昭和34年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和三四年九月
経済企画庁
第二部 各 論
一九五八年は,ソ連が経済七カ年計画を開始しようとする過渡期であつた。一九五六年に始まつた第六次五カ年計画はその初年度から計画の過大と経済拡大の行過ぎが認められた。これを契機として一九五七年には経済管理機構の改組と地方分権化,計画立案方式の変更が行われ,またこの年の経済計画では経済調整を目的として成長率が引下げられた。このようにして結局第六次五カ年計画自体は一九五九年から始まる七カ年計画に切換えられることになつたのである。
一九五八年は,前年に引続きこの切換えを行うための調整期の第二年目であり,同時に七カ年計画を始めるための準備期でもあつた。われわれは,本章でまずこの一九五八年のソ連経済を特徴づけてみたい。
ソ連の七カ年計画は,その原案が一九五八年の一一月に発表され,本年二月に正式決定を見た。この七カ年計画は,今後かなり長期にわたつてソ連経済の基本方向を決定するものとして重視されなければならない。だが七カ年計画はソ連自体にとつて国内的に重要であるばかりではない。それは国際的にも少なからぬ波紋をえがき,各国における経済成長の問題意識を刺激した。
ソ連は七カ年計画を経て,一九七〇年までには国民一人当りの工業生産をアメリカの水準まで高めるとして,アメリ力に対して共存しつつ競争するという,いわゆる「平和的経済競争」をいどみかけてきた。さらに東欧諸国もそれぞれ西欧諸国を競争目標として同じように経済競争を謳つている。そして,この経済競争の過程において共産圏諸国は,経済相互援助会議(コメコン)を通じでソ連を中心にますます緊密に統合化されて世界経済のなかに一つの強固なブロックを形成し,長期の一五カ年共同経済計画をも作成しようとしている。
そこで,ソ連の七カ年計画および東西の共存と経済競争が今後の世界経済にどのような影響を及ぼすかが問われなければならない。その意味でわれわれは,本章で一九五八年のソ連経済の特徴づけに続いて,七カ年計画の基調とそのもとでの経済成長の問題を取上げ,さらに東西の共存と競争の場において共産圏が世界経済に占める地位とその影響力を明らかにしてみよう。