昭和41年
年次世界経済報告 参考資料
昭和41年12月16日
経済企画庁
第3章 西ドイツ
(1)金融引締め緩和近いか
以上のように,国際収支はいちじるしい改善をみ,物価も若干の問題を残しつつも一応落ちつきを取り戻したので,64年央以来の金融引締め政策の所期の目的は一応達成されたともみられる。加うるに,企業の投資意欲の減退から経済活動は停滞的となり,このまま放置しておけばリセッションのおそれなしとしない。当然ブンデスバンクの引締め緩和措置が期待されるところであり,実際また財界や民間エコノミストたちは最近ますます金融政策の軽換を要求しつつある。
ブンデスバンクの金融引締め措置を振り返ってみると,64年8月の支払準備率引上げを皮切りに,65年1月公定歩合引上げ(3%から3.5%へ),同年8月公定歩合再引上げ(4%へ),同年10月の銀行再割枠の引下げ,66年5月の再割枠再引下げと公定歩合の再々引上げ(5%へ)と,比較的長い期間にわたって継続的に強化され,66年11月現在で引締め開始以来すでに28ヵ月を経過している。前回の引締め期である59~60年においては,59年秋に,公定歩合と支払い準備率の引上げが開始されてから1年半足らずの61年春にはすでに金融緩和の方向へ政策転換が行なわれた。もちろん当時はマルク切上げ(61年3月)という強力なインフレ抑制策が併用されて,需要の抑制にいわば即効的効果をあらわしたという事情があったから,いちがいに比較はできないが,それにしても今回の金融引締めがかなり長期にわたっているという印象はぬぐえない。
ブンデスバンクは,金融引締めにより経済安定化がかなり達成されたとしながらも,賃金と消費者物価の動向と来年度予算の最終的な姿になお一抹の不安を感じているようであるが,半面では現在議会で審議中の経済安定法案の議会通過までは金融緩和に踏み切れないとも述べており,その意味では安定法案の通過が一つのメドとなるものと思われる。
しかし10月下旬以降における連立内閣の崩壊とそれに伴う政治的空白は,安定法案の成立,したがってまた金融緩和を遅らせる可能性があるばかりでなく,政治的空白自体が企業の投資意欲に悪影響をおよぼすおそれがあろう。
もっとも国際収支が66年央以降黒字となって対外面から国内の流動性が増加しつつあるのに対してブンデスバンクが新たな流動性吸収措置をとらなかったという意味では,ブンデスバンクの金融引締め政策が事実上若干緩和されたとみられないこともない。
(2)67年度予算案
67年度予算案が10月下旬に上院により事実上審議を拒否されたうえに自由民主党閣僚の辞任で窮地に陥ったエアハルト政府は,11月上旬さきの予算案に対する補正予算を提出した。
当初予算案の内容は,財政規模を739.2億マルク(66年度は689.1億マルク)とし,歳出増を税の自然増収47億マルクと各種租税特典の廃止による増収5,4億マルクによって埋めようとするものであった。ところが上院の見解によれば,①最近における景況の悪化にかんがみ67年の税収見積りは10億マルク前後の過大評価となり,②駐留軍費の見返りとしてアメリカから購入する軍需品の費用約11億マルクが計上されていない。③所得税および法人税の税収のうち連邦の取得分は67年から基本法の規定通り35%とすべきである(1964年の法律により,64,65,66年の3ヵ年にかぎりこの比率が39%へ引上げられた)にもかかわらず,予算案は連邦の取得分を39%としており,それにより約20億マルクの過大な歳入見積りがある。以上合計して約40億マルクの赤字があり,これは予算均衡の原則に反するというのである。
連邦政府は上記3点のうち,①と②を認めて,11月上旬に補正予算を提出し,これに対米軍需品購入費等の計上によって支出規模を752.8億マルクとすると同時に,歳入増加の手段として,石油税,煙草税,火酒税の引上げ,年間売上高15百万マルク以上の売上分に対する取引高税率の引上げ(4%から4.25%)などの増税措置によって合計35億マルクの増収をはかることにした。この予算規模は前年度見積の9.1%増に相当する。当初予算(739億マルク)でも前年比7.2%増で,67年の予想成長率(実質)4%を大きく上回っていたが,国内の景気に影響を与える国内支出だけでは4%増で,景気に対して中立的と説明されていた。今回の増額も主として対米支払い分であって,国内向け支出の増額は少ないから,支出面からの景気刺激的効果はあまり期待されない。むしろ間接税の増徴による消費購買力の吸上げのほうが重視さるべきであろう。
ただしこの増税案については,自由民主党も社会民主党も反対しているので,近く成立する新連立内閣が現政府の原案をそのまま押し通しうるとは考えられず,その成行が注目される。
(3)経済安定法案
67年度予算案と関連して注目されるのは,いわゆる経済安定法案の成行きである。西ドイツではこれまで財政が景気対策として運用されることが少なく,景気対策は主として金融政策に頼っていた。その結果,景気過熱時に,金融を引締めながら,財政放漫によって逆に過熱を煽るという現象がしばしばみられ,とくに65年には(選挙の年であった関係もあって)それが顕著であった。そこで財政を景気対策的に運用しうるような制度的基盤をつくることが急務とされていた。
西ドイツでは連邦制の下で州政府の財政自治権が確立しており,したがって連邦政府がたとえば景気過熱時に財政緊縮政策をとっても州政府の財政にまで介入することは困難な事情にあった(全政府支出のなかに占める連邦の割合は半分たらずにすぎない)。加えて連邦政府の財政制度も弾力性ないし機動性にかけており,景気政策的に運営することが比較的困難であった。そこでかかる現状を打破して,州財政に対する連邦の一定の介入権を確立し,かつ連邦の財政制度に機動性をもたせようとするのが,経済安定法の主たる狙いであるが,同時に金融政策手段の強化も意図されている。その主な内容は,①連邦と州の財政を景気対策的に運用することを義務づける。②参議院の同意の下に政令により連邦,州,市町村の借入額を制限する権限を連邦政府へ与える。③景気調整基金をブンデスバンクに設置し,過熱時には財政剰余金を繰入れ,不況等には放出して,景気を調整する。④中期財政計画(5ヵ年)をつくり,毎年状況に応じて,修正する。⑤その一環として,中期政府投資計画を作成,景気状勢に応じてその実施を調整する。⑥,特別償却率を景気状勢に応じて一時的に変更する権限を連邦政府に与える。⑦金融機関の貸出および有価証券保有高を一時的に制限する権限をブンデスバンクに与える。
以上のような法案の内容を個別にみると,すでに諸外国で実施されているものが多く,とくに目新しいとは思えないが,西ドイイツとしては画期的な法案であって,法案成立のあかつきには,西ドイツの景気対策手段も一応整備されることになろう。
この経済安定法案は9月に下院に提出され,目下下院の経済委員会で審議中である。同法案については,社会民主党が修正案を出しているものの,修正の内容は比較的技術的なもので,法案の原則自体については反対がないから,政府原案がある程度修正された形で成立するものと思われる。しかし今回の政変で審議が遅れる可能性が出てきた。
現実の経済情勢は,安定法案の主たる狙いである財政引締めを必要としない方向へ動きつつあるが,同法案は不況期における景気刺激措置も可能にするものであり,むしろ同法案の最初の発動はそのような方向で行なわれるものと思われる。それと同時に,前述したように,同法案の成立が金融緩和の前提とされている点に,現局面における同法案の議会通過の意義があるもと思われる。