昭和42年
年次世界経済報告
世界景気安定への道
昭和42年12月19日
経済企画庁
第2部 世界の景気変動とその波及
第5章 景気変動と経済政策
第1章で指摘したように,戦後の欧米諸国の景気変動は戦前にくらべ小幅となり,とりわけ景気後退が軽微かつ短期間ですんだことがその特徴である。これは西欧と北米の双方についていえるが,とくに西欧においてそれが顕著であった。その点,長期かつ大幅な景気後退ぐと見舞われた戦前とは著しく様相が変ってきている。
このように,景気変動そのものは無くならないにしても,循環形態が著しく変化した原因としては,戦後復興需要や急速な技術革新の進行といった経済実態面での要因のため,各国の成長トレンドが強かったということもあるが,それと並んで制度や政策の面で大きな進歩がみられたことも大きく寄与している。
すなわち,戦後の欧米諸国はいずれも完全雇用を第一の政策目標として掲げ,政府はその実現のために各種の政策手段を行使するようになった。国民経済に占める政府部門のウエイトが高まったことも,景気変動を安定的にすると同時に,政策をより効果的なものにした。それと同時に制度的にも失業保険や農産物価格支持制,累進課税などのいわゆるビルト・イン・スタビライザーが大幅に取入れられ,これがまた景気変動を小幅にする方向へ働いた。また,国際的にはIMF,ガットなどの国際機関が設置されて,為替貿易の取引のルールが確立されると同時に一時的に国際収支難に陥った国に対して資金援助が与えられたことも,不況の国際波及を緩和するのに役立った。また世銀その他の国際機関あるいは2国間協定による低開発援助が戦後制度化されたことも,低開発国に購買力を付与することで,景気不振期における先進諸国の需要を維持するのに役立ったといえる。
このように,景気後退を軽微なものにしたという点では,戦後の欧米諸国の経済政策は(制度を含めて)かなり成功的であったといえよう。
しかしながら,たとえ軽微とはいえ景気後退は生産と所得のロスをもたらすものであり,可能な限りそれを回避することが理想であるのはいうまでもない。事実また戦後発生した景気後退のなかには,政策の運用さえより適切であったならば回避できたと思われるもの少くなかった。
たとえば,1960年代に入ってからの経験についてみても,60~61年のアメリカの景気後退,66~67年の西ドイツの景気後退がいずれもかなりの程度まで政策の不適切さによるものであったことは,今日ほとんど定説となっている。この点からすると,戦後の景気循環政策は,戦前にくらべて大いに進歩したとはいえ,まだかなり不充分な点が少なくないといえる。
さらに,景気変動の他の側面,すなわちインフレーションの防止ないし抑制という点についてみると,戦後の経済政策は概して成功したとはいえない。とりわけ西欧諸国は,戦後の多くの期間を通じて物価の持続的上昇に悩まされてきたことから,その克服が短期の循環政策の主要な関心事であった。また,このインフレーションの問題と関連して,一部の国はしばしば深刻な国際収支難に見舞われ,その是正のためにドラスチックな引締め政策の採用をよぎなくされた。しかし,物価の問題にくらべると,国際収支難の是正は(英米を除いて)比較的短期間に解決することができた。
多くの西欧諸国の景気は66~67年に停滞化し,物価問題も当面はそれほど緊急な課題ではなくなっているが,どの国も概して労働力の余裕が少ないため今後の再上昇期においては,再び物価の問題が前面に押し出されてくると思われる。
これに対してアメリカでは,50年代末以降,インフレ問題よりもむしろ成長の問題が重要な関心事となった。55~57年のインフレ期の経験から,当時の共和党政府はあまりにも安定重視の考え方にとらわれて金融と財政が引締め気味に運用されたため,60年代はじめ頃には経済に大きな遊休が生じた。その結果,61年はじめに発足したケネディ政府は,単なる景気の回復だけでなく,経済を完全雇用の軌道へ乗せるために,各種の需要刺激政策をとった。すなわち,60年代前半における経済政策の主要な目的は,需要の拡大にあったわけである。しかし,65年から66年にかけてアメリカ経済が完全雇用を達成するにつれ,アメリカでも西欧と同じく政策の重点が物価騰貴の防止におかれるようになった。67年上期には景気停滞が発生したが,下期になって景気が再び上向きはじめると共に,再びインフレの防止が緊要な政策目標となりつつあることは,第1部でみたとおりである。