昭和38年
年次世界経済報告
昭和38年12月13日
経済企画庁
第1部 総 論
前章までの分析から明らかなように,世界経済はいまゆるやかな成長をつづけているが,その過程において,多くの面で種々のひずみがあらわれ,これが国際的な経済環境をいっそうきびしいものにしている。しかし,世界経済の安定的な成長を持続すべく,各国政府ならびに国際機関によって,これが是正のための努力が傾注されその調整がすすみつつある。本章においてはこのような世界経済にあらわれた諸問題と日本経済との関連およびこれからうける影響を検討し,わが国経済がどのように対処していくべきかについて考察することとしよう。
まず第一に取りあげる必要があるのは,欧米諸国の物価賃金動向との関連である。賃金,物価上昇のはげしい西欧諸国では,これを抑えるための政策がとられ,また比較的物価の安定しているアメリカでも,物価騰貴を事前に防止すべく,物価安定政策が実施されているが,これらの欧米諸国の物価安定政策が,成長政策の一環として実施されるようになった点にわれわれはとくに注目すべきであろう。
世界経済における自由化の進展によって国際競争はますます激化する傾向にある。物価の高騰は,成長を阻害すると同時に,国際競争力を低下させて輸出に悪影響をおよぼす。国際競争の激化からコスト圧力を価格に転化できないばあいには,利幅の縮小をまねいて,投資の伸長を妨げることにもなる。
いずれにしても,開放体制下において経済成長を持続してゆくには,物価の安定がますます重要な意味を持ってくる。
欧米諸国の物価政策には,①需要一般の抑制は成長を阻害するので,極力これを回避し,個別的,選択的な政策を採用して,部分的な需要抑制や供給力の増加をはかる。②賃金の上昇を生産性向上の範囲内におさめ,コスト・プッシュ圧力を排除するために,長期的観点に立った所得政策を採用する,という二つの特色が指摘でき,われわれはここに,安定的な成長持続のための,きめの細い配慮を見出すことができる。
昭和38年度年次経済報告に指摘したように,日本の物価構造は次第に先進国に近づきつつあるけれども,現在なお西欧諸国とのあいだにはその構造や変動要因にかなりの差異が存在する。産業間の所得格差,労働力の需給,労働組合体制,管理価格など多くの面において,日本の特殊性が存する。したがって,日本の物価対策に関しては,この特殊性が十分に考慮されねばならないのは論をまたない。しかしながら,先進国において経済成長の観点から物価政策が強力におしすすめられつつあり,最近では西ドイツ,イギリスなど一部の国において物価の安定化がみられることは(第16図参照)日本商品にとって競争の激化を意味する。したがって,日本が先進国の仲間入りをし,自由化を進展させながら,高度成長をつづけていくためには,物価安定の問題を慎重に検討し,従来以上に国際競争力の培養をはかることが必要であろう。
第二に,アメリカのドル防衛政策は,国際通貨であるドルの価値維持に貢献するものと考えられるが,今回の政策はアメリカ経済と密接な関連をもつ日本経済に大きな影響を直接与えることになる。
とくに金利平衡税の新設は,アメリカの資本市場に依存する度合を近年著しく高めた日本の資金調達に打撃を与えることとなり,わが国経済にとっても大きな問題である。なお,バイ・アメリカン,シップ・アメリカンなど従来から行なわれていた諸方策の強化が日本の経常収支におよぼす影響も強まるであろう。このように海外の諸国に深刻な影響を与えるような対外政策を実施するばあいには,国際間の緊密な連携と協力を十分に考慮することが必要であろう。
一方,国際流動性増強のために従来から多くの国際的協力が行なわれているが,今回のドル防衛政策を契機に国際通貨体制の問題が再検討されようとている。わが国としても,10カ国による「一般借入れ取決め」(スタンドバイ・クレジット)に対する資金の拠出や(62年10月発効),ドルと「円」のスワップ協定(63年10月締結)を通じて,現行国際通貨体制の維持,改善に協力をつづけているが,わが国の経済や貿易の長期的な拡大をはかるためにも国際流動性増強に関する先進国間の検討にも積極的な態度で臨む必要があろう。ともあれわが国としては,国際収支の大幅な変動を避けながら経済成長をはかるとともに,金融政策など国内経済政策を実施するに際しても対外的影響を十分に考慮することが必要である。
第三は,ケネディ・ラウンドを通ずる関税引下げ問題との関連である。ガットにおける関税一括引下げ交渉はアメリカEEC間の意見の対立から難航し,相互の利害調整には時間と努力が必要となっており,国際経済環境のきびしさを如実に示している。しかし,すでにわれわれが指摘したように,当事国はいずれも貿易の自由化を目標に,相互に妥協点を見出すための努力をつづけており,一見対立関係を激化せしめている現象も国際分業を深める道程における一局面とみるべきだろう。
わが国経済もケネディ・ラウンドに参加しつつ開放体制に円滑に移行しなければならないわけである。それには,欧米諸国の所得水準に近づくことを目標に,経済構造の高度化をはかりつつあるわが国の特殊性を,世界の諸国に理解させる努力を積極的に行なうと同時に,産業を再編成するにあたっては,自由化の進展にともなう新しい国際分業体制に即応するように努めるべきである。
他面,日本商品に対しガット35条を援用し,あるいは差別的取扱いを残存させている諸国に対しては,その撤廃を強く主張しなければならない。また最近わが国に対して新たな制限を課する動きもみられるが,これらの諸国に対しては自由化の精神にもとづく産業体制の再編成が要請さるべきであろう。
第四には,低開発国貿易問題との関連が検討されねばならない。日本の輸出市場としての低開発国の重要性は増大しており,そのなかでも,東南アジアの比重が大きいことは改めて指摘するまでもない。日本経済の成長を高める上からも,これら諸国の輸出を促進させる方策には重大な関心がよせられるのである。
低開発国経済発展のためにわが国がこれまでに行なってきた援助を貿易との関連からみると,低開発国の輸入能力の不足をカバーするため,あるいは低開発国からの輸入商品を開発するために,資金や技術が供与されていたといえる。すなわち,経済開発プロジェクトへの援助,延払条件の緩和などが前者であり,いわゆる開発輸入援助が後者に属する。しかし今後,このような援助に加え,低開発国の輸出促進に積極的に協力するために,低開発国商品の輸入を増大させることが要請されるようになろう。
その際,輸入国側において低開発国商品との競合問題が発生するが,先進国はこれら商品に対して輸入障壁を設けるべきではなく,国内産業の転換をはかりつつ,輸入を増大させることが一般的に必要となってきたことはすでに指摘したとおりである。
欧米の諸国に比して経済発展段階のおくれているわが国としては,欧米先進国に向って,産業構造を再編成しつつ,日本商品の輸入を増大させることを主張すべきであるが,同時に,低開発国からの輸入増大のために,これに即応するように,自らも産業の転換をはかっていくことが必要となる。つまり,低開発国の商品に市場を提供しつつ,自らの産業構造を高度化しなければならないのである。
このようにわが国は,一面において先進国に接近すると同時に,長期的な観点に立って低開発国の経済発展のために,いっそう協力を推進すべきであり,とくに地理的,経済的な結びつきの強い東南アジアおよび極東の諸国との経済交流をますます緊密化しなければならない。OECD加盟に際し,われわれは低開発国経済との関連,とりわけ貿易問題の重要性をあらためて検討することが必要である。
第五は,国際商品価格上昇の影響である。わが国は商品輸入構成において,食料,原材料の比重が大きいだけでなく,世界全体の一次商品輸入量に占める割合も極めて高い,すなわち,羊毛,綿花,天然ゴム,砂糖(自由市場),くず鉄など多くの商品の輸入量において,世界の1,2位を占め,コーヒー,ココアの輸入量も急増しつつある。また世界の不定期海運市場においても日本向け成約量の比重は極めて大きい。
このため,わが国は先進諸国のなかでも国際商品市況の影響をとくに強く受ける立場にある(第17図参照)。最近の一次商品価格および不定期船運賃の値上りは,輸入単価を上昇せしめ,わが国の国際収支にかなりの影響を与える一方,卸売物価上昇の主因ともなっている。国際競争の激化から製品価格の引き上げが次第に困難となりつつある現状に照して,かかるコスト面の膨張を吸収するためにも,いっそう生産性の向上に努めねばならない。
しかし,他面,長期間にわたって低迷をつづけた国際商品市況が立直ってきたことは,一次商品輸出国,とくに低開発国の輸出に好影響を与え,その輸入能力を増大させつつある。この点からいえば,日本の低開発国向け輸出の増加も期待してよいであろう。
けれども,商品市況の著しい高騰はその商品に対する需要を減少させ,あるいは競合,代替品の進出を招くなど,かえって低開発国の輸出増加を阻害するし,また低開発国貿易を不安定にするおそれがあり,好ましいことではない。したがって供給力の安定化や,国際商品協定の強化など,市況安定のために,低開発国側の努力と,国際的な協力措置が望まれる,最後に,東西貿易についてみると,第1章において指摘したように,最近日本の東西貿易,とくに対ソ貿易は急速に増加している(第18図参照),部分核停実現後の米ソ関係の好転,中ソ対立の激化など政治的な要因や対共産圏輸出禁止の緩和から東西貿易促進ムードが世界的にみられ,これが貿易を拡大させつつあるが,日本としても政経分離主義のもとで,商業ベースによる貿易の増大を今後とも考慮すべきであろう。ただ日本の対共産圏貿易の商品構成が,対低開発国貿易と同様な製品輸出,一次商品輸入のかたちを示しているために,対低開発国貿易との関係を十分に考慮することが必要である。もっとも対共産圏貿易の消長には経済的要因のみならず,政治的要因が大きく影響することを見逃してはならない。この面への配慮が常に要請される。
以上世界経済と日本経済との関連および影響を問題ごとに検討した。要するにわが国としては,まず欧米諸国と同様に物価の安定をはかるとともに生産性の向上によって国際競争力を強化しなければならない。それと同時に国際流動性増強対策に協力し,また世界諸国とのあいだに産業構造の調整をはかりながら貿易の自由化を推進するとともに,低開発諸国の貿易の拡大に協力すべきである。さらに東西貿,易のある程度の拡大への配慮も必要であろう。
このような諸課題をかかえながら,わが国は現在IMF8条国移行,OECD加盟を目睫にひかえており,今後先進工業国と肩をならべて世界経済の成長のための国際協力に参加しようとしている。つまり開放体制を固めつつOECDにおいてその活動目標である経済成長,貿易拡大,低開発国援助に今後積極的に協力することになるのである。このことはひいてはわが国の経済や貿易の拡大に大きく寄与するとともに,世界経済の安定的成長に対するわが国の発言力をつよめることにもなるのである。しかし他方,加盟諸国の安定成長政策や金融政策あるいは貿易為替の自由化などに対する国際的協調がつよく要請されることになろう。その際わが国としてもその経済のもつ特殊性を主張し,またOECDに加盟するアジアの唯一の加盟国として,アジアにおける低開発国のよき理解者として積極的に発言することも必要であろう。いずれにしてもOECDへの加盟によってわが国は今後いっそう安定的な経済成長の持続をはからなければならないことになるであろう。