昭和45年
年次世界経済報告
新たな発展のための条件
昭和45年12月18日
経済企画庁
第2部 新たな発展のための条件
第2章 先進国におけるインフレの高進
世界的なインフレが高進するなかで,各国はそれぞれ,金融,財政などいろいろな政策を用いてインフレの抑制に努めてきた。今回のインフレが,基本的には1960年代を通じて各国がとってきた完全雇用政策などの結果,様々の面で経済体質が変化してきたことにあることは前述したとおりであるが,それにつれて,インフレ対策もさまざまに変化し多様化してきた。
これまで,インフレ対策としてとられてきた政策はほとんど総需要抑制政策であって,この点は今日でも変らない。しかし総需要抑制政策の運営が,外貨管理の問題もあって従来のような金融政策一辺倒から,財政政策をあわせたポリシーミツクスへと移行してきたことは注目される。これは1965年の西ドイツや,67~68年のアメリカなどのように,金融引締めと財政赤字が並存したために,需要抑制効果が相殺されて,物価上昇を加速化させたような苦い経験に対する反省であろう。インフレ対策としての金融政策は,財政政策にくらべれば,はるかに機動的であるが,その効果は総需要を直接的に抑えることのできる財政政策に比して,間接的な効果しかないといわれている。これに加えて,最近のユーロダラー市場の発達などにつれ,金融引締めによって国内金利をあげて,国内流動性を抑えても,高金利を求める短資が流入してくるため,金融政策の運営はますます困難を増している。そのため,このような点を補うべく銀行貸出の直接的な規制や短資流入規制措置などの対策が加えられて,金融政策自体も多様化をみせている。また,財政政策については,それを比較的早くから活用してきた国としては,イギリス,オランダ,スカンジナビア諸国などがあるが,その他の諸国では,これまであまりとられたことがなかった。それは財政政策の変更が議会の審議と承認を必要とするため短期的なインフレ対策としては機動性が乏しいこと,財政が硬直的になっていること,さらには増税などにみられるように政治的な問題がからんでいることなどのためである。たとえば,アメリカでは,インフレ対策として増税の必要性が強調されてから,実際に増税法案が成立するまでに2年近くもかかっている(66~68年)。また西ドイツにおいても65年の景気過熱時に財政緊縮の必要性があったにもかかわらず,選挙の年に当っていたことなどから財政支出の増大や減税が実施されて過熱をあおる結果となった。このため政府が自由裁量権をもって,自主的,機動的に財政措置をとれるような方策が講じられ(イギリスのレギュレーターや西ドイツの経済安定,成長促進法など),前述したような金融政策とあわせたポリシーミツクスをとって,総需要管理政策の慎重な運営を図るようになってきた。
しかし,コストインフレ的色彩が濃い場合には,このような総需要抑制政策だけでは,その効果は不充分である。それはこのような場合に総需要抑制政策だけで大きな効果をあげようとすると,景気の大幅後退,大量失業を招くことによってしか望めず,そうしたことは現在の政策理念から,とうていとりえない。不況を伴わずにインフレを抑えることこそ,多くの諸国が求めている対策であるが,その反面,おだやかな抑制政策しかとれないという点を見越したインフレマインドの浸透が,かえって逆にインフレの高進を呼んでいる場合も多い。
最近のアメリカやイギリスにおける景気後退下のインフレの現象の中にみられる賃金コストの上昇は,タイムラグ的な面もあって,必ずしもコストインフレだけであるとはいえないが,その面が強まっていることは否めない。
これは総需要抑制政策の限界を示したものであるとみられ,現にアメリカではインフレ警報を発表して,広い意味での所得政策が必要であることを示唆している。所得政策を戦後早くから採用してきた国はオランダであるが,その他の諸国では,60年代に入ってから,徐々に断続的にとられるようになったにすぎない。所得政策の実施方法をみても,アメリカや西ドイツなどのように一般的な目標を設定するだけのものから,オランダの63年以前のもののように法律による規制を伴ったものまでさまざまである。しかし,最近の傾向としては所得政策実施のむづかしさから政府の直接的介入よりは,もっと軽い説得的,世論喚起的なものへと移っているようである。所得政策にまつわる困難性については,ガイドラインの設定の一つをとってもどのようなガイドラインが適切であるかについて,意見の一致が困難であることや,法的規制で一時的に所得を抑えても,協定外賃金の上昇は抑えられず,ひとたび規制が除かれると反動的に大幅な所得上昇が起りがちであること,インフレ過程における企業の価格安定についての責任があまり強調されていなかったことなど種々の要因が考えられる。また,所得政策は物価安定という観点から賃金のみならず,価格もしたがって利潤をも政策的に何らかの形で規制しようとするものであったが,従来の例では賃金規制にのみ重点がおかれる傾きもあり,それが労働組合の不信を招くこともあった。いずれにしろ所得政策は個別の経済主体の利害に深刻にかかわりあっている問題だけに国民的合意が成立しにくい事情があったといえよう。これまでのところ,所得政策に対.する評価も賛否両論まちまちで定まっていないが国民的合意を得ることによって,所得政策が有効に活用できれば,コストインフレに対して有力な対策となりうるものと思われるところから,最近これを再評価しようとする動きもみられるようになった。
また貿易対策や構造対策もインフレ傾向を抑制する効果が大きいが,これは国によってかなりの差があるものとおもわれる。貿易対策としては,これまで比較的とられてきたのは関税引下げであるが,それも引下げの時点での効果はあるが,永続的なものではなく非関税障壁の撤廃にいたっては,あまり行われていない。
また,インフレ対策としての面からみても国際分業の必要性に対する認識が充分進んでいるとはいいがたい。
さらに国内の構造対策としても,積極的労働対策はアメリカ,イギリスをはじめとして,かなり重視されているが,競争制限の緩和や流通機構の合理化などは,これまでのところあまり有効的に行なわれてきたとはいえない。
このようなインフレ対策の採用を困難にしているのは,60年代を通じて国際的にも国内的にも資源再配分に対する充分な配慮のないまま完全雇用を目的とした高度成長策が推進されてきており,これに対応して各種の利益団体が力をましてきたことにあるのではないかとおもわれる。たとえば,上述したような非関税障壁の撤廃を困難にしている原因も,国際的な比較優位性に対する配慮が不十分なまま農業その他の産業を保護してきた結果,つまり景気対策や農業所得維持などの国内均衡を優先させる政策をとってきた結果,農業その他の利益団体が影響力をましてきたことにあるのではなかろうか。
先に述べたように財政が弾力的に運営しにくいのも,国内総需要拡張政策が,種々の政治上・経済上の利益団体の力を強めてきたことによるのであろう。このようなことは,OECD筋などが所得政策に関して中期経済計画や所得配分,社会保障制度,低所得層の地位向上といった問題と関連させて,労使双方が適切な議論をたたかわすことが望ましいとしていることからもうかがえよう。
以上のようにインフレ対策の変遷を考えると,経済の体質がインフレをひき起こしやすくなっていることと関連して,その対策は,ますますむずかしくなっていることがしのばれ,インフレ抑制への道はまだまだけわしいものがあるのではないかとおもわれる。