昭和41年

年次世界経済報告 参考資料

昭和41年12月16日

経済企画庁


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第7章 中国

1. 経済政策の変遷と現状

中国では1961年から調整政策が実施され,その後順調な経済回復を経て66年に第3次5ヵ年計画(1966~70年)が発足したが,5ヵ年計画の具体的な内容はまだ発表されていない。おそらく中国の当面する国際環境からみて,早急にその内容が公表されるようなことはあるまい。しかし,第3次5ヵ年計画の基本的性格については,すでに1962年9月の十中全会(党中央委員会)で定められた社会主義建設の長期的構想に準拠して進められていることが明らかにされている。この構想は,きびしい中ソ論争の過程を経て,国の内外で修正主義批判を展開すると同時に,自力(Self Reliance)で経済建設を進めるという経験にもとづいて体系化されたものであって,この社会主義建設の達成は,数十年を要するという長い歴史的展望のもとに策定されている。

そして,61~65年の調整段階を経過した後,66年に始まる第3次5ヵ年計画ではつぎのような経済政策が実施されようとしている。

第1に,国民経済発展のための資源配分について,農業優先政策を実施すること。

第2に,農業面では人民公社を中核とする農業集団化を強化し,生産力の増強とともに農業技術の改革を促進すること。

第3に,工業面では農業生産の増強と平行して産業構造の再編成,経営管理の強化,生産設備の増強,工業技術の開発をはかること。

第4に,物資流通面では,国営商業,合作社商業,自由市場の各流通機構の機能を活用して物資の流通を促進することである。

以上に示される経済政策の内容は,第1次5ヵ年計画(1953~57年)のそれと対比してきわめて対照的である。第1次5ヵ年計画期には,資源配分の重点は重工業建設および大規模企業建設に志向されてきた。たとえば投資の産業間配分において,中国がいかに重工業部門投資に重点をおいてきたかは,第7-1表のソ連との対比において最もよく示される。つまり中国の第7-1次5ヵ年計画期と,ソ連の第1次5ヵ年計画期とを対比した場合,国民所得に対する投資率はソ連が大きいが,産業間配分における工業投資とくに重工業のシェアは中国の方がはるかに大きい。そしてこのような「重工業優先開発」の実施を可能にしたのは主としてソ連の経済技術援助に負うところが大きかった。

以上のような経済政策のもとに,第1次5ヵ年計画の目標はほぼ完全に達成されたが,一方,工業生産の急速な拡大,とくに資本財および基礎財の拡大に比較して,消費財生産の停滞,農業生産の伸び率の鈍化という産業構造上の歪みが発生した。また新政権樹立後,人口増加率が急速に高まり,第1次5ヵ年計画期には年率2.5%,絶対数で年間1,300万人の人口増加となったが,過剰人口の圧迫は単に食糧需給の面だけではなく,雇用吸収面にも波及し,毎年230万人以上の労働力が,農耕部門あるいは伝統的家内工業セクターに潜在失業者として累積することとなった。さらに中ソ対立が深化するにつれてソ連の経済援助はほとんど打ち切られ,中国は国内貯蓄の範囲内で,自力で社会主義建設を遂行するという立場に追いこまれてきた。こうした, ①農業生産の停滞,②過剰人口圧力,③ソ連の経済技術援助の縮小という点が契機となって,第2次5ヵ年計画期(1958~62年)には「イギリスに追いつき追いこす」というスローガンを掲げて,「総路線,大躍進,人民公社」といういわゆる「三面紅旗政策」が展開されるようになった。社会主義建設の銘線を決定するうえで,理論的にも政策的にもソ連の経験を学ぶという路線から離れて独自の途を開こうとしたわけである。

しかし,「大躍進」は1958~59年と第2次5ヵ年計画の前半期間だけつづいて,60年にはいって中国経済は後退しはじめ,5ヵ年計画は中途で計画放棄の止むなきにいたった。経済困難の発生理由として,計画当局は,①自然災害,②ソ連の経済技術援助の一方的停止,③計画指導面の若干の誤りという3つの問題点を指摘している。計画指導面の若干の誤りとは,人民公社組織の強化を急いで,物的刺激政策がおろそかになり,農民の労働意欲の低下を招いたこと,あるいは,雇傭吸収と生産の拡大をねらって展開された小企業生産方式の挫折,などを指している。

中国の計画当局が公式に経済停滞の実情を認め,調整政策の必要性を強調しはじめたのは1961年1月の九中全会(党中央委員会)であり,そこでは投資規模の縮小,経済成長率の引下げと同時に,人民公社組織の整備(生産・分配の計算基準単位の細分化),物的刺激政策の採用(自留地,自由市場)などの諸政策が講ぜられることになった。

こうした調整政策の実施によって,中国経済は上向きに転じ,61~65年の調整段階を経て1966年から第3次5ヵ年計画が着手された。しかし農業生産の停滞や過剰人口圧力という問題がすでに解決されてしまったわけでもなく,なによりも生産の量的拡大が至上命令とされている。総じて社会主義の初期段階にある中国では,ベトナム支援にともなう国防費の増大もあって,かつて1958年に展開されたような精神的刺激を基調とした「大躍進」政策の実施を現在もなお必要とすると計画当局では見ているようである。

しかし,計画当局の政策の進めかたをみると,人民公社体制の再強化(生産・分配の計算単位を生産隊から生産大隊あるいは公社に移し,計画当局の計画意志が浸透しやすいようにする)や,物的刺激措置の廃止(農民の勤労意欲を高め,民族資本家の経営意欲を高めるために採用されている自留地,自由市場,資本家利子の廃止)などについては,これまでの経験を生かして,徐々に進めてゆくといった現実的な姿勢が認められる。


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