昭和42年
年次世界経済報告
世界景気安定への道
昭和42年12月19日
経済企画庁
第1部 1966~67年の世界経済
第1章 世界経済の現況
1967年を中心にみた世界経済のおおよその動きは以上の通りであったが,最後に世界貿易の動向について概括的にふれておこう。
(1) 世界貿易の停滞
近年,総じて順調な拡大過程をたどってきた世界貿易は,1967年上期に著しくその基調を弱め,第2四半期の世界貿易(季節調整済み,以下同様)は僅かながら減少を示した。その後減少テンポはさらに強まり,第3四半期には,前期比2.2%の減少となった。
1) 工業国貿易の減少
1967年におけるこのような世界貿易の停滞は,欧米諸国の広汎な景気不振による輸入需要の著しい冷却に起因したものであった。
欧米のうちで最も早くから輸入が減少を示したのは西ドイツであって,66年第2四半期以降減少に転じ,67年上期には一だんと減勢を強めた。67年上期の輸入の減少率は前期比10%(年率)と大幅であった。この西ドイツの大幅な輸入減少は,フランス,オランダをはじめ,西欧諸国の生産と輸出の減少を招き,1,2の例外を別としたこれら諸国の輸入減少となって波及した。
西欧で,67年上期中の輸入が増勢を維持したのは,イタリアとイギリスであった。イタリアの輸入増加は,活発な国内需要と生産の増大を背景としたものであったが,イギリスはこれと事情を異にした。イギリスは66年12月輸入の増加は,結果的にはEFTAを中心とする他の諸国の輸出の落込みを少なくさせた面があったことは否めないが,国際収支調整に悩むイギリス自身にとって,この輸入増加はまことにきびしい制約となってのである。
西ドイツの不況を中心とした西欧全般の輸入が不振状態におちいった一方では,北米の輸入も不振であった,アメリカの輸入は,在庫調整による国内景気不振を反映して,67年上期には前期にくらべて若干の減少となり,とくに第1四半期から第2四半期にかけては2.3%の減少となった。このアメリカの輸入減少によって,工業国全体の輸入基調は一そう弱められた。
67年の第1四半期から第2四半期にかけて工業国全体の輸入は0.4%の減少となったが,このうち輸入増加が大きかったイタリアと日本を除いた工業国全体の輸入は4%の減少を示した。
このような工業国の輸入需要の減少によって,工業国間貿易は縮小効果を現わしはじめ,工業国の輸出基調も急速に弱まった。ただし,工業国全体の67年上期中の輸出は,輸入ほどには落ちなかった。これは,工業国の低開発国向け輸出が増加を続けたことと,とくに西欧の社会主義国向け輸出がかなり増加することによって輸出全体の落込みを下支えしたためであった。西欧の社会主義国向け輸出の増加は,近年の東西貿易の拡大傾向を背景としたものとみられる。また,低開発国向け輸出の増加は,前年までの低開発国の工業国向け輸出の増加による低開発国の輸入余力の増大効果がある程度まで時間的なずれをもって現われている面があるようである。しかし,後章(第2部第3章)で明らかにされているように,工業国と低開発国の輸入変動の間には通常半年余りのタイムラグがあるから,67年下期における工業国の低開発国向け輸出の基調は弱まったものとみられる。
2) 低開発国の輸出停滞
1967年の低開発国の輸出も全般的に著しく伸び悩んだ。低開発国の輸出総額は季節調整済みでみて,67年第2四半期には若干の減少となった。これは,低開発国の工業国向け輸出の減少によって大きな影響を受けたものであった。
67年上期における低開発国の北米向けおよび西欧向け輸出は,前期よりそれぞれ6%および12%減少(年率,以下同様)した。これに対して,低開発国の日本向け輸出は23%の伸びを示し,低開発国の工業国向け輸出の減退を下支えする効果はかなり大きかった。
これを低開発国の輸出地域別にみると,アジア,アフリカの西欧向け輸出はかなり減退した。国別の影響ではとくにインド,パキスタン,ナイジェリアの西欧向け輸出の減少が大幅であった。また,多くの中南米諸国は,アメリカの原材料と食料輸入の減少によって,アメリカ向け輸出が減少した。しかし,ベトナム関連支出の増加が続いたため,一部の東南アジア諸国では輸出はなおかなりの増勢を続けた。また中東諸国の輸出は,中東戦争とスエズ封鎖の影響で目立った減少を示した。
一方,低開発国の商品相場は66年後半から低下を続け,67年6月には中東戦争の影響でかなり上昇したが,その後再び低下を続けた。このような商品相場の推移を反映して,低開発国の輸出物価は67年第2四半期には若干の低下を示したが,その半面で輸入物価は66年後半から上昇に転じたため,交易条件は悪化した。
このように,低開発国の輸出は欧米工業国の景気停滞と交易条件の悪化により,各地域とも伸び悩んだが,一方輸入は,外貨準備の高水準,輸出変動との間の時間的なずれ,工業国の輸出圧力の増大などにより低開発国の輸入は増大した。輸出が停滞した67年上期でも輸入の増勢はなお強く輸出を上回る伸びを続け,その結果,低開発国の貿易収支の赤字幅は拡大した。
3) 東西貿易の動き
社会主義国の貿易についてみると,近年減少を続けてきた中ソ貿易は,文化大革命の下で一そう不振を示した模様である。しかし一方では,東西貿易はこの数年来の拡大基調が続いている。とくに,ソ連については,67年に入ってからの西側諸国との間の貿易の伸びはかなり高率であり,東欧諸国の西欧との間の貿易基調もかなり強かったようにみられる。67年上期中の西欧全般の輸出にとって東西貿易が少なからぬ下支え要因となっことは前述のとおりである。
中国の西側との貿易の伸びは,とくに輸出について伸び悩みを示したが,これは文化大革命による生産の混迷が若干影響しているようにみられる。
(2) 日本の輸出への対外的影響
1967年の世界貿易が全般的に急速な停滞を示したなかにあって,日本の輸出も伸び悩みを余儀なくされた。
日本の輸出総額は,67年に入ってほぼ横ばい状態を続けた。67年中の日本の輸出が基本的に海外輸入需要の不振によって影響されたことは,第20図からもうかがわれるとおりであるが,とくに工業国向け輸出については,北米や西欧諸国よりも日本の方が総じて67年上期中の輸出減少幅が大きかった。これは,上期中の日本の工業品輸出に対して内需増大に伴う供給余力の減退が制約要因として働いたのに比較して,イタリアを除くその他工業国では内需不振が輸出ドライブを強める動きにあったこと,すなわち,彼我の内外需要圧力の差に違いがあったことによる面が多かったようである。
日本の輸出停滞は工業国向け輸出の減少によって多分に影響されたものであったが,そのなかでも北米向け輸出の減少は大きな影響を与えた。北米向け輸出は67年に入ってアメリカの景気停滞を反映して,第1四半期に前期比7.2%,第2四半期には6.0%減少した(季節調整済み,年率,以下同様)。この北米向け輸出の減少率は,西欧向け輸出の減少率(第1四半期,第2四半期にそれぞれ10%減)よりは小さかったが,日本の輸出総額に占める北米向けの比重が大きいだけに,輸出全体に与える影響も大きかった。上期中の日本の工業国向け輸出減少の6割までは北米向けの減少によるものであった。商品別にみると,日本の対米輸出の約20%を占める鉄鋼と,約15%を占める繊維の減少の影響が大きかった。鉄鋼輸出については,西ドイツなど西欧諸国が国内景気不振による対米輸出ドライブを強めたのに対して,日本の輸出が内需増大を背景に伸び悩んだことによる面が少なくなかった。
西欧向けの輸出も減少した。そのなかでも,西ドイツを中心としたEEC向けはかなりの減少を示し,鉄鋼,繊維などについてとくに減少が著しかった。これに対して,EFTA向けは増加したが,これもイギリスやノルウェー向けの船舶輸出の急増という一時的要因によるところが少なくなかった。
低開発国向けおよび社会主義国向け輸出も,67年に入って伸びが鈍化した。
低開発国向けのうち,東南アジア向けについては,台湾,韓国,南ベトナム向けの輸出は増大した半面,インド,セイロン,ビルマ向けは減少した。
社会主義国向けの67年上期中の輸出は,ソ連,中国向けとも前年よりも減少した。とくに日中貿易の減少には,文化大革命の影響が尾を引いている面もあるようである。
以上のように,67年に入ってから日本の輸出は,海外環境の悪化を背景として,停滞基調を続けることを余儀なくされた。過去の国際収支悪化は,国内景気の過熱によるものであったのに対し,67年の場合には過去と比較して海外環境の影響を受ける面が相対的にかなり強かったが,このたびのポンド切下げにより日本の輸出環境は一だんときびしさをますものとみられる。
過去の日本の国際収支改善の経験からしても,その時の海外環境に影響されるところが多いが,輸出伸長のために一そうの努力が望まれよう。