昭和39年
年次世界経済報告
昭和40年1月19日
経済企画庁
第2部 各 論
第2章 西ヨーロッパ
(1)概 況
EEC(European Economic Community欧州経済共同体)は,1958年1月1日発足以来,すでに7年目(過渡期第2段階の第3年度)を迎えている。この間,域内統合の進展に伴い困難が増加したこと,とくに関税同盟から経済同盟に重点が移ったことによる問題の複雑化があり,一方,域内経済の発展に不均衡が生じたことが,問題の解決をいっそうむずかしくしている。
しかし,難航していた統一穀物価格の決定が行なわれるなど,経済統合は着実に進められており,主としてつぎの点において展開がみられた。
第一に,共同市場の自由化がいっそうおしすすめられ,商品移動の拡大ばかりでなく,労働力の自由移動,資本市場の自由化に新しい措置が加えられた。現在,関税同盟としてのEECは,ほぼ3分の2が完成されたことになり,ローマ条約の予定よりも早い進度を示している。このほか,委員会が発表した「Initiative,1964」に代表されるような統合完成をさらに促進させるための一連の提案が行なわれている。
第二に,経済同盟への進展がみられた。これは最近におけるEEC域内不均衡の顕在化を背景として,共通経済政策の採用が促進されたことによる。
とくに,インフレーション対策としての共通景気政策が重要視され,EEC全体についてばかりでなく,各国別のインフレーション対策が勧告された。
これとの関連で,通貨・金融・財政政策などの調整の準備が急がれ,また,EECの長期的政策に基礎を与えるために,中期経済計画の策定を行なうことが決められ,具体的な作業がはじめられている。
共通農業政策でも,注目されていた統一穀物価格について最終的合意に達することができた。これは,域内統合における大きな前進であるばかりでなく,域外との困難な諸問題,とくに,ケネディ・ラウンドの農産物交渉を促進するものとして大きく評価されている。
このほか,EECの統合を制度的側面から推進する動きのなかで,3共同体(EEC.ECSC.Euratom)の執行部統合の準備が進んでいる。
第三に対外関係については,イギリスの加盟交渉中断によって,一時はあらゆる対外交渉が停滞したが,その後,連合関係の設定,通商協定の締結などが相ついで行なわれ,現在,交渉進行中のものもいくつかある。しかし,これらの交渉が進んでいる国は,主としてEECと歴史的に従属関係にあった低開発国であり,先進国の交渉ではケネディ・ラウンドに典型的に示され,ているように行きなやみの様相を呈している。
(2)共同市場の進展
1)関税同盟の進展
EEC域内関税の引下げは,工業品,農産品ともローマ条約の規定以上に速められて実施されている(第2-7図参照)。すなわち,工業品については,2回の促進実施を含めて通算7回,57年初の基準関税率にくらべて70%の引下げ,農産品については,自由化品目50%,非自由化品目55%の引下げが行なわれた(ただし重要農産品は関税ではなく,課徴金制度によって規制される)。
最近,ローマ条約の取決め以上に域内関税の引下げを促進して,関税同盟としてのEECを早期に完成させようとする動きが目だっている。とくにEEC委員会が,最近理事会および加盟国政府に送った「Initiative,1964」(9月)と題する覚書は,共同休プログラムの全般的促進を意図しているが,そのなかで域内関税を67年より全廃することを提案している。その骨子は65年,66年,67年の1月1日付で,それぞれ115%,15%,10%の関税引下げを行なうというものである(農産物については68年より域内関税を全廃し,対外共通関税を全面的に5適用)。これは「第2段階の活動計画」における域内関税の引下げ促進案を,引下げの時期および率について具体化したものとみられる。
一方,対外共通関税への接近においても,ローマ条約の日程を上回る進捗を示した。すなわち,工業品については第1次促進(61年1月1日,30%),第2次促進(63年7月1日,30%)の2回,累計60%,農産物については30%(62年1月1日)引下げられた。しかし,域内関税の引下げがゼロに向って進んでいるのに対して,対外関税の引下げは,共通関税率(57年1月1日に各国で適用されていた関税率を算術平均したもの)に対する接近であるところに,EEC関税同盟の特質がみられる。この関税引下げの過程で,域内関税と域外関税との関係は国別に異なった動きを示すが,全体としてみれば,域内関税の引下げられただけ域内と域外の格差は拡大する。したがって,域外に対するEECの共通関税水準が問題となってくる。
EECが現在基準としている共通関税率水準は,当初の基準よりも20%引下げたものとなっている。すなわち,工業品の第1次促進措置を実施する際(61年1月1日発効),当時進行中だった第5回ガット関税交渉(ジロン・ラウンド)を考慮し,他のガット参加国も同調することを条件に,共通関税率を20%引下げて実施した。しかし,交渉結果は平均5~65の関,税引下げにとどまったので,第2次接近の際,共通関税水準をこの分だけ引き下げればよいという提案がみられた。しかし,最終的にはつぎのガット交渉(ケネディ・ラウンド)を考慮して,共通関税20%引下げの暫定措置を65年末まで延長することが決定され(63年4月),前回同様の基準によって対外関税の引下げが行なわれたといういきさつがある。
域内関税の引下げの加速化は対外共通関税への接近を速めているが(上記「Initiative」では66年から共通関税を採用することを提案している),共通関税の水準が不変であれば,域内と域外の格差は依然として残る。また関税以外の自由化手段も,域内ではより有効にとられ易いために,EECの関税同盟の進展が貿易拡大に貢献する度合は,域内においてはいっそう大きいとみられる。
2)労働力移動の自由化
1964年2月「共同体内における労働者の自由移動に関する第2次規則」が採択され,第1次規則(Regulat1on,No.15,61年9月発効)における自国民優先主義から脱却して,共同体優先主義への第一歩をふみ出した。
この労働力移動自由化の第2段階は,当初,第1次規則発効後2カ年以内に開始される予定だったのが,域内労働者優先の原則の採用をめぐって,加盟国間,とくに西ドイツとイタリアに利害の対立があったため,実施が遅れていたものである。
第2次規則における自由化は主として移住労働者の対象を拡大し,その地位および雇用条件の改善を通じて行なわれる。すなわち①自由化の措置を,第1次規則では除外していた国境労働者,季節労働者にも適用する。
また移住労働者に同伴される労働者にも,サービスの自由提供の制約に反しない限り適用される。②同一企業に3カ年間雇用された労働者は,企業内における労働者代表機関への被選挙権を付与される(第1次規則では選挙権だけ)。③移住労働者の同伴しうる家族は,これまで配偶者と21歳未満の子供に制限されていたが,これを扶養している尊属にまで拡大し,子供についての年令制限もはずされた。
このように,第2次規則は共同体優先主義を前面におし出しているものの,なお過剰労働力が存在する場合には,加盟国はこれらの地域または産業で自国民優先主義を維持または再導入することができるという例外規定を残している。ただしこのような措置をとる場合には,当該国は委員会に報告し,関係国の承認をえなければならない。この場合に適用される手続きは第1次規則にほぽ準ずるが,自国民優先の期間を3週間から15日間に短縮している。
労働力移動の自由化が,当初の予定より進捗がかなり遅れているのは,問題の複雑さと,その解決の困難さを示すものである。すなわち,各国の労働事情にはもともと大きな差があり,労働輸出国と輸入国にはっきりわけられて利害が対立しがちである。一方50年代の生産の高水準ば,域内の余剰労働力を吸収し,労働市場を売手市場に変えている。このような労働力移動に好条件が整えられているにもかかわらず,自由化計画が遅滞を示している点がこの問題の特質である。
3)資本移動の自由化
資本については「資本移動の自由化に関する第3次指令案」が提出された(1964年4月)。この指令はとくに,為替面以外の資本移動の自由化を阻害ないし制約している法制上・行政上の障害の除去をはかることを目的としている。すなわちこれにより,①加盟国の自国資本市場における外国証券の発行および引受け,②各国の証券取引所における外国証券の上場,③金融機関による外国証券の取得について,国籍もしくは居住地による差別的取扱いがすべて除去されることになる。
第1次指令(60年5月),第2次指令(62年12月)が主として為替管理面の自由化であったのを,制度面にまで拡大しようとするこの案は,EE Cの資本市場の自由化をさらにおし進めるものとして注目される。これまでEECは,資本取引の種類を4グループにわけて漸進的に自由化を行なってきた。すなわち,①即時無条件自由化を要するもの(直接投資,不動産投資など)。②一般的為替許可が与えられるもの(上場外国証券に対する投資,非居住者による上場国内証券に対する投資など),③原則的には自由化を要するが,場合により制限の維持または再導入が可能(外国市場における証券発行,国内市場における外国証券の発行など),④当面自由化義務がない(大蔵省証券,その他の証券に対する短期投資など)。
ここで,直接投資のように長期安定的資金とみなされる産業資金の導入は,域内経済の発展に寄与するという理由から無条件で自由化された。一方,短期資本は資本市場に攪乱的効果を与えるものとして自由化を義務づけず,毎年1回,その制限を緩和する目的で通貨評議会が検討することとされている。今回の指令が採択されれば,第4グループを除いて,すべての資本取引きの自由化が義務づけられることになる。
(3)経済統合への前進
1)共通景気政策(インフレーション対策)
EEC景気政策委員会(1960年3月設置)は62年以来,毎年秋に各国から提出される翌年の経済見通し(EconomicBudget)に基づいて,EEC全体についての景気見通しを行ない,また,より短期的には四半期ごとに景気観測を行なってきた。このほかにも,景気政策を統一するための活動が少なくない(たとえば,企業主に対する景気動向調査,労働力需給逼迫に対する対策,統一予算の作成など)。
最近におけるEECのインフレーションの顕在化は,共通景気政策の必要性を増し,委員会は63年秋,はじめて加盟国がとるべき具体策を勧告した。その後インフレーションは域内に波及する傾向があり,EEC全体に共通の問題という性格を強めたため,64年4月の理事会は上記の委員会勧告を正式に採択した。勧告の概要はつぎの通りである。
① 加盟国は域内および域外第三国に対する自由な輸入政策を考慮する。
② 加盟国は財政支出をできるかぎり前年実績比5%増以内に抑制する。
③ 財政資金の不足は,長期公債の発行により調達する。
④ 現行金融引締め措置は,維持ないし強化すべきである(消費者金融にも適用する)。
⑤ 各国政府は,とくに所得政策について経済団体および労働組合との協調をはかるものとする。
⑥ 建設部門における需要の抑制措置を講ずる。
⑦ イタリアについてはとくに物価およびコストの上昇を抑制し,国際収支の改善をはかるため,現在実施中の経済安定計画をさらに強化する。
⑧ フランスおよびベネルックス3国については,実施中のインフレ対策を持続する。
⑨ 西ドイツについては,外貨の受超から生ずる信用膨張を抑制し,これを再輸出に向ける政策を継続するとともに輸入を促進し(関税引下げ),輸出助長措置を回避することが適当である。
この勧告の線にそって各国は対策を進めており,最もインフレーションの症状が著しかったイタリア,フランスでも,春ごろから落着きをみせている。西ドイツ政府が,64年7月1日より工業製品の域内関税の引下げ(税率4%以下は全廃,その他は50%引下げ)を実施し,域外関税についても,25%の引下げを決定したのは上の勧告に沿った措置とみられている。
今後委員会は,各国から対策の進行状況について定期的に報告を受け,さらに,必要に応じて共通政策をおし進めて行く態勢をとっている。
2)中期経済計画
経済同盟への進展のなかで,目立った動きをみせているものに通貨・金融・財政政策の協調と,中期経済計画の策定がある。
通貨・金融・財政に関する共通政策については,これらの分野における各国の協力を効果的にするための統一機関の設立と,事前協議の手続きの確立という基本的な合意に達している(1964年4月)。これによってEEC中央銀行総裁評議会が創設され,各国の通貨・金融事情を調査し,中央銀行の政策について協議を行なう権限が与えられた。このほかに通貨評議会の権限強化,為替平価の変更の場合の加盟国間の事前協議手続きの制定,予算政策評議会の創設などが決められている。また通貨同盟(UnionMo-ntetaine)の結成についての提案を,できるだけ早く行なうよう要請されている(「Initiative,1964」)。
中期経済計画については,各国の経済政策担当官により構成される中期経済政策評議会がつくられ(64年4月),評議会の今後のスケジュールを次のように決定して作業を開始した。すなわち,①中期経済政策の計画案を作成し,加盟国とEEC諸機関が遵守すべき経済政策の大綱を明らかにする。②計画期間は5年とする(66~70年)。③評議会案に基づいて,EEC委員会は委員会案を作成し,理事会に提出する。④評議会は,毎年計画の検討を行なう。⑤この計画は,EECおよび加盟国の経済政策について,量的な目標を設定するものではない。⑥計画の作成には,業界代表と協議するなどである。
この中期経済政策はこれまでせいぜい1年間を単位に行なわれてきた経済政策の調整をより長い期間について検討しようとするばかりでなく,従来各分野において独立に進められてきた共通政策を全体として調整することを目的としている。これは,EECの経済統合が進むにしたがって域内不均衡が顕著となり,とくにインフレーションの深化によって,従来のような部分的接近によっては問題の解決が困難となった事情を反映するものである。
3)共通農業政策
共通農業政策のうち最も解決のむずかしい問題として域内外から注目されていた統一穀物価格が最終期日になってようやく決定された(64年12月15日)。これによりEECの穀物には,1967年7月1日以降共通価格が適用されることとなった。これと同時に,各国農民に対する「農業指導保証基金」からの補償方式と水準が決定され,またイタリアについては出資割当の変更も行なわれた。
今回の決定は,マンスホルト案を中心に63年11月以降,数次にわたり検討された末,各国の譲歩によってほぼ原案に近いかたちでようやく合意に達したものである。とくに西ドイツは,実施時期を獲得したかわりに,価格水準および補償について大幅な譲歩を行なった。このため,統一価格実施までの農民所得補償の困難が西ドイツの国内問題として残されている。
また,統一穀物価格水準が国際的にみて割高であるため,域外からの輸入が削減されるという批判がみられる。しかし,現行の価格水準と比較した場合,西ドイツでは引下げ,フランスでは引上げとなることによる生産構造の変化が,EEC全体の穀物生産におよぼす影響にしたがって,域外貿易に与えられる効果は異なるであろう。価格水準についての最終決定はつぎの通りである(カッコ内は原案)。
この共通価格水準は西ドイツの譲歩により,成立したものである。すなわち,西ドイツは現行の軟質小麦価格(119ドル)を110ドルに引下げることを主張していたが,原案どおりに決定された。このため,価格水準について1967年7月までにコストおよび物価の変動を調整するという留保条項が残された。また,上の水準への価格決定は,農民所得補償を多額のものとし,それをEECが全額負担をしないことが明らかとなったため,西ドイツ独自の補償を必要とするという主張が行なわれている。
とうもろこしについては,イタリアのみ83ドルという例外がみとめられた。これは,飼料作物としてのとうもろこしの大幅値上げが,畜産物の消費者物価格を上昇させてインフレーションを助長すること,また,とうもろこしの増産によって,米,砂糖用てんさい,トマトの生産が減少するというイタリアの主張を受入れたものである。
各国農民にたいする補償額は第2-43表のように決定された。
このように,最終的には,1967年以降,3年間にわたり漸減的に補償するという原案にちかい方式が採用された。西ドイツは年々の所得補償175百万ドルの主張がいれられないため,独自の補償(総額約275百万ドル)が必要であるとしている。しかし,このような措置は他の加盟国から反対されており,今後の理事会での審議が注目される。
イタリアの農業指導保証基金への出資割当は,現行の28%から1965/66年に18%,1966/67年に22%へと変更された。これはイタリアの基金勘定が,現在,113百万ドルの支払超で,不均衡が著しいためである。
その他の国については,現行どおり西ドイツ31%,フランス28%,オランダ13%,ベルギー・ルクセンブルグ10.5%が確認された。
その他の農産物市場規則についても進展をみた。すなわち米については1964年9月1日から,牛肉,酪農品については11月1日から実施された。
これにより,すでに共通市場規則がつくられている穀物,豚肉,家禽肉,果実,野菜,ぶどう酒(62年7月実施),とあわせてEEC農産物生産額の約85%が市場規制によってカバーされることとなった。なお未組織の重要品目として,砂糖,植物油脂などがある。
牛肉および酩農品部門は,総生産額の水準が高く(約62億ドル,62年),EEC農業部門に占める比重も大きいので,共通市場組織の推進のうえに重要な意味をもっている。また,原料牛乳市場は高率の補助金に支えられているため,この部門に対する市場規則の導入は財政的に大きな影響をもつとみられる。
4)共同体組織の統合
政治同盟としてののEEC統合を進めようとする一連の動きのなかで,3共同体の執行部統合の問題が展開をみた。この問題はすでに条約案の審議を終了し,委員数についても暫定的合意に達している。しかし執行部の所在地について,各国(とくにベルギー,)ルクセンブルグ)の利害が対立し,最終的調整が予想以上に手間どったため,64年中に予定どおり統合を完了することができなかった。
この統合によって,これまで各共同休が個別にとってきた経済政策が,統一的に運営される機構が整えられることになる。これによってとくに影響が大きいのは共通エネルギー政策である。すなわちエネルギー問題は,域内の資源分布から各国の立場が異なっており,解決がとりわけ困難であるが,石炭はECSC,石油・天然ガスはEEC,原子力はEuratomどいう従来の運営方法が改められるため,共通政策を立てるうえに好条件が生れるからである。
(4)域外問題
1)連合関係の推進
EECと連合関係を結んでいる国はギリシャ,トルコ,アフリカ・マダガスカル諸国であり,交渉進行中のものにオーストリア,東アフリカ3カ国,ナイジェリアがある。これに,以前からEECと特恵関係にある海外領土,海外部門,アルジェりアを加えるとEECは一大勢力圏を形成することになる。これらの諸国は,歴史的または地域的にEECと特別に深い関係をもった国であり,とくに,今回,ヤウンディ協約(1964年6月発効)によって連合関係にはいったアフリカ18カ国は,EEC諸国の旧植民地であった。
連合の主旨は,ギリシャ,トルコの場合には正式加盟への中間段階である(ローマ条約第238条)のに対して,ヤウンディ協約は過去5カ年にわたって実施された旧連合協約に引き続いて,これら諸国の経済開発を促進し,共同体とのより緊密な経済関係を確立する(第131条)というものである。これは特恵貿易体制と資金および技術援助(総額7億3千万ドルの財政援助,うち5億ドルは経済開発投資,2.3億ドルは生産補助)を通じて行なわれる。このような連合協約の取決めは,連合にはいっていないその他低開発国を差別することになり,また,この地域をEECの市場として確保することになるので,低開発国側ばかりでなく,先進国からもガット特恵地域違反として非難されている。
このほか,イラン(63年12月発効),イスラエル64年7月発効)と通商協定の締結が行なわれ,交渉中のマグレブ3国,レバノン,スペインなどの動きも活発である。これらの域外問題に対処するため,EECとしての一般的原則を確立することの必要性がイタリア代表により強調されている。
これはとくに,政治体制の異なる国との連合(オーストリア,スペイン)に対して反対の意を示すと同時に,連合あるいは貿易協定によって特定の不利益を受ける加盟国の保護を要求したものである。
2)ケネディ・ラウンドとEEC
ケネディ・ラウンドは交渉開始後(64年5月)間もなく,例外品目リストの提出期日を1964年9月10日から11月16日に延期することになり,早くも交渉の成行きに暗影を投げかけた。しかし,EECをはじめ主要国のリスと決定は,難航を重ねながらも期日には出揃った(EECの例外りストは,課税対象輸入額の19%と伝えられる)。こうして,ケネディ・ラウンドは例外品目リストの審査を手はじめに,65年春から実質的交渉にはいることとなった。
ケネディ・ラウンドに対するEECの態度は,当初から受身である。すなわち,従来の二国間品目別交渉方式の行きづまりに代る一括引下げ方式の原則には賛成であるが,EEC共通関税を一挙に引下げること,とくにアメリカとEECの主要輸出品目に関しては,無税にしようとするアメリカの意図(EEC特別権限)には,域内優先の立場から反対して,今回の交渉では除外されている。両者の対立は,具体的には関税格差調整と農産物問題にしぼられる。
前者が問題となるのは,EECとアメリカの関税構造にかなり大きな差がみられるためである。すなわちEECの関税率は品目数分布でみると,20%以内にほとんど含まれるのに対して,アメリカでは20%以上のものが27.9%残っている(EEC委員会調査)。これを,一率50%引下げたとすると,依然としてEECの地位は不利にとどまることを指摘して,格差縮少を主張している。EECおよびアメリカは,それぞれこの問題に関する提案を行なっているが(関税小委員会,64年1月および2月),5月の閣僚会議ではなんら具体的取決めがなされなかった。しかし決議文にもあるように,この問題については調整が進んでいる。
一方,農産物問題については,まだほとんどみるべき進展を示していない。EEC域内での調整が難航したことも原因であるが,何よりもアメりカの余剰農産物によるEEC農業への影響を恐れているためとみられる。
ガット農業委員会に提示されているEECの立場は,EECの現行農産物支持価格を固定すること,および,食糧についての世界的商品協定を締結することを主な内容としている。これに対してアメリカ側は,EECから譲許を獲得しようとして対立しており,交渉についてのルールさえ決められていない状態である。しかし今回のEEC統一穀物価格の決定により,農産物交渉にも新たな局面が展開される可能性が出てきている。