昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


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第3章 国際収支と国際流動性の問題

1. 主要国の国際収支動向とその特徴

第1章と第2章で述べたように,1964~65年における工業国の経済成長は,若干の例外を除いておおむね満足すべきものであり,世界貿易も高い増勢を維持することができた。

しかし国際収支面においては,多くの主要国に重大な不均衡が発生し,それが世界貿易の先行きに一抹の懸念をなげかけると同時に,現行国際通貨体制そのものの欠陥に対する反省を強め,その改革をめぐる論議をいっそう活発化させた。このように,国際収支に関するかぎり,64~65年は問題の多い年であったということができるが,幸い各国政府の政策努力や国際協力によって,主要国の国際収支状況は最近しだいに改善の方向に向かいつつある。

まず64年前半の状況をみると,年初に大幅な国際収支赤字とリラ危機に見舞われたイタリアが,その後国内引締めを実施し,国際協力に助けられて,国際収支の急速な改善をみせ,また年初まで過大な黒字を示していた西ドイツの国際収支も,春以降政府の資本流入阻止と流出促進の措置によりこれまた急速に均衡化の方向に向かい,さらにアメリカの国際収支も,63年央に発表された金利平衡税などの対策により改善されつつあった。他方でイギリスの国際収支悪化という黒点があったものの,全体としてみれば,主要工業国の国際収支は好転しつつあったということができる。

ところが64年後半から65年はじめにかけて,情勢は大きく変化した。まずイギリスの国際収支の悪化傾向が下期にいっそう深刻化して,11月には戦後9回目のポンド危機をひき起こし,ついでアメリカの国際収支が64年末から65年初めにかけて急速に悪化した。

このイギリス,アメリカ両国の国際収支悪化は,それがポンドとドルという現行国際通貨制度の礎石である基軸通貨の信認に直接かかわりをもち,しかもポンド危機打開のために国内措置や国際協力が実施されたにもかかわらず,ポンド不安が長く解消しなかったこと,また65年2月に打ち出されたアメリカの国際収支対策が国際収支の赤字是正には急速な効果をあげたものの,同時に世界の国際流動性の量の問題をあらためて提起したことが事態の深刻さを強く印象づけた。

このように,基軸通貨国であるアメリカとイギリスの国際収支悪化とその是正策が外部世界に対してさまざまな波紋を投げかけたことのほかに,一次産品輸出国の国際収支が1964~65年に輸入の激増と輸出の頭打ちから悪化の方向をたどり,外貨難に悩む国がふえてきたことも,64~65年における一つの特徴であったということができる。しかもこの低開発諸国の国際収支悪化と外貨難の問題は今後もむしろ深刻化する可能性をはらんでおり,66年の世界経済の見通しに一つの黒い影をなげかけるものだといえる。

ところで,いま世界を,アメリカ,西ヨーロッパ,その他地域に3分割して,地域間の収支状況をみると(第42表),アメリカでは,経常収支の黒字が64年にいちだんと拡大し,他方,資本収支の赤字は金利平衡税の実施にもかかわらず,17億ドル(誤差脱漏をふくむ)も増加した。これは対西ヨーロッパ,対カナダの資本流出が増加したからである。以前からアメリカの国際収支にみられた資本収支の赤字が経営収支の黒字を上回るという傾向は,64年にも強められてあらわれており,国際収支の悪化は貿易収支の記録的黒字の下で起こったことがわかる。

西ヨーロッパのばあいは,逆に経常収支の赤字を資本取引きの黒字で埋め合わせる形となり,総合収支は黒字であった。経常収支の赤字幅は64年に10億ドル悪化したが,資本流入が増加して,総合収支の黒字は1億ドル減少したにすぎない。

その他の国々を一括した国際収支は変動が激しいが,64年中に起こった経常収支悪化のかなりの部分がオーストラリア,南アフリカといった一次産品輸出先進国によるものであり,オーストラリアと日本のばあいは資本勘定の受取りが前年より減少している。低開発国全体では,前述したように,経常収支が悪化し,他方,資本の受取りがふえたが,この傾向がとくに明瞭にあらわれているのはラテン・アメリカである。

つぎに主要国について,その国際収支動向を,64~65年の特徴に焦点をあてながら検討してみよう。

(1)アメリカ

近年におけるアメリカの国際収支の変動は,主として民間資本の流出によるものである。63年央に金利平衡税の提案を中心とする国際収支対策がとられ,海外証券投資が激減して64年第1・四半期には国際収支のいちじるしい改善をみた。その後,第4・四半期にいたり,海外民間直接投資や長期証券投資(主としてカナダ向け)が急増し,加えるに大統領のスタンド・パイ権限(ゴア修正条項:金利平衡税法審議の最終段階で挿入されたもので,1年以上の対外銀行融資にもこの税を賦課できる権限)の発動予想から,事前にこの対象となる資金を借りようとする動きが活発化し,国際収支の赤字を激増させた。

65年にはいって港湾ストが起こり事態を悪化させ,資本の流出もやまぬので2月に新しいドル防衛措置が発表された。これは銀行やその他の企業に海外投融資を自主的に規制させることが中心で,金利の引上げはふくまれなかったが,その効果は急速にあらわれ,第1・四半期の国際収支赤字(通常取引き)は前期の半分となり,第2・四半期にはわずかながら8年ぶりの受取り超過となった。

好転の要因は銀行の自主規制であって,民間企業も短資引揚げの形で協力しているが実積はさほどではなく,10月に改めて協力の強化が呼びかけられた。

第3・四半期の国際収支赤字は6億ドル,65年全体で約20億ドルと予想されているが,これが実現すれば64年に比べ約10億ドルの好転となる。

第44図 アメリカの国際収支と金・外貨準備ならびに対外短期債務

(2)イギリス

イギリスの国際収支赤字の主因は,国内需要の増大による経常収支の悪化である。従来からとられてきた成長政策の結果,輸入が急速に増加し,輸出の伸びはこれに伴わず貿易収支が悪化したうえ,64年には民間長期資本の純流出も増大した。

64年10月に労働党が政権につき,15%の輸入課徴金(65年4月に10%へ引下げ),輸出戻し税(平均して従価1.9%)などをふくむ緊急国際収支対策をとった。しかし,ポンドに対する信認は急速に低下し,11月に公定歩合を7%へ引き上げたにもかかわらず,短期資本が流出に転じて,第4・四半期の総合収支赤字は記録的水準に達した。この危機に際し,11の先進国と国際決済銀行により30億ドルの緊急信用供与という大規模な国際金融協力が行なわれ,また12月に,イギリスはIMFから10億ドルを引き出した。

このような対策によって,65年にはいると基礎収支はしだいに好転し,第2・四半期には一時的であったが黒字を記録した。しかし,ポンド不安が容易に解消しないため短資の流出が続き,その結果,引締め政策がさらに強化され,9月に再び先進10ヵ国と国際決済銀行による国際的援助が行なわれた。このようにして,9月下旬にポンド投機はようやく鎮静化し,ポンド相場は2年ぶりで平価を回復した。

イギリスのポンド危機は戦後数回にわたって発生しているが,今回の危機は49年および61年に匹敵するものであり,可能なかぎりの対策がとられたにもかかわらず,ポンド不安の解消までに時間がかかったことと,国際金融史上最大の公的国際金融協力の行なわれたことに大きな特徴を見出すことができる。

第45図 イギリスの国際収支と金・外貨準備ならびに対外債務

(3)イタリア

1964年中に,再びEECの国際収支の黒字幅が拡大したが,これは従来と異なり,いくつかの国の経済活動が停滞的となったことによる経常収支の黒字増大を反映したものである。この好転の主役はイタリアであって,フランスと西ドイツの経常収支は悪化した。

イタリアの国際収支の好転は劇的であった。62年にはじまった貿易尻と経常収支の悪化は,63年にはいってそのテンポを速め,これにリラ札による民間資本の流出が加わり,64年初めには国際収支の危機をひき起こした。IMFからの引出し,国際金融協力によるスワップ取決めの発動で危機を回避し,財政金融の引締め政策が強化され,その結果輸入が減少した半面,輸出の増加が起こり,また,リラ札の流出も減少して,国際収支はいちじるしい好転を示すにいたった。64年第2・四半期に国際収支は黒字に転じ,その後黒字幅は拡大を続けた。65年にはいっても,輸出の増勢は続き,資本受取りも増加して,7月の総合収支は記録的黒字となった。

(4)西ドイツ

西ドイツの国際収支もまた,イタリアとは逆の意味ではあるが,いちじるし,い転換を示した。63年から64年初めにかけて,西ドイツの国際収支は,大幅な黒字基調を統けていたが,3月に外資の流入抑制および資本輸出促進のための措置がとられて,長期資本収支は第2・四半期以後ほぼ均衡ないし若干の黒字を維持するようになった。他方,国内経済のブームにより輸入が激増を続け,これを主因として経常収支は64年上期の黒字19億マルクから下期の10億7,000万マルクの赤字へ転換し,65年上期には赤字幅はさらに拡って28億3,000万マルクとなった。これには輸入促進の目的で実施された64年7月の関税引下げも役立ったとみられる。

西ドイツ政府当局は,国内のインフレ圧力を緩和するのに有効であるとして,このような国際収支の赤字化をむしろ歓迎する態度を示し,国際的にも黒字国が積極的にとった調整過程として注目を集めた。

第43表 西ヨーロッパにおける通貨別外債発行高

(5)日本

1964~65年の間に日本の国際収支にみられた変化も大きかった。63年第4・四半期から悪化をはじめた日本の国際収支は,64年前半まで赤字を続けたが,引締政策の浸透に伴う輸入の増勢鈍化と輸出の激増によって,貿易収支が黒字に転じ,貿易外収支および資本収支の赤字を相殺して,国際収支は64年第3・四半期に黒字に転じた。

65年第2・四半期には資本の流出が大きく総合収支は赤字となった。これにはアメリカのドル防衛政策,西ヨーロッパ資本市場の逼迫や,日本の金利低落,資金需要のゆるみなどがはたらいている。他方,輸出の増勢は続いた。長い間,日本の国際収支の黒字要因であった長期資本収支は65年初めから赤字に転じており,返済超過のため,ここ当分は赤字を続けるであろう。

なお,ここで,アメリカの金利平衡税発表後,日本の長期資本調達に大きな役割を果たしたヨーロッパ外債市場の最近の動きをみておこう。

ヨーロッパの外債市場は金利平衡税の発表を一つの重要な契機として,63年下期から急速に発達したが,とりわけロンドンを中心とするドル建外債と西ドイツにおけるマルク建外債の発行が急増し,前者は63年の9,000万ドルから65年の4億6,000万ドルヘ,後者は63年の4,000万ドルから64年の2億2,000万ドルヘ急増した。こうしたドル建外債とマルク債の急増により,西欧ヨーロッパ全体での外債発行額高も63年の4億8,000万ドルから64年の8億9,000万ドノレヘと倍近くとなり,アメリカでの外債発行高を上回るにいたった。

しかし65年にはいると,西ヨーロッパにおける外債発行高の増加傾向がとまり,65年上期の起債額は64年の半分弱の4億3,000万ドルにとどまった。西ドイツにおけるマルク建外債の発行高が国内資本市場の逼迫で前年同期の水準をやや割ったことと,ドル建外債の発行高がアメリカ国際収支対策の影響をうけて減少したからである。

最近は,アメリカ企業が西ヨーロッパでの起債活動を活発化させたことからドル建外債の発行高もふえているが,それにしても,63年から64年にかけてみられたようなドル建外債の急増傾向はいちおう終わったものとみられる。

ところで,日本は金利平衡税発表後は,外債発行による長期資金の調達源をアメリカから西ヨーロッパヘ切り換え,その結果西ヨーロッパにおける日本の起債額も63年の6,000万ドルから64年の2億1,000万ドノレヘ急増したが,65年にはいってからは年初に2,500万ドルの起債があっただけで,その後は皆無である。,これには西ヨーロッパ資本市場の逼迫と金利上昇のほか,日本の株価不振や長期資金需要の減少なども原因したとみられる。

第44表 日本の外債発行


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