昭和39年

年次世界経済報告

昭和40年1月19日

経済企画庁


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第1部 総  論

第2章 世界の経済成長

1. 概  況

(1)資本主義工業国

1962年後半のアメリカの工業生産の停滞,63年はじめの厳寒によるヨーロッパ大陸の工業生産の一時的停滞のあと,これら工業国では63年の大半を通じて活発な経済活動がみられた。また62年に工業生産が伸び悩んだイギリスでも,63年にはかなり力強い景気上昇局面を迎えるにいたった。

63年の国民総生産の実質の増加率は,アメリカ3.4%,イギリス3.3%,E EC3.9%で,63年は主要工業国間でほぼ均等な経済成長がみられた。しかし,この一見均等な経済成長のなかに,イギリスの貿易収支の悪化,イタリア,フランスでのインフレの激化,他方アメリカ,西ドイツの本格的な好況局面の展開という,きわめて対照的な動きがみられた。

64年にはいってからも,各国経済の経済はかなりまちまちな動きを示している。すなわち,イタリア,フランスではインフレ抑制政策が産業界にデフレ的圧力を加えきたのに対し,西ドイツは輸出増大→国内投資の増大という順調な経済の上昇局面を迎え,アメリカでは所得税の大幅軽減政策がいよいよ経済活動を押しあげてきた。イギリスの工業生産は年初来,高水準横ばいというものの,GNPベースでみると緩慢な払大基調を持続したが,他方輸出の停滞,輸入の増大を反映して,国際収支難がますます深刻化し,年末にはポンド危機が発生するにいたった。

こうした最近の主要工業国のなかから,重要ないくつかの特徴をあげれば,一つはアメり力経済のきわめて息の長い安定成長の持続であり,二つは,E EC3大国中のイタリアでのインフレ激化,国際収支危機の発生であり,三つは,イギリスにおける著しい国際収支の悪化である。本章では主として生産の面から,アメリカの成長持続要因の分析と西ヨーロッパ諸国の経済成長の簡単な検討を行なうこととするが,なおその前に,低開発国および社会主義国の生産の動きを一瞥しておこう。

第12表 主要地域別鉱工業生産の推移

(2)低開発国

1963年の低開発国全体の実質経済成長率は4%と推定されている。この推定どおりだとすれば,低開発国は60年代にはいってから,連年ほぼ4%の経済成長が続いたことになる。63年においても,急速に伸びた部門は開発努力が集中されている鉱工業部門であり,その生産増加率は6.5%で,工業国のそれを上回った。農業はブラジル,インド,パキスタンなどで不振だったが,多くの国ぐにでは不作の前年にくらべやや好転した。

63年の低開発国経済を特徴づける大きな動きは,一次産品の広汎な品目にわたる輸出価格の急上昇を背景とした輸出の伸長であり,これによって多数の国が輸出収入を大きく増加させた。この輸出部門の活況は国内の経済活動に刺激を与えたが,輸入の増加がこれに伴わなかったため,低開発国の金,外貨準備は63年中を通じて増大を続け,62年末の115億ドルから63年末には125億ドル(ゴールド・トランシュを含む)となった。

64年にはいっても輸出の増勢はなお続いているが,輸入が増大しはじめ,生産も拡大速度を高めているものとみられる。

このように,低開発国全体としては経済の拡大がみられたが,インド,ブラジル,その他かなり多くの国では経済的な諸困難が増大し,またインドネシア,韓国などではインフレーションの高進をみた。

(3)社会主義諸国

1963年のソ連および東ドイツ,チェコなど一部東欧諸国の国民所得の対前年増加率は,62年のそれを下回った。とくに,ソ連の経済成長率はこの数年来一貫して低下傾向をたどり,60年の8%から63年には4.6%まで落ちた。

この間ソ連の農業生産は低成長を続け,とくに63年には粗放経営の不安定性に,不利な気象条件が加わって深刻な不作に見舞われ,63年は59年の水準ないしそれ以下に減退した。

63年における国民所得増加率の著しい低下は,主としてこの農業生産の減少によるものであるが,他方工業生産も過去数年間にわたって増加率の鈍化を続けてきた。すなわち,ソ連の公表によれば,工業生産の増加率は56~60年の年平均10.4%に対して63年8.5%,64年7.8%(見込み)と低下したが,その主因は農畜産原料の供給の不十分なことからくる消費財産業の不振にあった。

以上のような農業と消費財産業の不振を打開するため,64年からは肥料,農薬,合成品などを増産する化学工業振興7カ年計画が実行に移され,すでに化学肥料部門での増産が進んでおり,また農業生産は気象条件に恵まれて好調を示している。いずれにせよ,今後のソ連の経済成長は,化学工業の振興と農業集約化の成否いかんにかかっているといえよう。

東欧諸国でも,63年に穀物不作に見舞われたが,ソ連にくらべれば軽微であり,また他の農作物の増産がこれを補ない,全体としての農業生産はほとんどの国で前年の不振から回復を示した。このため,工業生産の増加率が低下したにもかかわらず63年の東欧諸国の経済成長率は一,二の例外を除き前年を上回った。ただ東ドイツとチェコでは計画の不備からくる経済のひずみ是正のため計画の手直しが行なわれため,経済活動の停滞がみられた。

中国経済は,63~64年にかけて農業生産を中心に,58年の戦後最高水準への復帰をめどに回復のテンボを早めてきているが,全般的な工業投資活動はまだ本格化するにいたっていない。

人民公社の制定による貯蓄の増強と,重工業優先開発による経済の高成長をねらいとして58年にはじまった大躍進政策は後退し,61年以降から調整政策が実施されている。

調整政策では,まず農集生産を重点的に取り上げ,計画の基本方針として農業優先開発を確認すると同時に,農民の勤労意欲を高めるために,人民公社の再編成,個人所有地および自由市場の復活など物的刺激政策が講ぜられてきた。調整政策の効果は次第に経済の各分野に滲透し,またソ連の経済援助の停止によってこうむった影響からもある程度立ち直ってきた。


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