昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


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第一部 総  論

第一章 一九五七~五八年における世界経済のうごき

第二節 景気回復のメカニズム

アメリカの景気回復は非常に急速で,鉱工業生産は五八年五月から反騰し,年末には後退中に失つたものの八割を回復,さらに五九年三月には後退前の水準へ戻り,五月には後退のピークを四%突破した。また国民総生産も五八年第1・四半期を底として第2・四半期から上昇しはじめ,五九年第一・四半期には名目,実質とも五七年第3・四半期の水準を二%上回つた。

雇用面の回復は例によつておくれていたが,それでも最近は著しく改善されてきた。季節調整済み失業率でみると,失業率の最も高かつた五八年八月の七・六%から五九年五月には四・九%へとかなりな低下をみせている(後退前は四・三%であつた)。

生産の回復テンポを戦後二回のそれと比較したものが第4表であるが,これでみると鉱工業生産が後退前のピークに回復するに要した月数は,今回は五三~五四年当時より早かつたが,四八~四九年当時よりおそい。しかし後退の幅は今回の方が深かつたことから考えると,今回の回復テンポは前二回のそれよりむしろ早かつたといえるだろう。

つぎに西欧についていえば,前述したようにOEEC一七カ国の鉱工業生産は五八年第2・四半期を底として第3・四半期にやや立直り,第4・四半期には既に後退前のピーク水準まで回復した。五九年にはいつてからの主要諸国の動向からみて,おそらく現在は後退前のピークを若干上回る水準まで上昇しているものと思われる。もつとも国別にみれば情勢は一様でなく,イギリスなどはようやく五九年三月に後退前のピーク(五七年九月)へ戻り,その後緩慢な上昇をみせている。フランスは五九年四月から回復に向い,ベルギーは最近ようやく下降がとまつた程度である。比較的力強い拡大歩調をみせているのは西ドイツであるが,イタリアやオーストリアも昨年来の緩慢な上昇基調を持続しているようである。

(一) 制度的,構造的な安定要因

それでは景気の下降を予忠外に小幅に食いとめ,比較的急速な回復をもたらした要因は何であつただろうか。景気回復の型がアメリカと西欧とではちがつていたように,回復をもたらした要因も必ずしも同じではなかつた。しかし共通する面も少くない。

そうした共通点の第一にあげられるのは,アメリカでも西欧でも政府が景気後退の阻止のため程度の差こそあれ各種の対策を講じたことであつて,それが不況の深刻化を食いとめ,景気の回復に寄与した点を見逃がしてはならない。

戦前にくらべると戦後は完全雇用の維持に対する政府の責任が強調され,アメリカではそれが「一九四六年雇用法」の形で制度化されてさえいる。大量失業の発生を放置することは政治的,社会的に許されないから,政府は必然的に何らかの対策をとらざるを得ない。経済全体に占める政府部門の比重が戦前にくらべて高まつていることも,政府の景気対策を効果的ならしめるのに役立つているし,また景気対策そのものもかなり高度化されたとみることができよう。

いまアメリカ政府(州地方政府を含む)の物資,サービス購入額が国民総生産に占める比率をみると,一九三〇年代はじめは約一〇%であつたのに対して,現在は約二〇%に達している。そのうち半分が国防支出であつて,国防費の支えがいかに大きいかがうかがわれよう。このほか振替支払いや国債利払い,補助金などを加えると政府の取引総額は国民総生産の四分の一に達するのである。イギリスのばあいには国民総生産に占める政府の物資サービス購入額の比重は一七%でアメり力よりやや低いが,政府取引総額は国民総生産の四〇%に達し,これに国有産業を含めると政府部門の比重は五〇%を綴える。とくに投資においては国全体の投資の約四割から五割近くまでが公共部門によつて占められている。他の西欧諸国でも政府投資の比重はイギリスほど高くないが,融資その他を通じて間接的に規制しうる投資まで含めば国全体の投資の三分の一から半分を占めるといわれている。

第二の共通点は,失業保険,累進課税などいわゆるビルト・イン・スタビライザー(自動安定装置)の存在である。不況により失業者が増えれば失業給付金の支払額が増加するし,所得が減少すれば税率が累進的であるために課税額が所得の低下以上に減少する。このように政府が意識的に支出増加措置をとらなくとも自動的に政府支出が増加する反面で,税収が自動的に減少するから,その結果は財政黒字の減少もしくは赤字の増大となり,家計の所得がそれだけ増加する。今回のアメリカ景気の後退から回復の過程においても,かかるビルト・イン・スタビライザーが強力に作用した。たとえば五七年第3・四半期から五八年第1・四半期までの後退期に賃金・俸給所得が六八億ドル(季節差調整済み年率)減少したのに対し,失業保険給付金その他の振替所得は二六億ドルの増加を示し,勤労所得減少額の約四割近くを相殺した。いま連邦政府経常収支の四半期別変動を示した第5表をみると,連邦政府の収入は後退期に法人税,個人所得税を中心に大幅に減少したが,回復期には増加に転じている。これに対して連邦支出は後退期には主として振替支払の増加により増加したが,回復期には振替支払いは増勢を鈍化し,最後には減少に転じている。財貨,サービスの購入は回復期に増加しているが,これは主として農業価格支持による支出の増加と公務員給与引上げの結果であつて,国防費はさして増えなかつた。農業価格支持制度による支払いが増えたのは,小麦の異例の農作と綿花の輸出不振に帰因し,どちらかといえば偶然的要因にもとづくものだ。

このようにビルト・イン・スタビライザーは不況による所得の減少を緩和し不況の累積的な波及力をクッションするわけである。もちろん,それだけでは景気の下向を阻止して上向きに転じさせることはできないが,下降のテンポを緩慢化させることで政府の景気対策や経済の亘動的回復力が発現するまでの時を稼ぐことができる。またビルト・イン・スタビライザーの存在自体が企業者や消費者の信頼感を維持することで景気の自動的な回復力を促進するという積極的な面も考えられる。

こうした景気変動とは逆の方向に作用する狭義のビルト・イン・スタビライザーのほか,農業価格支持制度による農業所得の維持,銀行預金制度による金融恐慌の防止,株式取引所に対ずる監督と規制,不動産抵当の政府保障なども広い意味でのスタビライザーに数えることができよう。また戦後労働組合の力が強大化して不況時においても賃金が切り下げられず,むしろ逆に不況下の賃上げが行われる傾向があり,そのほか長期賃金契約による賃金の安定保障や民間失業保険制の発達なども個人所得の安定化に役立つている。

さらに産業構成の高度化によつてサービス部門の雇用の比重が高まつてさたことも,一種の安定装置的役割を果している。ザービス部門は比較的不況抵抗性がつよいから,この部門で働く人々の数が増えることは,景気変動に対する経済の抵抗力をもつよめる。たとえばアメリカではサービス部門の雇用者数は一九五四年以来全雇用数の半分以上を占めるにいたつた(五七年には六割)。西欧諸国でも雇用構造におけるサービス部門の比重はわずかながら上昇傾向にあり,一九五八年の数字でみると,イギリス四六%,オランダ四八%,西ドイツ三五%となつている。

以上のような各種の制度的,構造的な安定化要因のほか,現代の世界経済を陰に陽に支えている大きな要因として技術革新の大波をあげなければならぬだろう。戦時中の軍事技術の平和的利用という意味での技術革新はあるいは既に一巡したかもしれないが,欧米における技術的研究と開発のための努力は近年むしろ高まつてきているのであつて,それが新製品の造出,品質の改善,コスト引下げなどを目的とする近代化や合理化投資を促進し,好況期には設備投資の推進要因となり,不況期には設備投資の大幅な減退を緩和する下支え要因として働いているのである。こうした制度的ないし構造的な安定要因が今回の欧米不況を軽度に終らしめた基木的な要因であるが,それでは景気回復は具体的にどのような過程ですすんだのか,また回復をもたらした積極的な要因は何であつたのか。次にこの点をアメリカ及び西欧について明らかにしよう。

第5表 連邦政府収支

(二) アメリカの景気回復

アメリカの経済活動は五八年第1・四半期を底として第2・四半期以降急速に回復してぎた。鉱工業生産指数でみると,四月が底で五月から反騰している。それではこの時期に経済活動の再上昇をもたらしたものはなんであつただろうか。第6表から明らかなように第2・四半期に実質額で増加した需要は在庫投資(一五億ドル,一九五四年価格,以下同じ),政府購入(一〇億ドル)個人の非耐久貯及びサービス支出(一五億ドル)だけであつて,それが他の諸需要の減少を相殺して,国民総生産を一三億ドル増加させた。

在庫投資の増加は在庫削減速度が第1・四半期の七八億ドルから第2・四半期の六五億ドルヘ鈍化した結果であるが,こうした在庫削減テンポの鈍化をもたらした要因の一つは,国防発注の増加であつた。国防発注は五七年下期の年率一二〇億ドルから五八年上期には年率二二〇億ドルヘ増額され,それが国防関連産業の在庫べらしを緩慢化させた。また連邦住宅局融資申請額や民間住宅着工数が春ごろから増え出したことも建築材料メーカーや販売業者の在庫政策に影響を与えたし,非耐久消費財の売行増加もメーカーや販売業者の在庫べらしを緩慢化させた。

第2・四半期における個人消費の増加は個人所得の増大を反映したものである。賃金,俸給所得はひきつづき減少したが,減少の幅が小さくなり(四億ドル減),他方振替所得(二〇億ドル増)と農業所得(八億ドル増)が大幅に増加したため,個人所得額は第2・四半期に二五億ドル贈加した(第1・四半期に杖二四億ドル減)。

以上のように,景気下降を食いとめて上向きに転じさせたものは,企業の在庫べらしの緩慢化と政府支出の増大及び個人消費(ただし耐久財を除く)の増大であるが,これらは結局のところ制度的,政策的に政府によつて支えられたものである。農業所得の増加は豊作という偶然的な事情にもとづいているが,豊作を所得の増加に結びつけたのは農産物価格支持制度であり,また振替所得の増加はまさにビルト・イン・スタビライザーそのものである。在庫べらしの緩慢化にしても主として国防発注の増加と住宅建築刺激策及びビルー・イン・スタビライザーの働きによつてもたらされたものだ。このほか連銀が五七年一一月以来数回にわたつて金融緩和政策を推進したことも,企業の在庫政策,住宅抵当融資,州地方政府の起債などに好影響を与えた。

こうして景気が回復しはじめてから後ば住宅建築支出,政府支出,在庫投資,個人消費とも増加をつづけ,さらに五八年第4・四半期からは耐久消費財支出も大幅に増加しはじめた。耐久消費財支出の増加は五九年型新車の売行好調と住宅建築の増加に伴う家庭用耐久財の購入増大にもとづいている。他方景気後退の起動力となつた生産者耐久財支出は回復期に減少こそ止まつたが,まだ顕著な回復はみられない。また同じく後退要因の一つであつた輸出はひきつづき減少をつづけている。

(三) 西欧の景気回復

前述したように西欧の経済活動は五八年秋頃から緩慢ながら回復してきたが,この西欧経済の回復に中心的な役割を果したのは国際改支改善による金・外貨準備の増加であつた。一九五七年秋の為替スペキュレーションが克服されたあと,国際商品相場と海上運賃の大幅低落及び国内経済活動の沈滞により輸入額が激減したため,西欧の国際収支は五七年末から五八年にかげて著しく改善され,その結果金外貨準備もめざましく増加した。いま西ドイツを除くOEEC諸国の金・外貨準備を見ると五七年一~九月間に七・八億ドルの減少であつたのが,一〇~一二月間には九・三億ドル増加,さらに五八年中には二七・九億ドル増加した。西ドイツを加えるならば五八年中におげる増加額は三四・六億ドルに達する。こうした国際収支の大幅黒字により国内の金融事情は著しく緩和され,政府の低金利政策と相俟つて長短期金利の低落をもたらした。金融緩慢と金利の低下はそれ自体西欧のリセッション所産でもあつたが,同時にそれは金利の動きに敏感な住宅建築や地方政府の投資活動を促進することで後退から回復への基盤を作り出した。たとえば西欧諸国の住宅建築の動向をみると第7表のごとく,おおむね五八年下期から著しく増加している。銀行も貸出しに積極的となつた。

たとえばイギリスでは貸出制限が撤廃された昨年八月から本年五月までにロンドン手形交換所加盟銀行貸出額は約六億ポンド,比率にして三〇%も膨張した。また,イギリス,デンマーク,西ドイツなどでは,大銀行が個人融資業務を開始した。更に賦払信用の膨張は政府の制限措置撤廃に助けられて耐久消費財を中心とする個人消費の増大をもたらした。

政府もまた景気後退の阻止のため各種の措置をとつた。前述したごとく殆んどすべての国が公定歩合の引下げにより金利低下策をとつたほか貸出制限の撤廃(イギリス,オランダ,ノルウェー,スイス)賦払い信用制限の緩和ないし撤廃(イギリス,オランダ),政府支出の増加(オーストリア,ベルギー,イタリア,オランダ,ノルウェー,スイス,イギリス)や公共投資の増加(イギリス,オーストリア,ベルギー,オランダ,ノルウェー,スエーデン,イタリア)などの措置がとられた。しかし,アメリカのばあいはむしろ財政政策が大きな役割を果したのに対して,西欧のばあいはむしろ金融政策に重点がおかれていたとみることができよう。本年にはいつてからはイギリスの新予算にみられるようにかなり積極的な財政措置がとられつつあるが,少くとも五八年中に関するかぎり財政は副次的な役割しか果さなかつた。これは西欧諸国がインフレの再燃や国際収支の悪化を恐れたのとアメリカ不況の見通し難から慎重な緩和政策に終始したせいだ。

第8表 西欧諸国の住宅建築許可数

(四) アメリカ景気変動の対外的影響

以上のようにアメリカの景気回復は主として制度的要因と政策的措置によつてもたらされ,また西欧の景気回復は国際収支の大幅黒字と政府の緩和政策によつてもたらされたとみることができよう。その裏付となつたものは個人消費需要の根強さと住宅に対する潜在需要の旺盛さであつた。西欧の国際収支黒字は輸出伸長の結果ではなく,むしろ輸入の減少を原因としている。こうみてくると,アメリカにおいても西欧においても景気の回復は主として国内的な要因によつてもたらされたといえる。

とはいえ,アメリカと西欧の景気変動が相互に全く無関係であつたのではもちろんない。西欧の対米輸出は概して高水準を維持して西欧の外貨増強に大きな寄与を果したが,一部西欧諸国は低開発国向け輸出の減少により打撃をうけた。低開発国の輸入が減少した理由は,国際商品相場低落による輸出収入の減少にあり,この商品相場の低落はアメリカの不況を一因としている。そのかぎり西欧も貿易面を通じてアメリカ不況の影響をある程度うけたことになる。

しかしそうした直接的な影響よりも,間接的,心理的な影響の方が大きかつたようである。アメリカの不況は西欧諸国の政府や企業者のビヘービアを慎重ならしめ,それが西欧の不況を促進し,もしくは景気回復を遅延させた。逆にその後におけるアメリカ景気の急連な回復は西欧諸政府の景気対策を積極的にし,企業者を強気にさせたことで景気回復に寄与したと考えられよう。

それにしても,アメジカの輸入が不況期にほとんど減少しなかつたことは,従来の経験からみて誠に意外な発展であつた。その原因はどこにあつたか。まず前回の景気後退と比較した輸入の商品別変動をみると第9表のごとくであつて,後退期における輸入総額の減少率は今回が最も小さく,わずか一・三%であつた。この表からも明らかなように,食糧品と工業完成品の輸入は国内不況に対して抵抗力がつよく,過去の不況期にも概して減少しなかつた。これはアメリカの消費購員力が不況期にもよく維持されているせいであろう。とくに今回は食肉その他の国内供給が不足したため,食糧輸入が大幅に増加している。工業完成品の輸入も一〇%近く増加したが,これは自動車の輸入増加が主因となつた。これに対して原料と半成品の輸入は過去二回の後退期と同様減少した。

第9表から明かなように,輸入総額に占める工業完成品の比重が近年高まつてきたことが,不況期におけるアメリカの輸入を比較的安定化させる重要な要因であつたと思われる。しかし,そのばあいでも自動車輸入の増加が今後どこまでつづくかは問題であろうし,不況抵抗力の強い食糧の比重が近年低下していることや,前述した食糧輸入の増加が偶然的要因にもとずいていたことなどから考えると,アメリカの輸入が将来の不況期においても大幅に減少しないと断定することは不可能であろう。

アメリカ輸入の高水準維持とならんで注目される事実は,アメリカの輸出の大幅な減少である。五八年中に西欧や日本の輸出が殆んど減少しなかつたの対して,アメリカの輸出は約一五%も減少した。世界貿易(輸出,FOB)の減少額五〇・六億ドルのうち,その五八%がアメリカの輸出減少によるものであつた。地域別にみても五八年における西欧の輸入減少額三一億ドルのうぢ,その五割余がアメリカからの輸入減少であつて四割が後進諸国からの輸入減少である。日本の輸入減少額約七億ドルのうち六割が北米からの輸入減少であつた。ラテンアメリカと海外スターリング地域の輸入減少額約一四億ドルのうち五割はアメリカからの輸入減少であつた。

こうした輸出の大幅減少が主因となつて,アメリカの国際収支は五八年中に三八億ドルの赤字を示した。これに対して西欧諸国の金・外貨準備は三七億ドル増加した。(低開発諸国は八・四億ドルの金・外貨準備を喪失した。)このような大幅なアメリカの輸出減少は前にもふれたように主として各種の特殊要因による綿花,小麦,石油などの輸出減少のほか西欧,カナダ,日本の景気沈滞による石炭,鉄鋼,一部機械類の輸入減少に起因しているが,ンヒのほか西欧や日本の競争力強化によるアメリカ商品の競争力の相対的な後退も一因となつたようである。

それはともかく,アメリカの輸出のこうした大幅な減少は,輸入の高水準維持とつまつてアメリカの対外収支を甚しく悪化させ,多額の金ドル流出をもたらすことで諸外国,とくに西欧の外貨準備を増強させた。西欧の外貨準備の増加は前述したように西欧の景気回復の原動力となつたと考えられるから,その意味ではアメリカ貿易のビヘー・ビアが世界不況の深化を食いとめるに有力な働きをしたわけだ。

第6図 アメリカの商品輸入

(五) 低開発諸国の経済変動

われわれはこれまで世界経済の後退と回復の過程を主として先進工業諸国の景気変動に重点をおいて分析してきた。これは世界景気の変動をリードするものが概して先進工業諸国であり,低開発諸国はいわば受身の立場にあるからである。この点は今回の循環過程においても例外ではなく,現に先進工業諸国の経済情勢は最近著しく改善されてきたにもかかわらず,低開発掴の経済情勢には未だ顕著な立直りがみられない。もともと低開発諸国の経済は若干の一次商品の輸出に頼つており,先進工業諸国の一次商品需要の動きに大きく左右される。工業諸国の経済活動が停滞ないし低下して一次商品需要が減少すれば,低開発国の輸出数量が減少するのみならず,通常価格がそれ以上低下するから,低開発諸国の輸出収入は大幅に減少せざるを得ない。一次商品の価格は朝鮮動乱プームの反動で五一,五二年に低落をつづけたあと,五三年以後は欧米好況を反映して上昇に転じた。しかしこの欧米ブームの余波で一次商品の供給力が過大に拡張された反面で欧米の一次商品需要から五六年以来頭打ちとなつたため,国際商品相場は五六年はじめから軟化しはじめた。五六年末のスエズ危機のため一時的な上昇をみせたあと,五七年下期から商品相場の落勢も急歩調となり,それが五八年春頃までつづいた。生産制限,輸出割当その他の供給価の対策もあつてその後は商品相場も安定をつづけ,本年二月頃からアメリカ景気の急速な回復や欧州の景気立直りを反映して徐々に上昇カーブをえがきはじめたが,最近はまた横這い状態をつづけている。こうした価格面での変動のため翰出数量が不変であつたにもかかわらず,低開発諸国の輸出額は五八年に約六%減少した。これに対して低開発諸国の輸入額は六・七%減少した。低開発国の輸入が減少したのは五三年以来はじめての現象である。周知のように低開発諸国の多くは野心的な開発計画を実施中であつて開発資材の輸入需要が大きい。とくに五七年の輸入は異状に大幅に膨張し(一二%増),その結果低開発諸国の金・外貨準備は一五億ドルも減少した(ただし五七年中に異例の増加をみせたオーストラリアとヴエネズエラを除く)。そのため五八年にはいつて低開発渚国は輸入削減の措置をとり,その結果は前述したような輸出額の減少を上回る輸入額の減少となゆ,貿易赤字も若干縮少した。しかし,国際諸機関やアメリカその他諸国からの援助や長短期の借款供与があつたにもかかわらず,輪出収人と援助および借款だけでは輸入を賄うに足らず,五七年にひきつづいて外貨準備をとり崩さねばならなかつた。しかし,外貨準備減少の幅は五七年の一五億ドルから五八年の三億ドルヘ減少した(五八年に大幅な外幅貨準備の減少をみせたオーストラリアとヴエネズエラを除く)。

第7図 一次輸出諸国の貿易尻と外貨準備の変動