昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
転機に立つブレトンウッズ体制
1971年8月15日に発表されたアメリカの新経済政策は,世界各国に津波のような衝撃を及ぼした。それは4半世紀前にアメリカが主導して作り出したブレトンウッズ体制のルールをみずから放棄するに等しい行為であった。枠組みを破壊されて,世界経済はいま戦後最大の転機に立たされている。これからの世界経済はどうなるのであろうか。
ブレトンウッズ体制は,戦後の世界経済を支える枠組みとして,1930年代のブロック化による世界経済分断という苦い経験に対する反省に立って,先進自由主義国の協調の中から生み出された。それは,自由貿易を通じて経済成長と完全雇用を達成することを目的とし,国際通貨基金(以下IMFと略す)と関税および貿易に関する一般協定(以下ガットと略す)を二つの柱としている。ここでIMFは,各国為替の安定,為替制限の撒撤,資金の貸与などを通じて安定的な国際通貨体制を確立することをねらいとし,ガットは自由,多角,無差別の原則を基本理念に,貿易自由化と関税引下げを通じて直接的に国際貿易を促進することを目指している。
こうした普遍的な理念をかかげて発足したブレトンウッズ体制は,しかしながら,現実にはアメリカの圧倒的な経済力の支えを必要とするシステムであった。すなわち,IMFは,アメリカの国内法によって金に裏づけされたドルを中心に運営されなければならなかったし,ガットによる貿易自由化,関税引下げもアメリカの強力なリーダーシップの下で推進されて来たのである。
いまブレトンウッズ体制が危機に瀕している第1の原因は,そこで中心的な役割を果たしてきたアメリカの相対的な力が戦後一貫して低下してきたことにある( 第1図 )。しかも,アメリカの地位の低下は,最近とみに加速化している。すなわち,統合を進めながら経済力を伸ばしてきた西欧では,イギリスの加盟が決定し,ヨーロッパ,アフリカにまたがる一大経済圏がさらに拡大されようとしているし,アジアでは日本が驚異的な高度成長を遂げている。それに対してアメリカは生産性向上で西ドイツ,日本など主要競争相手国に遅れをとり,両者の間でインフレ格差は最近ますます拡大している。こうして先進自由主義圏の経済は明らかに,アメリカ中心の姿から,アメリカ,西欧,日本の三極より成るそれに変化したといえる。それに対応して一国だけの圧倒的な経済力に事実上頼ってきた制度は当然問い直されざるを得ないのである。
このような多極化現象は,先進自由主義圏にとどまらない。発展途上国も経,済開発の中でしだいに国際的な発言権を強め,それが一般特恵制度の成立に反映した。また,石油産出国は,石油輸出国機構(OPEC)に結集して,世界貿易の大宗をなす石油の価格引上げに成功した。他方,ブレトンウッズ体制の外にある共産圏では,ソ連を中心にコメコンの統合が前進しているかたわら,長い間孤立させられていた中国がついに国際社会へ復帰することになった( 第2図 )。
原因の第2は,各国で完全雇用政策が定着し,1930年代のような大不況が避けられるようになった反面,持続的なインフレがいずれの国の経済構造にも根を下すに至ったことである。しかも,生産性や賃金の上昇率などを決定する経済社会構造や政策目標として物価安定を重視する度合いは国ごとに異なり,それが各国のインフレ速度に定常的な格差を生じさせた。IMFの調整可能な固定相場制の運用が現実に円滑に行なわれなかった上に,こうしたインフレ格差が発生すれば,それは各国の対外不均衡を拡大する力となって働くのである。
ブレトンウッズ体制を揺り動かしている第3の原因は,ブレトンウッズ体制の下で主要国の実体経済が相互に緊密に縫い合わされてきたにもかかわらず,各国の政策の相互調整が十分に行なわれなかったことである。ガットが貿易自由化を推進し,OECDなどが資本自由化を推進した結果,主要国の経済は「もの」と「かね」の両面で著しく緊密化され,ブレトンウッズ体制の目的が達成されつつある反面,それが世界経済の条件を変化させることとなった。このような各国経済の緊密化は,ユーロダラー市場や多国籍企業の出現を招来した。
こうして主要国経済の相互依存関係が大幅に高まった現在,ある一国の国丙政策の影響は直ちに他国に伝播し,影響を受ける国の国内均衡を乱したり,その国の政策を無にしたりするのである。このような事態に対処するために,主要国は国際協調の見地から,お互いの国内政策を相互に調整する努力を重ねてはきた。しかしながら,国内の不均衡が異常に拡大した場合には,国際協調のために対外均衡を重視して国内均衡を犠牲にするのはきわめて困難になる。
内外均衡の矛盾は,アメリカの肩に最も大きくのしかかっていった。1960年代の後半からベトナム戦争が拡大し国内の需要管理が失敗する中でインフレが加速化し,国際収支が悪化した。その解決を図るための急激な引締め転換は失業を著しく増大させただけで,インフレも国際収支の悪化も収まらなかった。失業減少のために再度拡大政策に転じた後は,基軸通貨国としてドルの信認を支える手立てはほとんど打たれなかった。こうした中でしだいに投機的要因が強まり,ドルの大量流出が続き,国際収支の赤字が未曽有の規模に達することが判明するにいたって,ついにアメリカは内外両均衡の回復を図るために,対外面では均衡回復の責任分担を一方的に相手国側に押しつけたのである。
アメリカがドルと金の交換停止措置により自国通貨の為替安定義務を放棄した以上,非基軸通貨国の側も主要国がいっせいにそれを放棄して変動相場制に移行し,ここにIMF体制の基本原制の1つである固定相場制度は,一時的にもせよ,崩れ去ったのである。一方,輸入課徴金や国産設備の税制上の優遇措置などは,ガットの自由貿易の大原則に逆行するものであり,貿易相手国側での報復措置など連鎖的な協定離脱現象をひき起すことがおそれられている。
こうして,戦後の世界経済の成長と発展を支えてきたブレトンウッズ体制は,いま最大の転機に立たされている。
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本報告は,以上のような問題意識に立って,最近1年間に起った世界経済の主な事象を体系的に分析しようとするものである。すなわち,まず第1章で1971年の世界経済を回顧することによって,景気のずれが国際通貨体制の,それまでに累積したひずみを破滅的に増大させたことを指摘したあと,第2章では,金ドル本位制の崩壊をあとずけ,その支えの上に機能していたIMF体制を問い直す。ドルの信認低下の最大の原因は,アメリカとその他の主要国との間におけるインフレ速度の差によってアメリカの国際収支に傾向的な不均衡が生じたことにある。そこで第3章では,アメリカのインフレ動向とそれが固定平価制度の下で国際的に波及したことをとりあげるとともに,あわせて各国のインフレ問題およびその対策を分析する。次に第4章は自由貿易へ前進する流れと逆行する流れが渦巻く世界貿易の潮流をこの1年間の主なトピックにあわせて眺めるとともに,ガット体制との関連を論ずる。そして第5章では主要国個々の国民経済が現在,国内均衡,対外均衡といった点からみて,どのようなポジションにあり,どのような政策がとられているかを概観する。