昭和41年
年次世界経済報告
昭和41年12月16日
経済企画庁
第6章 東南アジア経済の現局面と貿易
低開発国の経済発展を目指して提唱された国連の「開発の10年」は,ようやくその半ばをすぎたが,低開発国経済の低水準は現在なお続いている。1960~64年の低開発国の実質経済成長率は年平均4.3%で,1955~60年(4.0%)を若干上回ったものの,国連の目標成長率5%よりは低く,また高成長を続けた先進国との経済的格差は60年代にはいっていっそう拡大した。そのうち,東南アジアの成長率は55~60年の4.0%から60~64年の4.4%へと60年代にはいって若干の高まりをみせ,また国別にみても一部の国を除けばいずれも同様な傾向を示したが,1人当りの成長率は1.9%にとどまった。また,1人当りの所得水準でみると,64年は僅か85ドル(60年価格)で,世界全体の597ドルを大幅に下回っているだけではなく,低開発国の中でも最下位にある。
これは,東南アジアの人口が世界全体(社会主義圏を除く)の41%を占めているのに対して,国民所得では5.9%にすぎないことにもよるものであり,同時に,人口増加率が高いことも起因している。すなわち,60~64年の人口増加率(年平均)は世界全体で2.0%,先進国は1.3%であったのに対して,東南アジアは2.4%であり,また低開発国を含めて他の地域が60年代にはいって従来とほぼ同様の伸びであるのに対し,東南アジアだけは高まった。
このように,60年代にはいってからの東南アジア経済は,成長率ではかなりの伸びをを示したものの,その半面では近年食糧不足や外貨危機,インフレの昂進などの問題が生じてきた。しかし,そうした東南アジア経済の苦悩は人口の大きさ,資源の状況,経済の発展段階などの相違から,国によってかならずしも一様ではない。
以下では,東南アジアの経済開発の現状を検討し,合わせてそこに含まれている問題点を明らかにしよう。
(1) 工業化と農業問題
1) 工業生産の拡大
戦後の東南アジア諸国は早くから経済開発に着手し,開発資金の不足は先進国からの経済援助に依存するなどして,工業化を徐々に進めてきた。その結果,工業生産はかなりの伸びを示し,1960~65年の年平均増加率は8.6%と,同期間における先進国全体の5.7%,低開発国全体の8.0%をかなり上回った。また業種別にみると,鉱業よりも製造業,とりわけ重工業の伸びがとくに大きかった。すなわち,軽工業の7.2%の伸びに対して,重工業は11.0%という高い伸びを示した。
いま,工業生産増加に占める業種別の寄与率をみると,鉱業および軽工業を合わせた寄与率は55~60年の56.4%から60~65年の53.0%に低下,これに対して,重工業は43.6%から47%に上昇した。また,その中でも,鉱業の低下と機械の上昇が目立っている。しかし,重工業の寄与率が若干高まったとはいえ,先進国のそれに比較すればきわめて低く,現状では鉱業と軽工業がいぜんとして重要な地位を占めている。
また,このような工業生産の拡大は,一方では製品の多様化を促進し,かなり広範囲にわたる産業を発展させたが,他方では産業構造の変化をひき起した。すなわち,第61図にみられるように,東南アジア全体の国内総生産に占める一次産業の比重は55年の46%から63年の41%に低下し,二次産業のそれは17%から22%に高まった。また国別にみても,多くの国ではこのような傾向が示されており,とくにフィリピンではそれがいちじるしい。
以上のように,東南アジア諸国では経済開発の進展に伴って工業部門の比重もかなり高まったが,現在ではまだ農業部門の比重のほうが圧倒的に大きい。したがって,経済成長において農業部門の果たす役割もそれだけ大きい。事実,このような例は台湾とタイにおいて示されている。この両国の55~64年の実質経済成長率は年平均7.5%,6.5%で,東南アジア諸国の中でもっとも高かったが,そこでは工業生産と並んで農業生産も大幅に伸びた。農業部門の比重が大きい東南アジア経済の現状から考えれば,今後の経済成長のためには農・工業両部門の調和的発展が必要であろう。
2) 食糧生産の停滞
1952~64年における農業生産の年平均増加率を東南アジア諸国についてみると,タイが5.2%でもっとも高く,台湾(4.3%),マレーシア(4.2%)がこれに続いている。これに対して,インド(2.7%),ビルマ,(2.5%),パキスタン(2.2%)はいずれも3%を割っており,インドネシアは僅か1%にすぎない。そのため,とくにインドネシアでは食糧生産の伸びが人口のそれを大幅に下回っており,またパキスタンでも同様の傾向がみられるなど,かなりの国では人口増加率に比較して農業生産の遅れが目立っている。
また,農業生産の中でも食糧生産はとくに停滞している。いま,食糧生産の増加率を54~58年,58~63年の2期に分けてみると,多くの国では後半に増加率を高めたが,とりわけセイロンの伸びは高く,またマレーシアとフィリピンは両期間を通じて安定した高い増加率を維持している。これに対して,台湾,インド,韓国などの増加率は後半にはいってかなり鈍化し,また,1人当りの増加率をみると,これらの国はいずれもマイナスとなっている。とくにインドでは,65年には天災の影響もあって食糧危機が深刻化し,た。
このように,インドを始めかなりの国では食糧生産の伸びが急速な人口の増加に及ばないため,食糧輸入の依存度が強まっている。この場合,重要なことは,食糧に対する需要の増大が人口の増加率以上に大きいことである。これは,現在の食糧消費水準がきわめて低いこともあるが,経済開発の進展に伴う都市化や生活様式の変化,消費パターンの高度化などによって,食糧需要は人口増加を越えて増大している。FAOの推計によれば,近年における食糧需要の増加は人口増加の2倍にも達するといわれている。その結果,東南アジア諸国における食糧問題の解決には,当面は輸入依存度をますまず強めざるを得ない実情にある。これを戦前と比較してみると,戦前は穀物の輸出国であったアジアの地位は,60年にはすでに輸入国に完全に逆転した。
さらに66年には,アジア全体として3,000万トンの輸入が見込まれ,輸入量,増加率とも他の地域に比べてもつとも大きい。
このような東南アジア諸国における食糧輸入の増大の結果,工業化に必要な原材料や資本財の輸入は抑えられることになり,工業化の推進に大きな制約条件となっている。またこれは従来の工業化政策に反省をうながし,農業部門への投資がしだいに重視される傾向を生んでいる。その理由は,農業への投資が農業の生産性を高めるばかりでなく,ひいては工業製品の市場創出効果を生み,これが工業化をいっそう推し進める役割を果すことが認識されてきたからである。また近年,通常の食糧輸入と並んで,国際機関による食糧援助の役割が注目されており,66~68年には1.4億ドルの援助が予定されている。このような食糧援助が継続的に可能であるならば,食糧不足や外貨難はかなり緩和されることになる。
しかし食糧不足の問題は,このような食糧輸入や援助によって一時的には解決できるとしても,それだけでは決して十分ではない。食糧問題の根本的な解決のためには,国内における農業開発の促進,食糧生産の増大が必要である。
つぎに,農業生産拡大のための努力が東南アジア諸国においてどのように行なわれてきたかを,食糧生産の中心的地位を占める米作に焦点を置いて検討してみよう。まず,米の生産を50~54年と60~64年の両期を比較すると,東南アジア全体で40%の増加を示した。国別にみると,ラオスは6%の減少を示したが,ベトナム(109%)およびセイロン(86%)は飛躍的な増加を示した。問題は,この収益の伸びが何によってもたらされたかである。フィリピン,インドネシア,タイ,韓国,ビルマ,カンボジアなどの諸国は,作付面積の増大によるところが大きい。これに対して,南ベトナム,セイロン,台湾,インドなどの増加は,作付面積の増加よりも土地産性の上昇が大きく寄与しており,とりわけ,南ベトナム,台湾両国の努力は注目される。
また,60~64年における単位当り(1ヘクタール)収量の水準をみると,台湾および韓国が3,000キログラムを超えてもっとも高い生産性を上げているが,このほかマレーシア,ベトナムを除くと,いずれも2,000キログラム以下の状態である。また,50~54年水準(平均1,430キログラム)に比べると,アジア諸国は60~64年において年平均12%の増加を示してはいるが,他の地域に比べると生産性はかなり低い。東南アジア諸国には,まだ遊休土地資源が存在し,耕地面積の拡張の余地が残されているとはいっても,それには,おのずから限界がある。したがって今後は,単位面積当り収量の増大にいっそうの努力を注ぐ必要があろう。
つぎにこれを,かんがい,施肥などの面から検討してみよう。まず,かんがい施設の整備状況をみると,61年において台湾が耕地面積の79%でもっとも高く,マラヤ(71%),香港(62%),セイロン(60%),韓国(58%)などが比較的高い。これに対して,カンボジア,南ベトナム,タイ,フィリピンなどはいずれも30%以下の状態にある。これを53年と比較すると,セイロン(88%増),マレーシア(70%増)は急増しており,その結果この両国では着実な土地生産性の向上がみられる。これに対して,かんがい面積の増加が小さいフィリピン(7%増),タイ(12%増)などでは,それだけ土地生産性の向上も小さかった。
また,化学肥料の消費量をみると,東南アジア全体では64年は200万トンで,低開発国全体の42%を占めて首位にある。また,54年に比べ増加率においても4倍で,その伸びも大きい。しかし,これを先進諸国と比較してみると,まだきわめて低位にあり,東南アジア全体でも日本の使用量(180万トン)を僅かに上回っているにすぎない。また,62~63年における1ヘクタール当りの施肥量を国別にみると,台湾(189.9キログラム),韓国(175.0キログラム)の両国が群を抜いているが,インド,パキスタン,タイ,フィリピン,ビルマなどは僅か5キログラム以下の低水準にある。
さらに,農業機械化の一つのバロメーターでもあるトラクターの普及状況をみると,64年においてはセイロンおよびマレーシアを中心に10万台に達し,55年に比べていちじるしく伸びたが,一台当り耕作地は2,619ヘクタールで,低開発地域の中でも最低の水準にある。このことは,人力と役畜が農業生産においてまだ重要な役割を果していることを意味する。これは,東南アジア諸国に共通した農村の過剰人口や土地制度に由来する零細農耕など社会経済的後進性によるほか,農業技術の研究,改良,普及機関の欠如や商品流通および信用機構・制度の不備によるところが大きい。
このように,東南アジアは土地生産性の増大にもつとも直接的に寄与すると考えられる施設や手段がきわめて劣っている。しかし,政府投資の中に占める農業投資の比重はパキスタン(28.2%),マレーシア(24.0%),フィリピン(24.0%),インド(22.0%)などの諸国にみられるように,かならずしも低いものではない。問題は,このような農業投資が,かんがい,施肥,機械化や品種改良,病虫害駆除,土地改良,調査,試験サービスの拡充などの面でまだ十分な効果をあげていないことにある。
以上みたように,東南アジアにみられる農業の低生産性は,基本的には伝統的な耕作様式と農業技術の遅れによるところが大きい。しかし同時に,これが地主―小作関係によって規制された土地制度や,管理能力の欠如,農業信用制度,貯蔵運搬施設や流通機構の不備などによって根強く支えられているところに低生産性の根本的な要因があるといえよう。したがって,東南アジアの農業生産を引き上げ,食糧不足を緩和するためには,農業の生産基盤を整備すると同時に,社会制度の改革などをも並行して行なう必要があろう。
(2) 経済開発と援助
世界経済の均衡的な成長を維持するためには,低開発国経済の成長率を引き上げて先進国との経済格差をなくす方向に関心が向けられねばならない。そのためには,安定した高い投資と,それに見合う貯蓄が必要である。しかし,東南アジア諸国の投資率は,全体としてみれば先進国に比べてかなり低い。一方,国内貯蓄率は1960年代にはいって一部の国では上昇しているが,全般的には投資率をまだ相当下回っている。
このように,東南アジア諸国の貯蓄率が低い要因の一つは,政府貯蓄率の低さにあり,またそれは60年代にはいって低下している。これは,逆進税率や徴税機構の不備による税収の伸び悩み,軍事費負担の増大による経常支出の膨張などが,その原因となっている。一方,民間貯蓄率は多くの国で政府貯蓄率を大きく上回っているものの,水準そのものはかなり低い。民間貯蓄率が低い一つの理由は,法人貯蓄の比重が小さいことにある。事業活動の多くが家計と未分離の個人部門を単位として行なわれ,収益性のあるプランテーションや輸出産業はまだ外国法人の手にある場合が多い。また,近代的な土地制度や社会保障制度などの欠如による所得分配の不平等や低い教育水準など社会的,制度的要因も民間貯蓄率の引き上げを阻んでいる。このような投資率と国内貯蓄率とのギャップを埋めているのが外国貯蓄である。東南アジア諸国の外国貯蓄率は62~64年平均では韓国の10%を筆頭にインド3%,タイ,台湾,セイロンが1%と高低の差がいちじるしいが,50年代に比べると台湾の低下が目立っている。
つぎに,外国貯蓄の内容を援助を中心にして検討してみよう。まず,低開発国全体の援助額は65年に始めて100億ドルを記録したが,これまでの推移をみると,決して直線的な増加を示しているとはいえないし,また,その地域配分もいちじるしく不均衡な状態にある。そのうち東南アジアは,援助総額では低開発国の中でもっとも大きいが,1人当りでみると僅かに3.1ドルに過ぎず,アフリカ(6.1ドル)やラテン・アメリカ(4.5ドル)よりもいちじるしく劣っている。これは,東南アジアの人口が低開発国全体の3分の2という圧倒的な比重を占めているという事情にもよるものである。このような人口の増加を考慮に入れると,東南アジアに対する援助はむしろ停滞しているといえる。
また,ここで注目されるのは,60年代にはいってからの援助形態の変化である。その第1は,低開発国に対する民間投資の減退である。57年に援助総額の40%を超えていた民間投資は,アメリカやイギリス,フランスなどの減少によって64年には25%にまで低下した。民間投資の多くはラテン・アメリカ(64年に7億ドル)やアフリカ(5億ドル),中近東(1.2億ドル)など,所得水準の比較的高い国や工業国と密接な通商関係をもっている地域,石油などの戦略的な鉱産資源が賦存する地域などに主として向けられており,東南アジア(2.2億ドル)は低開発国全体の13%を占めるに過ぎない。これを傾向的にみると,60年代にはいってからは各低開発地域とも減少傾向にある。これは先進国に比べて低開発国の投資環境が相対的に悪化していることを意味している。
つまり,低開発国に特有な市場の狭隘性が大きな障害になりかけており,さらに,エネルギーや交通網を中心とした産業基盤の立ち遅れは資本コストを高め,また輸入原材料に対する輸入税の賦課,外貨規制にもとづく原材料や部品の供給難,高金利などが生産コストを工業国に比べて割高にしている。このような要因が,低開発国に対する民間資金の流入を阻んでいるとみることができる。
また東南アジアの場合は,このような経済的要因に加えて,政情不安や,根強い経済的ナショナリズムなどの要因から民間投資は手控えられる傾向にある。
このような事情もあって,低開発国に対する民間資本の流れは,近年,直接投資が減少し,それに伴って輸出信用が増大しつつある。すなわち,輸出信用は65年には援助総額の7%を占め,ラテン・アメリカを除くと60年代前半を通じて増大傾向にある。これは,きびしい外貨規制をしている一部の地域を除けば,一般に援助国の市場拡大や低開発国の経済開発の進展および延べ払い期間の延長などによるものとみることができる。
その半面,援助総額の半分以上を占める政府ベースの援助は60年以降増大しており,また60年代前半における政府援助の増加分はその大半がインド,パキスタン,南ベトナムを中心とする,東南アジア地域に向けられている。
これに対して,ラテン・アメリカ,ヨーロッパ,中近東は61年以後いずれも減少傾向にある。
このような増大傾向にある政府援助も,形態別にみると60年を境として贈与から借款へと大きな変化を示している。
すなわち,50年代に援助総額の30%を超えていた贈与は,60年代にはいつてそれをかなり下回っている。これを地域別にみると,贈与の大半を占めるアジアとアフリカにおける減少とラテン・アメリカの増加が目立っている。これに対して,とくに東南アジアでは政府借款が60年代にはいって大きく伸びた。これは,インド,パキスタンに対する増加が大きいためである。総じて,60年代前半を通じてみられる無償援助の停滞ないし減少と借款の増加は,アメリカのドル防衛などにみられる援助国の国際収支難を背景としたものである。
また,近年における顕著な傾向として最後に指摘されるのは,2国間べースの援助方式と並んで,国連などによる集団援助方式の重要性が増大してきたことである。DACの推定によると,国際機関による援助は国際開発協会(IDA)や米州開発銀行などによる援助増加によって,65年には13億ドルになり,60年実績(4.81億ドル)に比べ,およそ3倍に達した。このうちアジア向けは64年において2.11億ドルを占め,60年(1.01億ドル)に比べて約2倍に増加した。
いずれにせよ,先進国からの援助は低開発国の国内貯蓄の不足を補填することによって経済開発に大きく寄与してきたが,その半面,援助の増加に伴う低開発国の対外債務の累積は,東南アジアやラテン・アメリカを中心に65年には総額で400億ドルとなり,また傾向的にみても増大している。その結果,元利の支払いは64年には50億ドルという巨額に達し援助額の相当部分が返済にあてられている。
このような債務が債務をよぶ悪循環は,最近,低開発国援助に新たな問題を投げかけている。これを解決するため,先進国側では利子率の低減,償還期間の長期化を内容とした援助条件の緩和などが考慮されている。しかし,DAC加盟国における65年の平均償還期間は64年の28.2年から22.2年となり,これまで緩和傾向にあった償還期間日は大幅に短縮された。また,64年に3.0%にまで低下した平均利子率も,65年には3.6%と再び上昇した。他方,いわゆる「国民所得の1%」を目標とした援助額自体も,DAC全体としては64年に達成されたが,国別にみるとまだかなり大きな開きがある。
東南アジアの経済開発促進のためには,先進国からの援助の増大も必要であるが,それと並んで,東南アジア自体としても援助資金の効率を高めることが重要である。そのためには,現実的な開発計画の策定と同時に,政情の安定や行政の能率化,社会制度の改革などによる国内体制の整備が急がれる。