昭和37年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和37年12月18日
経済企画庁
第1部 総論
第2章 世界経済の成長力
第1章でわれわれは1963年の世界経済の成長率がやや鈍化するであろうことを指摘した。こうした短期的な景気動向とも関連して,世界経済は中期的にも現在なんらかの曲り角に立っているのではないか,つまり世界経済の成長力が弱まりつつあるのではないか,といった疑問が一部に拾頭しているようにみえる。ヤコブソンIMF専務理事なども最近くりかえし世界経済が近く直面するかもしれぬデフレ危険について警告を発しているが,この警告は単なる循環的な問題だけではなく,やや長期的な視点をも含んでいるようにみえる。
そこでわれわれは以下において,戦後の先進工業諸国の経済成長をもたらした諸要因を分析するとともに,中期的な視点からそれらの要因が今後どう変化するか,また新しい成長促進的要因があるか否かを考察することにょって,この問題に対する若干の解答を出してみたいと思う。なお低開発諸国の経済成長の問題も重要であるが,これについては第4章で別な観点から考察される。
さて戦後の世界経済の成長率は1920年代のそれに匹敵するほどの高さを示した。しかしこのような一般的好況と高成長のなかで,先進工業国の内部に高成長国と低成長国という二つのグループが次第にはっきりと区別されるようになってきた。日本のほか西ドイツ,イタリア,フランス,オランダなど現在のEECを構成する諸国が前者の代表であるとすれば,アメリカとイギリスが後者に属する,(第2表参照)。
そこで今後の世界経済の成長を考えるばあい,問題はおのずから二つに分れる。第1は従来の高成長国が今後も比較的高い成長率を維持することができるか否かという問題であり,第2は従来の低成貰国がその成長率を高めることができるか否かという問題である。とくに第2の問題は,それがアメリカとイギリスという世界経済に大きな影響力をもつ国家に関する問題であるだけに,影響するところが大きい。
これらの問題に答えるためには,まず高成長と低成長の差をもたらした要因が何であったかを明らかにすることが必要であろう。経済成長を促す要因は複雑であるが,とりわけ投資が決定的な要因であることについそは異論がないと思われる。そこでなによりも投資の動向に着目するならば,高成長国が概して高投資国であるのに対して,低成長国が低投資国であることが明らかとなる。
高成長国において投資が旺盛だった理由はいろいろあるし,また国によって必ずしも一概にいえないけれども,主要な理由として次の諸点をあげることができるだろう。(1)戦災がひどかったためにこれらの諸国の戦後復興需要がとくに強かった。(2)1930年代の停滞期を含めて技術水準の著しい立遅れがあり,それをとり戻す必要がとくにつよかった。(3)米英にくらべて生活水準が相対的に低かったために,所得上昇にともない消費革命が急速に進捗した。
(4)政府が投資促進に努力したほか,インフレや国際収支上の理由から投資を抑制する必要が比較的少なかった。(5)フランスを除いて軍事負担が少なかった。(6)1950年代後半にEEC発足などによる貿易自由化や関税引下げが近代化および合理化投資を刺激した。
またこれら諸国が概して1950年代はじめに多くの失業者群を抱えていたのみならず,その後における労働力人口の増加率が比較的高かったことも,高成長の一因であったと考えられる。すなわち労働力不足による経済成長の制約がなく,また賃上げ幅も小幅であったために,賃金面からの物価上昇圧力のかかることが少なかった。物価の安定は,高投資による新技術の吸収,生産性の上昇,需要変動に対する適応性の高まりと相まって,輸出を著しく促進した。輸出増加は需要の増加として直接経済成長を刺激すると同時に,国際収支を好調ならしめることで国際収支の天井を高くした。
またEEC諸国では生産性の低い農業から生産性の高い二次産業への労働力移動が1950年代を通じて活発に行なわれたが,かかる就業構造の変動も高成長の一因となった(これに対してイギリスのばあいは農業人口の比重が以前から低く,このような構造変化の余地が最初からなかった)。
これに対して低成長国たる米英では,何よりも投資の低さが特徴的である。ただし低投資の理由はアメリカとイギリスとで異なる。アメy力で投資が低かった理由は,戦時中に戦災がなく逆に設備の大拡張が行なわれたという基本的事実があったほか,生活水準が従来から極めて高かった上に,戦時中および朝鮮動乱中抑圧されていた自動車その他の耐久消費財需要が1950年代の半ば頃に一応充足されて設備が過剰気味となった点に求められる。だからアメリカの場合,低投資が低成長の原因であったというよりは,むしろ耐久消費財需要の低成長が低投資の原因であったといえよう。
もちろん戦後のアメリカにおいても技術革新が進行しそれを背景として電子産業などが急速に成長したことは事実である。しかしそうした新たな成長産業の出現も,自動車や鉄鋼というアメリカ経済において中核的役割を果す重要産業の停滞を相殺することはできなかった。
かかる耐久消費財需要の停滞のほか,アメリカの経済成長に影響をあたえた要因として政府の経済政策があげられよう。すなわち,1953年以来長く政権にあった共和党政府は経済成長よりも物価安定を重視して経済が完全雇用状態に達しないうちに金融・財政上の引締め政策をとりがちであった。
さらに最近では国際収支とドル防衛の問題が新たな成長制約要因として登場してきた。これはある意味ではアメリカの低成長の結果でもあるが,それと同時に成長政策の実施を阻害する要因ともなっている。
これに対してイギリスの低投資一低成長の原因は国内需要の弱さはあるのではなく,主としてその対外ポジションの基本的脆弱性にあった。一戦前輸入の大部分を賄っていた在外資産を喪失し,他方では戦後その国力に比較して重い海外軍事負担をもっていたため,イギリスの国際収支構造は戦後著しく弱化した。のみならず戦時中に累積された巨額の債務がポンド残高の形で残されたうえに,その裏付けとなるべき金外貨準備が少なかったことが,ポンドの立場を弱くした。
しかも国内経済は戦後ほとんどつねに完全雇用状態にあり,労働力人口の増加率も低かったから,労働力不足が成長を抑制したばかりでなく,生産性の上昇を上回る賃上げ圧力がたえず働いてイギリスの対外競争力を弱化させた。
以上のような国際収支構造の弱化,巨額の対外債務と不足する金外貨準備,国内におけるコストインフレ圧力により,戦後のイギリスはほぼ定期的に国際収支難に見舞われたばかりでなく,それに思惑が加わってしばしばポンド危機をまねき,政府はポンド防衛のために何度もドラスティックな引締め政策をとらねばならなかった。,引締め政策は直接的に投資を抑制するか,また国内需要を抑えることで企業の投資意欲に悪影響をあたえた。その結果投資は不振となり,それが生産力の拡大と生産性の上昇を妨げ,ひいては輸出を阻害し,再び国際収支難をまねくという悪循環に陥ったとみられる。
このほか高率関税や英連邦特恵制などの保護主義的傾向により国内での競争が少なく,その結果企業者が保守的となったことも,投資不振の一因であったとみられる。また貿易構造が停滞市場たる英連邦中心であったことも,輸出の伸びを少なくさせ,成長率を低くする原因となった。