昭和39年

年次世界経済報告

昭和40年1月19日

経済企画庁


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第2部 各  論

第1章 アメリカ

2. 長期拡大の要因

(1)要因分析

前述した過去3年間の第2・四半期についてみても明らかなように,各時期における景気浮揚要因にはそれぞれ相違がある。それと同じようにアメリカ経済が,戦後第4回目の景気の谷から立ち直りはじめてから今日まで4年近くの間には,それぞれその時期に特有の要因があった。こうした要因を時系列的にとりだしてみると,1961年から62年へかけての拡大はそれ以前の景気後退からの回復とみられるが,62年後半には自動車景気を中心とする耐久消費財,サービス支出の増大,政府支出の増加があった。63年にはいってからは政府支出の伸びが衰えたが,それに代って,62年後半の固定設備償却期間の短縮,投資減税法といった設備投資刺激政策が効果をあらわしはじめ,そのうえ住宅建築もふえてきた。以上の要因のほか,新たに一般減税の前ぶれ的要因が加わり,自動車の予想外の売れ行きがみられた。

64年になると,3月の減税が消費者支出を増大させ,工業製品輸出増,対ソ小麦輸出に伴う純輸出の増加や国防発注の増大など政府支出の増加がさらに景気を盛り上げる作用をした。

以上は,時系列的にみた主な経済拡大要因であるが,つぎに,この拡大要因を経済政策との関連からここに一括して説明しておこう。

1)個人消費支出

この4年近い経済拡大を絶えず支えてきた主因が,個人消費支出であったことはいうまでもない。個人消費支出のなかでも耐久財支出は1962,63年および64年上期において,国民総支出の増加率を上回っている。耐久財支出のなかでも,とくに乗用車が「自動車景気は2年と続かない」というこれまでの不文律を破って,すでに4年目の好況を続けている。この点については後述するが,非耐久財,サービス支出もかなり根強い。この原因には個人の所得が伸びたとか,64年3月からの一般減税が効いたということもあげられるが,政府が積極財政あるいは積極金融政策で直接,間接に経済活動を刺激した事実も見逃せない。

自動車景気の持続要因としては種々考えられるが,その概要を示すと,つぎのようになる。

①金融の緩慢が住宅の場合と同じように自動車の割賦金融を容易にした。

②登録自動車の車令構成が,自動車のスクラップ化をふやす方向にあった(55年には370万台廃棄されたが,最近では毎年500万台以上に達している)。

③自動車を購入する15~19才の年令層の伸びが大きくなった。

④一般的な原因としては所得の増大があげられるが,これによって季節用の別荘がふえ,かつ,都市近郊地帯の発達が自動車の需要を高め,さらに,2台ないし3台保有する世帯の数をふやした。

⑤このほか,モデルが消費者の嗜好に投じたとか割賦信用返済期間の延長,頭金の引下げなどの理由もあったが,いま一つあげられる理由は,1956年にはじまる連邦援助自動車道路計画の積極的な運営であろう(第1-4表参照)。これによって自動車道路の延長ないし改良が急速に進められた。自動車用道路の整備は自動車の快適性を増すだけでなく,自動車の利便性を高め,また郊外都市の発展に寄与し,それが自動車の需要増を招く結果になった。

2)政府購入

連邦,州地方政府支出が不況時のみならず,好況期をも通じてかなりの経済刺激政策となったのはいうまでもないが,このなかでも軍事支出はかなりの役割を果たしている。連邦政府購入は1961,62年に急増して,増加額はそれぞれ42億ドル,50億ドルとなったのち,63年には18億ドル(時価)と速度を落としたが,これは景気のはずみがついたためとみられる。このことは,連邦政府購入が63年第1・四半期に640億ドル(季節調整ずみ,年率)に達してからのち,64年第1・四半期にいたるまでの1年間は640億ドル台にとどまり,その四半期ごとの変動幅は最大6億ドルで,ほとんど経済拡大要因となっていないことからも明らかである。それが,64年第2・四半期にはいって急に27億ドル増となったのは,大統領選挙前の景気対策とも解されている。

一方,州地方政府の購入は61年に大きくふえたのち62年には小幅にとどまったが,63年には61年を上回る伸びをみせ,64年上期では63年程度の伸びにもどってきた。こうした変動はあるしても,連邦政府購入とともに経済拡大のはずみをつける役割を果たしたことは争えない。

3)工場・設備投資

今回の経済拡大期間において,工場・設備投資が大きな役割を果たすにいたったのは1963年第2・四半期からのことである。この原因は,①前述した62年後半の固定設備関係の税法,②企業利潤の増大,③操業率の向上などであるが,④政府の長期金利を低目に維推する政策も効いていると思われる。

工場・設備投資は,それまでの数カ年高水準停滞のあとようやく安定的に増大する時期にはいったとみるエコノミストが多いが,56年の投資ブーム時の前年比増加率にくらべてみると,63年の増加率はまださほど大きくはない。すなわち,56年には22%ふえたが,今日では商務省・証券取引委員会調査で13%増見通し,マグローヒル社調べで12%増である。

64年の工場・設備投資増大には自動車の52%増,鉄鋼の48%(いずれもマグローヒル社予測)が大きく寄与しているが,鉄道も29%増でかなり大きい。

近年の工場・設備投資は,合理化・近代化投資が主であったが,最近では,設備能力の拡大をはかる業種も多少みられるようである。過去の調査によると,操業率が85~88%の水準に達すると,投資が急激に増大するといわれ,適正操業率92%のかなり手前の線で拡張投資のふえることを示唆している。製造業の操業率は60年末の77%から61,62年末それぞれ83%,63年末85%と上昇しており,64年夏には87%に達したと思われる。これから考えると,64年第4・四半期にもふえ続けるとみられる。

なお,投資減税と償却期間の短縮効果は63年に12億ドル,64年に11億ドルだけ設備投資を増大させたとみられるが,そのうち償却期間短縮効果は7億ドル,投資減税は4億ドル余とされている。

4)住宅建築

拡大要因の一つとして,住宅建築が長期にわたって高水準を維持したことがあげられるが,これは長期金利が比較的低く,住宅,とくに,アパート建築が旺盛であったためである。しかし,最近ではアパートが,多くの地域で過剰となったためにその建築が急減し,1964年央の着工件数は年初の水準を3分の1も割ったのであるが,それまではやはり住宅建築活動を盛り上げた有力な要因であった。一戸建住宅が勢力を失なったかどうかはまだ明らかでないが,63年秋商務省から発表されたL.J.アトキンソンの調査では(Survey of Current Business,Nov.1963),65年以降に戦後のベビー・ブームによる新世帯形成の効果が出てくると,比較的楽観的な立場をとっている。この予測は,従来の上昇傾向が持続す今と予想するA系列と,いくらかの鈍化を予想するB系列にわかれ,A系列では65~75年の10年間に年間185万戸,B系列では166万戸の新規住宅建設を予測している。A系列では増加要因に増加戸数が掲げられ,純世帯形成114万戸,既住住宅からの移転55万戸,空室の増加16万戸とされている。

こうした推計需要がどういったかたちで顕在化してくるか明らかではないが,近年の着工件数からみると,かなり大きな需要といえよう。

第1-5表 工場・設備投資

5)在庫投資

戦後の景気循環では,在庫投資が大きな変動要因であったし,1960~61年の循環においてもその例外ではなかった。今後の上昇過程では,61年第2 ・四半期に在庫蓄積に変わったのち,62年第4・四半期までは蓄積速度を加えてきたが,その後は比較的落ち着いており,大きな変動要因とならないで,逆に経済拡大を比較的安定化する作用をした。

しかし現状からいえば,売上に対する在庫の比率は小さく,今後なお,浮揚要因としての力を備えていることを示唆している。

在庫がこのように安定成長要因になった主な理由としては,企業の在庫政策と物価の安定があげられよう。企業側で在庫に対する方針が慎重化したのは,多くの製造業において原料コストが製品価格の半分以上を占め,その原材料や製品を手持ちするためには,かなりの資金を固定しなくてはならない実情から,労賃とともにかなりの節減の余地があることに近年気付いてきた。このため,在庫管理技術は電子計算機の発達に伴ってますます進歩し,在庫の数量を比較的圧縮すると同時に,過去における単純かつ慣習的な在庫政策による大幅な変動が回避されるにいたった。

第1-6表 1965~75年の新規住宅需要

このほか,別項に述べるように,物価の安定も物価上昇期における在庫のための買い急ぎを少なくさせたが,それには企業における短期的経済予想の普及・発達も寄与しているであろう。

第1-1図 事業在庫の変動

(2)積極的経済政策

以上は,これまで息の長い経済成長の要因を,国民総生産の主要項目別に眺めたのであったが,つぎにこれを経済政策の面から検討してみよう。

「黄金の60年代」というかけ声がアイゼンハワー大統領末期のドル不安におわり,アメリカの景気振興政策も金流出という対外的試練に直面して,低金利政策による成長の機会を失なった。しかし,60~61年の景気循環の谷間の政権を担当した若年のケネディ大統領は,その積極経済政策と個人的な人気で,アメリカ経済の前途に明るい期待をもたせた。不幸にして,63年11月兇弾にたおれたが,その政策大綱はジョンソン大統領に受けつがれ,今日にいたっている。

1)財政政策

ケネディ大統領は就任の当初に,金価格の不変,ドル防衛の決意を表明して,アイゼンハワー大統領から引き継いだドル防衛政策をさらに強化した。まず,外から来る高度経済成長制約要因をおさえて,財政面から積極的に経済活動を刺激した。とくに,大統領就任当時は景気後退中であったため,急速に連邦財政支出をふやしたが,その後景気は回復しても依然支出はふえており,1961年初めから63年末までの財政増加分は,国民総生産増加の約20%にあたっている。これまでの財政運営方式では,景気の回復する段階では支出をふやし,好景気の間に財政の均衡を回復するなり,黒字化してきたのであったが,ケネディ大統領からジョンソン大統領の時代にいたって,経済拡大はかなり強まっているのに,なお財政支出はふえ続け,いまだに均衡を回復していない。

62年7月の固定設備償却期間の短縮規則の公布,62年9月可決された設備投資減税法は,設備投資の停滞打破に寄与した。

2)一般減税

1964年3月5日から実施された一般減税が可処分所得に及ぼした影響は63年第4・四半期と64年第2・四半期の比較で最もよく理解される。この期間に個人所得は135億ドル(年率)ふえた。ところが,この間の所得税は67億ドル(連邦所得税は73億ドル減)減額となったため,可処分所得は201億ドルもふえ,名目所得の伸びを上回った(第1-7表参照)。

なお,今回の減税は2年間で111億ドル(1964年に3分の2,65年に3分の1実施)を予想し,うち89億ドルが個人所得税,22億ドルが法人所得税である。減税による需要拡大効果は300億ドルとされ,その内容は①個人所得税の軽減89億ドル,法人税軽減による個人の配当所得増10億ドル,以上合計約100億ドル中90億が消費に向けられ,消費乗数を2とすると,需要拡大効果は180億ドルとされ,また②右の需要増を反映して生産もふえ,収益も増大し,その結果,企業の投資がふえ,また,個人所得の増加から住宅建築がふえる。この増分が50億~70億ドルであるが,乗数を2とすれば100億ないし140億ドルの需要を増し,前者と合わせて合計300億ドルの需要拡大効果があると計算されている。

減税が消費者支出にどの程度の効果をもっているか,いまの段階では明らかでないが,64年第2・四半期の貯蓄率は8.2%で,63年までの10年間平均7.2%を上回り,過去6カ年間のいかなる四半期よりも高い貯蓄率の増大に伴って,財貨,サービスの購入にあてられる資金の比率は減少したが,税引後の所得額がふえているので金額とすればふえている。耐久消費財の支出が金額でも比率でも過去2年間よりも高いのが注目される。

減税分が貯蓄に回ったことは,今後の潜在購買力を高める効果もあるしまた,金融機関の受けいれた貯蓄は金融機関の有価証券投資や貸付の増大を通して経済活動を刺激するであろう。64年上期に商業銀行の貸付,投資残高は100億ドルふえているが,このうちどれだけが減税によるものかは判定できない。

大体以上のような変化がみられるのであるが,それも1四半期間だけのことであるから,もう少し時間をかけなければ,はっきりした減税効果はわからないであろう。

3)金融政策

これまでケネディ政府以前には,景気回復の初期において金融を引締め,物価の安定をはかったが,その反面,景気上昇のはずみがつかないうらに早くも上昇力をおさえてしまった。ケネディ大統領就任後,公定歩合を引上げたのは1963年7月,64年11月の2回だけであり,しかもそれは,主として,対外的考慮によるものであり,引上げのために経済成長が弱まることはなかった。

また,これまでの短期証券のみによる公開市場操作を長短期双方の証券によることとし,売り操作には短期証券を比較的多くし,買いには5~10年の長期証券を多くして,短期金利は比較的高目にし,長期を比較的低目におさえた。いわゆる二重金利政策によって成長に必要な長期資金コストを低くする一方,住宅金融の金利を引下げた。

4)人的能力開発

ケネディ大統領は1961年春,地域再開発法によって4カ年4億ドルの地域開発資金を獲得,これに関連して失業労働者の再教育費をえたばかりでなく,同じ年雇用促進策として人的能力開発法による4億3,500万ドルをもって,多数の労働力を再教育した(詳細については38年度本報告80~81ベージを参照)。ついで,64年8月には救貧対策関係費が議会を通った。

ジョンソン大統領が,65年度予算におり込んだ救貧関係費は金額こそあまり多くはないが,繁栄下にみられるアメリカの盲点を救い,また,その救済を通じてアメリカ経済の強化をはかろうとする観点に立つものとして注目される。64年8月11日議会を通過した救貧対策法(9億4,700万ドル)では,主として次のような計画が予定されている。

① 青少年対策……4億1,300万ドル

(イ)職業訓練センターを設け,16~20才の青少年,とくに学校の未卒業生を農村の共同宿舎あるいは都市の訓練所に1個所あたり100~200名(都市訓練所では1,000名)2年間収容して一般教育のほか職業教育を行なう。(初年度4万人,次年度10万人収容)

(ロ)作業訓練プログラム……職業につくための職業経験を必要とする者を家庭から通学させて教育する。

(ハ)職業研究プログラム……資金的なゆとりのある人びとにより高度の教育を与える。こうした学生にパート・タイムの仕事を与える大学・専門学校に連邦の資金を支出する。

② 成人貧困者対策……1億8,500万ドル

(イ)地方の低所得世帯に1,500ドル未満の融資をする。

(ロ)移民労働者のための貸付と福祉増進。

(ハ)失業中の世帯主に職業訓練を行なう。

③ 自治体活動計画……3億1,500万ドル

自治体自身のプロジェクトで救貧活動をする州,地方機関,公私団体に連邦資金を支出する(たとえば,成人文盲教育,窮貧子女救済計画など)。

④ 国内平和部隊……1,000万ドル

州知事の許可を得て自発的に救済活動に従事し,インディアン,移民労働者,精神障害者の救援に従事する人を送り込む。

以上の救貧計画がうまくゆけば,66年度あるいは67年度には20億ないし30億ドルの予算を要求するともいわれる。

なお,フッド・スタンプ・プラン(Food Stamp Plan)が上と同じ日に議会を通過しているが,この金額は3億7,500万ドルである。貧困階級に食糧を無償提供する方法は従前からあったが,ケネディ大統領になってから,直接供与をフッド・スタンプによる間接供与に切り換え,栄養水準のとくに低い家族の水準引上げを目的としているが,この所管は農務省であり,いま一つのねらいが余剰農産物の処理にあることがうかがえよう。


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