昭和47年

年次世界経済報告

福祉志向強まる世界経済

昭和47年12月5日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第2部 世界の福祉問題

第3章 発展途上国―社会的公正をともなう経済開発へ―

(1) 戦争と人口の激増

発展途上国における生活水準の遅れをみるとき,「戦争や人口の激増がないと仮定すれば,経済問題は解決されるだろう」というケインズの言葉を思い出すのである。戦後は平和であるといっても,それは先進国の話であって,アジアにおいてもアフリカにおいても,ラテン・アメリカにおいても,どこかでたえまなく戦争,内乱,反政府軍活動が発生し,これが経済成長にブレーキをかけ,国民の福祉に直接,間接に打撃を与えていることは否定できない。

もうひとつは人口の激増である。発展途上国の人口増加率は現在のところ年平均2.5%を越すと推定されるが,これは歴史始まって以来の高さで,今や世界の人口36億5,000万人のうち,約7割近くが発展途上国によって占められるにいたった。これは今世紀になって黄熱病,天然痘,ペストが,また第2次大戦後はマラリア病の予防手段が改善されて死亡率がかなり低下した一方で,出生率がいぜんとして高水準を続けているためである。(第3-1図)

したがって,経済開発がすすんだわりには,生活水準の向上に大きく影響する人口1人当たり所得の伸びは小さい。たとえばラテン・アメリカでは,60年代に年率5.5%の経済成長を達成したが,1人当たり所得の伸び率は年率2.4%にとどまった。また,発展途上国の全人口の約35%を占めるインド,パキスタン,スリランカの南アジアの経済成長率は60年代に50年代を上回ったものの,1人当たり所得では50年代の伸び率を下回り,年率1.7%の伸び率にすぎなかった。

一般に,人口の増加は労働力の増加を意味し,先進国ではこれが経済成長を高める基本的要因になるのであるが,そうならないところに発展途上国の悩みがある。

発展途上国の労働力人口は,60年から70年の間に14%増加した。若年令層の比率が大きいところから,ILOの見通しによれば70年から80年までに22.4%増加するといわれている(先進国は11.2%)。この豊富な労働力をいかに生かすかが経済成長ひいては福祉向上の鍵である。戦後多くの国で策定された経済開発計画は,特定の一次産品に頼るモノカルチャ経済から脚却するとともに,概して農業よりも生産性の高い工業の育成に重点をおいた。外貨導入もこの点から奨励されたが,結果的には資本集約的な先進国の機械の導入は,,発展途上国の豊富な労働力を十分に吸収するものでなかっだ。また,そういった高性能機械が導入されても,技術者不足,管理のまずさなどによって十分な稼動率をあげることができない例がよくみられる。香港,韓国のように輸出指向型の工業化をすすめたところは例外として,工業生産が軌道にのるためには,国内で工業製品需要の増大をうながす農業の発展が必要であるが,農業部門自体の発展も遅れている。土地改革が多くの国で実施されたが,中途半端なうえに,肥料や農業機械の普及率が低く,土地生産性,労働生産性は低いままに据えおかれている。

多数の国では,増大する労働力人口に十分な雇用機会を与えることができないため失業の増加がみられる。人口総数に占める失業者の比率を韓国,スリ・ランカ,マレーシア,インドの4ヵ国についてみると,70年まで低下してきている韓国を除き,他の3国はいずれも増加傾向にある。(第3-3図)とくに,都市にあっては,相対的に高い生活水準にひかれる農村からの人口移動もあって,失業者数が増大している。さらに統計にはあらわれない農業部門,サービス部門の相対的肥大化による潜在的失業の状態を見逃してはならない。たとえば,ラテン・アメリカではサービス部門の雇用の伸び率が高く,いまやその比重は日本の場合をはるかに上回っている(第3-2表)。

急激な人口増加は,都市への人口集中をもたらす要因にもなっている(第3-5図)。都市自体で高出生率が維持されたことに加えて,農村での人口増加に対して十分な雇用機会が提供されずに,過剰労働力が都市へ流出することになった。都市と農村間との所得格差が拡大していたことも,都市への人口流入の誘因となっている。

アジア諸国でも,都市化率(総人口に占める都市人口の割合)は,1950年の約15%から70年には21%近くに上昇している。

(2) 所得格差の拡大

国として全体的に貧しければ貧しいほど,経済的不平等はもっとも貧困な階層の生活を苦しくする。1972年のエカフェ年次報告は社会的公正として,富,所得および機会の均等をあげているが,その富の点からみると,土地などの資産の保有状態が著しく片寄っているのが普通であって,これが所得分布の大きな不均等をもたらしている。発展途上国の所得分布は概して上層の所得層にかたよった不均等なものとなっているが,過去におけるいくつかの事例では不平等の増大さえみられる(第3-3表)。たとえば,インドでは,53/54年から62/63年までの間に,所得のジニ係数が農村部でやや低下したものの,都市部では上昇し,所得の不均等は全体としても強まった。また,フィリピンでは,56年から65年までの間に最低所得層の割合は3.7%減少したものの,最高所得層のそれは12.9%増加し,所得のジニ係数は都市,農村部ともに上昇している。

低所得者層に,より大きな被害を与えるインフレについてみると,発展途上国の消費者物価上昇率は,長期的にみて先進国のそれよりも高い(第3-4表)。とくに,60年代前半,農産物生産が伸び悩み,食糧品価格の上昇が著しく,低所得者層にとって大きな負担となった。

近年,都市と農村との地域間の所得格差が増大している。工場建設や社会サービスの関係の政府支出は,都市とその周辺にかたよっているため,就業機会は比較的多いし,それに教育程度からいっても都会の賃金は高いのが普通である。さらに根本的には,農業部門における生産性の向上の遅れが,都市と農村との所得格差を増大させている。タイの場合,都市の家族所得に対する農村の家族所得の比率をみると,1962~63年は42.5%であったが,70年は40.8%に低下している。フィリピンでも,65年の調査によれば農村の家族の平均所得は,都市の約半分にすぎなかった。パキスタンの1963~64年度調査によると,それが1.7%と極端に小さい。

(3) 社会サービス支出の不足

国民の生活水準を向上させる上で,重要手段ともいえる政府の社会サービスをアジア諸国についてみると,これに対する政府資金の配分は最近増加している。人口規模の比較的小さい国では,政府支出全体に占める社会サービス支出の割合は概ね25%以上であるが,国によっては3分の1を上回っている。他方インド,パキスタンではかなり低い割合となっている。

政府による社会サービス支出の内訳をみると,ほとんどの国で社会支出の50%余りを教育に向けている。これに対して,保健支出はたいした増加もなく,低下している国さえみられる。その他の社会サービス支出は一般に貧困のための住宅補助金とか,社会保障支出などとされているが,この支出の伸び率は保健支出の伸び率より,さらに低い(第3-5表)。

最近の発展途上国では,何らかの形で社会保障制度の導入をはかっている国がふえてきている。しかし,GNPに占める社会保障支出の比率は近年高まっているとはいうものの,先進国に比べて依然として低い(第3-6表)。

(4) 生活水準のたち遅れと生活環境の悪化

経済成長により発展途上国の生活水準がどれだけ向上したかを測定することはかなり困難である。ここでは,主に栄養水準,住宅事情,保健衛生状態についてみよう。発展途上国の国民の多くは程度の差はあれ,今なお栄養不良に悩まされている。栄養水準の向上は緩慢で,先進国と比べてみると,1人当りカロリーやたん白質摂取量に大きな格差がみられる。FAOによると,アジア諸国が必要とする1人当りカロリー供給量は1日最低2,300カロリーであるが,これを上回る諸国は,台湾,韓国,マレーシアにすぎない。

たん白質の摂取量ではいずれの国も先進国の水準にはるかに及ばないし,また,人口の増加が著しいインド,パキスタンでは戦前の水準をも下回っている。

いま,栄養に関連のある3つの指標をとって,40年代末に比べて栄養水準がどの程度改善しているかをみると(第3-6図)。日本の栄養水準の改善が著しく,これを上回っているのは台湾だけであって,インド,パキスタン,スリ・ランカなどでは改善はとくに小さい。発展途上国全体の栄養水準はやや改善してきているものの,依然として低水準にある。

住宅事情をみると,絶対的な住宅不足に加えて老朽住宅などが多い。それに住宅投資の大部分が低コスト住宅の建設にまわらずに,民間による高級住宅に向けられるため,貧困層の住宅事情は悪化の一途をたどっている。インドの都市における住宅不足は,1951年の280万戸から69年には1,190万戸へと4.2倍に増えている。

保健衛生の分野では各種の疾病を拒絶し,大きな成果をあげている。しかし,一般的な医療,保健については進歩が遅く,たとえば病院ベット1台当りの入口と医師1人当りの人口とをみると,大きな改善はみられず,むしろ悪化している国がある。

栄養,住宅,健康の各項目に最も関連のある三つの指標から生活水準をみると,住宅の格差が先進国に比べて大きい。栄養については,東南アジア諸国の水準がとくに低い。総合指標からみると,中南米諸国に比べて東南アジア諸国の生活水準が低く,なかでも,インド,ノくキスタン,スリ・ランカが特に低い(第3-7表)。

生活水準は,環境条件によっても左右される。WHO(世界保健機構)の推計によると,発展途上国の人口のうち,良好,あるいは割合良好な水の供給を受けているものは11%にすぎず,残りの89%は不十分な給水状態におかれている。下水設備や汚物処理などの施設も不十分である。

国連人間環境会議での発展途上国のレポートによると,人口の都市集中によってさらに生活環境が悪化してきていると述べている。また,これが先進国にみられるような住宅不足犯罪発生,交通渋滞といった現象をひきおこしている。

なお,国連の推計によれば,1960年から80年までの間に発展途上国の都市人口は2.27倍増加して7億3,000万人になる。同期間の先進国の都市人口の伸びは1.47倍と予想されているので,80年には発展途上国の都市人口が先進国の都市人口を上回るものとみられている。

(5) 新たな経済発展を求めて

以上のように発展途上国では,経済成長の面である程度の成果をあげているにもかかわらず,人口の急増,都市化の進行,失業の増大,所得分配の不均等,インフレの高進に直面して,所得水準の向上が十分でないまま生活環境が悪化してきている。

従来の開発政策は,すでに指摘したように工業の育成を中心としていたため,農業の発展が遅れがちであった。今後はこの面に配慮を加える必要があろう。これは一方で飢餓を救い,他方で農村社会の雇用,所得増大によって工業の国内市場を拡大することになる。また,工業については労働集約的産業の振興が雇用効果を高めよう。こういった産業政策と平行して教育投資などの社会サービス部門を充実し,生活水準の向上をはかることは長期的に経済成長を達成するうえできわめて重要である。

国民のすべての階層が経済的,社会的進歩の機会をえられるような制度改革はぜひとも必要である。土地保有制度,身分制度のほか,慣習,宗教,人種問題などの社会的,制度的要因が経済開発を妨げる大きな原因になっている。とくに土地改革の不徹底が農業の近代化を遅らせたばかりでなく,公正な分配を阻んで農業の開発過程への積極的な参加意欲を減退させている。

財政政策についてもこれまでは十分所得再配分効果をもたらさなかった。

それは①間接税中心であったこと,②多くの財政上の優偶措置があって高所得層に有利に作用したこと,③脱税があったこと,などによる。今後は資産の集中的所有を是正するような資産保有限度制,累進的直接税など所得格差の是正を狙いとした所得再分配政策を進めていくことが重要である。

発展途上国にとっての福祉は経済成長の一語につきるが,そのさい所得分配の公正を図り,経済的,社会的進歩の機会のための制度改革といった社会的不公正を解消するような政策措置が必要であろう。「経済成長」は単なる産出量の増大を意味し,「経済発展」は制度的変化をおりこんだ場合を意味する。したがって,社会的公正を実現しつつ経済成長をはかるという考えは経済発展を福祉の面からとらえたといいうるだろう。

第3-2図 世界人口のすう勢

第3-1表 発展途上国におけるGNP1人当りGNPの伸び率

第3-4図 都市と農村における失業率