昭和44年
年次世界経済報告
国際交流の高度化と1970年代の課題
昭和44年12月2日
経済企画庁
第1部 1969年の世界経済の特色
第2章 世界的なインフレの進行とその特色
世界的なインフレの高進を反映して1969年は世界的な高金利時代を再現した。すなわち,1968年12月にアメリカの公定歩合が引上げられたのを契機として多くの国で公定歩合の引上げや市中金利の上昇が相次ぎ,ユーロ・ダラー金利も上昇するなど,高金利の波が世界的に広まった。こうした世界的な高金利は最近では1966年にもみられたが,今回の高金利はそのきっかけが66年当時と同じく,世界の金利主導国であるアメリカの公定歩合引上げによるものであったとはいえ,種々の点で従来とは違った特徴をもっていたようである。
それはまず第1に金利水準が歴史的にみても高い水準に達したごとである。
アメリカの公定歩合は,68年12月についで,69年4月にも引上げられたが,その結果,第2次大戦後10年間の1~2.5%を著しく上回ったばかりでなく,66年の4.5%をも上回り,192,9年以来の高水準となった。この公定歩合の著しい引上げに対応して,市中金利も上昇し,フエデラル・フアンドの利子率は,69年8月には9%を越え,財務省証券レート(3カ月もの)も7月には7%台に達した。いずれも,前回引締め時のピークである66年11月の5.3%を大幅に上回り,歴史的にみても最高の水準となった。
このような特徴はアメリカ以外の国においてもみられた。西ドイツ,フランスでは公定歩合が数回にわたり引上げられた結果,その水準はともに第2次大戦後最高の6%,8%に達し,その他の国でも公定歩合,市中金利が歴史的な高水準を記録したものが多かった。
また,国際金融市場においても金利は異常な高水準に達した。ユーロ・ダラー金利(ロンドン,3カ月もの)は,69年6月に12%の高水準を記録し,その後も10~11%で推移しているが,これは6年秋の7%を著しく上回り,ユーロ・ダラー市場が50年代後半に出現してから最高の水準となった。
今回の高金利にみられた特徴の第2は,上述のような,金利水準の上昇が極めて多くの国々で起ったことである。これほど多くの国で金利が上昇したのは第2次大戦後はじめてのことである。68年12月にアメリカの公定歩合が引上げられたのち,69年10月までの間に,主要12カ国ではいずれも公定歩合が引上げられ,その回数の累計も29回に達した。すなわち,68年12月にベルギーカナダ,オランダがアメリカに追随して直ちに公定歩合を引上げたほか,イギリス,西ドイツ,フランス,イタリア,スエーデン,デンマーク,スイス,オーストリア,日本などで,1回または数回にわたって公定歩合が引上げられ,69年4月にはアメリカの公定歩合の再引上げも行なわれた。このような,今回の公定歩合引上げ状況は,66年当時の8カ国10回をはるかに上回ったものであるばかりではなく50年以降をとってみても,例をみないものであった。
以上のように,この1年間,これまでにないほどの世界的な高金利が実現したのは,基本的には前述したように,アメリカやヨーロッパ諸国が景気の過熱を防止するために公定歩合を引上げたことによるものであったが,そのほか次のような要因が拍車をかけたことに注意しなければならない。
その第1は,巨大化したユーロ・ダラー市場を通じて主要国の高金利が他の国々にスパイラル的に波及したことである。アメリカでは公定歩合が引上げられた半面で,預金の最高金利が1968年4月に6.25%へ引上げられたまま据置かれたため銀行の預金集めは困難となり,銀行の資金状態は悪化した。
このためアメリカの銀行のヨーロッパ支店を通じてのユーロ・ダラー取入れは第14図のように急増し,69年第1四半期には11億ドル,第2四半期には36億ドルに達し,前回引締め当時のほぼ1年分をはるかに上回った(1966年中の取入高は27億ドル)。とくに6月の取入れは34億ドルにも達した。
このような,アメリカのユーロ・ダラー取入れの急増は,ユーロ・ダラー金利の大幅な上昇をもたらし,ヨーロッパ諸国の国内金利との開きが拡大した。その結果,ヨーロッパ諸国の国内資金が金利差を求めて大量にユーロ・ダラー市場に流出し,国内金融市場のひっ迫,国内金利の上昇がもたらされたため,西ドイツ,イタリア,ベルギーなどのヨーロッパ諸国はユーロ・ダラーを還流させるための措置を採用し,これがさらにユーロ・ダラー金利を上昇させた。
また,長期性ユーロ・ダラーを使用するユーロ・ボンドの発行もアメリカの高金利をヨーロッパに輸出する媒体となった。アメリカ企業は65年2月のドル防衛措置によって海外直接投資を規制されたため,ヨーロッパ資本市場において起債し,長期資本需要を満たすようになり,68年1月さらに直接投資規制が強化されるに及んで,ユーロボンド起債総額は年間20億ドルを越えた。こうした大量需要によって金利は上昇し,一部ヨーロッパの借り手は起債の繰延べを余儀なくされた。1969年上期にはアメリカ企業の起債はゆるんだが,これまで圧迫されていたヨーロッパ諸国や日本の起債が増大し,需給関係はさほど緩和されなかった。
以上のような,アメリカの高金利がユーロ・ダラー市場を通じてヨーロッパ諸国に波及するという過程は66年当時もみられたことであるが,今回は,これがさらにユーロ資金のとり入れを通じてアメリカに逆輸入され,一種の国際的な金利スパイラルがおこったなどの新しい現象が生じた。これはユーロ・ダラー市場の規模が,66年の16億ドルの2倍近くにまで拡大し,国際金融に占める地位が著しく高まっていることやアメリカの取入れが著しく増大したことなどのために,66年当時とは比べようがないほど大きい波及を起したのである。
1968~69年の世界的な高金利が66年当時以上の水準と国際的波及を示した第2の要因は66年当時はみられなかった通貨不安の存在である。
68年以後先進諸国の景気が上昇を続ける過程で国際収支黒字国と赤字国との格差は一段と拡大し,ポンド,マルク,フランをめぐる通貨不安が顕在化した。このため,イギリス,フランスなどでは,国内需要を抑制し,輸入を削減するという目的からだけでなく,短資の国外流出を阻止するためにも公定歩合の引上げを行なわざるを得なかったわけである。一方,巨額の貿易黒字が続く西ドイツでは,それを相殺するために,資本輸出が促進され,マルク建外債が急増したが,このことは国内の資金需給をひっ迫させ国内金利の上昇をもたらした。マルク不安の存在はまた,マルクに対する投機を高め,そのための資金としてのユーロ・.ダラー需要が増大し,アメリカのユーロダラー取入れの増大と相まってユーロ・ダラー金利を一層上昇させることになった。なお,67年末から68年春にかけての金投機の高まりによってユーロ・ダラー金利が底上げされていたことも見逃すことはできない。
こうして,1968年以来の世界的金利高は,インフレ抑制のための金利引上げが国際的に波及し,通貨不安がこれに拍車をかけるという形でもたらされたものであったが,より基本的な背景としては60年代の各国経済の高成長政策で,長期的傾向として金利水準が次第に上昇の傾向にあるという点がある。
すなわち,60年代に入ってから,アメリカをはじめ各国で高度成長政策,完全雇用政策がますます重視されるようになったが,その結果,需要が強調気味に推移し,同時に賃金コストが長期的に増大傾向をたどるに至っていることである。
こうした傾向の下で,財政は,おおむね,需要支持要因,あるいは,経済刺激要因として作用した。しかも社会問題,労働問題等の種々の理由からその削減は困難となり,財政規模は膨張傾向をつづけることになった。この結果,経済の過熱化を回避するために金融は常に抑制的に作用しなければならなくなり,金利は次第に上昇する傾向を強めてきたわけである。
このような,金利の長期的な上昇傾向と,その背景を考えると,現在の高金利も,各国の景気スローダウンを反映して今後は次第に低下しようが,その程度は比較的小さいものに止まる可能性が強く,世界的高金利時代はなお当分の間続くとみなければなるまい。