昭和40年
年次世界経済報告
昭和40年12月7日
経済企画庁
序 章 日本をとりまく海外経済の動き
1964~65年,の世界経済は,アメリカ,西ドイツなどの工業国を中心に,おおむね順調な拡大を統けた。この間,ポンド危機,フランスの金攻勢,アメリカの国際収支対策実施などの事態が相ついで発生し,国によってはその影響を受けたところもあったが,世界経済を全体としてみると,その実態面にはさして大きな悪影響を及ぼすことはなかった。
この工業国の経済拡大は,貿易のいるじるしい増加を伴い,工業国貿易のみならず,64年には低開発国やオーストラリアなど一次産品輸出先進国の輸出を大きく伸長させ,これらの国の国内生産にも好影響を与えた。65年にはいって,一次産品輸出国の輸出は停滞的となっているが,輸入の増勢はなお衰えていない。
また,ソ連と中国では,64年の農業生産の回復によって,工業生産の上昇テンポは高まった。
こうした世界経済の拡大の足どりを鉱工業生産の動きで追ってみると,第1図に示すように,63年から64年上期にかけて,増加率は期を追って高まり,その後も65年上期まで増勢は維持されている。なお,64年全体としては対前年比7.2%増となり,前回の好況期である60年とならぶ伸び率であった。
このように,64~65年には世界的な経済の拡大がみられたのであるが,その中心となった工業国の間でも,すべての国が同一歩調で成長を続けたわけではない。
第2図にみられるように,一方において,アメリカと西ドイツが数年にわたるきわめて息の長い景気の上昇過程をたどっているのに対し,イタリア,フランス,日本などいくつかの国が,この両年の間に相前後して景気後退を経験した。
このように,主要工業国の景気局面にはずれがみられるが,全体としては,いちおう順調な拡大歩調を続けたということができる。この主要国間の景気局面のずれは,実は戦後の世界経済のーつの特色であって,そのことが戦後世界経済の成長を安定化させる一つの要因でもあった。
この点は,とくにアメリカと西ヨーロッパとの景気局面についていえるのであり,1957~58年を除いて,米欧の同時的後退は起こらなかった。また,相互の貿易を著増させ貿易依存度を高めてきた西ヨーロッパの内部では,たとえば最近の例でみると,62年後半から63年前半にかけて景気の停滞した西ドイツが,当時活况を呈していたフランス,イタリアなどEEC域内諸国向け輸出を急増させることでその後の景気上昇のきっかけをつかみ,また逆に,1964~65年においては景気後退局面にあったイタリア,フランスが,西ドイツ向け輸出を増大させて回復への一つの手がかりとした。
なお,後述するように,日本が今回の景気後退局面で輸出を著増させたのは,産業の国際競争力が強まったのに加え,この時期に海外諸国の景気が全体として上昇を続けていたためである。
この世界経済の拡大のなかで,とくに注目を集めたのは,60年代におけるアメリカ経済の長期にわたる好況の持続である。アメリカは,現在,61年にはじまる戦後5回目の景気拡張期にあるが,それまでの3回の拡張期をみると,45ヵ月,35ヵ月,25ヵ月と,しだいに期間が短縮しており,成長率の鈍化に悩まされていた。しかし,ケネディ大統領によって打ち出された積極的な成長政策が功を奏して,65年12月現在で58ヵ月という平時としては史上最長の好況を持続している。
これに対し,従来,低成長国であったイギリスは,アメリカよりややおくれて成長政策をとり,2年あまりはかなりの高成長を実現できたものの,64年末には国際収支難の再燃からポンド危機を引き起こし,デフレ政策に転換せざるをえなくなった。
ヨーロッパ大陸では,西ドイツが長期間にわたる安定的な成長を続けており,65年にはいってからは,景気過熱防止のため,2回にわたって公定歩合が引き上げられたが,拡大基調には大きな変化はなく,EEC諸国の経済拡大の主柱となっている。
他方,1961~63年にかけて景気上昇を続けたイタリアは国際収支悪化に起因するリラ危機を契機として,64年はじめに景気後退にはいった。その後,同年秋から景気はようやく立ち直りはじめ,65年になると政府の景気テコ入れもあって,いちおう順調な回復の道を歩んでいる。62~63年にインフレ状態となったフランスも,物価安定措置がとられて,64年後半から景気後退にはいり,65年春の一連の引締め解除によって緩慢な回復に転じた。
このように,欧米主要工業国の経済情勢は,国によってかなりの相異を示しながらも,全体として拡大を続けた。このため,世界貿易は,63年以後,大きく伸び,一次産品価格も上昇して低開発国の輸出を増加させ,その国内経済にも好影響を与えた。
第1図に示したように,低開発国の鉱工業生産はかなり高い増加率を維持しており,東南アジアについては農業も増産を記録した。しかし,65年にはいって輸出が伸びなやみをみせはじめており,今後も1950年代前半のようにかなり高い成長率を維持することは期待しがたい。また,インドをはじめ,食糧不足に悩む国も多く,開発計画における重工業優先政策が批判され,農業の役割の再評価が説かれるようになった。
社会主義圏では,64年の農業の好転から,ソ連,中国の経済は工業をふくめてかなりの拡大をみた。もっとも,ソ連,東ヨーロッパ諸国については経済成長率の鈍化傾向がやんだとは考えられず,中国にしても57年の生産水準をようやく超えたところである。
こうした海外経済の環境のなかにあって,日本は,64年後半から,朝鮮動乱以来5回目の景気後退に見舞われた。従来,日本経済は,かなり激しい景気変動を経験しながらも,旺盛な投資需要に支えられて高度成長を遂げてきた。1953~64年の平均実質成長率は10%に達し,EEC諸国の5~6%,アメリカ,イギリスの3%に比較すると格段に高い。また,第2図からもうかがわれるように,景気拡張期は,50年代を通じてしだいに長期化する傾向にあり,経済成長率も高まっていった。しかし,60年代にはいってからは,これまでとかなり異なった様相があらわれ,景気後退はすでに61~62年と64~65年の2回も発生しており,この間の拡張期間も前回の58~61年の約半分に短縮している。これは,さきにふれたアメリカの動きとは対照的である。
ところで,今回の景気後退期にも,貿易収支はいちじるしい好転をみせたが,これはもっぱら輸出の急増によるものであり,輸入は,生産がふえ続けたため,減少に向かわなかった。この点は,主として輸入の減少によって貿易収支の改善をみた従来の景気後退期といちじるしく異なっている(第4図)。
このような貿易収支改善による国際収支の好調を背景に,65年初めから3回にわたる公定歩合の引下げなど各種の景気対策がとられてきたが,以前のような引締め解除後にみられた景気の回復は起こらず,現在にいたるまで,景気はなお低迷の域を脱していない。
今回の景気後退にみられるこのような特徴は,主として,59~61年における設備投資ブームの結果であるといえよう。すなわち,過去に行なわれた重化学工業を中心とした設備投資の生産力化が輸出構造の高度化と競争力強化をもたらし,それが64年にはいってからの世界貿易の全般的拡大と相まって輸出の急増を実現した一方,この投資ブームの調整過程が,64年の引締めの影響と重なったため,引締め解除後にも容易に景気の回復は起こらなかった。