昭和43年
年次世界経済報告
再編成に直面する世界経済
昭和43年12月20日
経済企画庁
第2章 主要国の経済的地位の変化
一国の経済力を統一的に表わす指標をみつけることはなかなか困難であるが,ここでは近代国家の経済力をもっとも端的に代表すると思われる工業生産水準からみて行くことにしよう。
世界の工業生産は最近の約10年間におよそ8割の増加を示したが,その推移を眺めてみると大きくいって二つの特徴があった。その第1は世界の工業生産が,北米,西欧,日本などのいわゆる先進諸国に圧倒的に集中していることである。たとえば世界(社会主義国を除く)の総生産を100として1965年現在の比率をみると,製造業,建設業ではその9割近くが先進諸国に集中しており,ことに重工業は94%そのうち機械工業だけをとれば実に96%が先進諸国に集中している状況である。また同じ先進諸国のなかでも北米の占める地位はもっとも高く,製造業,運輸通信業では全世界の生産の約5割が,また建設業では約4割がこの地域に集中している。
第2の特徴は,こうした工業生産に占める各国の地位が,戦後次第に変化してきたことである。いま主要先進国の工業生産に占める各国の地位をみると第30表に示したように,57年当時,アメリカの工業生産の占める地位は60.2%と圧倒的に高く,ついでイギリスの11.9%,西ドイツの11.1%という順序になっていた。ところがその後,アメリカ,イギリスの地位は次第に低下し,67年にはアメリカの地位は58.1%,イギリスも8.3%という水準に落ちてしまった。一方,この間日本およびEEC諸国の地位は著しく向上し,日本は57年の4.6%から67年には8.0%へとウエイトが高まり,EEC諸国も全体としてみた場合,57年の23.3%から67年の25.7%へとかなり地位を高めた。
こうした関係は主要工業品の集中度をとってみると一層はっきりと現われている。 第11図 は主な工業製品について,主要国の生産を少ない国から順に累計したローレンツ曲線をえがいてみたものである。これによると,55年と65年では,かなり著しい変化が生じていることがわかる。たとえば,55年当時,アメリカは,主要工業国の粗鋼生産の60%,乗用車生産の76%,テレビ生産の75%,合成繊維生産の75%を占めていたが,65年になると,アメリカの生産はそれぞれ,46%,55%,49%,48%と大幅に比重が低下しているし,またプラスチック生産でも58年の54%から,66年には41%に低下している。つまり,世界の主要工業品の生産は,次第に平準化の方向に動いてきたということである。
以上のような傾向はアメリカの工業生産を100とした各国の工業生産の水準の変化によってもみることができる。すなわち, 第31表 にみるように,イギリスとアメリカとの格差は次第に拡大しているが,EEC諸国や日本の場合は57年から67年にかけてアメリカとの格差は次第に縮小する傾向をみせている。
また,工業生産水準全体についての以上のような傾向は,機械,金属,化学など,工業生産をリードする部門において一層著しかった。すなわち, 第32表 に示したように,アメリカの生産を100とした機械,鉄鋼,化学などの各国の生産水準の相対比は57年から67年にかけてかなりの上昇を示している。
以上のように,主要国の経済力を示す指標としての工業生産水準の相対的地位はかなり変化してきたが,このような工業生産水準の地位の変化はどのような要因によってもたらされたものであろうか。
アメリカ,イギリスの工業生産水準の相対的地位が低下したのは各国の経済政策,あるいは産業のビヘイビアーなどがかなり大きく違っていたことによるものであったと思われる。
そこでまず工業生産水準を規制したと思われるもっとも基本的な原因である工業の労働生産性の動きを,主要国の製造業の労働生産性の上昇率で比較してみると, 第33表 に示したように,1960年から67年にかけて,アメリカは年率3.7%,イギリスは2.5%の上昇となっているが,西欧諸国はおおむね4~6%,日本も7.2%とアメリカ,イギリスに比べて高い上昇率を示して,各国間の生産性格差が次第に緒小してきたことがわかる。こうした生産性の変化をもたらした要因は何であっただろうか。主なものとして固定投資の動向と,その国の工業技術の進歩についてみよう。
1) 固定資本投資
近代的工業生産は資本投下の大小によってその水準が大きく左右されると考えられるので,まず各国の固定資本投下の状況をみてみよう。60年と66年の粗固定資本を比べると 第34表 のようにアメリカ,イギリスは約1.5倍に増加したが,この間西ドイツは約1.9倍,日本は2.O倍になっている。
このため,産業の資本装備率も 第35表 のように,この間アメリカが1.2倍,イギリスが1.4倍に高まったのに対して,西ドイツ,日本はそれぞれ1.8倍,1.7倍に高まった。
こうしてみると,各国の工業生産水準の相対的地位の変化をもたらした一つの要因として,固定資本投資,したがっで,産業の資本装備の変化が大きく影響していることがわかる。
2) 技術進歩
つぎに技術進歩についてみてみよう。第36表はアメリカ,西ドイツ,日本の3ヵ国について,製造業の生産性上昇に技術の進歩がどの程度の役割りを果したかを推計したものである。もちろん,ここで推計した技術進歩は厳密な意味のものではないが,この表からわかることは59年から64,65年にかけて,製造業全体としてみた場合,アメリカの技術の進歩による工業生産の向上にくらべて西ドイツや日本の場合は,技術進歩による生産性向上はかなり大きかったことである。
これは最近までの工業技術の進歩が゛,アメリカでは化学,電気機械,金属などの分野ですでに一つの峠に達していたが,西ドイツや日本ではこの期間にアメリカから数多くの化学,電気,金属に関する新技術を急速に導入したため,これらの分野での技術進歩が著しかったためと思われる。
以上のように,主要国の工業生産力の相対的地位は次第に変化してきたが,このことは,それぞれの国の産業構造の変化,価格競争力の変化となって現われている。
まず産業構造の変化について主要国の製造業のなかで機械,化学の比重がどう変ったかという,「機械,化学化率」ともいうべきものを推計してみると 第37表 のようになる。
すなわち,アメリカ,イギリスなど比較的早くから機械・化学化の進んでいた国は,その後の機械・化学化のテンポは比較的小さく,60年から66年にかけて,2.5ポイント程度比率が上昇したにすぎなかった。しかし日本,西ドイツなどは機械・化学化のテンポがかなり早く,この間日本は,3.6ポイント,西ドイツは4.0ポイントも比率が高まっているし,フランスも4.1ポイントとアメリカ,イギリスよりもかなり早いテンポで機械・化学化が進んでいる。
こうした点は,各国の産業構造の変化が全体としてどの程度だったかを示す「産業構造変化係数」を計算してみると一層明らかになる。
第38表 は,各国の国内純生産の産業別構成比の各4年間における変化を示したものである。その変化の全体としての大きさを表わす「構造変化係数」をみると,日本,西ドイツの構造変化は,57~61年にそれぞれ11.6%,6.3%と著しく大きかったのに対して,アメリカ,イギリスは3.8%,2.5%と構造変化の程度が極めて少なかった。また62~66年になると,それまで極めて大きい構造変化をとげていた日本,EEC諸国の構造変化が若干少なくなったのに対して,アメリカの構造変化は4.2%と若干高まる傾向をみせているが,それでもアメリカの構造変化の程度は,日本,西ドイツ,フランス,イタリアなどと比べれば,まだ,小さく,最近の10年間を通じて,もっとも産業構造の変化の大きかったのは日本であり,ついで西ドイツ,イタリアなどのEEC諸国で,アメリカ,イギリスはいずれも構造変化の程度は小さかったことがわかる。
また,産業構造の変化は産業内部の企業規模の変化にも現われている。企業規模は大きければ大きいほど良いというわけではなく,それぞれの業種によっていわば適正規模とでもいうべきものがあることは事実である。しかし一般的には,企業規模の拡大はオートメーションの採用や分業体制の徹底,あるいは管理費の減少,研究開発力の増大などを通じて企業の生産力を高め,ひいては工業生産力全体を引上げる効果があることは否定できない。
そこで各国の企業規模の拡大がどういう方向に動いたかを調べてみると,アメリカやイギリスの企業の規模の拡大テンポよりは,EEC諸国や日本の拡大テンポのほうが大きく,この面でもアメリカ,イギリス,EECと諸国,日本との格差は縮小する傾向にあるということがいえそうである。
たとえば,毎年Fortume誌が発表している世界の大企業の番付表をみてみると,1959年当時,年間売上高5億ドル以上の大企業の数は全体で118社であったが,このうちアメリカの企業は86社と約73%を占めており,イギリスも12社に及んでいたが,1967年になると,年間売上10億ドル以上の大企業120社のうちに占めるアメリカ企業の数は83社,69%に低下し,イギリスも9社に減少している。一方,59年当時18社,および2社にすぎなかったEEC,日本の企業は67年にはそれぞれ19社,9社と増加している( 第39表 )。
また,主要な業種における大企業の売上高増加率は 第40表 のようにアメリカ,イギリスにくらべてEEC,日本の方が大きくなっており,企業規模の拡大が,EEC,日本でかなり急テンポで進んできたことがわかる。
以上のように,西ドイツ,フランスなどのEEC諸国,日本などの産業構造の高度化のテンポが,アメリカ,イギリスのそれよりも大きかったことは,後に述べる世界の需要構造の変化に,より大きな適応能力を発揮する背景となったのである。
各国における工業に対する資本の投下,技術の進歩のちがいは,他面で生産性上昇の差を通じて輸出面における対外価格競争力にも変化をもたらしたことは当然であり,このことは,輸出価格の動きにも反映している。
第41表 は,主要国の輸出単価をもとにして,各国の相対的な価格競争力をあらわす指標として,ある国の輸出単価の変化率と,その国以外の主要工業国の輸出単価を算術平均してもとめた海外物価の変化率の比率を示すものである。この相対比が1以上であればその国の相対的価格競争力は低下したことを示し,逆に1以下では有利化していることを示すわけである。また,その絶対値が大きいほど不利ないし有利の度合は大きいことを示している。
こうしてみると輸出単価でみた価格競争上の相対的地位が1960年から67年にかけて,最も悪化したのはイギリスであり,フランス,デンマーク,アメリカ,オランダがこれについでいる。一方,相対的地位が有利になったグループには,イタリア,日本,オーストリアなどがある。
この相対価格比と実際の輸出増加率とをくらべてみると,概して相対価格が有利になった国ほど輸出の増加率も高いという傾向があり,各国の経済力の格差の変動は価格競争力を通じて輸出面にも少なからざる影響をあたえたことが想像される。
以上のように,アメリカ,イギリスの経済力は相対的に低下の傾向を続けているが,その中にあって最近,アメリカの経済力が先端的な部門の技術進歩を中心にして,やや回復の兆を示してきていることは注目に値する。
製造業全体で50年代後半に著しい技術進歩を示した西ドイツ,日本も60年代に入ってからは,技術進歩の程度が若干落ちた半面,アメリカでは,技術進歩の程度が大きくなりはじめている。しかも60年代に入ってからのアメリカの技術進歩は50年代の自動車産業に代って,主しして電子工業,化学工業,石油製品工業などいわゆる資本集約的,技術集約的部門を中心にしたものとなっている。
このことは電子計算機の輸出入および設置台数にもっとも端的に表われている。アメリカの電子計算機輸出額は,たとえば58年1,760万ドル,59年2,290万ドルといった程度であったが,61年以来急速にふえ61年1億540万ドル,63年1億7,720万ドル,66年2億6,400庶万ドルと急増してきた。こうした状況を反映して,主要国の電子計算機設置の対米依存度も第42表に示したように,67年現在で西ドイツが78.3%,フランスが65.5%というように圧倒的に大きくなっており,電子工業部門におけるアメリカと各国との技術格差がいかに大きくなったかを端的に示している。
もともとアメリカの技術開発力は,他の諸国に比べて圧倒的に高いものであった。このことは主要発明の商業化の件数や時期を他国とくらべてみるとはっきりする。主要発明を最初に商業化(企業化)した件数を,戦後の期間についてみると,アメリカが圧倒的に多く,次いで,イギリス,西ドイツ,ソ連,日本の順になっている( 第43表 )。アメリカによる企業化は,なかでも,電子機械,ことに電子計算機,半導体など電子機器や化学品の分野に集中している。商業化の時期についてみてもアメリカの革新能力の高さがうかがえる。たとえば, 第13図 にみられるように,電子計算機の研究は,最初,西ドイツで始められたが,企業化の時期は,アメリカが,最も早かった。
こうしたアメリカのもつ技術開発力の強さが,最近,電子工業を中心として,技術集約的部門に集中的に現われたわけである。このことは,後述のように,アメリカの輸出が最近は,技術集約的な高成長部門でとくに著しく伸長しはじめたことにも現われており,将来,主要工業国における分業体制が,アメリカは高度技術集約部門を中心に,また,EEC,日本などはアメリカよりも加工度の低い重化学工業部門を中心に再編成されていく兆しであるともいえよう。