昭和39年
年次世界経済報告
昭和40年1月19日
経済企画庁
第1部 総 論
第5章 国際収支動向と国際流動性問題
資本主義工業国の総合国際収支は金外貨準備の変動からみると,63,64年中につぎのように特徴ある動きをみせた。①アメリカの通常取引赤字はこの両年にわたって好転し,②イギリスでは62年のほぼ均衡状態から63年の赤字に変り,さらに64年後半にはポンド危機を招いた。③イタリアは63年後半以来赤字となり,64年春以降危機に見舞われたが,その後の対策で,秋には回復に向った。④フランス,西ドイツは過去数年にわたって金外貨準備を累増したが,西ドイツは62年に一時減少したあと,再び増勢に転じた。ただし,64年初めの措置で増勢はおさえられている。
また,低開発国では,63年にはじまる一次産品価格の上昇が大きく影響して,輸入額の増加率を上回る輸出額の増大がみられ,それを主因として金外貨準備はかなり増加した。さらに,63年から64年にかけては,後述するように64年上期までのところアメリカの金利平衡税提案,イギリス新政府の緊急国際収支対策,イタリアの大幅赤字など,多くの波らんがあった。また,64年8月には10カ国グループ大臣声明が発表されて,国際流動性問題へのアプローチの方向が明らかにされた。
次にアメリカ,イギリス,イタリア,西ドイツの4カ国をとりあげて,国際収支動向の年間回顧を行ない,いくつかの問題を明らかにすると同時に,また10カ国蔵相声明とIMF年次報告の内容を検討し,国際流動性問題をみていこう。
1958~60年に年平均39億ドルの大幅赤字を出したアメリカの通常取引収支は,この1年間にやや改善した(第32表参照)。総合国際収支でみると,61~62年にかけて改善のあとがみられたが,これはドル防衛のための政府間特別取引,すなわち武器輸出代金の前払の受取り,対外債権の満期日前受取り,交換不能なローザ・ボンドの発行によるところが大きい。このような大幅でしかも構造的な通常取引収支の赤字は,その後63年上期にいたり外国証券投資と短資流出の急増によってさらに悪化した。そのため,公定歩合の引上げと金利平衡税の提案を含む「国際収支特別教書」が63年7月中旬に発表された。
平衡税提案は,その後1年間に外国証券投資を激減させ,その間商業銀行などの対外長期借款の増大がみられたが,民間長期資本取引はかなり改善された。しかし短資の流出は,公定歩合引上げ後一時急減したものの,64年上期には再び急増し,63年上期の短資流出をも大きく上回った。その結果,63年夏の新ドル防衛策の中心的ねらいであった民間資本(短期および長期)収支の改善は,63年上期から64年上期にかけて全く実現せず,もっぱら商品貿易黒字の拡大が,国際収支収善の役割を果たした(第33表参照)。すなわち,63年後半以降にみられたこの貿易黒字の拡大は,穀物不作だったソ連圏からのヨーロッパへの農産物輸出,ヨーロッパ,カナダ,極東など輸入市場の拡大(対前年比8%),および63年下期の西欧の物価上昇の3要因が,輸入(7%増)以上に輸出(18%増)を伸ばしたからである。
イギリスの国際収支は,1964年に再び試練の年を迎えた。すなわち,62年下期と63年春,政府の成長政策に刺激された国内需要の増大は,63年末の大規模な在庫蓄積とあいまって,輸入を急速に増大させた。このため,貿易収支(fobベース)は,63年第1・四半期から第4・四半期にかけて悪化し,同四半期の経常収支黒字はほとんどなくなってしまった。そのうえ,長期資本輸出がこの悪化に拍車をかけ,基礎的国際収支は63年上期の黒字から下期には赤字へと転じた。64年にはいると,輸入は依然増加し続ける一方,新たな事態として輸出は完全に停滞し,貿易収支の赤字はいっそう拡大した。
そのうえ,長期資本収支の赤字増大が基礎的収支の悪化を促進した。64年2月末に公定歩合が引上げられたが,貿易尻の悪化傾向は,輸入増大,輸出停滞のため依然続いており,これが現在のポンド不安の経済的要因を成している。
このような国際収支難に対して,国際金融協力によるスワップ取決めによる引出し,IMFスタンド・バイ取決め(取決めの実行は64年12月2日)が行なわれてきたが,10月中旬に成立した労働党内閣は,ついに10月26日,輸入課徴金,輸出戻し税などを含む緊急国際収支対策,11月23日公定歩合の大幅引上げを発表するにいたった。
イタリアの国際収支問題は,最近における極めて新しい問題である。イタリアの基礎的国際収支(商業銀行の対外資産の変動のみを除いたもの)は,1958年から62年の間黒字を示してきた。61年までの生産性を下回る賃金の比較的ゆっくりした上昇が輸出の伸長を助け,他面では輸入の増加率をおさえる役割を果たしていた。しかし,国内経済活動の急速な拡大と,外国への移民増加によって,それまで高水準にあった失業の急速な減少を招き,労働所得と物価が急上昇し,それが貿易収支,経常収支の弱化をもたらすこととなった。すなわち,賃金の急上昇による所得の増大は,高級食品と耐久消費に対する輸入需要を増し,穀物不作と相まって輸入を急増させた。このようにして,貿易尻と経常収支の悪化は62年にはじまり,63年にはいってそのテンポは急速に高まり,加えてリラ札による巨額の民間資本流出が,基礎的国際収支の悪化を加速化させた。
このような基礎的国際収支の赤字は,62年11月から63年9月の間,イタリア商業銀行の借入資金(ユーロ・ダラー)によってほとんどまかなわれたが,同年第4・四半期から,銀行の海外借入の増加は禁じられ,さらに対外債務の削減が要求された。
こうして,62年末34億ドルにも達する金外貨準備を保有していたイタリアは,わずか1年余の間に,一転して国際収支の危機に見舞われるにいたった。
国内インフレの激化,国際収支難に直面して,数次にわたる対策がとられたが,64年2月の自動車購入特別税の導入,ガソリン税の引上げ,割賦信用条件の引締めは,次第にデフレ効果をあらわし,64年2月IMFからの引出し,国際金融協力によるスワップ取決めの発動はイタリアの外貨危機を救った。こうしてイタリアの国際収支は,64年2・四半期以降著しく改善し均衡を回復した。
上記3カ国に対し,西ドイツは再び国際収支の黒字国に変っところに問題がある。西ドイツの経常収支尻は,61年第4・四半期以降63年第3・四半期まで赤字であったが,第4・四半期以降64年第2・四半期で再び黒字に変った。資本取引でも63年に大量の流入があり,総合収支は61・62年の赤字から6億ドル余の黒字に変った。64年になってからも黒字基調が継続したため,64年3月には外資の流入を阻止し,資本の輸出を促進する措置が発表された。
その内容は,①外国の所有する西ドイツの確定利付債券利子支払に25%の資本収益税を賦課し,②国内の事業債と外債の新規発行税(2.5%)を賦課する。
③ブンデスバンクの特別スワップ操作を再開し,銀行の余裕資金をアメリ力の財務省証券に投資する有利な条件をつくり出した。④非居住者預金に対する支払準備率の最高限度までの引上げ,⑤非居住者預金(貯蓄性預金を除く)に対する利付停止などである。
他方貿易黒字幅を縮小するため,64年7月10日からEEC域内関税を50%引下げ,対第三国関税についてはEEC共通対外関税よりも高いものを共通関税水準まで引下げた。
以上のような措置もあって,64年第2・四半期以降,長期資本取引は赤字となり,貿易出超幅も漸次縮少し,その結果総合国際収支は均衡ないし若干の赤字基調となった。