昭和41年

年次世界経済報告 参考資料

昭和41年12月16日

経済企画庁


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第2章 イギリス

1. 1965~66年の経済動向

1964年秋にポンド危機に見舞われたイギリス経済は,1965~66年にもしばしばポンド不安に襲われ,対外面から大きな制約をうけた。労働党政府は当面のポンド危機に対処するため,相ついで財政・金融面からの引締め措置や直接的国際収支対策を打ち出すとともに,強力な国際的ポンド支援措置をとりつけるなど懸命にポンド防衛につとめた。その結果,65年秋にはポンドは小康をとりもどして一応危機を回避することができたが,基礎的国際収支は改善の方向をたどりつつも,そのテンポは緩慢となった。

一方,国内の経済活動は根づよい消費需要と輸出の好調に支えられて,65年秋ごろから再び上向きに転じ,労働需給のひっ迫を背景に賃金上昇圧力は強まりをみせ,物価も騰勢を続け,輸入の大幅増加から貿易収支が再び悪化した。このため66年にはいると引締めはさらに強化されたが,2月末に総選挙実施の方針が発表されるや,ポンドは再び動揺しはじめ,5月央から1ヵ月半もつづいた海員ストを直接的な契機としてポンド危機が再燃するにいたり,7月には公定歩合の危機レートへの引上げや賃金・物価の凍結を含むきびしい総合緊縮対策が発表された。これらの措置は,5月に新設された選択的雇用税の発効と相俟ってしだいにデフレ的効果をおよぼし,イギリス経済は秋ごろから景気鎮静化の様相を強めてきた。一方,ポンドは9月のイングランド銀行と先進国中央銀行とのスワップ協定にもとづく引出し限度の増額発表によって一応小康をたもつようになったが,その回復テンポはかなりおそく,ポンド不信の根深さを示している。

ところで,64年のポンド危機がいかに深刻なものであったかは,労働党政府の懸命なポンド防衛にもかかわらず,ポンド不安が消えるどころか,むしろ危機の発生期間が,しだいに短縮してきていることやポンドの立直りが鈍くなっていることからもうかがえるが,ここで今回の危機を従来と比べて深刻にした要因をいくつか指摘しておこう。

いうまでもなく,ポンド危機の根因は,対外債務に比べて金・外貨準備がきわめて少ないという対外ポジションの脆弱性にあるが,まず第1の特徴としては,今回のポンド危機は基礎的国際収支の大幅赤字を主因としていることである。今回の危機も従来と同じように,経済の過熱化による基礎収支の悪化にポンドアタックが加わって発生しているが,過去においては基礎収支悪化と危機発生には1年の時間的ズレがあり,危機の発生した56年,61年にはいずれも基礎収支は黒字に転じていた。しかし,64年には基礎収支の赤字が従来と比べて大幅であったばかりではなく,赤字の真只中でポンド危機を招いたのである(64年の基礎収支の赤字は7億6,100万ポンドと危機の年前にあたる60年の4億6,700万ポンド,55年の2億7,900万ポンドのいずれをも大幅に上回っている)。このように,危機の主因が基礎収支の大幅赤字であったため,莫大な対外借款は過去のように短資流出に対処する一時的なものでなく基礎収支の大幅赤字に対処するための長期的なものとなり,それだけ事後処理を困難にしている。

第2に,危機を激化させた要因として積極的成長政策と労働党政府の性格,それに起因する政策実施のタイミングのまずさをあげることができる。

61年のポンド危機のあと「インフレなき拡大」を目標に,いわゆるストップ・アンド・ゴー政策の悪循環をたちきるために,前保守党政府は経済体質の改善と高度成長をねらいとした経済の計画化や所得政策の導入,EECへの加盟申込みなどの積極的成長政策を推進したほか,62年秋以降相ついで景気刺激措置を打ち出した。こうした成長ムードの高まりが,国際収支赤字の規模を大きくすると同時に,引締め効果を弱めることによって危機の立直りを長びかせていることも否定できない。このことは労働党政府のポンド防衛対策にもあらわれている。すなわち,できるだけ厳しいデフレ政策をとらずにポンドの平価を維持していくこと,いいかえれば長期的経済成長計画を維持するという見地から生産的投資を損なわずに内需の抑制をはかろうとしていることである。このような労働党の政策態度がこれまでのデフレ措置の性格を不明確なものとしたばかりでなく,その実施を小きざみ的にしたというタイミングのまずさと結びついて,デフレ効果を弱め,ポンド危機を激化させたことも確かである。

第3に,世界的高金利など国際環境の変化がキー・カレンシーとしてのポンドに悪影響を与えているほか,スターリング地域諸国の国際収支の悪化がドル・プール制を通じてイギリスの金・外貨準備を圧迫したことも見のがすことができない。

以上のような背景をもつポンド危機の再燃およびその対策と影響について述べてみたい。

(1)ポンド危機の再燃とその背景

1)経済の再拡大-1965年第3・四半期~66年第1・四半期-

64年秋以降相ついで打ち出された引締め措置にもかかわらず,総需要はいぜん根づよく,生産活動は65年央に一時的に低下をみたあと,秋から66年はじめにかけて再び上昇に転じた。これを実質国内総生産(季節調整済み)の動きでみると,65年第2・四半期の前期比0.8%減のあと,第3・四半期には1.3%増とかなりの回復をしめし,その後は増勢の鈍化をみているとはいえ,この拡大基調は66年第1・四半期まで続いた(第2-3図参照)。工業生産も65年春からやや低下したあと,その水準で横ばいに推移し,秋ごろから再び化学,機械,建設,食料部門を中心に強含みとなった(第2-1図参照)。

このような生産の再拡大にともない,労働需給はますますひっ迫を続け,失業率は66年春には1.3%と超完全雇用の水準まで低下した。

一方,物価の動きをみると,第2-2図で明らかなように,65年はじめから微落傾向にあった原燃料価格は同年秋以降再び上昇に転じ,工業製品もいぜんジリ高傾向を続けた(66年第1・四半期の前年同期比ば原燃料2.3%高,工業製品3.4%高)。また生計費は65年にはいって騰勢が一段と高まり,64年の上昇率2.7%から65年には5.7%と急上昇を示した。このような生計費の急上昇は一つには増税(酒・タバコなど)や公共料金の引上げ(郵便,電気,ガス,運賃など)にもよるが,堅調な消費需要とコスト高という一般的要因が作用したことはいうまでもない。

このような背景の中で,労組の賃上げ圧力は66年にはいってむしろ強まりをみせた。これを週間賃金率でみると,1~4月には前年同期比5.6%高と前年の年平均上昇率4.6%をかなり上回った。

この経済の再拡大は根づよい消費需要や堅調な設備投資に支えられたものであったが,反面でこの過程を通じて前述のような労働需給のひっ迫,賃金物価の上昇など経済の過熱化が強められたのである(第2-3図参照)。

英産業連盟(CBI)の景気動向調査(66年1月実施)も注文不足よりも熟練労働力不足を懸念する企業が多いことを指摘している。このことは65午のイギリスの経済活動が完全雇用に伴う労働力および設備面における制約と一連の引締め政策による一部需要の抑制の影響をうけたことを意味し,65年.の実質成長率が2.6%と64年の5.8%に比べ増勢を鈍化させた要因でもある。

つぎに,経済の再拡大が対外面にどのような影響をもたらしたかをみてみよう。

第2-1図 雇用と生産活動

第2-2図 賃金,物価,小売売上高の推移

2)国際収支改善の緩慢化

第2-1表から明らかなように,イギリスの国際収支は65年中にかなりの改善を示したが,66年にはいって経済の再拡大にともなう輸入の急増から再び悪化をみた。すなわち,基礎的国際収支の赤字は,64年の7億6,100万ポンドから65年には3億1,900万ポンドと半減した。

このような改善をもたらしたのは,輸出が急増したのに対して輸入が微増にとどまったこと,および長期資本収支で政府・民間ともに赤字が減少したためである。

66年上期の基礎収支の赤字は1億3,700万ポンドと前年同期の1億3,000万ポンドに比べ大幅となった。長期資本収支の赤字は減少を示しているので,悪化の主因は貿易収支の赤字幅増大と貿易外収支の黒字幅の減少による経常収支の悪化であった。とりわけ,貿易収支の悪化が目立っているが,これを四半期別(FOB季節調整済み)にみると,貿易収支の赤字は65年第4・四半期の38百万ポンドから66年第1・四半期79百万ポンド,さらに第2・四半期には107百万ポンドとしだいに大幅となっている。第2・四半期の赤字幅急増には海員ストが大きく影響していることを考慮しても,その悪化傾向は否めないであろう。海員ストの影響をできるだけ避けるために,66年1~8月(月平均,通関ベース)を前年同期と比べてみると,輸入の伸びは6.6%と輸出の5.9%を上回っており,その悪化ぶりがよみとれるであろう(65年全体の伸びは輸出7.0%,輸入0.6%)。

こうした国際収支の悪化ないし改善の緩慢化は金・外貨準備の減少やポンドの動揺となってあらわれていた。

ポンド不安は,65年9月央以降小康をみせていたが,66年にはいって1月の貿易収支悪化や2月末の総選挙実施決定などを契機にポンドは大量の売圧迫をうけ,イングランド銀行の買支えにもかかわらず,3月には平価割れとなり,その後も軟調を続けていた。5月央にはじまった海員ストの深刻化にともない6月には急速に悪化した。このため13日には国際決済銀行および先進10ヵ国によるポンド支援のための対英資金援助取決めの更新が発表されたが,いぜんポンドの動揺はやまず低落の一途をたどり,7月12日の対ドル直物相場は,27,865ドルと64年11月以来の最低を記録した。そしてまたもや深刻なポンド危機の発生をみたのである(第2-9図参照)。

第2-3図 国内総生産の動き

(2)ポンド危機対策とその影響

1)引締めの強化と国際収支対策

65年秋以降の生産の再拡大は労働需給のひっ迫を招き,その背景で労組の賃上げ圧力は高まりを示したが,対外面では輸入の急増から国際収支は悪化し,ポンドが再び動揺するにいたって66年にはいって相ついで引締め措置が打ち出された。ここでは,引締め措置および直接的国際収支対策の内容,ねらい,効果について簡単に述べることとする。

(a) 1~2月の引締め措置

(b)新予算によるデフレ措置(5月3日)

5月はじめに発表された新予算は,選択的雇用税の新設(需要抑制効果は66年3億ポンド,67年2.2億ポンド)などによる民間購買力の抑制と対外投資(スターリング地域に対する民間投資の自主規制)や海外軍事支出の削減(イギリスの駐独軍の外貨負担軽減)などの直接的国際収支対策を骨子とするデフレ予算であった。同時に66年11月末をもって輸入課徴を廃止することを明らかにした。

これらの措置は,64年秋以来の財政,金融面からの抑制措置と相俟って,選択的雇用税の徴収がはじまる66年秋から67年はじめにかけて,かなりのデフレ効果を与えるとみられていた。しかし5月央にはじまった海員ストの深刻化に伴い6月にはいってポンド危機が再燃するに及んで選択的雇用税の徴収がはじまる秋をまたずにさらに引締めが強化された。

(c) 7月の総合緊縮政策

7月にはいって,公定歩合の危機レート(6%→7%)への引き上げ,市中銀行の特別預金率の引き上げ(7月14日)につづいて,20日には賃金,物価の凍結を含むきびしい総合的緊縮政策を打ち出した。この総合緊縮措置による内需抑制効果は5億ポンド(66年3.4億ポンド),海外支出削減は1.5億ポンド(66年0.5億ポンド)と見こまれ,その重点は消費需要の抑制にあった。

7月の総合対策の内容は,つぎのように広範にわたるものであった。

まず,内需抑制措置としては,

今回の総合緊縮政策の中核ともいえる価格,賃金の凍結条項を追加した「価格,所得法」(Prices and Incomes Act)は8月12日,3億ポンドの抑制効果をもつといわれる「選択的雇用税」とともに成立した。これにより,イギリスの価格・所得政策は新たな段階にはいったが,一方,イングランド銀行は9月13日,ニューヨーク連銀その他先進国中央銀行とのスワップ協定による引出し限度の増額を発表し,対外面からポンド支援措置を強化している。

2)危機対策の影響

(a)対内面―引締めの浸透―

65年秋から経済の再拡大の気配をみせたイギリス経済は66年にはいると相つぐデフレ措置の効果がようやく浸透しはじめて年央ごろから景気鎮静化の様相を強めてきた。

国内総生産(実質,季節調整済み)は66年第1・四半期の0.5%増から第2・四半期には0.7%減を示した。工業生産も第2・四半期に低下したあとほぼ横ばいに推移していたが,引締めの影響から9月以降大幅な低下を示している。こうした生産の頭打ちないし低下は機械,化学,金属はじめ多くの部門にわたっている。たとえば,本年上期の鉄鋼生産は前年同期を9%も下回っており,乗用車生産も伸び悩みをみせ,とくに8月下旬以降大企業の操短や工場閉鎖など引締めの影響が表面化してきた。

一方,生産の頭打ち傾向にもかかわらず,ひっ迫を続けていた労働市場も急速に緩和しはじめてきた(第2-1図)。失業率(季節調整済み)は7月の1.3%から10月には1.9%,さらに11月には2.3%へと急上昇を示している。

物価の動きにもかなり落着きがみられ,原燃料,工業製品,生計費とも8月ごろからほぼ横ばいないし微落を示している(第2-2図参照)。また,66年にはいってむしろ上昇圧力を強めていた賃金も労働需給の緩和や賃金凍結措置の影響も加わって8月以降横ばいとなった。

こうした引締めの影響は需要面にもあらわれている。

まず,製造業の固定投資(季節調整済み)をみると,65年第1・四半期をピークにその後高水準で横ばいに推移したあと,66年第2・四半期には前期に比べ4%の減少を示している(第2-3図参照)。先行指標である機械工業の新規受注(季節調整済み)が66年にはいって第1・四半期4%,第2・四半期5.5%と急減を続けていることから製造工業の設備投資は66年下期から67年にかけてかなりの減少が予想される。商務省投資動向調査(10月)も66年4%減,67年には7~8%減とみている(第2-6図参照)。

また投資意欲に関するCBI(英産業連盟)の調査(10月)からエコノミスト誌は今後1年間に設備投資は約20%低下するだろうと推計しており,はやくも投資意欲の減退があらわれはじめてきた。

消費需要はいぜん根強いとはいえ,かなり増勢の鈍化がみられる。すなわち,賦払信用規制強化の影響は新規信用取引の急減や賦払信用残高の減少傾向など耐久消費財部門にしだいに浸透してきおり,8月の自動車新規取引件数は前年同月を27%も下回わり,新車登録台数(季節調整済み)も5月以降減少に転じ9月には63.5千台と1月の117.6千台に比べ大幅な減少を示している(第2-7図参照)。

今後は7月に実施された賦払信用規制強化の浸透するにつれて,全般的金融引締めと相俟って自動車の賦払購入に深刻な影響を与えることが予想される。

政府は,失業者の増大について「耐えられないほどの水準ではなく,失業率は1.5~2.0%」にとどまろうとしていたが,11月央の失業率は2.3%,失業者540.1万人とすでに,政府見通しを大きく上回っており,67年冬には失業者は60~70万人に達するとの見方が強まってきた。

いずれにせよ,66年末から67年はじめにかけては選択的雇用税や賃金・物価凍結などの影響で景気はかなり停滞的様相を強めるとみられる。

第2-4図 製造工業の受注と生産

第2-5図 設備投資の動向

(b)対外面―ポンド危機の克服―

引締めの効果は,貿易収支の改善,金・外貨準備の増加やポンド相場の回復など対外面にも現われている。すなわち,10月の貿易収支の赤字は輸入の減少を主因にわずか2百万ポンドと年初来の最低を記録した(第2-8図参照)。しかしこの数字には輸出と輸入のいずれにもいぜん海員ストの影響が残っているとみられるので,これによって基調が変わったとみることはやや早計であろう。とくに輸入については,11月末に廃止される課徴金を見越した買控えがあったことを考慮する必要がある。また輸出は66年1~10月には前年同期比7%増といちおう高水準を維持しているだけに,貿易収支を改善するためには輸入を抑制する必要があろう。

2月以来減少を続けていた金・外貨準備も9月から増加に転じ,10月には前月から20百万ポンドも増えて11億4,900万ポンドとなった。債務の返済を考慮すると,実質的増加はさらに大幅となろう。

このように種々の問題があるとしても,引締めの浸透による内需の抑制や貿易収支の改善,金・外貨準備の増加などを反映して,ポンドは9月央から立ち直りをみせその後もおおむね堅調に推移しており,その対ドル直物相場はいぜん平価割れながらも9月19日以来2.79ドルを上回る水準を維持している(第2-9図参照)。こうしたポンドの回復は,世界的高金利やビルマのスターリング地域離脱声明といった悪材料のなかで達成されたことからみて,強力な国際的支援措置に大きく支えられているとはいえポンドに対する海外の信認がようやく回復してきたことを示すものであり,ポンド危機は一応避けることができたといえる。

しかし66年にはいって悪化傾向にあった基礎的国際的収支に対する影響はまだはっきりあらわれておらず,予想される景気後退の深刻さからみて,政府が公約しているように67年には均衡する可能性もでてきたが,ポンド危機の根因が対外ポジションの悪化という構造的問題であるだけに,いぜん危機再燃の可能性は残されている。