昭和44年
年次世界経済報告
国際交流の高度化と1970年代の課題
昭和44年12月2日
経済企画庁
第2部 世界経済の発展と国際交流の増大
第2章 資本移動の増大
社会主義圏の内外を通ずる資本移動も,圏内諸国間および東西間の経済関係の進展に対応して態様が変化し,その形態が多様化しつつ次第に活発になってきている。すなわち圏内における資本移動は,1950年代には主として経済発展の遅れた諸国の工業化に対してソ連から援助が行なわれたが,各国の経済水準が向上するにつれ,50年代後半になって東欧諸国間あるいは東欧諸国からソ連に対する共同建設資金の供与という資本移動の新しい形態が出現した。また東西間でも,社会主義諸国の経済力の増大を背景に,50年代央から低開発国援助として東から西への資本移動が始まり,また東西貿易の進展と西側の資本財輸出の伸長にともなって,50年代末ごろから輸出信用形態を通じて西から東への資本移動が開始された。さらに東西の経済関係が貿易からより広範囲な産業,技術協力へと深まりつつある近年においては,東側諸国内における工場建設あるいは開発プロジェクトに対する西側の協力という新しい形態の輸出信用が行なわれるようになった。
このような社会主義圏内外を通ずる資本移動の新形態の発生と多様化は,ここ数年間にみられるようになった傾向である。
圏内の資本移動は50年代のソ連の本格的な経済援助として始まり,圏内諸国に対するソ連の援助額の累計(借款,技術援助,輸出信用をふくむ)は100億ルーブルを超えるといわれている(公定換算率0.9ルーブル=1米ドル)。しかし,この援助開始に先立ってソ連は東欧諸国およぴ中国から,いわば資本の一方的移転収用を行なった。これは経済的な資本移動を意味しないが,ソ連は戦後の済済復興に際してこれらの資本収用にかなり依存しできたことは事実である。この時期を加えて戦後における圏内の資本移動は,①戦後処理期の圏内諸国からソ連へ,②圏内再編成期の主としてソ連から圏内諸国へ,③圏内経済統合期の各国間における資本交流という,3つの時期と異なった移動形態に分けてみることができる。
1)戦後処理期
この時期にソ連は東欧諸国および中国から,賠償,占領費の賦課,施設の撤去,合弁会社による各国の生産設備の利用など,種々の形態で現物をふくむ資本の一方的収用を行なった。
まず戦争直後からハンガリー,ルーマニア,東ドイツなどには賠償と占領費が賦課され,後に賠償の一部軽減があったもののその負担は少くなかった。また中国をふくめた各国からは,「敵国資産」として生産,輸送施設などがソ連圏内に持込まれたばかりでなく,ルーマニア,ハンガリー,中国などでは接収した「敵国資産」を母体として,ソ連との間に合弁会社が設立され,窮極的にはソ連によって利用された。
以上のような多様の形態で行なわれた各国からの資本収用額は,東欧諸国のみでも現在価格で評価して,150~200億ドルに達すると推定されている (アメリカ議会上下両院合同経済委員会報告書“New Direction in the Soviet Economy,1966”)。
2)再編成期
ソ連が債権国へ転化する契機となったものは圏内諸国の工業化に対する長期経済援助(借款,技術援助,輸出信用をふくむ)である。それ以前にも戦後復興のために緊急援助(短期借款)が行なわれ,また各国の外貨不足を緩和して西側からの原料,設備の輸入を可能にするために外貨融資(金または交換可能通貨)が行なわれたことがある。しかし本格的な長期経済援助が集中的に実施されるようになったのは,戦後復興とくに工業化の時期であった。
戦後,東欧諸国および中国は経済復興を一応終え,1950年前後から一せいに5~6カ年の経済計画を実施して重工業優先の工業化を進めた。これに対し,ソ連は長期経済借款(原則として年利2%,元利支払いは債務国の伝統的商品による)を供与した。
経済復興期から工業化の初期にわたって供与されたソ連の借款は,総額40億ドルと推定されており,これは東欧諸国ないし中国にとってもそう大規模なものとはいえないが,各国の工業化に対する寄与率はかなり高かったと思われる。ソ連の借款の東欧諸国および中国の固定投資総額に占める比率は,ブルガリア(48~56年)が27%と大きかった1ほかは,ハンガリー(47~57年)で約4%(工業投資の約10%),ルーマニア(50~57年)で約6%(工業投資の10%),ポーランド(50~57年)約2(工業投資の約5%),中国(50~57年)で8%程度であった。
また,こうした借款供与額のほか,技術援助および輸出信用をもふくめた長期資本の移動状況は,ある程度貿易関係にも反映している。元来社会主義圏内の各国間の貿易は,二国間の清算勘定を通じてルーブル建で決済され,原則として出超が生じた場合に入超国側が追加輸出することによって輸出入の均衡がはかられ,外貨または金による現金決済は行なわれない。1964年にコメコン銀行を通じて振替ルーブルによる多角決済制が設定されてからも,実質的には多角決済よりもまだ二国間決済が多いとみられている。
ところで,圏内の長期経済援助とその返済は,原則として現金ではなく商品の形で行なわれるので,借款供与の実施は援助国の出超要因を,返済は入超要因を招くことになる。
この意味から貿易収支においても,数年にわたって入超なり出超なりが続くということは,援助の実績あるいは返済状況を反映しているといえるのである。試みに第41図によりソ連の東欧諸国および中国に対する貿易収支をみると,中国の場合は,56年を境に中ソ対立がもたらした借款供与の打切りと返済開始がはっきりと貿易収支に反映している。東欧諸国では,東ドイツとポーランドが最も多額の援助をうけ,とくに東ドイツの場合60年代初期に集中しており,ハンガリー,ブルガリアも小規模ながら一貫した援助をうけている。チェコとルーマニアはほとんど見るべき援助をうけていないばかりでなく,チェコでは,50年代後半に入って援助返済が始まり,またソ連に対して原料資源開発のための借款供与が開始されている。このようにソ連の援助は,中国に対する援助打切りやハンガリー事件後の同国への援助にもみられるように,政策的要因に支配される点が多かった。
3)経済統合期
各国の工業化は50年代後半にばすべて全面的,平行的に行なわれたが,比較的経済規模の小さな東欧諸国では全面的,平行的工業化の不合理性が目立ってきた一方,工業化の進展によって,原料,エネルギーを確保することの重要性が新たな問題となってきた。そしてこれに対応することがコメコンの課題となった。つまり一方では平行的な工業化にかわって,規模の経済性を生かすコメコンの分業,とくに機械工業,化学工業における生産の専門化と協業化をはかり,他方ではコメコン内のエネルギー・バランスの改善,ソ連を給源とする共同の送電網や石油パイプラインの建設,さらには原料資源の共同開発が行なわれるようになったのである。
原料資源の共同開発については,東ドイツ,チェコがソ連やポーランドに対し,50年代の後期から共同開発のための借款を供与することになった。そして原料輸入国が原料輸出国に対して開発資金の一部を負担し,その見返りには生産物を受取るという「生産分与方式」がとられている。「生産分与方式」の主要なものを列挙すれば第50表のようになる。
なお経済統合期におけるコメコン域内の資本移動は,各国の原料資源共同開発からさらに進んで最近ではコメコン機構を通じての共同投資に発展しようとしている。それは69年4月の第23回コメコン総会に提案された「投資銀行設立案」によく示されている。ただ資本移動形態については輸出超過国の振替ルーブルによるか,あるいは硬貨によるかは不明である。いずれにせよコメコン投資銀行が域内の国際投資機関となって,域内の交流を活発化させることは間違いなかろう。
社会主義国の経済の高度化と東西関係の深まりにともなって,東西間の資本移動も単純な延払による輸出信用形態から,広範囲な産業,技術協力と結びついた延払方式に多様化しつつある。これは,圏内諸国が技術進歩の必要上,西側から資本財を中心とする商品,技術の輸入を拡大し,西側も資本財の輸出市場を確保する意欲を増大させて,東西間の産業ないし技術上の協力が,政府間あるいは企業間において活発化しているためである。すでに50年代末から60年代初にかけて,西側諸国は社会主義諸国向け総合プラントの輸出信用の供与に踏み切り,ある場合はこの期限はさらに長期化することもあった。しかし,ソ連は延払期限,輸入機種の選定,金利などの諸点に不満をもち,こうしたソ連側の要請と西側の輸出市場拡大の意欲とが重なって,64~66年にかけて,イギリス(期限15年),フランス(期限10年),イタリア(期限14年)など輸出信用の増額と期限延長とが実現した。これによってソ連は短期間に総額9億ルーブルを上回る銀行借款を受けることに成功した。しかもソ連は66年以降金の売却を行なっておらず,またOECD諸国との貿易収支では黒字が累積(第51表参照)して,近年外貨ポジションは著しく好転した。このためソ連の輸入力はかなり増大したとみられる。
ソ連に比べると東欧の外貨ポジションは悪い。OECD諸国との貿易は慢性的な赤字で,常に外貨不足に悩まされている(第51表参照)。しかも66年以降は,先進国からの輸入が急増し,赤字幅は著しく拡大した。このことはソ連の場合と考え合わせると,延払によるプラントの輸入が急激に増大したことを示唆している。一方,中国では63年以後増加しつつあった西側からの延払によるプラント輸入は,文革の影響をうけてこのところ停滞している。
このような西側の輸出信用の増額や期限延長と並んで,最近東西間に合弁企業が現われてきたことは特筆に値しよう。これらの産業・技術援助にともなった輸出信用と,合弁企業にはおおよそ次のような事例がある。
① 単純な延払ではなく,西側の総合プラントを輸出信用によって輸出し,技術的にも協力しつつ社会主義圏内に新工場を建設するもので,イタリアのフィアット社とソ連の協定(年産,乗用車60万台の新工場)およびフィアット社とポーランドの協定(年産,乗用車7万台の新工場)などがそれである。
② 西側による資源開発のための設備資材の延払輸出と生産物の輸入とを結びつけた共同開発方式で,その例としては,日本とソ連との間に68年7月に調印されたシベリア森林開発がある。
これはシベリア開発に関する日ソ協力の第一歩として注目されている。
③ 西側諸国内に設立されて資本主義市場で製品を販売している東西間の合弁企業で,現在スイスに設立されたブルガリア,イタリアの合弁企業(機械),西ドイツにあるポーランド,西ドイツの合弁企業(機械販売)などがある。また最近日本の企業とソ連,ルーマニア,ブルガリアの諸機関との間に合弁企業の設立ないし資本参加の協定が成立した。
以上のように世界の長期資本移動は,60年代に入って世界的な広がりをみせつつ増加テンポが高まっている。なかでも高成長の先進国市場を目ざして直接投資が著増しているのが大きな特色であり,南北間でも60年代後半に入り市場拡大と低開発国の工業化のための資本移動が増大してきた。また東西間でも輸出信用の拡大と多様化を通じて西から東への資本移動が活発となっている。こうして資本面の国際的相互依存関係がこのところ大幅に深まってきている。