昭和41年
年次世界経済報告
昭和41年12月16日
経済企画庁
第1章 1966年の世界経済の動向
(1) 高金利時代の出現
1966年における欧米先進国間の金利の上昇ぶりは,きわめて顕著であった。65年末にアメリカの公定歩合が引上げられて以降,欧米諸国の金利水準,は逐月急速な上昇傾向をたどり,主要国が短期間に相次いで公定歩合引上げを実施するにおよんで,国際的高金利問題は,とくに深刻さをもって世界の注目を浴びることとなった。すなわち66年3月にカナダ,5月には西ドイツ,オランダ,6月にはベルギー,スウェーデン,7月にはスイス,イギリスと約7ヵ月の間に,主要12ヵ国中実に8ヵ国までが公定歩合を引上げた。こうした欧米主要国の金利上昇の結果,これまで国際的に割高といわれてきた日本の金利水準も,急速にその割高幅を縮めた。
しかし,このような世界の高金利基調は,けっして最近突如として現われたものではなく,63年7月のアメリカのドル防衛を目的とした公定歩合水準の引上げに端を発しており,その後最近までの期間に,アメリカは2度目,西ドイツ,オランダは3度目,スウェーデンは4度目の公定歩合の引上げを行なっている。主要12ヵ国中で66年10月現在の金利水準を3年前と比較して低下しているのは,わずかに日本とフランスの2ヵ国のみで,同一水準を保っているのもイタリア1ヵ国にすぎず,他の9ヵ国ではいずれも騰貴し,とりわけ世界の基軸通貨国,金利主導国であるアメリカ,イギリスの金利上昇幅は顕著である。主要国間を通ずる国際的高金利が,このようにやや長期的な歩調で続いてきていることは見逃すことのできない事実であるし,また「国際的高金利の時代」と呼ばれるゆえんもここにあるわけである。
こういった長期的な背景をもちながら,66年における国際的高金利問題が戦後かつてない重要性をもって注目されるにいたったのは,①66年中の金利上昇がきわめて大幅で,金利水準は史上の記録的水準に達したこと,②金利上昇過程で金利体系に歪みが生じてきたこと,③金利上昇における国際間の相互作用が強くはたらき,④かつこれらの金利上昇も,もはや一時的,循環的要因ばかりでなく,かなり構造的要因によって支えられる趣きを呈してきたことなどによるものである。
2) 高金利の現状とその特色
1966年中の主要国の公定歩合の引上げ状況は前述したとおりであるが,金利上昇の実態的中心をなしたものは市中金利であって,多くの国ではむしろ市中金利に追随して公定歩合が引上げられたり,もしくは,市中金利と公定歩合の間の格差が拡大する傾向を呈した。
まず短期金利についてみると,基軸通貨国であるアメリカ・イギりス両国の上昇幅がとりわけ大きかった。アメリカでは,65年末から最近時にかけて,コール・レートは2%も上昇して戦後の最高水準に達し,代表的な銀行貸出金利であるプライム・レート(優良企業貸出金利)は,65年末いらい4回上向きに改訂され,またB・Aレート(銀行引受手形割引率)もこの制度始まって以来の最高を記録した。イギリスにおいても,コール・レートや財務省証券レートは,66年にはいってともに1%を超える上昇を示して,これまた戦後の最高水準に達した。その他の西欧諸国でもフランス,イタリア以外の国で共通した短期金利の上昇傾向がみられ,伝統的な低金利国であるスイスにおいてすら,コール・レートはこれまでの最高水準を記録した。そして,多くの国で,短期市中金利は公定歩合の上昇幅を上回って上昇し,過去に例がないほど両者の水準の乖離現象がみられた(第19図)。このことは,金融市場における公定歩合のかつて果したような主導的役割が,異常な市中金利の累進過程で少なからず減殺されざるをえなかったことを物語っている。とくにアメリカにおいては,旧来の公定歩合政策,預金準備率操作,マーケット・オペレーションのほかに,最近では連邦準備加盟銀行の融資を直接規制する「窓口指導」が併用されて,金利の調節による資金需給の調整から,信用の量的規制へと,中央銀行の干渉範囲が変らざるをえなくなってきているのである。
短期金利ど肩を並べて長期金利もいちじるしい騰勢を示して,過去数十年来の最高となった。とくに西欧での上昇ぶりはいちじるしく,ノルウエー,ベルギーでは政府が長期資金借入れに7~8%の金利を負担し,西ドイツでは優良企業についてさえ,10%の金利の長期資金調達を余儀なくされ,それさえもかろうじて調達されるというほどの,異常な資金市場のひっ迫ぶりを示した。
つぎに,国際金利的な性格を近年強めつつあるユーロ・ダラー金利の動向はどうであったか,66年初めから秋にかけて1.5%近く騰貴し,7日物で6.5%,3ヵ月物で7%の水準に達し,ユーロ・ダラー市場が50年代後半に回転をはじめてから以降,かつてなかったほどの資金調達難と高金利が出現した。65年後半から66年にかけては,アメリカにおける国内企業の旺盛な資金需要と銀行資産の流動性の低下を如実に反映して,アメリカのユーロ資金取入れが一段と積極化したことが,ユーロ・ダラー市場のひっ迫と金利水準の上昇の主要因となった。しかしまた,西欧についても自国通貨よりも容易に借入れられるという利点がユーロ・ダラーの西欧利用者をふやし,需給ひっ迫の一因ともなった。ユーロ・ダラー金利の上昇は,まさに欧米間の国際的な金利上昇の伝播を示すバロメーターでもあったし,その変動はヨーロッパ諸国の短期資本の移動に対しても軽視しえない影響を及ぼしたのである。
(3) 高金利の国際的波及をもたらした諸要因
1966年中の欧米における非常な高金利をもたらした要因は決して少なくない。基本的には近年の欧米経済がインフレ的体質を強めていることが,高金利を生じさせやすい基盤となっている点に注目しなければならない。すなわち,欧米各国の需要基盤がきわめて強いことや,とくに地方財政を含めた財政資金需要の増大が民間資金調達と競合して金利面に強く反映されたこととか,あるいはまた,近年の労働需給ひっ迫を背景としてコスト・インフレ傾向が企業収益を制約して,企業の外部資金依存度が増大していること,根強い企業の投資意欲が資金市場において金利を高めるからであること,など,これらは,主要先進国に共通して,高金利を生じさせやすくした,構造的ないし制度的条件であった。しかもこれらの条件のうえに66年に,一国の高金利が国境と海を越えて他国の高金利を呼び,相互的な金利上昇を促進したことについては,さらに別の要因とインパクトが重なり合って働いたとみなければなるまい。
それは第1には,貿易の自由化,資本の自由化が進展するにつれて,貿易を通じて諸外国のインフレが輸入されやすくなり,また為替や資本の自由化を通じて海外のホット・マネーや,長期資本の流入が国内の金融政策効果を薄めると同時に,国内の金利水準が他国の影響を受けやすくなってきたことである。
第2には,アメリカ,イギリスという基軸通貨国が,国際収支防衛策として,各種の規制手段をもって資金の海外流出を防ぐ半面では,積極的な資金流入策をとったために,諸外国の資金供給が不足気味となり,旺盛な資金需要を賄いきれなくなって,金利の騰貴を招いたことである。
第3には,66年のアメリカ経済において,ケネディ以来の低金利政策がベトナム・エスカレーションによって持ちこたえられなくなって,有効需要の調節をもっぱら金融当局に担わせる趣きを呈したことである。した力がって,4欧米間の金利はいちおう平準化傾向をみせたものの,他面,大西洋両岸で財政が成長刺激的となり,それが過大となったときには財政のかわりに金融を引締めて安全弁とする傾向を生じ,前述のような自由化体制のもとでお互いの金利を引上げる結果ともなった。
第4には,とくにアメリカ商業銀行によるヨーロッパでの預金獲得力がはげしかったことである。アメリカ銀行は在欧預金獲得網を拡大したしばかりでなく,譲渡可能定期預金証書(C,D)のような新種預金をもって積極的に資金をかり集め,現地のアメリカ企業に貸付け,またアメリカ本国にも送金を行なったのであった。
第5には,ドル防衛策の一環である海外直接投資規制の影響をうけた在欧アメリカ企業の西欧域内における資金調達の増大であった。65年2月のドル防衛措置によって,アメリカ企業の海外直接投資に枠がはめられ,同年12月にはさらに規制が強化された。しかし,企業の海外投資意欲はいっこうに衰えず,規制枠を超える必要資金は長期債で現地調達する新しい現象が生まれた。在欧のアメリカ企業が66年1~6月に西欧市場で起債した金額は6億5千万ドルに達し,西欧市場での起債総額13億2600万ドルに対して49%の大きさを占めた(第21図)。64年以前には,アメリカ企業のこの種の長期資本調達は全く存在しなかったが,65年々央以降急速に増大して,66年の1~6月のアメリカ企業の起積額は,西欧諸国の起債総額の4億6000万ドルを上回る大きさを示した。これが西ヨーロッパ市場での長期金利の異例な上昇をもたらした一因であった。
これらの要因を通観して,66年における国際的な金利上昇には,とりわけアメリカからのインパクト(需要増大,ドル防衛など)が大きかったとみられる。
(4) 日本経済への波及
国際的高金利の日本経済への波及は,欧米諸国ほどではなかったが,短期資本移動を通じて国際収支面には従来なかった影響が現われた。ちょうど,日本の景気局面が資金需給の緩和期にあったせいもあって,アメリカの,B・Aレート上昇に伴い輸入ドル・ユーザンス金利は国内短期金利よりいくぶん割高化の傾向が生まれた。また,内外金利差の縮小によってユーロ・ダラー運用の妙味も薄れた。これらの面から日本の短期資本は従来よりいくぶん流出気味となった。しかし一方において,さいわいに日本の貿易収支は大幅な黒字を続けたために,資本収支面のこれらのマイナス要因も打ち消されて,国際収支全体としては総じて大きな影響をこうむることはなしに推移した。
しかし,わが国も国際金融の自由化の方向にあり,その方向は,国際的な資本移動の影響が日本経済に対しても従来よりは強まることであるから,66年の国際的高金利の教訓は,国際金融変動に耐えうるようわが国が経済体質の強化と健全化を着実に進めていくことの重要性を改めて示唆したものといえよう。
(5) 国際的高金利の帰趨
1966年における欧米のいちじるしい金利の高騰は,その渦中におかれた諸国に種々の影響を与えた。資本コストの累増は企業収益のマイナス要因となり,また高金利は多くの国の株式市場の不振を招いた。しかも,高金利の影響は欧米工業国のみならず,間接的には,低開発地域にも現われたといわれている。というのは,世界銀行が主として低開発国援助に融資する長期資本の借入コストが騰貴して,従来の融資手数料1.25%をとっても,いままでのように6%で貸付けようとすれば,逆ザヤとなる。そのため,もし世界貸出金利があがるようだと,そうでなくてさえ累増している低開発国の利払負担をさらに増大させることにもなりかねない。
この1年間にみられたような金利の急上昇が今後とも引き続くという見通しは少ないし,欧米の高金利が,将来さらに高進して30年代のような金融恐慌の不安を招くと懸念する金融当局者は現在のところほとんどいない。それは,金利上昇の重要な一因であった主要国の財政刺激は漸次弱められていくとみられるからである。すでにアメリカでは,9月に財政刺激を抑制する措置を講じ,また今後の増税措置を予想する向きも少なくない。時期を同じくして,西ドイツもまた財政支出の節約を閣議決定した。その他の国でも,財政支出の調整に着手,ないし強化をはかりつつあるものが多い。その効果が出てくるにつれて,資本需要も金利もしだいに沈静化していくであろう。欧米の金利も,ごく最近になって騰勢が一服気味となってきた。
しかし,66年中において大きな高金利要因であったアメリ力の国際収支不均衡とその対策はなお当分続きそうであり,もしベトナム戦局によって巨額の赤字が継続するようだと,アメリ力はさらに海外民間投資の規制を強化するかもしれないし,それが西ヨーロッパの高金利を刺激する要因として引き続きはたらくこともありえよう。
また前に指摘したごとく,欧米主要国の労働需給のひっ迫や企業借入依存の増大といった構造的要因が高金利の底流となっていることを勘案すれば,現在までの高金利が容易に終焉して再び低金利時代に復元していくことを期待するのも早計である。
いずれにしても,国際金利の動向は騰勢がおさまることはあっても,当分の間は高金利状態が続いていきそうである。