昭和42年
年次世界経済報告
世界景気安定への道
昭和42年12月19日
経済企画庁
第2部 世界の景気変動とその波及
第4章 景気変動と資本移動
短資移動は流出国,流入国の国際収支ばかりでなく,双方の国内景気動向にも直接,間接的に影響している。短期資金が低金利国から高金利国へ移動するかぎりにおいては,外貨ぐりを平準化する効果のある半面,双方の側の景気調整策が撹乱される場合もある。近年,短資の移動性が増大し,アメリカの慢性的国際収支赤字が作り出したユーロ・ダラー市場は融資の供給量を増大させ,それだけに影響力が高まったため,各国短資政策も重要性を増してきた。
また,この調整がたんに一国の国内政策として重要性を高めただけでなく,特定国の国際収支を好転させる目的で,過剰流動性を国外に輸出する政策も西ドイツその他で積極的に採用されるに至った。これは,国際収支の大幅な変動が景気変動の振幅を拡大子るのを防ぐ一種の国際協力である。
1966~67年中にみられた国際協力の著しい例は,67年1月ウィルソン,イギリス首相の提唱によってロンドン郊外チェッカースで開かれた5ヵ国蔵相会議(アメリカ,イギリス,西ドイツ,フランス,イタリア)である。この会議は,国際的な高金利政策を是正して,低金利政策に移行することを申し合わせたが,その一つのねらいは,海外高金利に誘発されて流出しがちなイギリスの短資を,国際金利差の縮小によって,ロンドンに引き止めることであった。そうすれば,短資流出を懸念することなく,イギリスは危機レートを引下げて国内の成長を促進することもできたであろうし,また他国の金利が引下げられれば,将来のポンド危機に金利再引上げによって対抗できるからであった。
チェッカース会議の直後(1月26日)と3,5月の3回にわたってイギリスの公定歩合は段階的に引下げられたが,6月の中東戦争は前述のように数億ドルの資金流出を誘発,再びポンドの受難期に入った。
一方,その頃からアメリカの短期金利は騰勢を盛り返えして金利差は拡大し,短資の対米流出が憂慮されるに至った。そのうえ,スエズ封鎖,港湾ストなどイギリスの季節的入超期に悪条件が重なったため,イングランド銀行は10月19日には金利政策の再転換を余儀なくされた。その後,11月初めにふたたび公定歩合を引上げたが,資金の流出は続き,ついにポンド切下げを余儀なくされた。
今回のイギリスの公定歩合引上げはアメリカの高金利に触発されたものだけに,影響範囲は大きい。たとえば,スエーデン当局は景気刺激目的に,10月後半公定歩合を5%から4.5%へ0.5%引下げる予定であったが,その直前の10月19日にイギリスの引上げがあり,引下げを当分見送ることになった。また,景気対策として流動性を高める措置を追求していた西ドイツの公定歩合は,イギリスの引上げによって3%もの開きができ,短資流出の懸念が生まれ,ブンデスバンクの金融政策は非常に難しい局面を迎えることになった。この2つの例は,いずれも国際短資移動が国内の成長政策阻害要因として働くことを示唆するものといえよう。
しかしその半面,イタリア,日本,北欧諸国が64~65年にユーロ・ダラーの借入れによって国内の資金不足をカバーすると同時に,外貨準備を底上げして,経済拡大政策を採用でき,西ドイツは60年代初め以来再三にわたり,またイタリアは65~66年に国際収支黒字の衝撃が国の内外に悪影響することから,国内銀行にユーロ・ダラー市場預金を奨励して内外の均衡を保った。こうして,ユーロ・ダラー市場の発達は国際的短期資金需給の調節に寄与し各国金利差を調整する働きをしている事実も見逃がせない。
(1) 流入国の対策
1)スイス
流入国の経済規模が小さい場合には,短資の移動が国内経済政策の阻害要因となりやすい。60年に短資の大幅流入があった頃,当局はつぎのような措置をとった。
① 外国人預金は3ヵ月の予告期間経過後でなければ引出せない。ただしスイス・フラン表示の外国公債もしくは対外投資目的に口座を預る銀行において他国通貨に振替えたときは,3ヵ月の予告期間に拘束されない。
② 新規外国人預金には利子をつけない。
③ 6ヵ月未満の預入れに対しては3ヵ月ごとに0.25%の手数料を徴収する。
④ 外国人資金がスイスの有価証券(不動産信託を含む),スイスの土地,不動産に投資されるのを防ぐよう銀行は努力しなくてはならない。
⑤ 外国人によるスイス銀行券の入手を極力阻止しなくてはならない。
以上の措置は60年7月1日から実施されたのであったが,10月にはドル切下げの風説から再びスイスの短資流入が激増したため,連邦短期債4億フランを発行して,銀行の流動性を圧縮した。続く61年には再びマルク,ギルダー切上りのうわさから大量の短資流入があり,この時もまた10億ドルを中央銀行に凍結した。
しかし,このような防止措置の効果は,あまりなかったようである。それは,こうした規制が中央銀行間の紳士協定によるものであり,またスイスの銀行秘密が尊重されることなどから民間銀行を拘束する力が強力でなかったためかもしれないし,また流入した短資が実は外国人のものでなくスイス人所有のものであったため,前記のような規制を適用されず,そのままスイスにとどまったのであろう。
2)西ドイツ西ドイツもスイスと相前後して短資流入規制を実施した。60年5月,短資流入が小規模に始まっていたころ,中央銀行理事会は
① 居住者預金の預金準備率よりもはるかに高い非居住者預金準備率(30%)を決定し,6月1日から実施。
② 6月2日の中央銀行理事会は
(イ)外国人に対する普通預金利子を禁止する。
(ロ)ただし外国人の定期預金には契約満期日まで付利できる(個人の貯蓄預金を除く)。
(ハ)金融市場証券もしくは為替を外国人に渡してはならない。
対策発表後,フランクフルトにあった外国人預金はいくらか逃避を開始し,ニューヨーク,ロンドンに向ったようだが,投機的な資金は一部株式社債に回った。
その後,数回にわたる投資ラッシュに際して,当局はスワップによる対米資金の流出を促進し,利札税による外国人起債の便益供与など各種の資本輸出対策もとられた。また,最近の金融緩和政策目標にそぐわない短資流出の増加を食いとめるため,中央銀行の外貨市場操作方法を変更し,従来一時的に米ドル相場の変動を比較的小幅におさえてぃたものを67年7月初めから拡大した。その結果流出が止まり,8月末には還流さえみられた。
(2) 流出国の対策
短期資金の流出は国際収支を悪化させるばかりでなく,国内で低金利政策により金利を低くして国内投資を刺激し,また通貨の供給量をふやして銀行や企業の流動性を高めて,一般経済活動を高めようとしているときに,外国の高金利に魅せられて資金が流出すれば,金利の低下を制約し,通貨供給量増加を抑えて金融政策目標の実現を阻害する。そのため,多くの国では金利を引上げて流出を防止するのが普通であり,また短期金利の引上げが固定投資を阻害しないよう配慮する場合が多い。
このように共通した対策のほか,ときと場合によって特殊な手を打つこともあるが,最も代表的な例としては,60年秋以来数次にわたりアメリカのドル防衛措置があげられよう。もちろん,ドル防衛措置のすべてが短資流入対策ではないが,このうち直接短資対策とみられるものをつぎに掲げておこう。
60年秋アメリカの短資流出が激甚をきわめたころ,アメリカは景気後退中であったため,公定歩合の引上げはなかったし,直接的な流出規制も採用されなかったが,西欧主要国に金利の引下げを要望,実現した。翌年1月14日にはアメリカ人が海外で金を買入れることをも禁止して,アメリカ人が間接的に財務省の保有する金の流出を助ける弊害を除去し,併せて西欧の金投機熱の冷却をはかった。また,このときすでに海外において金を保有するアメリカ人は,6月1日までに金を売却する義務を課された。そのねらいは,こうしてロンドン市場における金供給をふやして,金相場の騰貴を抑制することであった。金相場の騰貴はドル不安とつながり,その不安がドルの逃避を起すかぎりにおいては,短資移動の起動力となるので,金に対する対策も広い意味での短資対策というべきであろう。
この措置が発表されて数週間後の第2回ドル防衛総合対策で,新たに就任したケネディ大統領はIMF強化のほか,外国政府の手持ちドルをアメリカに1年以上預金する場合,特別の優遇利子をつけ,対米短期債権が金に換えられたり,海外で通用されることを防ごうとした(62年1月実施)。ついで同年2月に発表された長期国際収支対策では,海外民間投資利潤の本国送金を促がす税制改革方法を検討することとし,また金相場の安定を目的とするロンドンの金プールはこの前後に発足した。
62年3月に初めてフランスとの間に結ばれた中央銀行間のスワップ協定も,通貨の崩落に対する中央銀行の抵抗力を強めて,対外的な顧慮が国内経済政策におよぼすショックを吸収する役割をはたした。その後,諸外国中央銀行に売り渡されたいわゆるローザ・ボンド(アメリカ財務省中期債)も,また海外にある過剰ドルを吸収して,過大な短資移動を予防した。
その後数次にわたって細かい対策がとられたのち,これまでほとんど全く手のつけられていなかった短資移動にようやく規制が加えられることとなった。それは,65年2月10日の銀行投融資規制であった。これは,64年末の投融資残高を基準として,年間にふやせる投融資を5%に抑えるものであった。その後,この規制は一部強化されアメリカの金融繁忙も加わってよくその効力を発揮し,従来の主要短資流出ルートを断つことになった。
(3) 国際的対策
国際的な短資移動対策としては1960年のドル危機にアメリカがイギリス西ドイツ,イタリアの3国に公定歩合の引下げを要請したほか,緊密な外国為替操作(ニューヨーク連邦準備銀行を中心とした国際スワップ網),金市場操作(ロンドンの金プール)などで効果をあげ,また61年3月,マルク,ギルダー切上げに伴うイギリスからの流出を防止するため,西欧有力中央銀行が相互に短資移動に起因する通貨相場の下落を防止する協定(バーゼル協定)を結んだ。内容は明らかにされなかったが,圧迫された通貨をこれまで以上に多く手持ちするなり,外貨を被圧迫国に預託するものらしく,3月後半の例でいえば,ポンドが圧迫されれば他の中央銀行はロンドンに外貨を預けて金外貨準備を底上げし,その受取るポンドの大部分を凍結して,金には交換しない効果があったようである。また,ユーロダラー市場の規模が拡大するにつれて,国際決済銀行を通じて金利と資金流を調整する操作も開始された(66年12月年末の資金繁忙時に金利の騰貴するのを防ぐため,BISは数億ドルをこの市場に投入した)。
以上のほか,短資の国際移動が各国の経済政策を阻害するのを防ぐため,金融政策の調整がいくつかの国際機関ないしは国際会議で取り上げられているが,67年1月のチェッカース会議まで国際的合意に達したものはないようである。
短期,資金移動は第71表にみられるように,基礎収支がよくても総合収支尻を逆調化したり,逆調幅を拡張する作用がある。半面,それを積極的に利用すれば,国際収支尻の大幅な変動を防止することもできるのであるから,短資移動を国際的に適宜調整して,世界経済の持続的拡大をはかる必要があろう。
当面注目される重要問題は,ポンド切下げ後の短資変動の成行きである。
イギリスの公定歩合引上げを契機として,西欧の国際的な金利上昇が一般に予想されているが,アメリカヘ向かう短資移動はある程度抑制されるものとみられる。そのために,アメリカについては,非金融部門の資本流出を経常収支黒字の範囲内に抑えるという基本問題が再び見直されることになりそうである。他方,EECについては67年同様,資本流出が経常収支の黒字におよばないという事態も予想されよう。もし,EECが68年にも引続き大幅な経常黒字を出し,かつそれが一時的なものであれば,できるだけ短資流出によって調整されることが望ましい。しかし長期的な問題として,かりに今後経常黒字が短資流出によって完全に近いまで調整されると,中長期資金調達コストの騰貴を引ひき起こす懸念がある点にも留意する必要があろう。