昭和36年

年次世界経済報告

経済企画庁


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第1部 総  論

序  説

1960年から1961年にかけて世界は,政治的には,ベルリン問題と核実験を頂点とする東西緊張の激化,コンゴ,ラオス,キューバ問題等が続々と発生した激動期を経験した。経済面では,アメリカのリセッションが早期に終了し,西欧は依然繁栄をつづけているが,イギリスと日本では国際収支面からの引締め政策が開始されるに至った。共産圏の経済成長は前年にくらべて鈍化し,農業と工業のアンバランスが表面化した。

このような情勢のあとを受けて1962年の自由経済圏の景気を展望すれば,アメリカ経済は順調に拡大をつづけ,西欧は調整期を迎え,低開発国の貿易は先進国の援助の拡大の下に一応順調に伸びるものと思われる。

また1960~61年の循環的変動の中でも世界経済の構造的変化は着々と進行をつづけており,それを示唆する幾多の制度的構造的問題が表面化した。

第1にアメリカではケネディ大統領が登場して1961年初頭以来多くの経済政策を打ち出したが,その中心をなすものは高度成長政策であった。短期的な景気政策だけでなく長期的な浮揚力をアメリカに持たせなければならないという認識はアイゼンハワー政権とはかなりきわ立った対照を示している。また国際通貨としてのドルの価値を維持するためにも,短期的に景気を抑制するよりも長期的に輸出が伸長しうるような競争力強化の方がむしろ根本的な解決策であるとの考えがつらぬかれている。イギリスにおいてもほぼ同じ考え方が支配的になってきており,成長問題が,従来成長率の低かった英米2大国において重点的に採り上げられるようになったことはこの期間の大きな特色である。

第2に,工業国の経済成長のための有力な手段としての地域統合と工業国間の国際分業はますます進展を示している。とくに欧州共同市場EECは,はっきりとその基礎を確立し,イギリスがEEC加盟への方向に踏み切ったことは,その実現にはかなりの時日と困難が予想されるにしても,欧州の歴史に一大転機を画するものであった。これは,工業国の統合による需要拡大と,競争を通じでの国際分業の進展が経済成長のために最も有利な条件になりつつあることの証左といえよう。

第3に,低開発国のための開発援助についても,先進国側の考え方にはかなりの進展がみられた。1960年初めに開発援助グループDAGが発足したのは,工業国の協力によって低開発国援助を促進しようとするねらいであったが,1960年後半のドル危機を契機として,援助はアメリカだけにまかせるべきではないという判断が工業国内部で支配的となるに至った。1960年秋の国連総会,61年3月のロンドン第4回DAG会議,ケネデイの対外援助教書,61年7月の東京第5回DAG会議等における動きは,最近における援助支出の増大傾向とならんでこのような潮流を強く示唆するものである。

第4に,世界経済の成長をまかなうべき国際決済手段の量と質についても,多くの示唆を含む問題が発生した。まず1960年後半に,アメリカの金が大量に流出しいわゆるドル危機が発生した。この直接的原因は欧米の金利差およびドル切下げの思わくであるが,その根底には従来のアメリカ経済の絶対的優位性が薄れてきたことが横たわっている。ケネデイのドル防衛は,よ960年末のアイゼンハワー政策のあとを受けてまずその決意を示すことによってドル切下げに対する思わくを封ずる一方,西欧側の協力を得て金利差を調節するという手段を採ったことが一応の成功をみた。しかしドル防衛が成功した反面では,イギリスの国際収支悪化が表面化し,これがポンド防衛の必要を発生させた。国際通貨としてのドル,ポンドの価値がこのように金利や思わくで動かされることに対する反省と,各国の国際収支変動に対するてこ入れとしての国際決済機構の役割に対する認識が強まるにつれて,IMFの強化案も真剣な討議の対象になりつつある。主要西欧諸国は1961年2月いつせいに8条国に移行したが,これは将来の国際決済機構強化のための一つの足がかりとなるであろう。

この過程で話題となったのは1961年3月のドイツ・マルクの切上げである。

ドイツの国際収支黒字の累積は国内過熱をあおるとともに,ドルおよびポンドに対する思わくを助長する原因となった。したがって,マルク切上げは国内政策手段であるとともに,国際的アンバランスを修正する意味をも持っていた。

1960年後半から61年前半にかけて西欧各国は盛んに金利の操作を行なったが,これは主として短資移動を調整するねらいを持っていたものであり,為替自由化に伴って金利政策においても工業国間の協調が促進されてきたことは最近の特色であろう。

以上述べてきたことを要約すれば,世界経済の潮流は日本にとっても好ましい方向に動いてはいるが,一面相当の努力が要請されるようになりつつあることは否めない。すなわち,アメリカの高成長政策と地域化による西欧の経済成長テンポの増大は日本品に対する需要を高めるだろうが同時に競争も激しくなることを意味するし,国際協力が促進されることは結局日本にとって利益であることは間違いないにしても,日本もまた貿易自由化や低開発国援助の面で相当の寄与をしなければならなくなるだろう。

以上に述べたような諸問題をはらみつつ1960~61年の世界経済は推移したが,以下においては,まず生産,需要,貿易,物価等の短期的動向について概観し,つぎにこれ等の底流となっている構造的変化の方向を検討することとしてみよう。


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