昭和42年

年次世界経済報告

世界景気安定への道

昭和42年12月19日

経済企画庁


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第1部 1966~67年の世界経済

第1章 世界経済の現況

1. 工業国の景気不振

(1) 鉱工業生産の減退

世界工業国全般の経済は,1961年以降66年半ば頃までかなりの拡大テンポを維持してきたが,66年後半になって拡大の鈍化傾向が現われ始め,さらに67年に入ると景気の著しい停滞が表面化するに至った。

工業国の景気不振は,鉱工業生産の動きによく反映されているが,その特徴はおおよそつぎの通りである。

第1に,工業国全体の鉱工業生産指数が低下したことである。OECD総合の鉱工業生産(季節調整済み,以下同じ)は,66年12月をピークにして,67年前半には若干の低下となった。このOECD全体の鉱工業生産が低下したのは,61年初めのアメリカの景気後退時以来のことである。

第1図 世界工業国の鉱工業生産の推移

第1表 工業国の業種別生産

第2に,主要な工業国の鉱工業生産の低下が目立ったことである。工業国中もっとも鉱工業生産の低下が大幅だったのは西ドイツであって,66年6月のピークから67年6月にかけて約8%低下した。アメリカの鉱工業生産の低下幅は,西ドイツほどではなかったにせよ,66年12月をピークとして67年6月まで下がり続け,この間に3.6%の低下となった。67年前半のイギリスの鉱工業生産も前年のピーク時を約3%下回る水準で横ばいに推移した。フランスの鉱工業生産も,67年前半の水準は,前年のピークを1%程度下回った。

このように,主要工業国の生産が不振であったばかりでなく,景気不振が広汎にわたり,その他の多くの工業国の生産もまた停滞したことが,第3の特徴であった。世界の工業国中で,67年前半の鉱工業生産が66年下期よりもかなりの拡大基調を続けたのは,イタリアと日本だけであって,その他の工業国の生産はおおむね停滞的であった。

第4には,イタリアを除く欧米工業国の鉱工業生産不振の業種別内容について,かなり共通的な傾向がみられたことである。業種別にみて,67年前半の生産減退がとくに著しかったのは,金属工業,機械工業,繊維工業および鉱業であった。機械や金属工業の生産の減退は,各工業国の投資活動の沈滞を反映したものである。そのほか,繊維の不振は欧米に共通してみられ,石炭,鉄鉱石を中心とする鉱業の不振はとりわけ西欧諸国において顕著であった。西欧諸国における繊維不況や石炭不況は,ある程度まで産業再編成下の構造的不振産業の性格を反映したものかもしれない。

(2) 実質国民総生産増加率の著しい鈍化

鉱工業生産がこのように不振であったから,1967年前半の工業国の総生産増加率も総じて著しい低下を示した。OECD加盟国全体の実質国民総生産の増加率は67年前半の実績見込みで,2%台(年率)にとどまった。この増加率は,OECDが始まって以来最も低いものであるが,ちなみに現加盟国の合計値を過去にさかのぼって検討しても,この67年上期の実質国民総生産の増加率は,58年のそれについで低いものであった。また,OECD全体から日本とイタリアを除いた67年上期の実質国民総生産の増加率は,僅か1%台にすぎなかった。67年上期のOECD全体の実質国民総生産の増加のうち,約4割まではこの両国の総生産増加によるものであったが,それは日本とイタリアの経済拡大テンポがかなり高かったばかりでなく,半面において他の工業国の拡大テンポがはなはだ低かったことによるものでもあった。

第2表 OECD諸国の総生産増加率

1) 西欧景気の不振

工業国中でも景気不振がとりわけ著しかったのは西ドイツであった。西ドイツは1966年夏場頃から急激な景気後退に見舞われ,67年上期に至って実質国民総生産は約3.5%(季節調整済み,前期比の年率)の減少となった。西ドイツの経済拡大率がマイナスとなったのは戦後初めてのことであった。西ドイツのこの深刻な景気後退は,すでに労働力不足下のコスト・インフレが利潤を圧迫する傾向を強め,企業の投資意欲が減じつつあり,また石炭などに構造的不況が進みつつあったところに,64年夏以来の長期にわたる金融引締めによる資金調達難や内需の減衰の影響が加わり,設備稼動率の低下によって投資意欲が一だんと減殺されたために生じたものであった。67年上期の設備投資は前年同期に対して約15%の減少となったが,建設投資もこの間に約8%減退した。また,在庫投資も66年上期から67年上期までの1年間に50億マルクの縮減となったが,この在庫投資の縮減額は,実質国民総生産の約3%にも相当する大きさであった。こうした投資需要の著しい減退は,雇用や勤労者所得の停滞をまねき個人消費に対しても少なからぬ悪影響を現わし始めた。67年上期の実質消費は,前年同期に対して僅かに0.3%の伸びに止まった。これに対して輸出は67年上期にも約12%増大した。しかし,国内需要は総じて著しく不振であったために,輸出の増加にもかかわらず結局,実質国民総生産は前述のごとくかなりの減少となったのである。

第2図 西ドイツにおける国内需要の沈滞

イギリスは,66年7月にとられたポンド危機克服のための総合緊縮政策の下におかれ,67年上期の経済拡大も僅かに止まった。年初来のデフレ緩和措置により,内需は消費を中心に幾分立直りをみせたものの設備投資の減少はなお続いた。また,66年には比較的順調な増加を示した輸出が,67年になって欧米景気の不振を反映して減少に転じ,一方輸入は67年末の輸入課徴金の撤廃によりかなりの増加となった。海外要因がこのような動きを示したために,内需の若干の立直りにもかかわらず,67年上期の実質国民総生産は66年下期に対して,年率2%の増加に止まった。

第3図 イギリスの国民総支出の変化

フランスの景気も67年に入ってから停滞色を濃くした。このフランスの景気停滞は,一つには近隣諸国とくにフランスの輸出の約4分の1を占める西ドイツの不況が,フランスの生産活動に悪影響をもたらしたことに起因したものであった。また,対内要因としては,景気停滞と産業再編成下の失業の増大が国民間に不安を生じさせ,消費を手控えさせる結果を生じ,さらには輸出と消費の伸び悩みが,企業の悲観的見通しより在庫投資沈滞を生じさせたものとみられる。

その他の西欧工業国は,オランダ,ベルギー,オーストリア,スエーデン,スイスなど,66年下期に経済拡大が鈍化したあと,67年上期には拡大テンポはさらに弱いものになった。これは,すでに66年中のコスト・インフレと過熱抑制策の影響に,近隣諸国の景気後退の波及効果が重なりあって景気を急速に冷却させることになったからであった。

西欧諸国が,西ドイツの不況を中心として同時的な景気不振を呈したなかにあって,イタリアだけはかなり活発な拡大を続けた。これはイタリアが他の西欧諸国のような構造的不況産業が少ないこと,投資が循環的な上昇局面にあり,また経済発展5ヵ年計画のもとで南部開発が積極的に促進され,建設投資,設備投資が活況を示していることによるものとみられる。67年上期の鉱工業生産指数は前年同期に比べて約10%の増加であったのに対して,投資財生産は16%の増大となり,投資が経済拡大の牽引力をなした。経済拡大に伴い雇用も増加しつつあるが,労働力の余裕がなお多く残されているために,価格は安定的に推移した。しかし,イタリアの近隣諸国の景気不振により,輸出が伸び悩んだ半面,原材料,半製品輸入を中心とした輸入増大によって,67年上期の貿易収支は赤字幅を拡大した。欧米諸国の景気停滞は,また観光や移民送金など貿易外収入の若干の低下にはね返りをみせた模様である。資本収支は,自由化政策の影響もあって,若干の悪化を示した。このため,67年上期の国際収支総合は2.2億ドルの赤字となったが,前年同期の総合収支が2.7億ドルの黒字であったから,この間に5億ドルの国際収支の悪化がみられたことになる。

2) 北米の景気停滞

イタリアを例外として西欧工業国の景気が総じて不振であったのと時を同じくして,67年上期の北米の景気も停滞状態にあった。

1961年以来70ヵ月におよぶ長期繁栄を続けてきたアメリカ経済は,67年になって著しく拡大基調を弱めた。67年第1四半期の実質国民総生産は僅かながら減少し,第2四半期には幾分もち直したが,上期を通じてアメリカ景気は停滞的に推移した。景気停滞の主因は企業投資,とりわけ在庫投資の大幅な減退にあった。在庫投資は,66年第4四半期から67年第2四半期にかけて180億ドル減少したが,これは国民総生産の約2%に相当する大きさであった。67年上期に顕著な在庫調整が進んだのは,66年後半において在庫蓄積が激増したことの反落作用であったが,この在庫調整には,軍需品の仕掛在庫が不規則的な変動をしたことや,耐久消費財や繊維品の意図せざる在庫増大が生じたことなどが影響したとみられる。設備投資も67年上期には停滞して第1四半期には年率3.6%の減少となったが,その後はゆるやかな立直りを示した。在庫投資や設備投資の動きとは対象的に,住宅投資は67年になって回復に転じたが,これは主として金融緩和の影響によるものであった。67年上期の企業投資の減退による景気停滞の期間中も,政府支出は軍事支出を中心に増大を続け,景気下支え要因となった。67年上期の国民総生産増加のうちの約4割までは軍事支出の増加によるものであった。

第4図 アメリカの国民総支出の推移

カナダの景気は概してアメリカと類似した動きを示したが,景気停滞がアメリカよりも幾分早目に66年末頃に現われていた点と,アメリカほど大幅な在庫調整がなかったために,67年上期における景気停滞の度合もアメリカよりも軽かった点などでは若干の相異があった。

(3) 景気の同時的不振の背景

以上に明らかなように,1967年上期の工業国の経済は,日本およびイタリアを重要な例外として,同時的な景気不振を示した。その原因は複雑であって,アメリカや西ドイツといった大国の景気不振が重なりあったことなど偶然的な面もあるが,つぎの点が注目されよう。

第1には,67年の世界工業諸国の景気の同時的不振の背景は,66年における工業国経済の推移と政策に見出されることである。60年代前半の工業国の高い経済拡大が続いたあと,65年末には日本とイタリア,フランスを除くすべての工業国は完全雇用と景気の過熱的局面を迎えていた。これら工業国では民間投資と公共部門投資が時を一にして拡大したために,需要圧力は労働,設備といった資源の供給力に対しても,金融市場や金利水準に対しても圧迫を強めた。したがってこの時期において,コストと物価上昇の圧力を抑制することが,また景気変動を安定化させていく上の最大の課題となりつつあった。各工業国はインフレ圧力を抑制する手段として,一般に金融引締め策を発動したが,そのタイミングは総じて遅れがちであった。また,有効需要を調節するための財政政策も,実施が遅れたり,あるいはごく部分的に実施されたにすぎなかった。多くの工業国では,これまでの高い経済成長のなかで財政赤字が拡大し,それが需要圧力を強め,また財政運用の硬直化をまねく状態にあった。このため,多くの欧米工業国では一様に,金融引締め策を強化しながら国内インフレ抑制と国際的な資金移動の調節をはかったが,66年中にはきわめて限られた効果をあらわしたにすぎず,むしろ,66年の国際的な異常な高金利の一因となり,遅れて67年はじめに至ってその影響が現われることになった。67年上期における多くの欧米工業国の同時的な景気不振は,それに先立つ時期の一様な引締め強化と多少とも関連をもっていた。またこのことはインフレの進行を政策的に調整することがどの国においてもかなりの困難性をもっていたことを反映したものでもあろう。

第2には,工業国間における景気不振の波の伝わり方が急速であったことである。たとえば,西欧貿易についてみよう。近年の西欧諸国にとって大きな輸出市場は①西ドイツ,②フランス,アメリカ,イギリス,③オランダ,④ベルギー,⑤イタリアの順位となっており,これら7ヵ国で西欧輸出総額の実に8割を占め,かつ輸入自由化によるこれら諸国の貿易交流も緊密化している。それだけに西欧にとって最大の輸出市場である西ドイツがかなり深刻な不況に見舞われたことは,フランス,オランダ,ベルギーなどの近隣諸国を経由して,不景気の西欧内での相互波及効果を強めることになったし,さらに時期を同じくしてアメリカが景気停滞に当面したことが,西欧工業国の景気停滞を一そう強める結果にもなった。66年の西欧諸国の対米輸出が西ドイツの33%増を筆頭に,オランダ,イギリス,スエーデンの20%増,その他諸国でも10%をこえる増加を示したことから考えても,67年のアメリカ輸入が著しく伸び悩んだことが西欧の景気に不利な影響を与えたことは否定できない。

その他の諸国でも,日本やカナダの輸出は,アメリカの輸入停滞によってうける影響はかなり大であった。要するに,自由化のもとで工業諸国間の景気波及力が強まっていることが,67年上期において世界工業国の景気の同時的不振を生じさせた重要な一因であった。

(4) 景気対策の展開と最近の動向

1) 労働・物価情勢

工業国の景気停滞のなかで労働情勢にも変化が生じ,西欧諸国の失業者数は増加した。とくに西ドイツの失業増加は顕著であり,1967年々央における失業者数は66年平均の約3.5倍となった。イギリス,フランス,オランダなどの失業増加もかなり大きかった。西欧で失業数が減少した国は,イタリアなど2,3の国にすぎなかった。一方,北米については,アメリカ,カナダとも失業数は若干増加したものの,失業率は依然低水準を続けた。

第3表 西欧諸国の失業者数

総じて西欧工業国の労働需給のひっ迫が緩和するにつれて,物価・賃金の上昇テンボも縮少し,インフレ傾向は需要圧力が冷却されることによって,かなり弱まった。

第4表 欧米における物価と賃金の動き

これに対して北米のインフレ圧力は,景気停滞局面においてもそれほど弱まったとはみられなかった。

2) 景気対策の展開

このように西欧と北米の間の失業増加やインフレの冷却には差があったが,67年上期の欧米工業国は景気不振を打開するための政策を講じた。年初のチェツカース会議において,国際的な金融緩和と高金利から低金利に移行するための合議が行なわれたが,国別にも景気不振に直面した工業諸国は積極的な金融緩和と景気刺激策を打ちだした。

アメリカは,66年秋に過熱抑制のために一たん停止された投資減税と加速償却を復活し,道路,住宅など前年に抑制されていた一部の財政支出の増加をはかる一方,預金準備率の引下げ買オペの推進など積極的な金融緩和策を講じ,4月初旬に公定歩合の引下げを行なった。

イギリスも1月から5月の間に3回にわたる公定歩合の引下げを実施したほか,銀行貸出枠の撤廃,耐久消費財に対する賦払信用規制の緩和,投資特別補助金の増額および支払期限の短縮などの政策を講じた。

最も景気後退がはげしかった西ドイツにおいては年初来5月にかけて4回にわたり公定歩合の段階的な引下げをはかり,同時に7回にわたって預金準備率を引下げた。財政面では,第1次25億マルク,第2次53億マルクにのぼる公共投資の増額が行なわれ,また特別償却制度による民間投資の刺激策がとられた。

フランスにおいても,6,7月と2回にわたって景気刺激策がとられ,官公需の繰上げ発注,失業増加の大きな産業向けの融資の増加,投資資金調達を緩和するための各種の金融市場対策がとられた。

その他の工業国でも,カナダ,ベルギー,オランダ,スエーデン,オーストリアなどが相ついで公定歩合の引下げを行ない,これに伴って国内金利水準が低下するに至り,66年に異常なひっ迫をつげた国際金融も67年上期にはかなりの落着きを示した。

以上のように67年上期中に欧米工業国で金融緩和と景気刺激のための政策がつぎつぎに発動されたことによって,その後の欧米景気情勢はしだいに回復に向うことになった。

3) 最近の動向

(a) アメリカの回復

上期中景気が不振であった国のなかでは,アメリカは最も早く回復に踏出した。鉱工業生産指数は,半年の減退のあと,7月以降再上昇に転じた。第3四半期の実質国民総生産も,前期にくらべて年率4%の拡大となった。このようにアメリカがかなり速やかに回復に転じたのは,在庫調整がほぼ一巡して,在庫投資が再び拡大し始めたこと,設備投資もゆるやかながら回復したこと,住宅投資も順調な回復を続けたこと,個人消費の増勢が強まったことなどに加えて軍事費が増大したことなどによるものである。とくに企業投資の早期回復については上期中にとられた景気対策の効果によるところが少くないとみられる。しかし,景気回復とともに再びインフレ圧力が問題視されるようになってきた。工業平均賃金(時間当り)は,1960~65年平均の3%,66年の3.5%の上昇に対して,67年上期には4.2%の上昇となり,景気の停滞期間もむしろ上昇率が高まる動きを示した。一方,価格については,消費者物価は春から夏にかけて年率4%に近い値上りを示し,また最近では鉄鋼,自動車など重要部門の工業品卸売価格の上昇も目立ってきたため,このさき68年上期にかけてコスト・インフレが強まるのは避けられまいとの危惧も生じている。このようなコスト・インフレの基調のうえに,ベトナム戦費の増大を主因とした政府支出の増大による財政赤字の累増要因が加わってきたため,インフレ圧力の増大を回避するために,個人・法人所得に対する10%の増税提案がなされている。政府の増税案に対する反対意見もかなり強いようであるが,先行きアメリカが経済拡大とインフレ克服をどの程度に両立しうるかは,一つには増税実施に対してどれだけ大衆の支持が集められるかにかかっているものとみられる。

(b) 西欧大陸諸国の底固め

アメリカに比較すると西欧の景気回復は遅れているが,これは西ドイツやイギリスの立直りが遅く,このため西欧諸国間の貿易需要もまた回復するまでには至っていなかったことによるものであった。この間にあって,6月5日の中東戦争の勃発とその後の影響は,イギリスなど西欧の一部の国にきびしく働き,その景気立直りを遅れさせる一因ともなった。

西ドイツについては,景気の落込みが大きく不況の自律的進行が憂慮される状態にあったが,7月に至って,鉱工業生産もようやく減勢を止め,失業増加も峠をこし,景気も底入れを始めた。西ドイツの海外受注の一部は中東紛争の影響もうけたと伝えられるが,これまでにとられた景気対策の効果があらわれるにつれてしだいに回復局面に移行するものとみられている。ただし,西ドイツにおいても高度成長期以来累増した財政赤字の処理が重要課題とされており,中期財政計画との関連で,68年から個人および法人所得に対する3%増税という政府提案がなされているが,増税問題が景気の先行きに与える影響は注目されるところである。

フランスは,近隣諸国の景気不振のあおりを受けたこともあって意想外の国内景気の停滞が表面化したが,景気刺激策が心理的にも実体的にも景気を上向かせる効果をもち始めた。夏場に行なわれた企業のアンケート調査でも景気の好転を予想する企業が多くなり,また9月の鉱工業生産もかなり上向いた。このように下期経済の回復への動きが現われてきたが,上期の実績が思わしくなかったので,9月に行なわれた政府の67年の経済成長率見込みは,当初見通しを下回る4.2%に改訂された。

イタリアについては,海外景気不振の波及などを原因として上期の国際収支はかなり悪化したが政府は経済拡大に対する政策態度には変りはないようである。

その他の西欧工業国では,スイス,ノルウェーなど中東紛争の余波が外貨流入をもたらし,国際収支の好転要因となっている国もあるが,一般的には,西ドイツ,フランス,イギリスの景気停滞の影響で,現在のところではまだ生産の本格的立直りを示すまでには至っていない。おそらく,大多数の西欧工業国の今後の景気立直りは,上記の大国の景気立直りがどのように本格化するかに影響されそうである。

(c) イギリスのポンド切下げとその波及

67年下期において工業国中で最も暗い動きを示したのはイギリスであった。

67年年央に勃発した中東紛争の余波はイギリスに対してとりわけきびしく働いた。すなわちこの紛争を契機としてイギリスのアラブ諸国向けの輸出が減退し,また中東石油の利潤・配当送金が減少したばかりでなく,スエズ封鎖による運航距離の長距離化と船舶需給の世界的ひっ迫にともなう運賃上昇は,イギリスの運賃収支を悪化させることになった。また中東紛争に伴うイギリスからの資本流出もポンドに対する信認に悪影響を与えた。そのため,第2四半期までは対内リフレ政策や輸出増加によって景気立直りの糸口を見いだしつつあったイギリス経済も,海外要因の制約から,回復への足場を十分に固めえないままで停滞を続けた。これらの要因に加えてアメリカの金利上昇に伴う短資流出や,ロンドン,リバブールの港湾ストの影響もあって国際収支が著しく不調となり,10月19日,11月9日と相次いで公定歩合が引上げられた。しかも,ポンド不信は一そう強まる情勢にあったため,ついに11月18日に至り,ポンドの14.3%切下げを断行し,同時に公定歩合の8%への引上げ(1914年以来の最高,戦後は7%が危機レートといわれてきた)を中心とする引締めの強化および30億ドルにのぼる対外借款などを急拠決定した。

このたびのポンド切下げは,巨額の対外債務に対して金・外貨準備がきわめて少ないという対外ポジションの弱さを基本的原因としたものであったが,また海外要因がイギリスの国際収支に対して著しく不利に働いたことが,ポンド切下げを促進させたものであった。

第5図 アメリカの金利と物価

このポンド切下げはEFTA諸国やスターリング地域の低開発国などイギリスと貿易取引の深い諸国の為替平価切下げに波及し,ポンド切下げ後約10日間のうちにデンマーク,アイルランド,スペイン,ニュージーランド,香港など23ヵ国が平価切下げを行なった。

イギリスのポンド切下げは1949年9月に次いで戦後2回目のものであるが,当時と比べるとポンド切下げ幅が小さいこと(1949年は30.5%引下げ),当時はポンド切下げ後1週間を出ぬうちに世界貿易全体の3分の2を占める大多数の工業国およびスターリング低開発国が一せいに平価切下げに追随したのに対して,今回は平価切下げ国全体で世界貿易の10数%を占める程度で,波及の範囲が相対的に限られていること,などの点で異なっている。

こういった差異があるにしても,ポンド切下げの影響に関して,つぎの諸点が注目されよう。

第1には,為替平価の切下げの世界貿易に及ぼす影響である。平価切下げは切下げ幅と切下げ国数に相応した世界貿易市場の購買力の減少を伴う。また国ごとの影響をみても切下げ国にとっては,輸出増進と輸入抑制の効果をもつ半面,非切下げ国に対しては相対的に輸出抑制,輸入増加というデフレ的効果をもっている。世界工業国の景気回復が十分でない現在の局面でポンドその他一連の切下げが行なわれたことは,それだけ各国の輸出競争をはげしくさせる要因であり,各国の輸出環境はきびしさを加えることになるであろう。

第5表 今回のポンド切下げとその波及

第2には,ポンド切下げを契機にして強まりつつある国際的な金利再上昇が,各国の国際収支や景気回復を制約する要因とならないかという懸念である。

すでにポンド切下げが行なわれる前にも,アメリカでは景気回復につれて7月以降,長短金利の上昇が生じていた。このアメリカの金利上昇は,前年の金融ひっ迫の結果として流動性選好が増加していることや,軍事支出を中心とした政府借入増および経済拡大の高まりを見込した資金需給がひきしまり傾向にあることなどを背景としたものとみられている。

このアメリカの金利再上昇の影響は他の国にも波及しつつあったが,さらにイギリスのポンド切下げに伴う公定歩合の大幅引上げはその直後にアメリカの公定歩合引上げ(4→4.5%)とカナダの再引上げを誘発することになった。当面,国際金利の先行きを予断することは甚だ困難である。イギリスの8%という公定歩合は歴史的にみても異常な高さであるから,平価切下げによってポンドの信認が回復し,いままで流出していた短資が還流することになれば,割合に短期間で公定歩合の引下げが可能となるかも知れないが,かりに引下げられたとしてもなお金利水準は高い水準に止まりそうである。また米国の金利の実勢が上昇傾向にあり,ユーロ・ダラー金利も上っているので,国際的な金利水準がポンド切下げ以前の状態に復することを期待するのはむづかしそうにみられる。

第6図 欧米諸国の公定歩合の推移

国際的高金利が,各国の国際収支を不安定的にしたり,各国の景気の立直りを阻害するのを極力排除するためには,国際的な金融政策の協調がきわめて重要とされる段階にあるといえよう。

ポンド切下げ後の国際通貨体制を安定化させるためにはドルの安定化が一そう重要な課題となりつつある。また世界に占めるアメリカの金融市場の比重が大きく,他の国に与える影響が強いことからすれば,アメリカが適度の経済拡大を保ち,資金需要が金融市場に過度の圧力を及ぼすことを避けるための増税の実施時期とその程度のいかんは注目される問題である。


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