昭和39年
年次世界経済報告
昭和40年1月19日
経済企画庁
第2部 各 論
第4章 社会主義圏
(1)1963~64年のソ連経済
1)1963~64年の概況
1960年以降,年々成長率が鈍化してきたソ連経済は,63~64年もその傾向をたどっている。ソ連の公表する国民所得の対前年増加率は,60年の8%から次第に低下し,63年には5%を下回った。
7カ年計画(59~65年)の発足以来大幅な増産計画を達成しえず,低成長を続けてきた農業生産は,63年には年初の寒波と夏の早ばつというきわめて不利な気象条件のため大きな打撃を受けた。とくに穀物の不作が著しく,従来穀物の輸出国であったソ連が,63年後半から64年にかけて,西側諸国から1,000万トンを越える小麦を輸入しなければならなくなった。この小麦の大量輸入は,普通の年より多くの金の売却を余儀なくさせたばかりでなく,鉄鋼,非鉄金属,ゴムなどの製品や原料の西側諸国からの輸入を圧迫した。
成長率の鈍化は工業生産についてもみられる。工業のうち生産財の生産はほぼ同一のテンポで伸びているが,消費財生産の増加率は明らかに低下傾向にある。これは農業生産の不振によって,原料とくに畜産原料の面から制約を受けているためであって,63年の農業不作の影響で,64年にかけて消費財生産の伸びは目だって小幅になっている。
このような事情のもとで,当面のソ連の経済政策の主要目標は,農業と消費財産業の不振を打開することにある。
農業振興政策は,50年代後半に未懇地,休閑地を開拓し,耕地を拡大して穀物の増産を図ることに重点が置かれたが,この粗放的な穀物増産は,開拓地の地力が低下するに伴って頭打ちになっていた。しかも,これに62年から63年にかけて冬の不利な気象条件が加わって重大な不作をもたらした。また畜産の振興を図るため飼料作物の増産が行なわれ,とくに61~62年には従来の「牧草輪作」方式から飼料作物の重視へと作付構成の転換が実施された。そこで,安定した穀物生産を確保し,新しい輪作方式を導入するためには,農業資材,とくに化学肥料の投入を増加する集約的な農法の導入,肥料の増産が当然必要とされるにいたった。
他方,消費財産業における生産の増大と品種の多様化を一つの主要目的として,化合繊,プラスチックなど合成品の増産が取上げられた。これはすでに7カ年計画の重点部門となっていたが,実績は必ずしも芳しいものではなかった。このようにして,肥料と合成品の大幅な増産を図る64~70年の化学工業振興計画が決定されたのである。この計画は,7カ年計画の最終2カ年を一括する64~65年計画,および7カ年計画に続く新しい長期計画の主軸ともなり,化学工業の立ちおくれたソ連の工業生産の構造に著しい変化を与えようとしている。
64年には,化学工業の増産はまだ全体として軌道に乗っていない観はあるものの,化学肥料はかなりの増産となっている。また農業部門では,この肥料の増投と投資の著増によって集約化が進んでいるが,小麦などの収穫面積の拡大と作柄の好調のため,かなりの豊作が見込まれる。これで63年のような大量の食糧輸入が必要でなくなったので,貿易面にも63年とは異なる動きが生ずることになるとみられる。とくに化学工業とその関連部門の増産措置は,この部門の設備の輸入を増大させることになるが,化学工業や軽工業関係のプラントは比較的西側諸国に対する輸入依存度が高いので,化学工業増産計画は東西貿易拡大の一つの要因となるであろう。
以上のようなソ連経済の一般的状況を考慮に入れながら,主要経済指標について63~64年の動向を概観しよう(第4-1表,参照,ただしソ連の公表する経済指標は,その内容と算定方法が西側諸国のそれと異なるので,同種の指標を相互に比較することはできない)。
(a)国民所得と工業および農業生産
国民所得(ソ連の統計では物的生産とその関連部門の純生産額)は,さきに述べたように,1959年,60年のそれぞれ対前年比8%増から漸次小幅となり,63年に,は対前年比4.6%増(国連の発表)と,同年計画の7%増を大きく下回り,ソ連としては記録的な低い成長率を示した。
この低成長をもたらした最大の要因は,いうまでもなく,農業生産が著しく減少したことである。これに関するソ連の公表はないが,国連の推定によれば,63年の農業生産は59年の水準ないしそれ以下に低下したといわれる(第4-1図参照)。
しかし,国民所得の成長率の鈍化は,農業生産の減少によるのみではない。63年の工業は生産(企業別の総生産額の集計)は,前年にくらべて8.5%増加して計画を上回ったものの,62年の9.5%増よりはかなり伸び率が低下した。
これは主として消費財生産の不振によるもので,生産財生産はわずかに同率の伸びが鈍化したのに対して,消費財生産は63年計画を達成しえず,その伸び率は62年よりかなり低下した。
そのほか,国民所得の産業別構成項目としての建設業と商業部門の成長率も,固定投資と小売売上高の伸びからみて,低下したものと見られる。
64~65年の2カ年計画では,国民所得の年平均成長率は7.7%と,63年の計画および実績を上回り,かなり高く予定されている。64年の年次計画は明らかにされていないが,63年の低成長に対して,高い成長率となっていると思われる。また工業総生産は,64~65年計画の年平均で8.4%増と,63年実績とほぼ同程度の成長が予定されている。農業総生産の計画は発表されていないが,63年の不作のあとを受けて大幅な増加となっているであろう(穀物の国家買付計画は63年実績にくらべて64年が約50%増)。
この計画に対して実績をみると,64年の工業総生産は前年にくらべて7.8%(見込)の増加にとどまった。これは,63年の年間成長率および64~65年計画の平均成長率を下回るもので,その主な要因は,依然として消費財産業の低成長にあるもののようである。
経済成長率の鈍化は,より長期的にみても明らかであって,7カ年計画発足以来の5年間とそれ以前の5年間を対比すると,第4-2表のとおりである。 アメリカ議会に提出された報告書゛AnnualEconomicIndicat-orsoftheU.S.S.R.1964”の推計は,ソ連における経済成長率の鈍化が雇用,生産性,投資など,すべての要因の増加率の低下と資本係数の増大にあることを示している(第4-3表参照)。そのため,あらゆる面にわたって経済効率の向上が必要となったのであって,投資効率が重視され,また最近では利潤指標の導入による企業管理方式が一部で実験的に行なわれて成果をおさめていると伝えられる。
(b)雇用と労働生産性
1963年の雇用者数(コルホーズ員を除き,国営部門の労働者職員数)は,62年に引き続き,わずかな増加にとどまり,兵員の削減が行なわれた60~61年にくらべるとその増加率は低下した。64年には増加率がやや拡大したが,依然として60~61年のそれを下回っている。
工業部門の雇用も,61年の対前年比5.3%増から62年,63年それぞれ3.3%増,64年上期(対前年同期比)3.4%増と増加率が低下した。また,工業の労働生産性の上昇は第4-1表にみるように,62年から64年上期にかけて次第に小幅になっている。労働の資本装備率が著しく高まっているにもかかわらず,このように労働生産性の上昇率が低下傾向にあることは,原料供給の不足から消費財産業の生産の伸びがおさえられていることによるものとみられる。
(c)固定投資と個人消費
1963年には,国家計画による固定投資(総額の75%程度)の伸びは62年の伸びを下回り,投資額は323億ルーブルと63年計画に対し97%の達成にとどまった。これは,上期の建設事業が寒波の影響で遅れたことにもよる。しかし,従来しばしば問題となっていた多数の建設事業に対する資金,資材の分散はかなり是正された。すなわち,資金,資材を完成間近い建設事業に集中することによって稼働開始固定設備の増大テンポ(対前年比11%)は固定投資の増大テンポ(対前年比6%)を上回り,未完成建設の規模は縮小した。
また63年には,固定投資は部門別の配分に著しい変化がみられた。これを前年に対する増加率でみると,化学工業が24%増,農業が13%増と著増を示したのに対して,他方では鉄鋼,非鉄金属工業が4%増と小幅であり,機械工業のごときはわずか1%の増加に過ぎなかった。この投資配分の変化は明らかに化学工業および農業重点の政策を反映している。
以上のほか,計画外の国営企業投資,コルホーズの投資,個人住宅投資を含めた固定投資総額は,63年には前年にくらべて3%(国連の発表)の増加で,これまた62年の伸びを下回った。その内訳は明らかでないが,59年以来農業の不振により,ほぼ同一規模に停滞してきたコルホーズ投資額は63年には減少したものと思われる。
64年には国家計画投資は,63年実績にくらべて11.5%と大幅な増加が予定されているが,上期の実績は前年同期にくらべて5%を増したに過ぎず(64年年間は6.8%増の見込)固定設備稼働開始計画も未達成に終わった。
しかし化学工業振興と農業集約化の方針に沿って,その関連部門の投資の増加は,化学工業が37%,紙パルプ工業が62%,石油精製が28%,化学および石油設備工業が51%,農業が19%と大幅であった。
つぎに,個人消費を示す指標として小売売上高(コルホーズ市場の売上高を除く)をみると,63年および64年上期とも,前年ないし前年同期にくらべて5%の増加に過ぎず,いずれも計画の増加テンポを下回った。しかし,63年の穀物の不作と64年上期における一部畜産品の減産にもかかわらず,輸入やストックの放出によって売上高の減少は免れることができた。
ただ,64年上期には野菜,卵のような生鮮食料品の売上高は前年同期より4~6%減少した。
消費財の需給の面では,63年,64年上期とも従来と同様の動きがみられる。すなわち,一方では一部の繊維品や靴など軽工業品の品質や型が消費者の好みに合わないため滞貨が発生し,他方では,引き続いて冷蔵庫,洗濯機など耐久消費財の売上げがかなり増しているものの,なお需要を満たしていないといわれる。
2)工業生産の部門別動向
さきにも述べたように,工業総生産の伸び率は1962年に比べて63年,64年と漸次低下してきた。これは,主として消費財部門の不振によるものである。他方重化学工業部門では,化学工業の振興政策の実施に伴って生産構造4の変化が現われている(第4-4表参照)。
(a)重化学工業
まず重化学工業をみると,最も高い増産テンポを示しているのが化学工業である。化学工業は,7カ年計画でも重点部門として,年平均17%の増産が予定されていたにもかかわらず,同計画の発足当初はそれほどの大幅な伸びを達成しえなかった。その後,漸次その増大テンポを早めて1963年には前年比16%増と7カ年計画の平均に近づいたが,その最終目標の達成は困難視されるにいたったため,新たに64~70年の増産計画が決定されたのである。その初年度たる64年(1~9月)には,増産テンポは前年よりわずかに落ちて15%にとどまった。もっとも,化学工業振興の中核となっている化学肥料,農薬,プラスチックおよび合成樹脂,化合繊などの増産率は63年から64年にかけて目立った上昇を示している。
これに反して,鉄鋼生産は62年にくらべると63年以降伸びが鈍化している。ここで注目されるのは,この伸びの鈍化が計画に対応していることであって,鉄鋼から化学へという重点の移行が計画的に行なわれたことを物語っている。
機械,金属加工工業もほぼこれと同様の動きをたどっている。すなわちその増産率は62年をピークとして63年から64年(1~9月)へとかなり低下した。とくに,工作機械の生産台数はほとんど横ばいを続け,また冶金設備の生産は引き続いて縮小している。これと対照的に,化学工業設備は増産率を高め,農業機械も機種によってはきめて大幅な増産となっている。このような動きは,いずれも,上述の政策の重点の移行に伴う投資の動向を反映するものである。当面,機械工業で問題視されるのは,技術進歩に欠くことのできぬオートメーション機器の生産の増大が比較的小幅であり,また石油工業設備が減産ないし生産計画未達成となっていることである。
エネルギー生産では,従来に引き続いて石油,ガスの高成長と石炭(一般炭)の低成長という燃料生産構造の変化が進んでいる。そして63年には,前者の燃料生産全体に占める比率は48%と,7カ年計画の最終目標たる51%(20カ年計画の1980年目標は68%)に近づいたが,65年にはこの目標に達する予定になっている。
(b)消費財工業
消費財工業は1963年の農業の不作の影響を強く受け,軽工業,食品工業ともに62年にくらべて増産率が著しく低下し,64年(1~9月)にもそれが続いている。例えば食品工業では,63年にはバター,植物油,砂糖などの主要品目は減産さえ示し,また64年(1~9月)には,肉類の生産はかなり減少した。64年上期に63年の不作が食品工業と一部の軽工業に与えた影響を除外すれば,これらの部門の生産は10%余増大したことになると報告されていることからみても,不作の影響が大きかったことが知られる。
さらに,消費財工業の低成長の一つの要因は,滞貨の整理のため一部の軽工業品の生産抑制ないし減産が行なわれたことである。繊維品や靴など一部の製品の品質や型が消費者の好みに合わず,滞貨となっていることはすでに述べたが,63年には,例えば,靴の生産はほとんど前年なみであり,また縫製品のごときは,63,64年(1~9月)とも減産を続けている。
このように,食料品と軽工業品が生産の不振に陥っている反面,家庭用器具を中心とする耐久消費財の生産は引き続いて急速に伸びている。例えば冷蔵庫は,64年1-9月には前年同期にくらべて21%増し,洗濯機は同じく26%増した。しかも需要を満たすに足りないといわれる。
3)農業は不作から回復へ
(a)1963年の穀物不作
1959年以来停滞を続けてきた農業は,63年には激しい寒波と早ばつによって重大な打撃を受けた。一部の農作物の収獲は62年を下回り,とくに穀物は大幅な減少を示し,このため63年から64年にかけてカナダ,オーストラリア,アメリカなどから約1200万トンの小麦の買付けが行なわれた。家畜頭数も飼料の不足から減少し,なかでも豚の頭数は半減に近い状況であった(農業生産の実績は発表されていないが,その国家買付量によってほぼ推測することができる。第4-5表参照)。
すなわち,穀物の買付量は62年にくらべて21%も減り,そのうち,小麦の買付量(未発表)はさらに大量に減少したと見られる。そのほか甜菜,ヒマワリなどの工芸作物や牛乳の買付けも多かれ少なかれ減少した。その反面,綿花,馬鈴薯の買付量は前年を大幅に上回った。このことは,63年の不作が必ずしも全農作物にわたるものではなく,主として穀物の不作であったことを示している。
注意すべきことは,穀物生産の減少は買付量の減少よりさらに著しいと考えられることである。これは不作の年には,比較的被害の軽い地域では買付けが強化される傾向があるからである。したがって,穀物買付量の20%を越える減少は,穀物の不作がいかに深刻であったかを物語っている。
つぎに家畜頭数についてみると,63年末のそれは年初にくらべてほとんどすべての種類の家畜が減少を示している(第4-6表参照)。
すなわち,乳牛を除いて,すべての種類の家畜はコルホーズの公有およびソフホーズ保有の頭数も,またコルホーズ員その他の個人の所有するものを含めた総頭数も減少した。とくに,豚は大幅に減少し,なかでも私有頭数の19%減に対し,コルホーズ公有およびソフホーズ所有頭数の43%減と後者の減少が著しかった。このような家畜頭数の減少は,飼料不足のため大量な屠殺が行なわれたことによるもののようで,63年には肉類の出回りが著増し,国営および協同組合商業での小売額は10%も増加した。
(b)64年の好転
1963年の穀物の不作は,不利な気象条件から起こったのであるが,基本的には開拓地の地力の低下と施肥の不足のため気象条件に強く左右されるという,ソ連農業の体質によるところが大きかった。たとえば,耕地面積1ヘクタール当りの化学肥料の投入量はアメリカの229キログラム,イギリスの766キログラムに対して,わずかに62キログラムと著しい低水準にある。したがって,安定した作柄を保持するためには肥料の増投が不可欠の前提である。とくに,62年以来農業増産方策が,耕地の拡大と化学肥料を余り重視しない「牧草輪作」方式から集約経営方式に切り替えられたので,化学肥料の増産はいよいよ緊急の度を増した。そこで63年12月の共産党中央委員会総会は,化学工業振興計画を立てて化学肥料の増産を決定し,また64年2月の総会は化学肥料の増投,灌漑施設の拡充,総合的機械化など,集約化による農業増産を決定した。
64年上期の実績によると,農業部門への国家計画投資(コルホーズ自体の投資を除く)は,前年同期にくらべて19%を増し,化学肥料の供給は約1,000万トンで,前年同期より31%も増加するなど,集約化が進められている。また63年の不作のあとを受けて,他の面でも好転がみられる。すなわち63年に縮小した小麦の作付面積は,64年には前年より4.5%増し,そのほか,甜菜やヒマワリの作付もかなり増している。
64年の作柄は,気象条件にもかなり恵まれて良好と伝えられ,穀物の国家買付量は記録的水準に達し,ほとんど輸入を必要としない状況にあるといわれる(64年10月カナダから約30万トンの小麦買付けがあっただけである)。重大な打撃を受けた畜産部門も,64年にはいって回復に転じ,とくに著しい減少を示した豚の頭数についてみると,コルホーズとソフホーズの保有頭数は63年末の27.6百万頭から64年央の36百万頭まで回復した(63年初は54百万頭)。これはおそらく屠殺を制限したことによるものとみられる。他方,64年上期の家畜の国家買付けは達成され,また63年に前年より減少した牛乳の買付けも着実に上昇して,上期中の買付量は前年同期を上回ったといわれる。
4)貿易の動向
1963年の貿易は輸出が65億4,520万ルーブル(ソ連の公定換算率で約72.5億ドル,以下同じ),輸入が63億5,270万ルーブル(69.9億ドル)で,出超額は前年の5億1,760万ルーブルから1億9,250万ルーブルへと大幅に減少した。このうち,低開発諸国を含む西側諸国との貿易は輸出が19億5,570万ルーブル(21.5億ドル),輸入が18億6,500万ルーブル(20.5億ドル)と総額の3分の1近くを占めている(第4-7表および第4-2図参照)。
62年には前年にくらべて輸出が16.6%増,輸入が10.7%増と大幅に伸びたが,63年にはそれぞれ3.4%,7.5%の増加で,伸び率は鈍化した。輸出の伸びがとくに著しく鈍化したのは,主として農業の不振で主要輸出品たる穀物,綿花の輸出が著減したことによるもので,そのほかに木材の輸出も減少した。
このため,輸入余力が減退し,輸入の伸びも前年より小幅になったのであるが,大量の小麦を西側諸国から輸入する必要に迫られて,鉄鋼製品,一部原料品の輸入は減少した。
(a)地域別構成
1963年の輸出入を地域別にみると,輸出では社会主義圏向けが圏外向けより伸びが大きかったが,輸入では圏外からの輸入の方が伸びが若干大きかった。
圏内貿易の拡大を支えたものは,依然としてコメコン域内貿易で,とくに輸入は15%増した(62年は17.5%増)。他方中国との貿易は前年に引き続いて縮小したが,前年にくらべて輸入の減少の幅が大きい。すなわち62年には対中国輸出が36.6%減,同じく輸入が6.4%減であったのに対して,63年にはそれぞれ19.8%減,20%減となっている。この輸入の著減は,中国側の輸出による対ソ借款の返済が完了に近づきつつあることを示すものであろう。
圏外貿易は,輸出面では低開発諸国向け輸出の減少を先進国向け輸出の増大が相殺して,全体としてわずかに増加したのに対して,輸入面では両地域ともかなりの増加を示した。このうち先進諸国からの輸入の増加は,63年にはカナダ,オーストラリアからの小麦輸入という特殊要因によるものであった。しかし長期的にみると資本財をはじめとする工業製品を中心とするもので,その輸入額が58~63年に2倍以上となり,他の諸地域,とくにコメコン諸国からの輸入の伸びを大きく上回っていることは,ソ連に対する資本財の供給源としての先進工業国の重要性を物語るものとして注目に値する。
(b)商品別構成
つぎに商品別構成をみると,第4-8表に示すように,輸出では1962年から63年にかけて完成品の比重が増大し,原料品の比重が減少しており,また,輸入ではその逆の動きが看取される。これはいうまでもなく63年の,農業の不作に起因するものであって,農産物の輸出が減り,また主として西側諸国から大量に小麦を輸入した反面,機械輸入が微減し,鉄鋼製品,ゴムなどの輸入がかなり減少したためである。
完成品のうち,とくに著しく比重が増大したのは機械・設備であって,輸出金額は22.8%増と大幅に増加した。機械,設備の輸出は,59年をピークとして2年間にわたり減少したのち,再び増加して62年には59年の水準に復帰し,63年にはさらにこれをはるかに上回った。59~61年に著減を示したのは,コメコン諸国や低開発諸国への輸出が増加したにもかかわらず,それ以上に中国向け輸出が激減したからである。中国向け機械設備の輸出は,62年にも減少を続けたのち,63年にはプラント,自動車,とくに農業機械を中心にかなり回復したが,その水準は59年のわずか7%にも満たない。
コメコン諸国向け機械設備輸出は63年にも前年より18%増加し,また圏外ではインドおよびアラブ連合などへの輸出が著増した。
そのほか,完成品の輸出では62年から63年区かけて燃料(主として石油製品),食料品(主として砂糖)の比重が目立って増大している。
原料品の輸出でまず注目されるのは,動植物性原料および食料品原料の比重が著しく減少したことである。これは主要原料品の輸出減によるもので,なかでも主要輸出品たる穀物の輸出は再輸出を含めて20%減,純輸出(輸出マイナス輸入)で60%減,そのうち小麦の輸入はそれぞれ15%減および77%減と激減し,また,綿花および木材(原木)の輸出も6~7%の減少を示した。これに対して,原油の輸出は14%増加,石油製品と合わせて輸出総数に占める比重は62年の11.4%から63年の12,5%に増大した。
他方輸入面をみると,輸出の場合と逆に原料品のうち農産物の比重が著しく増加している。これは主として綿花および穀物,その他の食糧の輸入が増加したためで,とくに穀物,主として小麦の輸入は62年のわずか4万6,200トンから63年の310万トン余に激増した(大部分がカナダから,若干がオーストラリアとルーマニアからの輸入で,前2カ国との契約分の残余とアメリカとの契約分は64年にはいって輸入された)。その反面,天然ゴムの輸入は20%余の著減を示し,鉱石類の輸入もわずかながら減少した。
完成品の輸入では,機械,設備の比重はほぼ前年なみであったが,西側諸国からの輸入額は微減を示した。また,金属,金属製品の比重は目立って減少し,とくに西側諸国からの鋼材の輸入量は20%減少,同じく鋼管の輸入量は50%余も減少した。
(c)西側諸国との貿易
さきにみたように,ソ連と西側諸国との貿易は輸出入合計で1963年にも前年に引き続き,社会主義圏内貿易より大幅に増加したが,これを国別にみると第4-9表のとおりである。
先進工業国との貿易は,総体としては拡大したものの,西ドイツおよびフランスについては大幅に縮少した。とくに西ドイツからの輸入は鋼材,鋼管を中心として,またフランスからの輸入は機械と鋼材・鋼管を中心として著しい減少を示した。これに反して,イギリス,日本,イタリアとの貿易は着実に伸び,とくに日本からの輸入は,従来からソ連との経済関係の緊密なフィンランドと小麦の大量買付けの行なわれたカナダを除けば,総額および機械輸入において首位を占めるにいたった(第4-10表参照)。
日ソ貿易を日本側からみると,63年には対ソ輸出が158百万ドル,同じく輸入が162百万ドルで,若干の入超であった(通関統計による。ソ連の統計では輸出入ともfobで,ソ連側の出超となっている)。さらに64年にはいると,日本側の入超の是正が予定されていたにもかかわらず,1~9月の実績では,輸出120百万ドル,輸入171百万ドルと日本側の大幅入超となった。これは,主要品目たるスフ綿,肥料,鋼管などの対ソ輸出が予定額に達していないためで,ソ連側の輸入促進が要望されている。
他方低開発国との貿易をみると,インドおよびアラブ連合との貿易が大幅に拡大し,ソ連貿易において主要工業5カ国と比肩する地位に達した。
なかんずくインドへの輸出は,鉄鋼が減少したにもかかわらず,機械,石油製品中心に著増し,またアラブ連合との貿易は輸出(主として機械,木材)および輸入(主として綿花,米)ともにかなり増加した。その反面,マレーシアからの輸入(ゴム),インドネシアに対する輸出(機械)および輸入(ゴム,錫)は減少を示した。
5)化学工業振興計画と新長期計画
さきに述べたように,消費財産業と農業の不振を打開するため,1963年12男に開かれたソ連共産党中央委員会総会は「化学工業の急速な発展は農業生産の高揚と国民の福祉の向上の最も重要な条件」であるとの決議を採択し,64年からはじまり70年を最終年次とする化学工業振興計画を決定した。この計画は7カ年計画(59~65年)の最終2カ年を包括する64~65年計画および7カ年計画終了後の新長期計画に織込まれ,その主軸ともなるものである。
すでに,7カ年計画開始前の58年5月に化学工業の振興に関して党中央委員会総会の決議が行なわれており,全経済部門の技術進歩,重工業の高揚,消費財生産のための新たな原料供給源の確保を目的として,化学工業の振興とくに人造および合成繊維,プラスチックその他の合成物質とその製品の増産に関する諸方策が承認されている。そして,59~65年に主要化学製品の生産を2~3倍に,化学および合成繊維とプラスチックの生産を4.5~8倍に増加することが予定された。
この化学工業振興方策は,現行の7カ年計画に織込まれた。しかし,63年までの実績でみるかぎり,計画の遂行率は著しく低い。すなわち,7カ年計画では化学工業の総生産額は約3倍,年平均で17%の増加が予定されているのに対して,59~63年の5年間の実績では89%増で,年平均増加率は13.6%に過ぎず,増大テンポは上昇してきたものの,63年にも前年比16%増で年平均計画の17%に達していない。また,化学および合成繊維は,65年の目標が58年比の約4倍の約66万トンに対し,63年実績は65%増の30万2,000トン,化学肥料では同じく65年目標が約3倍の3,500万トンに対し,63年実績は54%増の1,290万トンに過ぎない。このように,7カ年計画の達成が危ぶまれているので,すでに63年計画では,鉄鋼業の伸びをおさえて化学工業の増産に努力が傾注された。
現在のソ連の化学工業の水準は,他の工業国にくらべて格段に低い。たとえば化学肥料の単位面積当りの投入量はさきに述べたとおりであるが,化合繊の国民1人当りの生産量は,他の工業国では5~6キログラム(日本6.4キログラム,西ドイツ6.2キログラム,アメリカ5.4キログラム,イギリス5.3キログラム)であるのに対して,ソ連ではわずかに1.3キログラムに過ぎない。また繊維原料に占める化合繊の比重は,アメリカでは両者合わせて23.7%,うち合成繊維が10.3%,であるが,ソ連ではそれぞれ12.5%および1.5%と著しく低い。
このような化学工業の低水準は,農業の振興と消費の向上を阻止する重大な要因となっている。とくに,62年ごろから農業増産方策が集約経営の導入に転換したため,化学肥料の増産はますます重要性を増した。また,軽工業品についても,従来品質や品種が消費者の好みに合わず,滞貨が発生していることからも,化合繊やプラスチック,合成樹脂などの化学合成品の素材の利用による増産と品種の多様化が要請されている。そのほか化学工業の発展に伴って,重工業と建設における技術進歩がもたらされるという。とくに,合成物質の適用によって機械,設備の構造と質を改善し,またプレハブ建設の範囲を拡大することが意図されているのである。
ここで,化学工業振興計画の内容を少しくみておこう。
(a)生産計画
党中央委員会総会の決定によると,1970年を目標とする生産計画はつぎのとおりである(第4-11表参照)。
この新計画を現行の7カ年計画に明示された数字とくらべると,1965年の目標では化学肥料の生産量は同じ水準にあるが,化合繊の生産量は現行計画の場合より少ない。また7年間の増加率を対比すると,現行の7カ年計画における化学肥料の3倍,プラスチック,合成樹脂の7倍,化繊の約4倍にくらべて今回の計画では化学肥料の増産予定が目立っている。
このように新しい化学工業振興計画は,なによりもまず,化学肥料の増大による農業の集約化という緊急な要請に応えることを目標としているようである。
なお,天然原料と化学原料の両者を合わせた消費財の生産計画は第12表のとおりである(第4-12表参照)。
(b)投資計画
以上のような,化学工業の振興と農業部門への化学肥料,農薬などの増投,いわゆる「農業の総合的化学化」に対する固定資本投資の総額は,7年間に420億ルーブルである(第4-13表参照)。
投資総額の各年次別の配分は明らかにされていないが,1970年の投資額は約85億ルーブルで,国家計画委員会の推定による同年の国民経済全部門の投資総額500~550億ルーブルのうち,15.5~17%を占めることになる。またこの投資の一つの特徴として効率の高いことが強調されている。すなわち化学工業と農業に関する諸方策によって得られる純収入は7年間に570億ルーブルにのぼり,投資総額を回収してなお150億ルーブル上回るといわれる。
以上の投資に伴う化学工業設備の需給状況をみると,その需要は,64~70年の7年間に65億ルーブルで,57~63年の生産実績14億900万ルーブルの約4倍に達する。これに対して今後の年間生産は,現有能力の完全活用による5億2,000万ルーブル,新規能力による5億ルーブルのほか,他の,機械製造部門よりの転換によるもの若干が見込まれ,さらに,64~70年にコメコン諸国から約10億ルーブルの輸入が予定されている。これ以外に,資本主義工業国からも輸入するが,それには,コマーシャル・ベースによりクレジットの提供を求めるものといわれている。
以上のような化学振興方策はすでに64~65年計画に盛り込まれており,さらに66年からはじまる新長期計画においてもその重点施策となるものとみられる。64年9月末に開かれた党と政府の会議は,新長期計画の主要目標として「国民生活水準の向上」を打ち出し,そのための集約化による農業生産の振興を図ること,合成品を含めた原料の供給を拡大し,それを合理的に利用することによって消費財を増産すること,化学工業,軽工業および食品工業の生産能力を拡大するとと,さらには消費財生産における重工業の役割を高めることなどを強調した。そして,新長期計画では化学工業を中心とする新興産業部門に重点がおかれ,オートメーション化の促進や燃料,エネルギー生産構造の改善などと並んで,いわゆる「国民経済の化学化」,化学工業機械の増産が最優先の課題となるとしている。
以上のような消費財の増産と化学工業の振興という,当面のソ連の基本政策は多くの問題をはらんでいる。重工業と消費財産業との調整,とくに投資の配分,西側諸国からのプラント輸入などがその主要な問題である。
すでにみたように,化学工業や農業への投資の大福な増加と対照的に,金属工業への投資はかなりおさえられているようである。こうした投資配分にもみられる重点主義は,政策面で種々の対立を生むであろう。またプラント輸入については,日本,イギリス,フランスが長期延払いの条件を与えたが,多額の輸入をどうまかなうかの問題は,なお残っている。このような状況のもとで,今後消費財増産と化学工業振興という基本方針を堅持するかどうかは,ソ連に与えられた重要課題といえよう。
(2)1963~64年の東欧経済とコメコンの動き
1)東欧経済概観
東欧諸国は,1963年に穀物の不作に見舞われたが,ソ連にくらべると比較的軽微であったうえに,他の農作物の増産がこれを補って,全体としての農業生産は,ブルガリアを除いて前年の不振からの回復を示した。そのため,工業生産の増加率が前年より低下したにもかかわらず,大部分の国で経済成長率は前年なみか,前年を上回った。しかし東ドイツとチェコでは,62年における長期計画の取りやめとその後の経済のアンバクンス是正の継続で,63年の成長率は前年を下回り,とくにチェコでは,62年の大幅低下から63年には国民所得の減少をみた。
(a)経済成長
1963年の農業生産は不利な気象条件の影響を受け,大部分の国で一部の農作物,とくに,穀物の収獲は減少し,また飼料の不足から畜産も深刻な打撃を受けた。しかし,甜菜,馬鈴薯など,他の農作物の増加がこれを補って,全体としての農業生産は62年に減少をみた国でも63年には計画には達しなかったが,やや回復をみた(第4-14表参照)。
これを国別にみると,チェコでは63年に各国中最大の伸びを示したものの,62年の減産を取りもどすことはできず,60年,61年の水準を2%下回るにとどまった。ポーランドでも62年の減産を回復しきれなかったが,61年の異例な高水準を別とすれば,63年の農業生産は60年の水準を約5%上回った。また,60年に約5%の減産を示したのち,61年,62年と年平均約1%ずつ回復したハンガリーでは,63年にさらに増産を続けたものの,この年の生産は59年の水準を2%越えるに過ぎなかった。ブルガリアの農業生産も63年に微増を示したにとどまり,60年をわずかに上回る程度であったし,東ドイツの生産も停滞的で60年の水準に達していない。ルーマニア2の63年の実績は発表されていないが,対前年比3%前後の増加とみられ,これまた61年の水準を下回った。このように,過去数年東欧諸国の農業生産はポーランドでやや水準の向上をみたことを除けば,ほとんど停滞的であったといえる。
つぎに工業生産は,農業にくらべると相対的に高いテンポで増大を続けたが,各国とも63年には前年より伸び率は低下した(第4-15表参照)。
これを各国別にみると,比較的工業化の遅れているルーマニアとブルガリアではかなり高い増加率を示し,ハンガリーの工業生産もこれらにつぐテンポの増産を記録した。その他の諸国の生産増加率ははるかに低く,また概して,増産テンポの鈍化が大幅であった。とくにチェコでは,わずかながら生産が低下した。
工業生産の動きは農業の不振による影響を強く受けたのはもちろんであるが,これは直接,農産原料の不足だけではなく,貿易面を通じて輸出の減退あるいは農産物の輸入の必要からくる原燃料,設備の輸入の抑制で工業生産は阻害された。また,63年上期は寒波による混乱も加わった。
このような攪乱要因のほかにチェコ,東ドイツ,ポーランド3国では計画の手直しという要因が働いた。これらの諸国では,近年貿易上の諸困難と計画の作成・実施両面の欠陥から,一方における隘路の拡大と,他方における滞貨の発生というアンバランスが激化した。このひずみを是正するため,長期計画の実行をどりやめるか,手直しを加えて個々の生産物ないし生産部門の生産目標を調整することが必要となった。ことにチェコでは工業の全般的な再編成が必要なほどに事態が悪化し,隘路の調整と打開を図るため,63年には工業生産計画でもわずか0.9%の増産を予定したが,実績は減産さえ示した。
以上のような農業および工業生産の動きに対応して,63年の東欧諸国の国民所得は,ポーランドとハンガリー,)ルーマニアは前年より成長率を高めたが,他の3国,とくにチェコと東ドイツでは成長率が低下した(第4-16表参照)。なかでも,チェコの国民所得は62年にもわずかな増加を示したに過ぎず,さらに,62年には予定された低い成長率も実現しえなかったのみならず,4%の減少となった。このようなチェコの国民所得の減少は,工業の減産のほかに,さらには建設・運輸・通信などの諸産業部門の後退によるところが大きかったのであって,計画の手直しによる経済のアンバランス調整の影響がいかに大きかったかが察知される。
以上のような状態は64年計画についてもいえる。すなわち,チェコの工業生産はいくぶん回復して3.6%増の予定であるが,他の諸国の伸び率にくらべてはるかに低い。またこれに対応して,国民所得の増加率はわずかに1.4%と計画されている。
(b)貿 易
東欧諸国の貿易は,1963年には輸出合計でブルガリアとポーランド,東ドイツでは前年より伸び率が低下したが,他の諸国では前年並み,またはそれを上回る伸びを示した(第4-17表参照)。また貿易収支をみると,多くの国では黒字の増大,または赤字の縮少など改善をみたが,そのうち一部の諸国では予定されたほどではなく,ブルガリアとハンガリーでは赤字が増大した(第4-18表参照)。これは,農業の動きに左右されたところが大きく,畜産品ないし穀物の輸出の減少あるいは輸入の増加によるものであった。
つぎに,63年の貿易を地域別にみると,ハンガリーを除いて,すべての国(東ドイツは発表なし)で社会主義圏諸国との貿易の伸びが西側諸国との貿易の伸びを上回り,圏内貿易の比重が増大した(第4-19表参照)。なかでもポーランドとルーマニアは,ソ連との貿易の比重がかなり増して,他の圏内諸国との貿易の比重はかえって縮小した。また両国の西側諸国との貿易の比重は62年に比べ縮小したが,なお30%を越えている。このことは,最近における両国の西側接近の態度からみて,注目に値する。以上の諸国と異なり,ハンガリーでは西側諸国との貿易は23%増と大幅に伸び(圏内貿易は8%増),総額の30%に達した。
2)コメコンの活動状況
コメコンは1962年6月の総会で,執行委員会の設置や「社会主義的国際分業の基本原則」という取り決めを採択して活動の強化を図ったが,62~63年に機械工業を中心とする生産の専門化と協業化をさらに促進するための勧告が採用され,機械工業の製品の525種と他の工業部門の生産物約1,200種について,生産の割当ての協定が結ばれた。
しかし現状では,これらの協定は,各国ですでに生産されている製品の品目を減らすというより,品種の拡大を防止するという効果を上げるにとどまっている。
コメコン諸国では,機械工業の拡大が急速であり,機械を中心とする貿易を増大させる必要が高まっていることからすれば,機械工業の専門化をさらに促進することは緊急事となっている。ところが,過去において機械の輸入依存度が高かった国で機械工業が創出され,国際分業を十分考慮せずに機械工業の拡大を図ったため,コメコン圏内の機械,設備の貿易を阻止する働きをする結果となった。
このことは,輸出増強において,機械の比重の増大がコメコン諸国では西側先進国の場合より立ち遅れていることからも知られる(57~62年の総輸出に対する機械輸出の弾性値は,西側の2.1に対してコメコンでは1.1)。さらに,コメコン諸国の当局者の指摘するところによれば,社会主義圏内諸国の輸出する機械は,西側工業国のそれより品質や型の点で劣っているため,コメコン諸国の西側からの機械の輸入は,域内諸国からの輸入より,急速に伸びているといわれる。このような傾向を逆転させるためにも,専門化の促進による機械工業の生産の改善と,近代化のための努力が要請されているのである。
コメコンはこのような機械工業を中心とする生産の専門化と,各国の長期経済計画の相互調整,64年初から発足したコメコン銀行(38年度世界経済報告,第5章参照)を通ずる多角決済制の導入などによって,域内の国際分業促進と貿易拡大を図ろうとしている。しかし,生産の専門化,長期計画をめぐる各国の利害の調整は必ずしも容易ではない。
64年4月下旬に開かれたコメコン執行委員会の会合は,緊密な経済協力とならんで,主権の尊重,互恵,友好的な相互援助をうたい,すべての加盟国の経済発展の共通の利害と各国の国民的利害との一致,生産の国際的専門化と各国の外面的な経済発展との一致を強調することに努めた。だが,66~70年の各国長期計画の調整は進捗していないようだし,各国の利害の対立や比較的遅れた国の多面的工業化の要望はしだいに表面化してきている。
消費財生産の割当てをめぐるチェコ,ポーランド,ハンガリー3国の対立も伝えられたが,とくにルーマニアは,コメコンの中央計画機関の設立と単一計画の作成の試みや,ソ連,ブルガリアとのドナウ川共同開発計画に対して,主権を損うものとして反対した。そして64年6~7月には,アメリカ,フランスと貿易拡大についての取り決めを行なった。このルーマニアも,コメコン自体は支持すると声明しているが,その他のコメコン諸国も,西側接近の態度を示している。すなわち,ポーランドはケネディ・ラウンドへの参加を申し入れたし,またハンガリー,ブルガリアもガット加盟の希望をもつものと伝えられる。
その反面,非加盟国たるユーゴは,64年9月,一部の専門分野について,コメコンとの協力関係にはいった。このようにコメコン体制は緊密な協力関係からゆるやかな協力関係へと,その性格を変えつつあるようで,今後の動きが注目される。