昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第二部 各  論

第三章 苦境に見舞われた東南アジア諸国の経済

第二節 不況下の経済開発計画

(一) 経済開発と増大した資本財輸入の比重

東南アジア諸国は,戦後あらたな抬頭をみせたナショナリズムの高揚をエネルギー源として,種々の経済開発計画を作成し,国民経済の急速な成長をめざして努力してきた。これらの諸計画は,総合計画の形態をとつているものや,個別的な計画のもの,あるいは,重工業優先の計画や,農業生産の改善に重点をおいているものなど,種々さまざまではあるけれども,程度の差こそあれ,開発計画に必要な資本財は,いずれも,その大部分を,海外の工業先進諸国よりの供給にまつほかはない。このことは,これら諸国の輸入額を増加させるとともに,輸入品目の構成にも大きな変化を生じさせている。東南アジア諸国の経済開発計画は,インドを例外とすれば,いずれも一九五四年から一九五六年あたりを初年度としているが,その頃を境として,これら諸国の輸入額は大幅に増加しはじめ,貿易収支の赤字が,年々増大してきている。また輸入商品の品目別構成も,次第に資本財の比重が増加してくる傾向にあることは,巻末付表の第12表によつても明らかに示されている。資本財輸入の増加による貿易収支の悪化は,国際収支の赤字を大きくさせ,金・外貨準備の大量の流出を結果した。一九五六年,一九五七年におけるがごとく,輸出貿易が好調であるときには,海外先進諸国の経済援助に支えられて,外貨の流出も,緩慢な程度におさえることができるが,一九五八年のように,輸出の大幅な低下によつて輸出収入が急速に減少してくると,金・外貨準備の減少は,破局的なテンポで進行し,法定保有額をおびやかすに至る。輸出収入が減少し,金・外貨準備の流失も,限界にくると,いきおい輸入制限を強化しなければならないが,東南アジア諸国の,経済開発の必要性は,開発に必要な資本財の輸入を大幅に削減することをさまたげた。一九五八年全年の数字がないために,比較はやや困難であるが巻末にかかげた付表第13表によつても,一九五八年の上半期において,資本財よりも,消費財の方に,輸入削減の重点がおかれでいることが十分うかがえよう。各国とも,直接的貿易制限,為替管理,輸入税の操作などの手段によつて,消費財の輸入制限を強化した。しかし,この消費財の輸入制限も,経済開発計画を実施することから,限度が生じてくる。すなわち,国内において,多額の開発投資を行い,かつ,その生産能力の稼動までには,かなりの時間的なズレがあるばあいには,消費財の急激な引締めは,国内の消費財価格の高騰を惹起する。このように,経済開発計画は,輸出が不振となつても,輸入を急速に削減しにくくするということができよう。一九五八年の,主として上半期に東南アジア諸国が経験した,急激な赤字額の増加には,東南アジア諸国の,経済開発計画による輸入のメカニズムもかなり貢献したとみてよいであろう。

(二) 経済開発計画と財政赤字の増大

経済開発計画の,輸入貿易,ひいては,貿易状態全般に与える影響は,前述のごとくであるが,次に,経済開発計画が,東南アジア諸国の財政状態にどのような影響を与えているかについて若干ふれてみよう。

巻末付表第14表によつて東南アジア諸国の財政収支をみてみると,年々悪化してきている傾向にある。多くの諸国においては,歳出総額の増加にくらべて,歳入の増加率は少なく,赤字額は年を追うて増大してきている。付表第13表によつても明らかであるように,この歳出総額の増加は,経済開発のための支出の増加によるところが大きい。この表のうち,経済開発に関する支出項目は「経済開発費」,「投資」および貸付金,および前払金の項目である。

一九五八年の財政支出の正確な額は,この表の数字が,予算,予算原案,あるいは修正予算をとつているために不明であるけれども,政府の財政支出のうち,経済開発に関する支出が,年を追うてかなり大きな割合をしめしてきつつあることは明らかである。ますます,多額になつてゆく開発支出のために生じた財政の赤字の多くは,各国とも,中央銀行よりの借入れによつて補填しているために,通貨の流通高は,第3-12表に示されるように,増加の一途をたどつている。

このような通貨の流通額の膨張は,政府財政の赤字のみによるものではないであろうが,少くとも,それが有力な一因であることは疑いない。通貨の急速な膨張は,一九五八年における農産物の不況や,きびしい消費財の輸入制限のために生じた物資の供給不足によつて,東南アジア諸国の国内物価は急騰し,生計費指数の上昇によつて示されるごとく,国民生活をかなり圧迫している。

(三) 経済開発の停滞

一九五八年の貿易面における悪化や,農作物の不作にもかかわらず,経済開発計画による一九五八~五九年度の開発支出予算は縮小されることなく,かえつて増額されていたために,その実施はかなり困難視されている。一九五八~五九年度におけるのみならず,開発計画の進捗状態はかなりかんばしくないものがあつた。例えばインドの一九五六~五七年に実施されはじめた第二次五カ年計画の投資実績をみてみると,政府部門の投資総額は当初の計画によれば四八〇億ルピーとされていた。一九五六~五七年の投資実績は約六三億ルピー,一九五七~五八年の実績推計額では約八六億ルピーで,二カ年間の合計は約一四九億ルピーであつた。一九五八~五九年度の予算額は,開発投資として約一〇〇億ルピーが計上されているが,たとえ,この全額が支出されたとしても三カ年の合計は二四九億ルピーであり,残る二年間に毎年一一五億ルピー以上の投資を継続してゆかなければ計画目標額には達しない。一九五七~五八年の予算額は九三億ルピーであつたにもかかわらず推計実績が八六億ルピー余であつたことからみても,一九五八~五九年度の開発投資が一〇〇億ルピーの予算通りに支出することはむずかしいと思われる。一九五七~五八年の投資額ですら,政府財政の巨額の赤字をもつて,強行された投資であつた。一方開発計画による民間部門の投資目標は二四〇億ルピーと計画されたが,一九五六~五七年,一九五七~五八年の実績は,いずれも,ほぼ,一四億ルピーと推計されている。二年間の実績は一二%に満たないことになる。

このような過去の実績からみて,政府は,一九五八年五月には政府部門投資目標額を四五〇億ルビーに削減すると発表した。この修正案を実施するためにも,一九五九年度までに約三億五,〇〇〇万ドル,一九六一年度までには一一億七,〇〇〇万ドル余の外貨が必要であるとされたが,世銀主催の債権国,五カ国のワシンントン会議で,世銀のほか,アメリカ,イギリス,西ドイヅ,カナダ,および日本によつて,約九億ドル余の借款協定が成立し,計画年度内における外貨の見通しがつくとともに,四五〇億ルピーの投資をもつてしては,計画当初にかかげた目標を完遂することは不可能であるとする議論がたかまり,その後,投資目標額は四六五億ルピーに引上げ修正された。この目標額が,たとえ充足されたとしても,現在までにおける輸入資本財や国内物価の騰貴を考慮に入れるならば,物量的な生産高は,かなり当初の計画目標よりも低いものとなるであろう。

また一九五二年に策定されたビルマの野心的なピドウタ計画は,一九五六年に,農業開発を中心とする修正四カ年計画にきりかえられたが,この修正四カ年計画も実施をみないうちに,さらに一九五七年に,経済開発や社会福祉に対する支出は緊急不可欠の事業にかぎり,新規事業には一切手をつけないという新四カ年計画にきりかえられた。この計画の変更は,しかしながら,新革命政府による,治安回復を第一の政策目標とする方針によつてなされたものであつた。この新四カ年計画は,輸送,通信設備に対する投資に重点をおき,農業,灌慨に対する投資にもかなりのウエイトをおいた計画であつて,工業化以前の開発計画ではあるが,この計画では,年平均五億五,〇〇〇万チャットの開発投資がなされることになつている。だが,一九五八~五九年までの三カ年の年平均投資額は五億三,九〇〇万チヤットであつた。

フィリピンの経済開発に対する政府投資は,一九五七年の実績では計画を約三%下回り,一九五八年はさらに計画を約一三%も下回る額であつた。もつともフィリピンの五カ年計画は初年度が終れば,さらに計画年度に一年を追加して,常に目標を五カ年先におく経済計画の形をとつているから実績に応じて,計画目標を変更してゆく柔軟性のある計画ではある。

パキスタンの五カ年計画は一九五五~五六年から開始されているが,一九五七~五八年までの実績をみてみると,政府部門の投資計画額七五億ルピーに対して,三カ年の実績の合計は三一億七,〇〇〇万ルピーで目標の四二%,民間部門では三カ年の合計は一六億ルピーで,計画の三三億ルピーに対して四八%にしか達していない。このため一九五八~五九年度の投資計画額は,政府,民間の合計では二二億三,八〇〇万ルピーと大幅に増額されたけれども,この計画はとても達せられてはいないと考えられる。前年度の実績は一九億五,〇〇〇万ルピー,前々年度は約一六億ルピーであつた。もし,達成できたならば,計画期間中の投資総額は一〇八億ルピーであるから,名目的には,計画投資額をほぼ充足したことになるであろう。

その他の諸国における経済開発計画も,いずれもほぼ同様な状態か,あるいは,さらに成績はおとつているかである。しかしながら,計画目標に対してはかなり下回つた実績であるとはいえ,多額の開発投資が継続されてきたことは事実であり,農業,運輸,通信面における改善にはみるべきものがあり,またインドをはじめとして,多くの諸国における,工業生産の急速な上昇は,絶対額においてまだきわめて些少であるとはいえ,開発投資の効果によるものである。

東南アジア諸国の経済開発計画は上述のように,いずれも計画目標を下回るか,あるいはその実施をはばまれているが,とくに,一九五八年には進捗が阻まれたようである。その単的な指標は,付表に示されている。生産財輸入額の減少である。

(四) 海外よりの援助

東南アジア諸国の経済開発計画を実施するにあたつての最大の障害は,開発資財の購入に必要な外貨の不足にある。一九五八年におけるがごとく,輸出不振によつて外貨収入が減少してくるばあいには先進諸国からの援助がとくに切望される。一九五八年度に先進諸国より与えられた経済援助額は,一九五七年度とほぼ同額と推計される。種々の径路を通じて,東南アジア諸国に対してなされた,アメリカの経済援助は一九五八年度には総額約五億二,〇〇〇万ドルであつた。一九五七年度には五億八,〇〇〇万ドル余であつたから約六,〇〇〇万ド“の減少である。しかし,このアメリカの援助額の減少分は約六,七〇〇万ドルに達する世銀による貸出の増加によつて相殺された。一九五八年における世銀の東南アジアに対する貸付額は一億八,八四〇万ドルで,前年の一億二,一六〇万ドルにくらべると,六,六八〇万ドルの増加であつた。その他,コロンボ・プランによるイギリスの貸出は一九五八年六月までの額では一,五五〇万ポンド(四,三四〇万ドル)で,同じぐ一九五七年六月までの一年間の援助供与額に比べると約三〇〇万ポンドの増加であつた。その他,国連諸機関による援助や,コロンボ会議加盟諸国の援助,および民間団体による援助もあるが,以上の額にくらべるならば,その額は比較的小さい。暦年,財政年度等,資料の期間がまちまちであるため正確な額は不明だが東南アジア諸国は,先進諸国から,年間約一〇億ドル位の援助を受けたと推計される。

一九五八年の東南アジア諸国の貿易の赤字は合計一二億四,九〇〇万ドルであるから,そのうちの約八割以上が,先進諸国ならびに国際機関による援助でまかなわれ,貿易収支外の赤字を含めて残りの約五億ドルが金・外貨準備の流出となつたわけである。アメリカの一九四九年四月から一九五九年九月までに東南アジア諸国に与えた経済援助の,総額は,債務負担額では三四億三,八三七万三,〇〇〇ドルに達し,支出額では二九億七,二一七万二,〇〇〇ドルであつた。コロンボ・プランによるイギリスの一九五八年六月末までの援助額は一億二,:三五万ポンド(三億四,五一〇万ドドル)で,支出額は九,二五〇万ポンド(二億五,九〇〇万ドル)となつている。イギリスの援助は,マラヤ,シンガポール,サラワク,北ボルネオに対してなされたのが大部分で,これら諸国で六,〇〇〇万ボンド(一億六,八〇〇万ドル)を占めている。ニュージーランドは,一九五八年九月末までに約七〇〇万ニュージーランド・ポンド(二五三万ドル),カナダが一九五八年三月末までに一億九,六六五万八,一六一カナダ・ドル,オーストラリアが,一九五八年六月末までに二,七三一万二,九〇〇オースーラリア・ポンド(六,一一九万八九六ドル),日本も一九五八年九月末までに,コロンボ・プランによつて二億六,〇九二万三五四円の援助をしている。

このような,自由主義圏の東南アジア諸国に対する経済援助に対して,一方,共産圏諸国の東南アジア諸国に対する経済援助も,一九五六年頃から活発化し,アメリカ国務省発表の資料によると一九五八年末友でに,共産圏諸国が東南アジア諸国に与えた経済援助額は一八億七,〇〇〇万ドルに達している。第3-13表でみるように世界の他の後進地域に対すると同じく,ソ連圏諸国の経済援助は,東南アジアにおいても,ビルマ,カンボジア,セイロン,インド,インドネシア,ネパ―ルの五カ国に集中し,低利率(二~二・五%)のうえ,返済条件が,現地通貨や,物資による返済を認めるなど後進諸国に好都合であることや,また,貸付金の使途については比較的寛大であるために好評をえている。

このような共産圏諸国の進出に対処するために,アメリカでは,一九五九~六〇年度予算の審議を機として,従来までのアメリカの後進国援助に対する援助の仕方に関する議論が盛んになり,アメリカの対外経済援助のあり方も徐々に変容している気運が醸成されている。


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]