昭和37年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和37年12月18日

経済企画庁


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第2部 各論

第2章 ヨーロッパ

1. 1961~62年の経済動向

(1) 投資ブームの衰退過程

西欧経済は1957~58年の軽度の景気後退のあと,58年秋頃から回復過程をたどり,とくに59年秋から次第に設備投資が増加し,60年から61年はじめにかけて一大投資ブームの展開をみるにいたった。その結果,1960年の西欧経済の成長率は6%という55年につぐ高成長をみせた。しかしかかる投資ブームの過程のなかで生産資源とりわけ労働力が完全雇用ないし超完全雇用状態となり,それが成長率を鈍化させるとともにコストインフレ圧力を高め,西欧経済は数量景気から次第に価格景気へ移行しはじめた。成長率の鈍化とコストインフレ圧力はやがて企業の投資意欲に抑制的作用をおよぼし,ほぼ1961年央頃にはさしもの投資ブームも峠をこし,それに在庫調整が加わって61年下期の生産活動は一時的に停滞的様相をみせた。しかし同年末ないし62年はじめから在庫調整の一巡と個人消費および政府消費の増加を背景として生産活動も再び上昇に転じ,それが現在まで続いているわけであるが,企業の投資意欲のひきつづく衰退から西欧経済の上昇力は次第に弱まってきたといえる。

このようにみてくると,61~62年の景気動向はこれを投資ブームの衰退過程として特徴づけることができよう。

まず生産の推移を国民総生産の動きでみると,第2-1表のように61年の西欧(旧OEEC諸国)の経済成長率(実質)は4%にとどまった。この4%という成長率は前年のそれ(6%)にくらべてこそ低いが,1950年代後半(55~60年)における西欧経済の年平均成長率と同じであるし,完全雇用下の成長率としてはまず順調な伸びであったといえよう。

国別にみてもイタリアとスウェーデンを除くすべての国で成長率が鈍化した。とくに西ドイツ,オランダ,オーストリアでは成長率の著しい低下がみられた。

工業生産もほぼ同様な動きを示しており,西欧全体としての増加率は60年の9.9%から61年の4.5%へ鈍化した。

国別にみて注目をひくのは,イタリアとスウェーデンのばあい,国民総生産の成長率が前年より高まったにもかかわらず,工業生産の増加率が著しく鈍化していることである。このように国民総生産と工業生産の伸び率に較差が生じた理由は,主としてこの両国で農業生産と建設活動が,61年に大幅に増加したせいである。

以上の成長率の比較は60年と61年の平均についての比較であるので,61年央から最近にいたるまでの生産の推移をみるためには,季節調整済み工業生産指数に頼るほかはない。それを示したものが第2-1図であるが,これによると西欧全体の工業生産は61年春まで緩慢な上昇をつづけたあと,秋頃まで高水準での横ばいを示し,同年末から再び上昇に転じている。

国別にみてもほぼ同じようなパターンが示されているが,顕著な例外はフランス,イタリアおよびイギリスで,前二者の工業生産は61年央に若干の増勢鈍化をみせたほかは前年にひきつづき急速な上昇をつづけた。これに対してイギリスは60年以降の停滞傾向を長くつづけたあと,61年7月末の緊急引締め措置により同年秋から軽度の低下をみせた。

西欧の生産活動がこのように61年春から秋まで停滞したのは主として鉄鋼や繊維を中心とする在庫調整によるものであり,また同年末から62年にかけての生産再上昇は旺盛な個人消費を背景とする消費財生産の拡大と前述した在庫調整の終了を反映したものであった。

この点は主要部門別工業生産の推移にも示されている(第2-2表参照)。金属製品工業(機械,電機,輸送機器など)や化学工業の生産が上昇をつづけてきたのに対して,金属や繊維の生産は61年下期から減少し,62年になってから回復に転じている。

つぎに主要な需要の推移をみるために1961年の西欧全体および主要国の実質国民総生産を分析してみると第2-3表のとおりである。まず目につくのは,(1)在庫投資の減少,(2)輸出増加率の著減,(3)固定投資増加率の鈍化であり,これに対して個人消費は前年とほぼ同じ増加率を示したのみならず,国民総生産の増加率をも上回った。また政府消費の増加率も前年のそれより高まり,やはり国民総生産の増加率を上回った。

これを要するに,61年の西欧経済においては輸出と固定投資の拡大力が弱まったほか,在庫投資がマイナス要因となった。そしてこれらの要因に代わって政府消費と個人消費が次第に拡大の支柱となってきた。

輸出と固定投資から消費(民問および政府)へという需要の重点移行をさらにハッキリと示すものは,四半期別域外輸出と機械受注の動向である。域外向け輸出の詳細については後述するが,それによれば季節変動を除去したばあい61年第1四半期をピークとしてその後62年第1四半期まで減少傾向をつづけており,むしろ景気に対してマイナス要因として働いた。これに対して域内輸出は一貫して増加をつづけた。これは一つには西欧自体の景気動向の反映でもあるが,同時に貿易自由化や関税引下げが域内貿易をふやすことで経済拡大に寄与した面を見逃せないだろう。

固定投資のうち,住宅建築は61年中堅調を持続したが,工場設備に対する投資意欲はすでに61年春頃から衰えはじめていた。たとえばイギリスのばあい機械工業の国内新規受注は59年に14%,60年に16%増加したあと,61年上期には前年同期比わずか3.4%増となり,下期には約7.5%の減少に転じ,さらに62年上期には10.4%減と,減少幅を大きくしている(第2-4表参照)。単なる投資意欲の減退のみにとどまらず,現実の投資支出額もすでに61年第4四半期から減少に転じており,最近の商務省調査によれば62年全体で前年比5%減,63年にはさらに前年比10%減の予想である。

西ドイツのばあいも同様であって,機械工業の国内新規受注は59年24%,60年36%という著増をみせたあと,61年下期から減少傾向に転じ,62年上期には前年同期比約9%の減少であった(第2-5表)。

オーストリアにおいても61年下期以来設備投資が減少に転じている。機械設備投資は61年第1四半期以降ほとんど横ばいとなり,62年第1四半期には前年同期比8%の減少であった。

オランダの工業投資も統計局の推定によると61年の2,879百万ギルダーから62年の2,350百万ギルダーへと18.3%の減少が予想されている。

フランスとイタリアのばあいには比較的最近まで設備投資が好調を持続していたが,最近はこの両国においても投資意欲の若干の減退がみられるようである。すなわち61年10~11月に実施されたINSEE調査によると62年におけるフランス民間企業の投資予定額は62年比8~12%増であったが(60年11%増,61年12%増),62年3月に実施された同じ調査では62年の投資額は対前年比7%増と下向きに訂正されていた。これは主として巨大企業の投資計画が削減された結果とみられる。

イタリアにおいては1961年春頃まで順調な経済拡大がつづいたが,62年春に決定されたファンファーニ連合政府の電力国有化に対する不信感や賃金,物価の上昇傾向から企業者の態度も慎重となり,6月に実施された国民経済研究所(ICSO)のアンケート調査によると,下期の景気動向を悲観視する企業の数がふえ,設備投資需要についても下期には減少が予想されるにいたった。

(2) コストインフレ圧力とその影響

以上の諸指標から明らかなように,若干の例外を除き,西欧諸国の投資ブームは既に1961年はじめすでに峠をこえ,下期以降次第に投資意欲の減退がみられるにいたった。それではかかる投資意欲の減退は何に起因するのであろうか。

一つの要因が政策措置にあったことは疑いない。イギリスではすでに60年上期から引締め政策がとられていたし,さらに61年7月末にはポンド危機対策としてドラスティックな引締め措置が採用された。西ドイツとオランダでは61年3月に平価切上げが実施された。この三国ではこうした政策措置が直接的,間接的に企業の投資意欲に大きな影響をあたえたと思われる。しかしその他の西欧諸国のばあいには,それほどきびしい引締め措置がとられたわけではなく,したがって政策的要因が投資意欲の減退に大きな役割を果したとは考えにくい。もちろん旺盛な投資ブームが長くつづいたあとで投資の増勢が衰えるのは自然な現象であり,いわば当然な反動でもあるが,それと同時に経済成長の鈍化が企業の投資態度を慎重化させ,またコストインフレによる利幅の縮小が企業の資金ぐりを窮屈にさせた点を見逃してはならない。とくに最近はこの利幅縮小による自己金融力の低下が投資意欲減退の要因として重要性をましてきたようである。

売上高が鈍化したとはいえ増加をつづけているのに企業の収益状態が悪化したのは,一方で生産性を上回る大幅な賃上げによりコストが増嵩したのに対じて,他方では貿易自由化と生産能力拡大による競争激化のために製品価格を引上げることが困難となってきたからである。好況下におけるプロフィット・スキーズは長くつづいたブーム末期に通常みられる現象であるが,今回は貿易自由化による競争激化がとくにはげしく,そのために価格引き上げが特別に困難だという事情があった。その結果,今回は労働力不足や賃上げ幅が前回のブーム期(55~56年)よりはげしかったにもかかわらず,現実の工業製品生産者価格の上昇率は前回よりも小幅であった(後述参照)。それだけにコストインフレ圧力は企業投資意欲をーそうつよく減殺させたと考えられる。

いま企業利潤の動きを西ドイツについてみると,全企業の税込み利潤は60年の13.3%増から61年の4.7%増へと著しい増勢鈍化を示した反面で,税負担(社会保障拠出金を含む)は60年の14%増から61年の16%増へと逆に大幅にふえ,その結果企業の純利潤は60年の13%増に対して61年はわずか0.8%増にすぎなかった。しかも配当金支払い額が60年の8%増に対して61年は10%も増加した。そのため企業の留保利潤は60年の26%増に対して61年には18%も減少したのである(第2-6表参照)。その結果,企業の自己金融力が著しく弱まり,粗自己金融比率(投資額に対する留保利潤と減価償却合計額の比率)も60年の73.8%から61年の65.5%,62年第1四半期の53%へ低下した(第2-7表参照)。

またフランスにおいても,政府の発表によると,フランス企業の生産額は61年に7.6%増加したが,コスト総額は11.4%増加した(60年には前者10.1%増に対して後者10.4%増)。その結果,企業の粗利潤は60年の11.1%増に対して61年はわずか3%増にとどまった。

オランダでも生産物単位あたり利幅指数(1959年=100)が1960年の97.9%から61年の94.5形へ低下した。

イギリスでは,61年中会社利潤が減少しつづけ,61年全体で対前年比約2%の減少だったが,62年にはいってからやや回復に転じており,この点は大陸諸国との景気パターンの相違を反映したものとみられる(第2-8表)。

このような利幅の縮小をもたらしたコストインフレ圧力を反映して,物価もじり高傾向にある。

第2-9表および第2-10表から明らかなように,60年央~61年央の物価上昇率と61年央~62年央間のそれを比較すると,表に示された10ヵ国のほとんどすべてにおいて,上昇率の高まりがみられる。卸売物価のばあい,60年央~61年央までの時期には約半数の国で卸売物価が安定ないし微落していたし,物価上昇をみた国においてもその上昇幅は2%以下にとどまっていた。しかるに,61年央~62年央の時期には,イギリスを唯一の例外としてすべての国で卸売物価の上昇をみており,しかも上昇幅は2~4%という高さである(オーストリアは例外的に高く11形に達した)。消費者物価のばあいは上昇幅がさらに大きく,おおむね4~6%に達した(ただし,その一つの重要な原因は農業不作による食糧価格の上昇にあった)。このように西欧諸国の物価は61年下期以降上昇傾向をつづけているとはいえ,過去のブーム期たる55~56年頃にくらべると,その上昇率が比較的小幅であったことが注目される(付表10参照)。これは前述したように競争の激化によるものであるが,それだけ企業の利幅も縮小せざるをえない。

つぎに賃金の動向をみると,概して61年中に前年を上回る大幅な上昇を示し,その反面で生産性の上昇率は前年より小幅であったから,当然企業の賃金コストは上昇した(第2-11表参照)。

かかる大幅な賃上げが労働力不足を背景としたものであることはいうまでもない。西欧諸国の失業率は61年におおむね前年より低下した。とくに西ドイツ,オランダ,スウェーデン,ノルウェーなどでは前年にひきつづき求人数が失業数を上回るという超完全雇用状態を示し,労働力不足がいっそうはげしくなっており,また従来豊富な労働予備軍に頼っていたイタリアにおいても最近は熟練労働力の不足がめだちはじめ,ようやくコストインフレの問題が注目をひきはじめた(付表7および第2-12表参照)。

かかる労働力不足を激化させた一つの有力な要因として,近年西欧で契約労働時間の短縮が急速に進行しつつある点をあげねばならない。所得増加と生活水準の向上を背景としてほとんどすべての国で労働時間の短縮や有給休暇の延長が労組側から要求され,実現しつつある。その結果,労働者1人当りの年間労働時間は短くなり,雇用者数が若干増加しても延べ労働時間数はふえないかむしろ減少する傾向がある。たとえば西ドイツのばあい,61年中に工業労働者数は2%増だったが,延べ実働時間数はわずか0.1%増にとどまった。これは労働者1人当り月間労働時間数が対前年比1.9%の減少をみたためである。

オランダにおいても61年春に週5日制が実施され,その結果国民経済全体としての延べ実働時間数は61年に対前年比約3%減少し,そのことが,GNPを約1.5形減少させたと推定されている。労働時間短縮のほかに,労働力不足を激成しているいま一つの要因として,企業の労働力温存傾向があげられる。すなわち,一般的な労働力不足の下では,一部産業で需要不振により遊休労働力が発生しても企業は将来における労働力再調達の困難さを予想して遊休労働力を放出せず,企業に退蔵しがちである。このことはやや長い目でみた景気の先行きに対する企業の強気観の反映ではあるが,しかし結果的には労働力の移動性と有効利用を妨げることで景気に対してマイナスの作用をあたえることになる。

(3) 貿易と国際収支の動向

1)貿易―域内中心の増加

西欧の輸出は1961年に対前年比7.4%増加して537億ドルとなり,これに対して輸入は6.3%増の588億ドルとなった。このように輸出の増加率が輸入のそれをやや上回ったため,入超額も前年の53億ドルから61年の51億ドルへと若干改善された。

輸出増加の内訳を地域別にみると,その全部が西欧域内貿易の増加によるものであり(域内輸出は13%増),北米向け輸出はアメリカの景気後退の影響をうけて前年にひきつづき減少した。また北米以外の域外諸国(主として低開発諸国)に対する輸出は前年とほとんど不変であった。

以上は年間ベースでみた数字であるが,これを四半期別の季節修正数字についてみると(第2-13表参照),西欧の輸出総額は61年第1四半期に著増したあと緩慢な増勢を最近までつづけている。地域別にみれば域内貿易が輸出総額とほぼ同様な動きを示したほか,対米輸出は61年第2四半期から回復しはじめたが,最近にいたるまで60年第1四半期のピーク水準を回復していない。

また北米以外の域外諸国向け輸出は,61年第1四半期をピークとして,その後やや低い水準で横ばいをつづけ,62年にはいってからやや減少傾向をみせている。

つぎに主要商品別に分析してみると(第2-14表参照),西欧主要12ヵ国の61年における輸出増加の約8割近くが工業製品の輸出増加(6%増)のためであったが,この工業製品の輸出増加はもっぱら西欧の域内向け輸出の増加(約12%増)のせいであって,域外向けは前年にひきつづき減少した。域外向け工業製品輸出のうち注目すべきは対米輸出がアメリカの不況を反映してひきつづき減少したほか,北米を除く第三国(主として低開発国)向け輸出が微減したことで,これは低開発諸国の外貨難の反映であろうと思われる。

他方輸入をみると(第2-15表参照),これまた61年の輸入増加のほとんど全部が域内輸入の増加(12%)によるものであり,対北米および「その他諸国」からの輸入はほとんど前年と変らなかった。四半期別にみても,対北米輸入は60年第3四半期をピークとしてその後減少し,61年末から回復に転じたが,その水準はまだピーク期のそれに達していない。また北米以外の域外諸国からの輸入は60年中横ばい,61年第1四半期にやや増加したあと減少に転じたが,第4四半期に回復,62年にはいってからかなり急速な増加をみせている。

西欧の経済活動がともかく拡大をつづけていたにもかかわらず,61年中に域外からの輸入が減少したのは,一次商品価格の低落と西欧の在庫調整により原料輸入が減少したためであり,また62年にはいってからの輸入増加は在庫調整の終了によるものと思われる。

輸入を商品別にみると,やはり輸入増加分の7割余が工業製品で占められ,しかも工業製品の輸入増加の大部分が域内輸入の増加による。アメリカからの工業製品輸入は前年の高い水準からわずかばかり(3%)減少したのに対し,北米以外からの工業品輸入は12%増加した。この増加率は比率としては域内輸入の増加率(13%)とほとんど変らない。

第2-16表 西欧(主要12ヵ国)の商品別輸入

原料の輸入総額は不変であったが,輸入先別にみると西欧からの輸入が増加し(その大部分はEECからの輸入増),北米以外の第三国からの輸入もややふえたが,アメリカからの輸入は減少した。食糧輸入もほとんど不変だったが,地域別にみると北米以外の第三国からの輸入減が注目される。

燃料輸入は約4.5%増だったが,西欧内部からの輸入とアメリカからの輸入が減少して,北米以外の第三国からの輸入が増加(9%)した。これは過去数年来の傾向の持続であって,石炭から石油への転換という燃料革命の進行と米炭の輸入制限を反映したものと思われる。

2)好調をつづける国際収支と金外貨準備

西欧諸国全体としての基礎的国際収支(経常取引プラス長期資本取引)の黒字額は60年にひきつづき61年も減少した。すなわち基礎的国際収支尻は60年の約11億ドルから61年の約8億ドルへと約3億ドルの減少であったが,これは経常勘定の黒字額が約1.4億ドル減少し,長期資本の流出がほぼ同額だけふえたせいである。経常勘定黒字の減少は,商品貿易の赤字が減少したにもかかわらず,サービス取引の黒字がこれを上回って減少したからであるが,後者は主として西ドイツの観光支出および利子・配当支払いとイギリスの対外政府支出増の結果であった。

第2-17表 西欧諸国の基礎的国際収支

国別の基礎的国際収支尻をみて最も注目をひくのは,西ドイツのそれが60年の9.7億ドル黒字から61年の3.3億ドル赤字へ転化したことであり,またイギリスの赤字額は60年の13.7億ドルから61年の1.7億ドルへと大幅に減少した。このほか注目されるのはフランスとイタリアおよびベルギーの黒字幅がひきつづき増加したことである。その反面でスイス,ポルトガル,デンマークの赤字幅が増大した。

これはEECとEFTAという二大貿易グループ別にみると,EECの経常収支は約23億ドルの黒字で,前年とほとんど変らなかったが,長期資本が前基の純流入から61年の8.7億ドル余の純流出に変ったために,基礎的収支の黒字額は前年より約10億ドル減の14億ドルとなった。これに対してEFTAは経常収支赤字の2億ドル減に加えて長期資本流出が5.5億ドルと減少したため,基礎的国際収支の赤字額も前年より約7.7竿ドル減少して11.2億ドルとなった。

これを要するに,西欧全体としてみると,従来過大な黒字基調をつづけていた西ドイツの国際収支が赤字化し,また59,60年と2年つづけて大幅な赤字を出したイギリスの国際収支が改善されたために,国際収支面における西欧主要国間の不均衡がやや是正されたといえよう。

つぎに西欧諸国の金外貨準備をみると,60年に44億ドル余も増加したあと,1961年中にも23.4億ドル増加して同年末現在で270億ドルに達じた。

第2-18表 西欧諸国の金外貨準備の変化

国別にみて西ドイツの減少(約2億ドル)が目立っており,そのほかはオランダ,デンマーク,ノルウェー,ポルトガルが若干減少したのを除けば各国とも外貨準備の増加をみている。とくにフランス(8.7億ドル),イタリア(3.4億ドル),ベルギー(2.3億ドル)の増加が著しかった。

イギリスも,61年末現在で前年末比約1億ドル近い増加を示しているが,これは同年8月に引出したIMF資金(引出額は15億ドルだったが年末までに4.2億ドル返済したから,結局11.8億ドルの借りとなる)を含んでいた。

62年にはいってからも西欧諸国の金外貨準備は増加をつづけているが,そのテンポは鈍って62年上期中に約4億ドルの増加にとどまった。国別にみて注目されるのはやはりフランスとイタリアの増加で,フランスは62年上期中に5.5億ドル増加して34.8億ドルとなり,イタリアは1.8億ドル増の32.4億ドルに達した。イギリスの金外貨準備も同期間に約1.2億ドル増の34.4億ドルとなった。これに対して西ドイツの金外貨準備は約3億ドル減の62.3億ドルとなった。

さきの国際収支の項で指摘しておいたように,西ドイツの準備のひきつづく減少とイギリスの準備増加は,西ドイツへの過大な外貨集中の緩和と国際通貨ポンドの強化といった意味で世界経済にとってプラス要因であるが,反面ではフランスとイタリアに外貨が集中しすぎる傾向が出ている点に注目されよう。

いま輸入額と比較した金外貨準備をみるに(第2-19表),西ドイツのそれが60年末の8ヵ月分から62年6月末の6ヵ月分へとやや低下したのに対して,フランスのそれが同期間に5.3ヵ月分から5.6ヵ月へと上昇しており,またイタリアも同年にはいってからやや低下傾向にあるとはいえ,62年6月末現在で6.6ヵ月分と西ドイツのそれを上回っている。

これに対してイギリスの金外貨準備は最近回復したとはいえ3ヵ月分程度であり,同国の準備がスクーリング地域の中央プールであることを考えると,ポンドの基礎が依然として弱く,ポンド問題の根本的解決の容易ならぬことが改めて痛感される。

(4) 経済政策-安定成長への志向

61~62年における西欧諸国政府の主たる関心事は国内におけるインフレ圧力の抑制にあった。国際収支難が問題となった国はイギリスだけであった。

ただし西ドイツ,オランダ,スイスなどでは逆の意味での国際収支問題,つまり過大な国際収支黒字による国内流動性の増加とそこから発生するインフレ圧力を克服するために,国際収支黒字の削減を目的として平価切上げ(西ドイツとオランダ)や,銀行流動性の削減措置(西ドイツ,スイスなど)が行なわれた。したがってこれらの政策措置は,慢性的な国際収支黒字基調と過大な外貨準備という構造的要因を抱える西ドイツを別にすれば,結局は国内インフレ圧力の抑制を目的としたものであったといえよう。

インフレ阻止ないし克服のための政策手段として各種の金融引締め措置(支払準備率の引上げ,銀行貸出の制限など)がノルウェー,スウェーデン,デンマーク,オランダ,オーストリア,フランス,イギリスなどで採用されたが,公定歩合の引上げは比較的少なかった(デンマーク,イギリス,オランダ,フィンランド)。これは,通貨交換性回復という新事態の下では金利引上げは短資の流入をさそい,国内引締めの効果を減殺するばかりでなく,対外的にも悪影響をおよぼすという考慮からである。西ドイツが60年未来低金利政策へ転換したことや,イギリスが61年10月以降数次にわたって公定歩合を引下げたととも,かかる対外的考慮,とりわけドル防衛に対する協力のためであった。

金融政策が比較的多く用いられたのにくらべると,財政措置はあまり利用されなかった。イギリスがポンド危機対策の一環として物品税の引上げ,政府支出の削減などの財政措置をとったことを別にすれば,ノルウェーとフィンランドで輸入自動車に対する税率が引上げられたことと(61年11月),オランダが61年央に予定した減税を62年7月まで延期し,フランスが62年に廃止予定の臨時付加税を廃止せずに軽減し,デンマークが62年8月に9%の取引高税を導入した程度であった。

直接統制としては建築制限がオランダ,西ドイツなどで実施され,また物価統制はノルウェー(62年1月),オーストリア(62年2月),オランダ(61年12月)などで実施された。

このほかインフレ対策の一環として,関税引下げや貿易自由化が広範に利用されるようになったことも,61~62年における西欧の経済政策の一特徴であろう。EECやEFTAあるいはガットの枠内で行なわれた多くの多角的な関税引下げとは別に,自主的な関税引下げにより輸入を増加させることで国内の競争を高め価格上昇を抑制しようとする政策は前回のブーム期にも西ドイツで採用されたが(1957年),今回はフランス(61年4月と9月),イタリア(62年9月)およびオーストリア(62年9月)で採用され,また西ドイツ政府も国内自動車価格の引上げに対する対策として62年5月にEEC域内自動車関税の50%引下げを実施した。またオーストリアでは同様な見地から輸入自由化が推進された(62年7月と9月)。

このように輸入促進によって国内インフレを抑制しようとする政策は,もちろん西欧諸国の外貨準備が豊富なせいであるが,一つには成長意識の高まりを反映したものともみられる。いずれにせよ世界貿易拡大の見地から望ましい傾向といえよう。

以上のようないわば短期的な政策措置とは別に長期的な安定成長への志向がつよまったことも,この時期における一つの特徴である。もちろんその動機はコストインフレ傾向の克服という当面の必要性に触発されたものであるが,単なる短期的な措置ではなく,長期的な政策として考えられているところに特色がある。かかる長期的な安定成長のための手段として共通的にとりあげられてきたのは「経済の計画化」であり,またそれとの関連においてのいわゆる賃金政策の確立であった。もちろん経済の計画化といってもソ連流の中央集権的計画経済ではなく,自由企業の原則の下で国民経済のあるべき姿をえがき出し,国民各層を誘導することを目的とするもので,具体的にはフランスやオランダの経済計画がーモデルとなっている。すなわち企業,労組その他国民各層と政府代表からなる「委員会」を作って,そこで中期的および年々の経済予測を行ない,望ましくかつ可能な成長率をかかげてその実施のために所要の政策手段を行使しようとするのである。またこの経済計画と関連して,賃金その他所得の引上げ幅を国民経済全体としての生産性向上の範囲内にとどめることを目的とした賃金政策が実施される。イギリスでは,経済計画の策定のために62年3月に「国民経済発展審議会」が設置され,さらに近く所得委員会が設置されて賃金政策の実施にあたることになった(その内容については後節参照)。オーストリアではすでに1957年に設置された合同物価賃金委員会が賃金政策を所管しているが,その機能が不十分だとして現在それを改組拡充する案が検討されている。計画ぎらいの西ドイツでも最近は経済の計画化に対する要望が高まりつつあり,政府もコストインフレ阻止のための長期的手段として,コスト,賃金,物価に関する独立委員会の設置を目下検討中である。このほかイタリアも62年春に「経済計画委員会」を設置した。