昭和41年
年次世界経済報告
昭和41年12月16日
経済企画庁
第6章 東南アジア経済の現局面と貿易
(1) 貿易拡大と構造変化
1960年代にはいってからの東南アジア貿易は,かなりの拡大を示した。60~65年の年平均増加率は輸出5.2%,輸入5.6%で,55~60年の2.0%,4.5%をかなり上回った。これには,経済開発の進展によって工業品輸出と資本財輸入の増大したことが大きく寄与している。しかし,他の低開発地域と比較してみると,石油産出国である中東が輸出・入とも大幅に伸びたのに対して,東南アジアは輸出の伸びは小さい半面,輸入の伸びはかなり大きい。また,他の地域は輸出の伸びが輸入のそれを上回ったのに対して,東南アジアはその逆の関係になっている。
そのため60年代にはいって他の低開発地域の貿易ギャップはかなり改善されたのに対して,東南アジアのみはさらに悪化した。
これを国別にみると,60年代にはいって貿易が大きく伸びたのは,台湾,香港,韓国,パキスタン,フィリピン,タイで,これらの諸国はいずれも輸出・入とも増大した。これに対して,マレーシア,シンガポールはいちじるしい停滞を示したが,これにはマレーシア紛争が大きく影響している。また,東南アジア貿易総額の2割以上を占めるインドは,輸出の増大に対して輸入は外貨準備難による輸入抑制のため鈍化した。
このように,60年代にはいってからの各国の貿易動向はかなりまちまちであったが,東南アジアの貿易は全体としてみれば輸出の好転,輸入の引き続く増大ということで特徴づけることができよう。
つぎにこれを,商品構成から検討してみよう。前述したように,東南アジア経済の工業化はかなり進んできたが,それに伴って貿易構造も変化してきた。とくにそれは,輸入構造の変化ということに特徴的に現われている。第68図は,東南アジア全体の商品別輸入の推移を示したものであるが,そこにみられる第1の特徴は,完成消費財輸入から消費財用原料輸入へと大きく変化したことである。
すなわち,完成消費財輸入は傾向的に減少しているのに対して,消費財用原料輸入は増大傾向にある。これは,消費財の輸入代替がかなり進んでいることを示している。
第2の特徴は,資本財輸入の大幅な増大である。55~64年における資本財輸入の伸びは年平均8.2%で,他の商品の伸びに比べていちじるしく大きいが,60年代にはいっていっそう加速化した。そのため,輸入総額に占めるウェイトも55年の24.6%から64年の34.8%へといちじるしい高まりをみせた。
これに対して,資本財用原料は57年までの急増のあと横ばいに転じた。この両者の対照的な動きは,経済開発に伴って資本財需要が増大する一方,工業化の現段階ではそれを国内で賄うのに十分な生産能力がないことを示しているといえよう。
第3の特徴は,全体としての消費財の輸入比率は年々漸減しているが,そのうち食料の比率はまだかなり高いことである。食料輸入は57年まで増大を続けたのち,58~62年は減少傾向をたどったが,63年以降は再び急増した。
その半面,従来増大傾向をたどっていた消費財用原料の輸入は63年以降横ばいに転じた。これは,農業生産の立ち遅れによって食糧不足が生じ,そのしわ寄せが消費財用原料の輸入に現われたことを示しているとみられる。現在,低開発国で問題になっている食糧不足は,東南アジアの場合,消費財用原料の輸入抑制という形で工業の発展を阻害しているといえよう。
一方,輸出構造をみると,経済発展に伴って徐々にではあるが変化している。その第1の特徴は,第69図にみられるように,原料の比重のいちじるしい低下である。
原料品輸出は55年以降横ばいに推移しており,そのため輸出総額に占めるウェイトは55年の54.9%から64年には39.5%にまで低下した。しかし,同じ一次産品の中でも農産物のほうはかなり増大しており,55~64年の年平均増加率は6.1%となった。
第2の特徴は,工業品輸出のいちじるしい伸長である。その55~64年の年平均増加率は8.4%に達しており,とくに60年代にはいってからは増加テンポは一段と加速化した(60~64年平均は10.8%)。これは,工業化の準展が輸出面にも反映されていることを示すものであるが,その内容をみると,軽工業品がまだ圧倒的な比重を占めている。
いま,工業品貿易を国別についてみると,各国とも輸出より輸入のほうが大きく,工業品全体としてみればまだ自給化の段階に達していないが,55年と64年を比較してみると輸入に対する輸出の割合は一様に上昇しており,とくに台湾においてはいちじるしい。しかし,品目別にみれば,軽工業品を中心として,自給化の進んでいるものもかなり多い(第5章第43表参照)。このように,工業化による産業構造の変化は,輸入代替産業から輸出産業への転化,あるいは両者の平行的発展という現象をひき起こしている。国連貿易開発会議において,低開発国が工業品の特恵輸入を先進国に対して要求しているのも,こうした経済発展・工業化の過程における輸出産業の拡大を強く望んでいるものであるといえよう。
さらに,東南アジア貿易の地域構造を検討してみよう。前述のような商品,構造の変化は,また同時に貿易相手地域の変化をもたらした。
その第1の特徴は,第55表にみられるように,域内貿易の比重のいちじるしい低下である。東南アジアの域内比重は,他の低開発地域に比べると従来からかなり大きいほうであるが,輸出は55年の23.8%から64年には14.5%へ,また輸入は,27.0%から13.1%へと約半減した。この減少には,域内の,中継貿易のかなりの部分が直接貿易に転換したことも影響しているが,基本的には,経済開発を促進する上で先進国との結びつきが必要となり,それが域内の補完関係を低下させたとみるべきであろう。
第2の特徴は,日本に対する貿易依存度がいちじるしく高まったことである。すなわち,輸出は,55年の8.7%から64年の12.9%へ,輸入は,9.7%から14.2%へと増大した。これは,西欧諸国に対する貿易依存度の低下に比べて対照的である。これは,わが国の経済成長に伴って東南アジアの原材料に対する輸入需要や開発輸入が増大する一方,東南アジアの日本からの資本財,消費財輸入需要が増大したことによるものである。
第3の特徴は,アメリカとの関係である。東南アジアの対米輸出の比重はこの10年間若干低下したが,反対に輸入のほうは55年の18.4%から64年の23.4%へと上昇した。また伸び率でみても,55~64年間に輸出は21,6%増にとどまったが,輸入は91.6%という著増を示した。その結果,アメリカとの間の貿易バランスは,輸入の大幅超過となった。この輸入急増の原因は,アメリカからの資本財,原料および食糧の輸入需要の増大のためであるが,これらのかなりの部分はアメリカの贈与・借款などの経済援助に負うところが大きい。
以上のように,東南アジアの貿易構造は経済開発に伴ってかなりの変化を示し,また商品の自給率も高まってきたが,まだ多くの問題点をかかえている。そのもっとも大きなものは,貿易収支の悪化である。前述したように,戦後の東南アジアの輸入の伸びは輸出の伸びをかなり上回っているため,貿易収支の赤字はいぜんとして続いており,60年代にはいってからも拡大傾向にある。
また,他の低開発地域と比較してみても,第56表にみられるように,東南アジアの貿易ギャップはきわめて大きい。すなわち,60年の東南アジアの貿易赤字は約25億ドルで,低開発国全体の赤字(29億ドル)の大半を占めていたが,65年には赤字はさらに増大して約34億ドルに達した。これは,60年代にはいって他の低開発地域の貿易ギャップが大幅に改善されたのに比べて,きわめて対照的である。
東南アジアの大幅な貿易赤字の原因としては,つぎのような点が指摘できよう。
① 東南アジアは,アメリカ―ラテン・アメリカ,西欧―アフリカといったような,先進国との間の特恵関係があまり強くないこと。
② 同じ一次産品でも,東南アジアの輸出品の場合は代替品,競争品の登場によって需要が減退し,またそのため,東南アジアの一次産品価格は低下したこと。
③ 工業国の工業製品価格は上昇しているにもかかわらず,経済開発に伴ってそれに対する東南アジアの輸入需要が増大したこと。
④ 農・工業生産の不均衡のため,近年食糧輸入が増大したこと。
(2) 東南アジアと日本貿易
日本と東南アジアとの関係は地理的にも,また歴史的にもきわめて密接で,貿易面での結合関係も強い。
これを他の工業国と比較してみると,1965年における工業国全体(OECD加盟国)の貿易総額に占める東南アジアの比重は輸出6.4%,輸入4.5%ときわめて低いのに対して,日本のそれは輸出24.2%,輸入17%で,きわだって高い。同様に,低開発国全体との貿易においても,巨額の低開発国援助を行なっているアメリカや,多くの旧植民地や属領をもっているイギリスやフランスよりも,日本の比重のほうがきわめて高い。このことは,第5章3節で述べたように,低開発国との貿易結合度によっても明らかである(第42表参照)。また,第57表は,主要工業国の輸出に占める低開発諸国の地位を示したものであるが,日本は上位15ヵ国のうち8ヵ国は低開発国で,しかもそれらはすべて東南アジアに集中している。それに対して,他の工業国の場合は僅少で,かつ東南アジア諸国の地位はきわめて低い。
このように,日本貿易の地域構造は他の工業国に比べていちじるしく低開発国に傾斜しており,またその圧倒的部分が東南アジアで占められているのが特徴的である。これは,日本貿易が東南アジアから原料を輸入し,工業品を輸出するという典型的な垂直分業構造をもっているためである。換言すれば,東南アジア諸国で生産される原料はわが国の産業発展にとっても重要な役割を果しており,また同時に,東南アジア諸国はわが国の工業品の有力な市場としての地位をもっている。
いま,日本の対東南アジア貿易の商品構成をみると,輸出では重化学工業品の比重が圧倒的に大きく,60年の54.8%から65年にはさらに65.7%へと高まった。これに対して,軽工業品は60年の33.9%から65年の29.1%へと低下した。このことは,東南アジアの工業化の進展に伴って,日本に対する資本財の輸入需要が増大した半面,繊維品,雑貨などの労働集約的な軽工業品の自給化が進んだことを示している。また東南アジアは,日本の化学輸出総額の42%,鉄鋼の24%,機械の26%という高い比重を占めているが(1965年),このことからも東南アジア市場が日本貿易の高度化に大きく寄与したといえる。
一方,輸入の商品構成をみると,食料と原料とを合わせた一次産品の比重が圧倒的に大きく,その中でも金属原料(鉄鉱石は日本の輸入総額の43%),生ゴム(90%),木材(52%)などは東南アジアに依存するところが大きい。これに対して,工業品の比重はきわめて小さい。このように,東南アジアは日本産業の有力な原料供給地域となっている。
つぎに,東南アジアの貿易拡大に各国がどのていど寄与したかを第71図によってみよう。東南アジアの輸出からみると,日本は,北米,西欧などの工業国を大きく上回ってトップに立ち,東南アジアの輸出増加に占める日本の寄与率は55~60年の25.0%から60~64年の31.2%へと増大したが,一方,輸入は24.4%から18.4%へと低下した。これに対して,北米の寄与率は60年代にはいって共に増大しているものの,輸入の寄与率のほうが圧倒的に大きい。このことは,東南アジアの側からみると,日本は他の工業国よりも輸出の増大を通じて東南アジアの貿易拡大に貢献している度合いがきわめて大きいことを示している。
また,戦後の東南アジア貿易は,他の地域の場合と同じく,世界景気の波にほぼ対応した変動を繰り返してきたが,低開発国の輸出品は原材料が中心であるため,工業国の景気変動の影響は低開発国の輸出に対して直接的かつ強く作用する。とくに東南アジアの場合は,その輸出総額の4割強はアメリカ,イギリス,日本で占められているため,これら諸国の景気変動と東南アジアの輸出変動とは密接な関係をもっている。これは,第72図によっても明らかである。
この3ヵ国の景気局面はかなりまちまちであるため,東南アジアの輸出変動の振幅は一様ではないが,3ヵ国の景気後退期が重なると東南アジアの輸出は激減,反対にずれている場合には輸出の波も小幅なものになっている。一方,輸入は輸出より半年前後のタイム・ラグをおいて変動している。これは,輸出の減少が外貨準備の減少を通じて輸入の減少をひき起こすという関係を現わしている。
また第59表は,この3ヵ国の輸入減少期における減少率を比較したものであるが,アメリカの場合は東南アジアからの輸入減少率は輸入全体のそれよりきわめて大きい。これに対して日本は,相対的にみてかなり小幅である。このことはまた,東南アジア貿易の安定化に日本はかなりの寄与をしてきたといえるであろう。
以上のように,東南アジア諸国は貿易構造の変化を伴いながら貿易の増大に努めてきたが,先進国のそれに比較するといぜんとして低位にある。また,貿易ギャップの拡大,外貨不足の持続などの問題は,東南アジア貿易の拡大にとって大きな制約条件になっている。日本は,東南アジアの主要輸出品である一次産品の最大の輸入国として,従来から貿易を通じてこれら諸国の経済発展に貢献してきた。今後の東南アジアの貿易拡大と経済開発の促進のためには,わが国の経済・技術面での経済協力をさらに充実させていくことが重要であるといえよう。