昭和42年

年次世界経済報告

世界景気安定への道

昭和42年12月19日

経済企画庁


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第1部 1966~67年の世界経済

第2章 海外諸国の経済動向

1. アメリカ

(1) 1966~67年の経済動向

過去1年余のアメリカ経済には多くの起伏があった。1961年春に始まる戦後第4回目の景気上昇局面は今日までにすでに6年を越えたが,67年初めの数ヵ月間には一時的な停滞を経験した。この停滞の原因がどこにあったかをみる前に66~67年の経済を簡単にふりかえってみよう。

66年初めのアメリカ景気は65年の投資ブームのあとを受けて,かなりの活況を示した。だが製造業の操業率(66年第1四半期90.6%)は適正操業率に迫り,失業率は完全雇用目標とされる4.0%を割り,企業資金は長短期ともかなりの不足をみせるに至った。しかし第2四半期以降になると,乗用車を中心とする消費者支出に変調がみられ,ベトナム戦費の増強があったにもかかわらず,GNPの増加速度は鈍りがちとなった。個人消費の伸び率鈍化,防衛発注増加による仕掛品の増大などから在庫はふえ始め,第2~4四半期の在庫蓄積は前年同期の1.64倍にもなり,67年上期には在庫調整を余儀なくされたが,67年第1四半期の防衛支出急増は在庫調整の衝撃を緩和し,景気停滞から落ち込みへの進行を最小限度に食い止めた。第2四半期には66年の高金利で停滞していた住宅建築が回復,個人消費も順調に伸び,第3四半期には在庫調整の終了に伴って,生産はかなり回復した。

ところで66年の景気上昇過程で最も力強い浮揚力となったのは防衛支出と設備投資である。第21図のようにGNPに対する比率でみると,設備投資の比率は65年よりもかなり高いが,第4四半期には減少に変わっており,防衛支出のように一貫して力強い上昇力とはならなかった。寄与率からみても防衛支出の方が大きい。防衛支出は66年中急増し,62~65年央の長期的減少傾向を一変させ,とくに67年第1四半期の景気停滞局面では重要な景気支持要因となった。

第8表 国民総生産の増加寄与率

軍事力増強はほとんどあらゆる経済部門に影響した。兵力は66年中に50万人新たに徴収され,労働力需給関係を圧迫し,軍需品需要はとくに航空機,弾薬,エレクトロニクス,被服産業を刺激し,その結果すでに高水準にあった設備投資を高めるに至った。そのうえ66年を通じての軍需品関係の在庫をふやすに至ったのは前述のとおりである。

設備投資の増大は資本財産業を圧迫したばかりでなく,信用需要を高め,金利上昇の主因となった。

過大な設備投資意欲を抑制するため,ジョンソン大統領は66年4月,企業の投資計画を再検討して,一部計画の中止ないしは繰り延べるよう要望した。投資財価格の騰貴,金融のひっ迫,引渡し期間の長期化などマイナス要因があったにもかかわらず,設備投資は66年上期中活発に上昇した。同年9月に至って大統領はついに他の引締め措置と並んで,62年に実施された7%の投資減税と早期減価償却制度の一時撤回を議会に要請,10月初めに実施した。だが設備投資の伸びは金融の引締まりなどを反映してすでに弱まっていた。第4四半期にはこうした投資抑制措置の効果というよりも,むしろ最終需要の弱まりと過去の投資に基く能力の増大から,設備の稼動率が下がって,設備投資意欲を阻害した。このほか過剰在庫の蓄積が将来への警戒観を高めるに至った。

66年初め,設備投資その他の需要が活発であったころ,すでに財政の引締めが要望されていたが,政府はそれにふみ切ることができず,景気調整の主力は金融政策に求められた。引締めは66年秋の高金利となって現われたが,そのころから消費需要にはやや変化がみられ,下期の在庫増加と相まって67年初めの景気停滞を招来した。

67年1月ロンドン郊外のチェッカースに開かれた5ヵ国蔵相会議は金利の引下げに協力する申合わせを行なったが,アメリカではすでに66年11月連邦準備理事会が金融緩和方向に移っており,67年4月には公定歩合を約1年半ぶりに4.5%から4%へ引き下げた。

66年秋の高金利期には年率81万戸まで下がった住宅建築は,金融のゆるむとともに,しだいに勢いを取り戻し,1月には100万戸,8月には140万戸まで回復し(いずれも着工件数),67年上期の停滞を下支えした。だがこの期に景気の落ち込みを防いだ主因はむしろベトナム支出の増大であり,G NP寄与率で示せば第1四半期には実に109.5%,第2四半期には26.1を占めた。

こうして下期景気の回復のはずみをつけることになるが,しかし財政赤字の増大と軍需発生の増大は66年にも増して物価騰貴を促進し始めたため,ついにジョンソン大統領は8月3日増税案を議会に提出することとなった。

66年のブームとベトナムでの戦闘は輸入と海外軍事支出増加となって現われ,国際収支を著しく悪化させた。66年第4四半期にすでに年率17億ドルの赤字を出したのち,67年上期には21億ドルの赤字まで増大し,第3四半期には26億8,000万ドル(いずれも年率)に拡大し,1~9月の赤字は66年いっぱいの14億ドルを突破するに至った。

64年にはまだ67億ドルもあった商品貿易の出超は65年48億ドル,66年37億ドルと激減し,とくに66年12月には年率21億ドルまで減少した。原因はいうまでもなく,好況下の輸入増加であった。67年に入って景気停滞とともに輸入が減り,輸出はややもちなおし,8月には月間4億4,500万ドルの黒字となって,17ヵ月ぶりの最高を記録した。

しかし,今後の景気好転によって輸入のふえることも考えられ,他方ベトナムを中心とする海外軍事支出もふえ,67年の国際収支赤字は66年を大幅に上回るとみられる。

(2) 主要部門別動向

1) 1967年上期の停滞

1967年の国民総生産(GNP)は,前年比594億ドル増加して,7433億ドルに達した。これは,名目で8.8%,実質で5.6の伸びで,年間では,順調な拡大を示すものであった(1948-66年平均の実質伸び率は3.9%)。しかし,四半期別にみると,66年央以降伸び率は小さくなり,しかも,実質伸び率は,名目伸び率のほぼ半分になった。また,66年には第2四半期以降在庫の蓄積が異例にふえ,とくに第4四半期のそれは190億ドルにも達して,67年上期の生産を抑えるに至った。

66年中の乗用車購入は減退したにもかかわらず,非耐久消費財の購入増加がその穴埋めをして個人消費支出はほぼ前年と同額の伸び(名目)をみせまた,61年とくに64年以来大幅に拡大した設備投資は,66年に前年以上の伸びをみせ,軍事支出を中心にふくれ上がった政府支出とともに,経済拡大の主力となった。他方,住宅建築は,高金利の圧迫を受けて不振を続け,純輸出も国内経済活動の上昇による輸入の増大,輸出の減退から大幅に減少して,60年以降の最低を記録した。

第22図 国民総生産と総需要

67年に入ると,過大在庫の圧力が生産の上昇をはばみ設備投資も減少して,第1四半期のGNPは,名目では僅かに0.6%の伸びに止まり,実質値では0.1%の減少さえ示した。GNPが減少したのは,61年の景気回復以来,初めてである。だがGNPの実質減少は1四半期にとどまり,第2四半期には早くも微増に変わって,第3四半期には,ようやく拡大の基調が現われてきた。

こうした循環のなかでとくに注目をひくのは在庫の変動である。

2) 停滞要因としての在庫投資

1966年の在庫投資は,134億ドルに達し,65年の94億ドルを大きく上回って,朝鮮動乱時の51年に次ぐ大規模なものとなった。原因は,軍需品,機械,設備など仕掛品の増大と,乗用車など耐久財の売行き不振による意図せざる在庫増であった。

67年に入ると,在庫投資は急減して景気停滞の主因となったが,売上・在庫比率は,なおも高水準を続けた。在庫調整は,まず,流通段階で進行し,小売では67年2月,卸売では6月にほぼ完了した。製造業では依然在庫率は高いものの,ほぼ終了したとみてよく,最近では受注残高の増加にっれて在庫積み増しの傾向もみられ,第3四半期の在庫投資は微増した。

第9表 売上在庫比率

3) 設備投資の動き

設備投資は,前述のように,しだいに増加速度を落とし,67年上期には減少さえ示すに至った。これは,64年以来初めてのことであったが,その後第3四半期にはやや回復したもようである。それでもまだ66年のピーク(66年第4四半期)水準まで回復しなかったようで,第4四半期の見通しもまだピークを下回っている。

回復に変わったとはいえ,67年下期でも前期比1.6%増という小幅であって,すでに設備投資の伸び率が落ちていた66年下期の前期比5.O%にはるかに及ばない。

また今後の見通しもまだ好転していないようである。商務省・証券取引委員会の四半期別調査結果によると,第4四半期の投資予測額が前回調査よりも落ちているばかりでなく,67年全体の予測額が最近3回の調査段階で漸減傾向を示している。すなわち2月調査では全産業で前年比3.9%の増加を予測していたにもかかわらず,8月調査では2.3%まで低下した。

下期の回復要因としては景気の立ち直りや企業収益の好転,6月13日に3月まで遡及適用された7%の投資減税,早期減価償却制度の復活などがあげられるが,製造業の設備稼動率はまだ低いし,設備の増加を希望するものも67年6月末には前年同期の50%から43%に落ちている。したがって,今後の経済見通しがいちじるしく好転しないかぎり,当面の設備投資増加に多くを期待できないであろう。

第23図 設備投資の推移

4) 住宅建築

1966年の経済活動のなかで不振であった住宅建築は,前年比26億ドル減少,四半期別には,第2四半期以後引続き減少した。 65年末の金融引締以後,金融市場が次第にひっ迫し,高金利による預金獲得競争が激化して貯蓄貸付組合など住宅金融機関の資金余力がなくなり,そのため,住宅着工件数(民間・非農)は65年の145万戸に対して,66年は114万戸と,大幅に低下した。しかし10月を底に,11月以後・金融緩和と一部地域のアパート不足もあって,回復を始め,67年第2四半期に入ってからは,耐久消費財とともに景気に対する明るい材料となった。しかし,67年夏以降長期金利の再引締まりもあって,住宅建築に多少の影響が出ることも考えられる。

5) 個人消費

個人所得は,66年には,462億ドル増加して5,840億ドルに達した。移転支払は,42億ドル増加したが,社会保険負担が45億ドル増加して,これを相殺した。可処分所得は366億ドル増の5,088億ドルであった。

このように,個人所得が,経済拡大に伴って増加したので,個人消費も328億ドル増加し,4,659億ドルとなった。この個人消費の増加は,自動車売行きの好調であった65年の大幅増加を上回るものであった。非耐久財及びサービスに対する支出は,価格上昇の効果もあったが,大きく伸びたのに対して,乗用車購入は安全性論議とか徴兵増加などの影響で減少した。65年には,乗用車売上げは記録的な930万台であったが,66年には,900万台(輸入車65万台を含む)に下がり,第2四半期には,繰り上げ納税などで可処分所得の伸びも少なく,乗用車,家具など売行き不振で耐久財購入は低下した。その後,第3,4四半期にやや回復したものの67年第1四半期には再び減少し,第2四半期以降回復した。第2四半期の耐久消費財支出は5四半期ぶりに66年第1四半期のビークに回復したわけだが,こうした比較的長期にわたる停滞は乗用車と家具の立ち直りが思わしくなかったためである。これらはいずれも大型の買いものであって,消費者が景気動向に警戒観を増したこと,また過去のブーム時に借りた割賦債務負担の増大から貯蓄性向の高まったことなどとも関連するが,家具,家庭電機の不振は66年の住宅建築不振によるものであった。

第10表 消費者動向予測調査

貯蓄性向は66年第2四半期から高まり始めて67年第1四半期まで引き続き上昇し,耐久財購入の不振期間と一致している。67年第1四半期に7.3%にも達した高い貯蓄率はさほど永続きしないとみられていたが,その後の景気見通しが明るくなるにつれて,漸次低下するとみられ,10月上旬のセンサス・ビューロー発表によっても,耐久消費財購入意欲は好転をみせている。

6) 国際収支

過去数年間急速に増大して,国際収支赤字の一因となった海外民間直接投資は65年2月の自主規制などによって,ほぼ横ばいとなった反面,商品貿易黒字の減少,海外軍事支出の急増などがあったため,総合収支は前年なみの赤字を続けた。

67年にはいって貿易収支は好転し始めたが海外軍事支出は引続き増大して,いぜん国際収支悪化の主因となっている。いうまでもなくベトナム戦の影響である。アメリカの国際収支統計表で「日本」,「その他アジア,アフリカ」に対する海外軍事支出は67年第2四半期に22億5,000万ドル(年率)に達した。これをベトナム戦のなかった64年に比べてみると,実に14億ドルの増加になる。第1四半期の年率22億ドル,64年比13億ドル増に比べていぜん高水準にある。これまでしばしば国際収支の主要赤字要因であった短期資金流出は65年2月の自主規制によって,66年中は大きな悪材料とはならなかったが,67年上期に入ってアメリカ景気の停滞から国内の流動性が増大し,銀行その他の資金が流出したため第2四半期には約2年ぶりで,10億ドル(年率)台を突破した。

なお,企業の対外投融資自主規制は65年末に実施され,66年の支出増加の食い止めに成功,67年にはこれら企業(主要700社)の対外バランスで20億ドルの黒字を出すことを目標とし,24億ドルの実績をあげられる見通しとなった。こうした抑制効果から,さらに67年11月(ポンド切下げ直前)米当局は対外投融資の自主規制枠を次のように強化した。

しかし,ベトナム戦争による直接,間接的な支払いがふえているので,68年の国際収支赤字は20億ドルを越えるもようである。

(3) コスト・インフレの進行

1) 卸売物価

1966~67年には物価上昇の年でもあった。卸売物価は66年に総合指数で2.5%騰貴し,前年の2.O%をやや上回った。67年にはいって多少の変動はあったが9月現在の水準は年初とほぼ変わらず,前年同期比では微落しているが,変動幅の大きい農産物を除いた工業製品だけだと,66年には2.1%騰貴して,前年の1.3%をかなり上回ったし,67年9月までの9ヵ月間ではさらに1.0%騰貴し,9月の前年同月比では1.2%の騰貴である。

総合指数の66年中における足どりは年初来9月まで引続き騰貴したあと,10~12月には微落,横ばいとなったが,これは農産物価格の軟調によるものであって,工業製品は12月まで続騰した。67年になると年初高水準にあった総合指数は3~5月弱含みに推移したのち,6月から強含みに変ゎってきた。

しかし,工業製品になると事情はかなり違っている。すなわち,64年9月に騰勢に転じてのち2年余にわたって微騰を続けたが,67年2月には久しぶりに安定を取り戻し,7月まで数か月間まったく横ばいに推移した。その後8,9月には再騰貴に変わった。7月まで横ばいに推移した原因は原材料の下落が完成品の騰貴分を相殺したことであった。後者の騰貴はとくに消費者物価に影響するもので,9月以降の自動車,カラー・テレビ,鉄鋼製品などの値上がり注目される。

工業製品の騰貴原因は売り手市場が実現して労務費騰貴分を価格に転嫁しやすくなったためとみられた。第25図のように製造業の単位生産物当たり労務費は近年かなり騰貴しており,景気停滞中の67年上期にも上昇している。にもかかわらず卸売物価指数の騰貴として現われなかったのは,企業内部で騰貴分を吸収したためであろう。

第24図 卸売物価指数

2) 消費者物価

消費者物価は過去においても卸売物価以上に騰貴し,卸売物価安定時にさえ微騰した。原因は工業製品以外の物価,すなわちサービス,食糧が傾向的に騰貴したからである。総合指数では65年の1.7%高から66年の2.9%高となって,長期的な騰貴速度である1~2%をかなり上回るに至った。67年はじめの景気停滞中にも微騰し,67年7月の水準は前年同月比2.7%高である。

もし,このままの調子が続けば67年の騰貴幅は4.8%にも達し,明年は増税なしとすれば,6%高を予想されるまでになった。

消費者物価の騰貴は食糧,工業製品よりもサービスに負うところが大きい。そのなかでも家賃,交通料金,教養,リクリエーションの値上がり幅は比較的少なく,医療費,パーソナル・ケヤは著しく騰貴した。

最近の工業製品卸売相場の騰貴を反映して,消費者物価のなかでも工業製品の騰勢が目立ちはじめた。すなわち61~63年には年平均で0.75%に過ぎなかった騰貴速度が64~65年には0.8%,66年には0.9%としだいに加速し,67年1~8月には2.Oとなってすでに前年いっぱいの騰貴率の倍となり,前年の同一期間の1.2%をやや上回った。上述のように耐久消費財の卸売価格騰貴に伴ない,今後の騰勢はさらに強まるもようである。

第25図 消費者物価指数

3) コストの上昇

さきに述べたように1966~67年には,失業率の低下が賃上げ意欲を強め,また,一部産業では適正操業率を上回る完全操業に近い状況が,コストを引上げ,物価騰貴を誘発した。66年の失業率は前年の4.5%から3.8%へ下がり,月によると3.5%(季節調整済み)まで低下し,朝鮮戦争当時の水準に回復し,とくに熟練労働者の不足が目立った。これは20才以上の男子40万が,66年に新規に徴兵されたからでもあるが,ティーンエイジャー12万5千人の徴集も労働力不足の一因であった。

労働市場の引締まりを反映して労働組合の交渉上の地位が好転したばかりでなく企業利潤の好転が経営者を譲歩しやすくした。また,労働力不足に直面して経営者が争って労働力を探し求める事例もあった。こうして66年下期の賃上げは5%にも近くなった。

第26図 製造業労務費

67年1月,大統領経済諮問委員会(CEA)は,従来の賃金,物価のガイド,ポスト(3.2%)は原則として堅持する意向をみせたが67年には鉄道,ガラス,タイヤ,航空輸送,自動車工業など有力労組の賃金改訂期にあたり,しかも高い雇用水準が続いていたため,CEAも非公式には5%までの賃上げもやむをえないといった態度に変った。67年央に妥結した航空輸送労組の賃上げ幅は8%,フォードのそれは6%に達した。労組協約賃金の賃上げ幅は65年3.3%,66年4.1%,67年上期4.6%へと漸騰したのち67年10月のフォードがペース・セッターとなって,下期の賃上げ幅を5%前後に引上げるであろう。

製造業では稼動率は落ちる半面,賃金は増大するため,単位生産当たり労務費は66年はじめから騰貴して同年中に3%騰貴し,67年央には前年同期水準を6%(製造業)上回るに至った。

こうして,コスト面から値上げ圧力が働いたばかりでなく,総需要が強く,ややもすれば売り手市場であったため企業はこのコスト騰貴分を物価に転嫁しやすい環境にあった。

(4) 財政,金融の引締め

1) 財  政

ベトナム戦費の増強によって,最初はバターも大砲もといった連邦支出もベトナムに傾斜せざるをえなくなった。連那財政支出に占める軍事支出の比率は1965年度の52%から67年度の56%へ上昇し,軍事費増加分が朝鮮動乱当時のように増税によってまかなわれなかったこともあって,赤字幅は65年度の34億ドルから67年度の99億ドルに増大した。66年初め,財政刺激を加えなくとも景気はかなりの上昇力をもっていたため,連邦財政のあり方についてはかなりの批判があった。66年初,当時の新聞,雑誌に広く紹介された,ワシントン大学の報告は「目先に迫った現在の潜在的インフレが-66財政年度を通じて-無視された」とインフレの危険を説き,前CEA委員長のヘラー氏や金融当局は増税を要望したほどであった。だがその引き締めは66年1月の社会保障税引上げ,3月の消費税減税取り止め,5月の個人所得税源泉徴収率の引き上げ,法人税納期の繰上げ,9月の連邦政府支出削減措置などにとどまり,一般増税にはふみきれなかった。

67年1月の予算教書は6%の一般増税を要請したものの上期の景気停滞によって見送りとなった。その後68年度の防衛予算は去る1月の予算教書を40億ドル上回って,増税なしとした場合290億ドルの赤字を予想されるに至った。おりから景気も好転していたので,この異例に大幅な財政赤字を縮小すると同時に,財政支出のもつ経済刺激効果がインフレを促進する傾向のあるのにかえりみて,67年,8月3日ジョンソン大統領は約74億ドルにのぼる増税を議会に要請した。その大要はつぎのとおりである。

① 67年10月1日より個人の所得税に10の付加税を課す(40億ドル増収)。

② 7月1日から法人税に10%の付加税を課す(2億ドル)。

③ 68年4月から2%へ引き上げる予定になっていた乗用車の消費税を現行税率(7%)に据置く。2%への引下げは69年7月1日からとし,1%への引下げは70年1月1日からとする(現在の計画ではいずれもその1年前に引下げることになっている)。

④ 電話料に対する消費税は68年4月以降1%へ引下げることになっていたが,これを69年7月へ延ばし,この間は10%の現行税率に据置く〔(3)と(4)を合わせて3億ドル〕。

⑤ 法人税の納期を繰上げる(8億ドル)。

⑥ 低所得層1,600万人には1月の原案同様増税を免除する。

第11表 連邦財政

連邦の税金がふえれば,それにつれて州,地方の税金もふえるので,68年度の増税規模は74億ドルの約2倍に相当する145億ドルとなり,増税が完全に実施される69年度では235億ドルとなる。以上のほか社会保障税の引上げ115億ドルがあり,郵便料値上げ,一部の州で予定される売上税,資産税の引上げで,法人,個人の購買力はかなり吸収される。こうした方法で景気の再過熱を防止しようとするのであるが,議会には増税よりもむしろ連邦財政支出の削減を優先する空気が強く,政府原案どおりの通過は困難となった。このために政府は100億ドル余の支出削減に同意し,68年1月から増税実施の見込みが強まった。

2) 金  融

1965年12月に公定歩合は4%から4.5%へ引上げられて35年ぶりの最高となった。ジョンソン大統領は引上げの時期尚早と非難し,マーチン理事長は次年度予算の発表される66年1月まで待ったのではインフレ対策としては遅ぎると弁明したが,事実次年度予算は膨張した。

連邦準備の金融政策はすでに65年にゆるやかな引締めに変っており,連邦準備当局は65年後半にすでにベトナム支出の増大もあって,重大なインフレ圧力が増大しつつあると判断した。66年にも軍事支出の増大が主要な経済刺激要因となっていたため,総需要の増大を抑制する仕事は金融政策に傾斜せざるをえなくなった。

65年末の公定歩合引上げに始まって66年夏ごろまではしだいに引締めが強められ,7月から9月までの間にニューヨーク連邦準備銀行ほか6準備銀行は0.5%ないし1%の公定歩合引上げを決定し,連邦準備理事会で拒否されるひとこまもあった。他方,財政面でもこの間にいくらが引締め措置がとられ,その効果が侵透するにつれて,11月には金融引締めをやや緩和する余地が発生した。

66年春から夏へかけて,金利は急騰し,秋には各種の金利が30年来の最高となった。66年冬から67年春へかけては総需要のゆるみもあり,金融政策も緩和され,4月には公定歩合も引下げられて,6月に至るまで財務省証券レート(3ヵ月)は引き続き8ヵ月間低下した。これに対して長期金利は66年秋ピークに達したのちあまり下がらず,5月ごろに早くも騰貴に変わり超一流債利回りは7月にすでに66年9月のピークを越え,大企業の新規発行債利回りは6%を突破した。

長期金利が余り下がらず,短期金利の低下期間中早くも騰貴しはじめたのは,法人企業の流動性を高めるための資金手当(短期借入れの長期借換え)将来の金利高を見通しての起債ラッシュによるものであり,67年1~9月の民間起債額は前例のないほどの巨額に達した(185億ドルで66年いっぱいよりも6億3,100万ドル多い)。ところが法人税の納期繰り上げが66年に実施された関係もあって,法人の流動資金は67年上期中に78億ドル減って,異常に低く,巨額の社債発行も流動性の悪化を完全に防ぎ切れなかった。

67年7月以降の短期金利の騰貴も長期市場の繁忙に影響されたとみられるが,ここでは連邦政府借入需要が強く響いているのを見逃がせない。ジョンソン大統領は67年1月予算で,連邦財政赤字を増税によって一部穴埋めするはずであったが,上期の景気情勢から増税は無理となり,68年度の赤字は230億ドルないし290億ドルと推定されるに至った。67年7月の財務省発表によると,年末までに150億ドル借入れる予定となっているが,10月にはこのうち138億ドルの借入計画を発表した。このうち25億ドルだけが3年半の国債であって,残りはすべて1年未満の短期借入である。長期国債の金利が4.25%におさえられているため,短期市場に集中するという制度面の欠陥が短期金利上昇の有力な原因となっている。

現在議会審議中の増税案が可決されれば,連邦の資金需要はややゆるむであろうが,それでもなお,68年第1四半期には約50億ドルの借入れを必要とされており法人も68年中新たに250億ドルていどの資金が必要とみられている。

67年8月の10%一般増税案は異常な金利高を避けるためでもあったが,実施がおくれているうちに総需要は活発に伸び,民間の資金需要がふえる半面,連邦の現実の借入需要と借入増加見通しが金利を引き上げる悪循環となっている。こういった資金需要の強さが再びイギリスその他から資金を流出させ,イングランド銀行はその防衛策として,10月,11月3回にわたって公定歩合を引上げ,ポンドの切り下げに踏み切った。このショックでアメリ力当局も11月20日以降公定歩合を0.5%上げて4.5%とした。

第27図 金利動向

(5) ベトナム戦争の影響

ベトナム戦の影響をここでひとまとめにしておこう。

1968年度改訂財政見積りによるベトナムを中心とする防衛支出は771億ドルとなって連邦財政支出に占める割合は54.9%(53年度68.1%),GN Pに対するそそは推定10%となった(53年度13.5%)。支出規模ではすでに朝鮮事変当時のピークをこえ,第2次大戦中の最高額823億ドルに追った。巨額の軍事支出は66年のブームを過熱させ67年上期の停滞局面では落ち込みを防止した。

まずベトナム戦のもたらす防衛支出の増大と朝鮮事変がもたらしたそれとの比較を試みよう。朝鮮事変当時は50年第3四半期から防衛支出がふえはじめて,2年後の52年第3四半期にGNPの13.6%(ピーク)を占めるにいたった。これに反し今回は65年第3四半期からの2ヵ年間で7.3%から9.4%に増大したはとどまった。非軍事部門のGNPが防衛費以上の速度で増大したためである。

こういった急激な増大は消費者の買いだめ心理と相まって朝鮮事変直後の数ヵ月間物価の急騰を招いたが,今回の騰貴速度はさほどではなかった。

国際収支へのはね返りも朝鮮事変当時の方がいちぢるしい。当時は一部戦争物資の備蓄もあって輸入が激増し,海外軍事支出の増大も加わって,戦後黒字続きの国際収支を突如赤字化して,50年35億ドルの多きに達した。これがその後のドル不足解消の一端となったのであったが,ベトナム戦争は慢性的な国際収支の赤字のなかに発生し,従来からのドル防衛措置の強化などに助けられて,朝鮮事変当時ほどの赤字を発生させなかった。

以上のようにみてくると,朝鮮事変の方がベトナム戦以上に経済攪乱要因となったが,財政に対する影響は別である。

また朝鮮事変当時の防衛支出は2年間に2.65倍となったが,今回は1.47倍にとどまって,前回ほどの強い経済刺激とはなっていない。これをGNPに対する寄与率でみると,刺激の強度の差異が一そう明白となろう。朝鮮事変当時は50年第3四半期以降急増して1年後の51年下期には100%を越え非常に急激な刺激を与えたが,今回はベトナム増強のはじまった65年第四半期から66年第3四半期まで5四半期にわたって,比較的ゆるやかに寄与率を増し,中間選挙の直前の四半期がビークとなって,66年最後の第4四半期に的急減したのち,67年第1四半期の防衛支出増加額はこの期のGN P増加額を上回るに至った。おりから景気横ばい期であったため,かなり下支えの役割をはたしたと思われるが,第2四半期以降寄与率は減少に転じて,景気回復過程での刺激効果をゆるめている。

第12表 防衛支出とGNP

たしかに朝鮮事変当時の戦費増加速度は大きいが,この当時の戦費は増税によってまかなわれた部分が大きいのに対して,今回は赤字財政によったため,財政赤字は当時としては比較にならぬほど大きくなった。なかでも67年度の赤字は99億ドルに達して,戦後第2番目の大幅赤字となった。第1番目の大幅赤字は朝鮮事変当時ではなくて,58年度の失業多発年次であった。続く68年度には実に300億ドル赤字が予想されて,67年8月3日の10増税要求となった。

以上のように考えると,ベトナム戦による軍事支出は65~67年のアメリヵ経済の成長を促進する面がかなり強かった半面,61年以来の好況をさらに刺激して,物価,賃金を高め,国際収支赤字を拡大する逆効果のあったことも否定しがたい。とくに66年の景気過熱局面で財政刺激を高め,景気調整策が金融政策に傾斜し過ぎて,67年初の停滞をつくり出したことは特筆すべきであろう。

第13表 GNPに対する防衛費の寄与率

(6) 当面の見通し

1968年の経済見通しは増税の時期とその規模に左右されるところが大きい。まず政府見通しによると67年のGNPは1月見通しの7,870億ドルをやや下回って7,830億ドルとなり,名目GNPの伸びは前年比5.4%となる見込みであるが,68年には570億ドル(7.2%)ふえ,67年の増加テンポを上回る見通しである。この見通しは政府の増税案が原案どおり実施されることを前提としているので,もし増税なしとすれば67,68年ともにもっと増加テンポは早まるであろう。

気懸りなのは67年11月のポンド切下げ後の情勢変化である。イギリスは切下げと同時に公定歩合引上げによって,短資流入を促通しようとし,アメリカはこれに応じて公定歩合を引上げ,資金流出を阻止しようとしたが,それでもなお米英の金利差はかなり大きいので,イギリスが引下げないかぎり,アメリカが引上げて,このギャップを縮小することも考えられよう。当局は11月の引上げに当たって,銀行の流動性を維持する意向を明らかにしているが,利上げは多かれ少なかれ景気動向に響くであろう。再度の公定歩合引上げなしとすれば,68年のGNPは前年比600億ドル増の8,450億ドル(上下に50億ドルの誤差を含む)とみられる。これが標準的な見通しであり,政府の前記見通しと大差ない。

これを67年の推定GNP7,850億ドルに比較すると,名目7.6%増であり,67年の前年比5.6%増よりも2%ほど高い。68年の物価騰貴は約3%とみられるので,実質増加率4%では前後であろう。なお設備投資は67年の停滞(前年比2.3%増推定)から68年5%の増(マクグロー・ヒル社予測)にふえる見通しであるが,どちらかといえば消費型の景気になりそうである。


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