロート制に期待された調整機能が実現されている。この点は第II-1-3表に示されている。主要国がフロートに移行した直後の73年4~6月期から,77年10~12月期までの4年半の間に,各国の工業品卸売物価は表の(1)欄にみられるように上昇した。最も大きく上昇したのはイタリアで,この間134%も上昇している。一方,アメリカの上昇率は60%,西ドイツは29%にとどまった。つぎに,アメリカの上昇率を他の国と比較したのが(2)欄である。たとえば,この4年半に,日本の物価は43%上昇したので,アメリカの物価は日本にくらべて12%上昇したことになる。一方,この間に円の対ドル・レートは265.02円から,247.05円に,7%上昇している(第(3)欄)。つまり,対ドル・レートは,日,米間の物価上昇率の差をほぼ相殺するかたちで変化したことになる。同様に,アメリカの物価は西ドイツにくらべて24%上がり,同時にマルクの対ドル・レートは23%上昇している。
もちろん,このような計算の結果は,時期のえらび方や,物価のもの差しとして何を使うか(消費者物価や輸出物価を使用することもある)によって多少変ってくるので,決して厳密なものではない。しかし,大勢として,4~5年という期間でみると,為替レ~トが各国の物価上昇率の相違を相殺する動きを示していること,77年末ごろと73年なかばを比較すると,レート変化率と物価差の程度がほぼ一致していることは注目される。
73年以来の各国為替レートの変化は,上述のように,中期的には物価上昇率の差を相殺するように変化している。しかし,問題は,短期的には物価差を調整する以上に大きな変動を示すことである。
第II-1-2図は,73年4~6月期を基準として,各国の工業品卸売物価のアメリカに対する上昇率(点線)と,対ドル・レートの推移(実線)をくらべたものである。この図にもみられるように,実際のレートは,物価差を相殺するに必要なレートにくらべて,大幅にかい離することがしばしばある。
過去5年間にみられた大幅なかい離の例としては,①74~76年にみられた円,マルクの下落,②76年のポンド,フランス・フランの低落,そして③77年から78年にかけての円,マルクの高騰と米ドルの低下などがある。
為替レートがこのように短期的に大きく変動する要因の一つとしては,経常収支の状況があげられる。74年には,石油価格高騰の影響で,日,仏,英,伊の経常収支は50~・80億ドルの大幅な赤字となったのに,アメリカでは石油輸入の依存度が比較的低かったこともあって,-若干の黒字を示していた。また,76年にポンド,リラ,フランス・フランが急落したときも,米,日,独の経常収支が黒字であったのに,仏,英,伊の3国は20~60億ドルの赤字を出していた。77~78年に米ドルが低下し,円,マルクが急騰したときは,日本,西ドイツが黒字をつづける一方,アメリカが大幅な赤字を示している。
なお,各国間の金利水準の差も,為替レートに少なからぬ影響を及ぼす要因であるが,経常収支の不均衡が著しくなる場合には,かなりの金利差が生じても,赤字国のレートは下落し,黒字国のレートは上昇をつづける傾向がある。たとえば,米・独両国がともに黒字であった75,76年には,マルクの対ドル・レートは,両国の金利差を反映して変化したが,77年以後になると,アメリカの金利が西ドイツにくらべて大幅に上昇したにもかかわらずマルクは上昇をつづけた。
このように,為替レートが,物価上昇率の差をこえて大幅に変化するときは,そのときの経常収支の状態を反映していることが多く,このようなレートの変化は,経常収支の不均衡を是正する方向に動いている。
問題は,その上昇,低下のテンポや程度が著しく大きくなる傾向をもっていることである。たとえば,76年はじめから同年9月にかけて,ポンドの対米ドル・レートは17.1%も低下したし,77年9月・から78年10月にかけて円の対ドル・レートは50.8%も上昇した。このように,年に20%,50%という変化は行きすぎであり,いろいろの悪影響を及ぼしている。
これには,①Jカ-ブ効果②為替レート変化の国内物価に与える影響③先行きに対する期待や投機,などが大きな役割を果している。
(Jカーブ効果)
まず,Jカーブ効果であるが,これは,為替レートが上昇(または下落)すると,外貨建ての輸出価格と自国通貨建ての輸入価格が即座に変化するが,輸出数量が減少(増加)したり,輸入数量が増加(減少)するまではかなりの期間がかかるため,為替レートが上昇(下落)した場合,当面は経常収支を悪化(改善)させる効果より,むしろ改善(悪化)させることになることをいう。
このようなJカーブ効果が働くために,為替レートが大幅に変化するときには,その直後には経常収支が期待される方向とは逆の方向に変化することが多い。
たとえば,米ドルは71年12日のスミソニアン合意によって大幅に切下げられたが,アメリカの経常収支赤字は,71年の14億ドルから,72年には60億ドルヘ,むしろ拡大した。77年春以来円の対ドル・レートが大幅に上昇しているのに,日本の経常収支黒字が78年初めまで拡大をつづけたのも,この効果によるところが少なくない(くわしくは昭和53年度年次経済報告参照)。
(レート変化の物価効果)
つぎに,為替レートの変化は,国内物価への影響を通じて,レート変化の貿易収支調整効果を減殺し,レートの一層の変化を促す効果をもつことが多い。為替レートが下落すると,自国通貨建ての輸入価格が上昇し,国内の物価上昇は一段と加速されることになる。この結果,輸出価格も上昇し,国際競争力が失われるために,為替レートがさらに下落する要因となる(為替レートが上昇した国では,逆のメカニズムが働き,価格競争力がなかなか落ちないため,レートはさらに上昇する傾向がある)。
たとえば,76年中(1975年10~12月→76年10~12月)に,ポンド,リラ,フランス・フランの対米レートは,それぞれ,19.2%,21.2%,11.3%の大幅な下落を示した。しかし,これによって自国通貨建ての輸入物価が大幅に上昇し(それぞれ,27.8%,32.0%,19.1%)たため,この3国の消費者物価上昇率は76年なかば以後,むしろたかまり,インフレ高進の予想はさらに通貨価値の下落を予想する投機の動きを呼び,ポンド,リラが益々低下する傾向を強めるという,一種の悪循環を招来した。反対に,78年4~6月までの1年間に,対米為替レートがそれぞれ24.7%,13.6%と大幅に上昇した日本と西ドイツでは,この間に自国通貨建て輸入物価は17.2%,6.7%の下落を示し,このためもあって,工業品卸売物価はこの1年間に,日本では1.1%下落し,西ドイツでも1.0%の上昇にとどまっている。この結果,この1年間に工業品卸売物価が6.8%も上昇したアメリカとの物価上昇率の差はさらに拡大し,円高,マルク高の効果を減殺しているだけでなく,このインフレ格差の拡大が,将来の予想を通じて,円高,マルク高を一層促進する結果となっている。
(期待と投機)
以上のように為替相場がひとたびある方向に変化すると,強い通貨は将来も一層上昇し,弱い通貨はさらに下落するという傾向がみられるが,さらにこれを助長する要因として投機の存在があげられる。外国為替市場への流入資金を正常な取引によるものか,リスクを回避するためのものか,投機によるものか区別することは不可能であるが,最近の為替相場の急激な変動の少からぬ部分が投機によるものであることはしばしば指摘されており,国際為替市場の大きな攪乱要因となっている。
以上のような要因によって,各国の為替レートは年々大幅な変動を示している。つぎに,こうした大幅な為替レートの変化が,経常収支の不均衡是正にどの程度効果を挙げているのか,という点を貿易収支を中心に吟味しよう。
ここで注意しなければならないのは,経常収支を調整する効果をもつのは,為替レートそのものの変動ではないということである。前述のように,フロート下の為替レート変化は,各国間の物価上昇率の相違を相殺する方向に動く傾向がある。しかし,為替レートが物価格差を修正するだけの動きをしたとすれば,各国間の価格競争力の関係は変らないことになり,国際収支を変化させる大きな要因とはなり得ない。したがって,為替レートの変化が国際収支を調整する効果をもつかどうか,ということは,「物価変動を考慮したうえで,これを上回るレート変化があった場合,それが国際収支にどんな影響を与えたか」という点を検討することが必要になる。
このような「物価上昇率格差を上回る為替レートの変化」を示すものが,「実質為替レートの変化」である。たとえば,1年間にアメリカの物価は10%上昇し,西ドイツの物価は5%しか上昇しなかったと仮定しよう。この間に,マルクの対米ドル・レートが5%上昇したとしても,ドイツ商品の価格はドル建てでは10%上るだけであり,米,独間の価格競争力の関係は変化しない。したがって,国際収支では価格面には何らの変化もなかったのと同じ結果になるはずである。つまり,この場合は,マルクの名目レートは上昇したが,「実質レート」は変化しなかったことになる。
このように,各国間の物価上昇率の差以上に,どれだけ為替レートが変化したかを,「実質為替レートの変化」と呼ぶ(以下で用いる実質為替レートはすべて工業品相対輸出価格でデフレートしたもの)。実質為替レートと名目為替レートが大幅に,長期にわたって違った動きを示しているのは西ドイツ,イギリス,イタリアである(第II-1-3図参照)。たとえば,西ドイツの名目実効為替レートは,73年4~6月から,77年10~12月までの4年半の間に26.7%も上昇した。しかし,この間における西ドイツの物価上昇率は主要国中最低であったので,物価差を考慮した「実質実効レート」でみると,この4年半に逆に2.5%低下していることになる。また,その時々のふれもその他の通貨にくらべて非常に小さく,73年4~6月の水準を中心に上下4%程度の範囲に収まっているのが特徴である。
この「実質実効為替レート」の推移と,各国の貿易収支の動きを対比してみたのが第II-1-4図である。これでみると,両者の間には1年ないし2年のずれはあるものの,レートが上昇すれば貿易収支が悪化し,レートが下る場合には改善するという大まかな関係があることが分る。たとえば,アメリカの場合,実質実効レートは74年7~9月から上昇しはじめ,76年4~6月まで急上昇をつづけ,この間に14%も切り上った。これを反映して,アメリカの貿易収支はその1年半後の76年1~3月から赤字となり,78年1~3月まで急速に赤字幅が拡大した。また,アメリカの貿易収支赤字は78年1~3月をピークとして,縮小に転じたとみられるが,実質実効レートは,76年10~12月をピークに低下しており,その効果が1年3か月のおくれをもってあらわれてきたと解釈することができる。
このほか,①円の実質実効レートが,74年4~6月をピークに低下傾向に転じたのに対して,日本の貿易収支黒字がその1年半後の76年1~3月から大幅になったこと,②西ドイツ,フランス,イタリアの場合,75年以後の貿易収支の変化が,1~2年前の実質実効レートの動きとかなりの逆相関関係を示していることなども,実質レートの変化がタイム・ラグをともないながらも,貿易収支の調整に,かなりの効果を発揮したことを示している。
もとより,一国の貿易収支は,相対価格の変化だけではなく,その国の景気動向,とくに主要貿易相手国との景気局面の相対関係さらには農産物の豊凶など,多くの要因によって左右される。したがって,実質実効レートの変化と,貿易収支の動きに,ときにかなりの差が生ずることもむしろ当然である。この点を考慮すれば,第II-1-4図にみられる両者の逆相関関係はかなり高いものがあり,実質為替レートの変化が,相当大きな貿易収支調整効果をもっていることがうかがえる。
(レート変化と輸出数量)
つぎに,実質為替レートの変化と工業品の輸出数量との関係をみよう。第II-1-5図は主要国通貨の実質実効レートと,工業品の相対輸出数量指数の推移を示している。ここで相対輸出数量指数というのは,当該国の輸出数量指数と,世界の輸出数量指数の比率である。これは,世界的な景気循環による各国の輸出量変化の影響をできるだけ除いて,世界輸出に占める各国のシェア増減をみようとするもので,図の実線が上昇しているときは,その国の輸出が世界の平均を上回る伸びを遂げていることを示している。
この図でも,実質実効レートが上昇すると,若干の期間(1年半程度)をおいて,輸出の伸びが他の国にくらべて低下するという傾向が現われている。たとえば,アメリカの実質実効レートは74年夏以後,76年春にかけて上昇傾向をつづける一方,アメリカの相対輸出数量指数は75年秋以来低下傾向をたどった。また,実質レートは76年秋以後低下に転じたが,これを反映して相対輸出数量指数は77年10~12月を底に上昇に向っている。
また,わが国についてみても,円の実質実効レートは74年4~6月をピークとして,76年1~3月まで大幅に低下し,それ以降も低い水準にあったが,これを反映して,日本の相対輸出数量指数は78年1~3月まで上昇傾向を示した。
西ドイツ,フランス,イギリスについても(またイタリアについても部分的にではあるが)1~2年のラグをもって実質実効レートと相対輸出数量指数との間には程度の差はあるが,逆相関の関係が認められる。
(レート変化と輸入数量)
第II-1-6図は,レートの変化と輸入の関係をみるために,実質効レートの動きと,輸入依存度指数(輸入数量指数÷実質GDP指数)をくらべたものである。実質実効レー十の変化が輸入面に及ぼす影響は,アメリカにおいて最も顕著に現われている。74年夏以降76年春にかけてドルの実質実効レートは上昇しつづけたが,輸入依存度も1年のラグをもって,この動きを追い75年の夏から77年春にかけて上昇した。フランス,イギリス,イタリアなどの場合も,実質実效レートが上昇すると,輸入依存度が上昇するという傾向がかなり明瞭に認められる。
ただ,日本の場合には,両者の相関関係は余り強くない。これは,わが国の輸入の80%近く(1976年)が食料,原燃料で占められているために,輸入価格が低下しても輸入量は余りふえない(つまり,輸入の価格弾力性が小さい)ことによるものと思われる。また西ドイツについては,輸入依存度は傾向的に上昇し,レートとの正の相関関係は全く認められない。この理由は2つ考えられる。1つは西ドイツの実質実効レートの動きは他の国にくらべて小幅であり,73年4~6月を中心に上下4%程度の幅の中に収まっているため価格面からの影響は大きくなかったと思われることである。もう1つは輸入依存度の上昇は西ドイツにとって傾向的なものであり,すでに1960年代から続いていたということである。この傾向は,工業品の全般にわたっており,輸入も増やし,輸出も増やすという水平分業の典型的なパターンがみられる。
これは,西ドイツが得意とする機械産業において特に著しい。機械の内訳でみると,標準化が可能で大量生産方式が採用できるものの輸入が急速に増えて,高度に技術的なものの輸出を増やすという方向がみられるほか,西ドイツに特徴的なことは東側への輸出が多いことにともなう見返り輸入の増大がみられることである。
上述のように,実質為替レートが変化する場合,若干の時間のずれはあるにしても,国際収支の均衡を回復するような効果がかなり認められる。ただ,いろいろな条件によって,その効果の発現が,あるときはかなり早く,顕著となり,あるときは遅れたり,減殺されることになる。為替レート変化の国際収支調整効果の発現にとくに大きな影響を与えるのは,第一に,当該国の景気政策であり,第二に,これと密接な関係はあるが,当該国と主要貿易相手国との景気局面の異同である。
まず,実質為替レートの変化が貿易収支に顕著に,しかも早急に効果を発揮した例としては,76~77年の仏,英,伊の3国の事例が挙げられる。75年10~12月から76年10~12月にかけて,実質実効為替レートは,フランス7%,イギリス5.7%,イタリア5.9%と,いずれも大幅に下落した。これを反映して,この3ヵ国の経常収支は,76年下半期には年率152億ドルの大幅な赤字であったが,77年に入って急速に改善され,同年下期には年率51億ドルの黒字を示すに至った。
この3国の経常収支が,実質為替レートの下落を反映して,このように急速,かつ大幅に改善されたのは,北海油田生産が本格化し,イギリスの貿易収支に大きな貢献をしたという特殊事情もさることながら,この3国が,76年秋に財政・金融面からの緊縮政策を実施したことによるところが大きい。緊縮政策の効果もあって,この3国では77年はじめから同年秋にかけて景気は低迷し,鉱工業生産は低下し,輸入数量も,77年7~9月までの1年間に,フランス2.3%,イタリア4.2%,イギリス0.1%の減少を示した。一方,レート低下による価格競争率の上昇を反映して,輸出数量は大幅に増加した(第II-1-5図)。この結果が,前述のような急速,大幅な経常収支の改善をもたらした。これと対照的に,実質為替レートの大幅な変化が生じたにもかかわらず,経常収支均衡化への動きが遅れている例は,77年以来のアメリカと日本の場合である。実質実効レートでみても,77年10~12月までの1年間に円は6.9%上昇し,米ドルは8.6%とかなりの低下を示した。しかし,日本の経常収支の黒字,アメリカの赤字は現在までのところ,やや縮小している程度にとどまっている。
この第一の原因は,大幅なレート変化が生じたのは77年央以後のことであり,従来の経験からしても,その効果が本格的に現われるのは,78年下半期以後になるとみられることである。
第二に,より重要な原因として,アメリカと日本,西ドイツの間にみられる景気局面の相違がある。第一章でみたように,76年央以後,とくに77年中は,アメリカの景気が拡大を持続したのに対して,日本と西ドイツの拡大テンポはゆるやかなものにとどまった。
この結果,77年の輸入数量の増加率をみても,日本の2.5%,西ドイツの5.8%に対し,アメリカは13.6%と格段の差がある。このために,為替レートによる国際収支調整が遅れることとなった。
以上みてきたように,フロート制の下では,①中期的には各国間にみられる物価上昇率の差を相殺する方向にレートが動き,②短期的には経常収支の状態を反映して,レートが経常収支の均衡を回復させる方向に変化しているなどフロート下に期待された役割に沿った動きをしている面もかなりある。
しかし,同時に,③Jカーブ効果,国内物価への影響などから,為替レート変化の国際収支調整効果が発現するにはかなりのおくれが生じ,むしろ為替レート変化の直後には国際収支の不均衡や物価格差を激化させるという副作用が生じており,④このような状況のもとで投機活動がさかんとなり,為替レートが著しく大幅に変動し,国際経済を攪乱する大きな要素ともなっている。
一方,レート変化の国際収支調整効果については過去5年の経験は,1~2年のおくれを伴いながらも,貿易収支を均衡化に向かわせるかなりの効果をもっていたとみられるが,効果発現のタイミングや程度には,当該国の景気政策や海外諸国との景気局面,回復テンポの異同によって大きく左右される。
このような点を考え合わせると,当面は,フロート制のもつ長所をなるべく生かしながら,その短所や副作用を極力小さくする努力が必要である。とくに,上記の検討結果から考えると,フロート制の下でも各国,とくに赤字国がインフレの抑制に努めるとともに,各国の事情に応じつつ経常収支が大幅赤字の国では景気抑制,黒字国では拡大に努めるなど,主要国の経済活動状況に,長期にわたって大幅な格差が生じないようにすることが望ましい。