昭和49年

年次世界経済報告

世界経済の新しい秩序を求めて

経済企画庁


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第1章 1974年の世界経済

第5節 世界景気の現局面と展望

これまで述べてきたように,先進国の経済情勢は最近とみに悪化しつつある。高率のインフレがつづくなかで,景気下降ないし停滞がひろまり,多くの国で失業が急速に増加しはじめている。72~73年の好況が主要国の同時なブームであったように,74年には主要国の同時的な景気停滞がおこっている。しかも,石油価格の大幅引上げにより非産油国は2,3の国を除いて軒並みに深刻な経常収支赤字に見舞われており,それを短期間に是正する可能:性も少ない。こうした事情から,一部には1930年代の深刻な不況の再現を怨念する声すらきかれる。

しかしながら,30年代と現在を比較すれば,経済環境において大きな相違が看取される。まず第1に,各国の経済政策が30年代にくらべて格段に進歩している。30年代には,不況時における倒産や失業の発生は止むをえないものとされ,政府が積極的にそれを防止するという意識がうすかった;財政攻策も均衡予算が金科玉条とされていたから,たとえば不況のさなかに増税が実施されたこともあった。ところが第2次大戦後は,完全雇用の維持が政府の最も重要な政策目標となっている。アメリカや西ドイツでは,完全雇用または高雇用の維持が政府の責任であることが法律上明記されて部り,他の諸国においても同様な意識が定着している。また,そのための政策手段も整備されているし,戦後30年間におよぶ経験の積み重ねもある。国民経済にしめる政府部門のウエイトが高まっていることも(アメリカの政府支出の対GN P比率は1929年は約10%だったが,最近は32%前後にも達している)政策の有効性を高める要因である。

第2に,30年代と異なり,今日では年金その他の社会保障制度や失業保険の充実,各種の農家所得保証制度,最低賃金制度など,制度的にも不況抵抗力がつよまっている。このほか,アメリカなどにみられる銀行預金保険制度 も,連鎖反応的な金融パニックの防止に役立っている。最近欧米で為替投機などでいくつかの銀行が破産したが,それが連鎖反応的にひろがることもなかった。その後西ドイツなどでは銀行救済を目的とした相互援助機関が設立されたし,預金保険制度の新設も検討されている。また,投機的な為替取引の防止措置もいくつかの国で強化された。

第3に重要な相違点は,今日では国際協力の必要性が十分に認識され,そのための態勢も整備されていることである。IMF,世銀,ガット,OECDなど常設の国際協議と協力の機関があり,そのほかにも多角的ないし2国間の協力組織の網の目がはりめぐらされている。

石油危機後においても,深刻な国際収支難に悩むイタリアが一時輸入制限措置をとったときに国際的援助により制限措置が緩和されたし,またOECDなどの場で各国とも輸入制限をしない申合せがなされたが,これなども国際協調の発達が30年代の再現を防止した好例であるといえよう。このほかIMFに石油基金が設置されたことや,最近における石油基金の大幅拡張案または新たな石油融資機構設置案などの構想もすすめられつつある。30年代には高関税や貿易,為替制限による輸入制限競争が世界貿易を縮小させ(世界貿易は29~33年間に名目で65%減),世界不況を深刻化させる一因となったこ,とを考えると,まさに隔世の感があるといえる。このような点から考えると,今日の各国は30年代のような世界不況を回避するよう能力を十分に保持しているものと考えられる。

以上のことを念頭におきながら,つぎに主要国を中心に世界景気の現局面と若干の展望を述べてみたい。まずアメリカについてみると,景気後退をひきおこした主因の一つである個人消費の基調はなお弱く,ミシガン大学の消費者動向指数も調査始まって以来最低に近い水準にあり,消費者の購買態度が実質所得減と不況および失業増のために依然慎重であることを示している。住宅投資は既に6四半期にわたって実質で減少しつづけており,着工数や許可数などの先行指標でみても当分の間回復の見込みはな少ない。在庫投貸も既に3四半期減少しづつけているが,在庫圧力や最終需要の弱さからみて,なお減少要因となろう。

さらに,これまで景気の支持要因であった設備投資にも,金融難や景気見通しの悪化などの軟化要因もある。10月発表された投資税額控除率の引上げは,それ自体として投資刺激的効果をもつが,規模も小さく,また法人税の増税という相殺要因もあり,その純効果は,多くは期待できないものとみられる。また,輸出も鈍化傾向にあるなど現在のアメリカ経済には自律的な回復要因はほとんど見あたらず,失業率も10月には6%の大台にのせた。 このような状況の下に金融政策は既に9月以来やや緩和され,短期金利も若干低下しはじめているが,インフレはなお鎮静化せず,本格的な財政金融面からの景気対策はとり難いので当面は,現在のような景気の停滞が続くものとみられる。 イギリスの経済活動は,年初の週3日制による落込みから次第に回復しつつあるものの,まだその力は弱い。賃上げや年金引上げなどを背景として個人消費は回復しているが,住宅建築の低調に加えて上期中堅調だった設備投資が年央以降弱まりつつあり,失業率も次第に上昇してきた。しかも同時に二桁インフレと経常収支の大幅赤字に悩んでいる。こうしたなかで現労働党政権は年央以後雇用維持を重視する方向へ政策を転換して,7月から11月にかけて一連のリフレ措置をとった。しかし,このような一連の政策の成否は,同時にインフレ対策としてとっている社会契約が組合の協力を得られ,インフレ抑制に効果をもつかにかかっており,現在の沈滞から脱けでるのは容易でないとみられる。

西ドイツの景気情勢は最近急速に悪化し,生産と受注の減少,企業倒産の激増,67年不況時を上回る失業増加などの不況現象がみられる。個人消費や設備投資,住宅建築など国内需要の不振に加えて,最近は従来好調だった輸出にもかげりがみえはじめ,10月発表の五大経済研究所の予測では,今冬の失業数は100万人に達する.であろうとしている。75年1月からは大幅な所得税減税が実施されるので,それが個人消費を刺激して景気の下支え要因となろうが,それだけでは景気を回復させるのに十分ではないとみられる。政府は最近ようやく引締め政策の部分的手直しにのり出し,若干の公共投資増加と公定歩合の引下げが行われたほか,近くさらに緩和政策を推進する構えをみせている。物価の落着き,経常収支の大幅黒字に加え,懸念されていた秋の賃上げ闘争も鉄鋼労組が10月末に政府目標の範囲内の9%で妥結するなど明るい材料もあって,景気対策の余地も増大しており,75年の実質成長率は本年実績見込み0.5%を上回るものとみられる。

フランスも,インフレと経常収支赤字の問題を抱えているが,個人消費や設備投資などの需要もまだ比較的つよい。しかし,6月にとられた一連の財政・金融引締め措置の効果が年末から明春にかけて浸透するにつれて,経済活動も次第に停滞的となろうし,アメリカや西ドイツの景気不振の影響も避けられない。しかし,フランスは従来より景気停滞と失業増加に対してとくに敏感であり,西欧諸国のなかでも成長政策を優先する傾向があるので,景気停滞を長く続けることはできないものとみられる。

深刻なインフレと国際収支難に陥っているイタリアでは,当面引締め政策を堅持しており,これまで比較的高水準を維持していた鉱工業生産も8月に前同月を下回るなど,生産の低下がめだちはじめている。また,失業やレイ・オフも急増し,操短に踏み切る企業もふえるなど,景気情勢はここのところ急速に悪化している。

また,深刻な国際収支難をのり切るための借入れも容易でなく,また政情の不安定もあって,イタリアの経済情勢はひきつづききびしいものがあろう。

以上のように先進国の経済は,今後の経済政策の進展に待っところが大でるるが,総じて当分の間停滞を続けるものとみられる。一方,インフレは,一次産品価格の低落,石油価格上昇の影響の一巡という鎮静要因はあるものの,賃金コストの上昇などによってその終息は容易でなく,なお多くの時間を必要とするものとみられる。

こうした景気のひきつづく停滞により,先進国の輸入もさらに鈍化しつづけよう。このため,産油国等を除き,発展途上国の経済も石油輸入価格の上昇による外貨準備への圧迫に加えて,一次産品価格の値下りや先進国向け輸出の停滞を通じ,先進国景気の停滞の影響を一層本格的に受けてくるものとみられる。

以上のように世界景気は当面停滞を続けるとみられる。今後の動きについては主要国の経済政策と国際協力の進展にかかっているが,その点で最近アメリカ,西ドイツ,イギリスなどで慎重ながらも緩和措置がとられはじめたことが注目される。


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