昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第十章 インド経済の実態分析
戦後におけるインドの経済発展の実態を,一九五七年六月に発表された国民所得統計によって見ると,一九四八~四九年から一九五五~五六年にいたる七年間の実質国民所得増加率は第10-1表のごとく,この七年間に二〇・四%,平均年率ではおよそ三%となつている。
これを産業部門別の増加率でみると,第一次産業部門が比較的高く一七・二%であり,鉱工業部門は一八・二%,商業および交通部門は二三・一%,その他サービス業では二八・四%となつている。国連の一九五六年の経済概観によると,後進国一般の農業(鉱業,製造工業の三つの部門における一九三八年以降一九五四年までの発展は,農業二六%,鉱業一二〇%,製造工業八七%となつている。すなわち製造工業は二倍ちかくにおよんでいるのに対し,農業はわずかに四分の一程度の増加でしかない。EAOの統計によつても,農業の成長率は一般に工業の成長率よりもはるかに低いものとなつている。インドの場合は後進国におけるこの一般的なパタンとちがつており,第一次産業部門と鉱工業部門との増加率はほぼ等しいものとなつている。この理由について次のような問題が提起されている。
すなわち一九四八・~四九年から一九五二~五三年にかげてのインドの第一次生産部門の推計は過小見積りであり,一九五三~五四年から一九五五~五六年の生産統計は実際の収穫高を集計しているために,数字上成長率が大きくなつたとするものである。見積りが過小であつた原因としては,インドでは一九四八~四九から年五二~五三年の間において穀物統制が行われ,集荷促進措置がとられていたので,生産者は穀物集荷計画による負担を軽くするために,収穫高を過小に申告したということがあげられている。そして,過小見積りの比率を実際生産高の二割ないし二割五分程度と見ている。したがつてもし一九四八~四九年から一九五一~五二年の間の統計を修正すると,第一次産業部門の所得は一九四八~四九年四五〇億ルピー,四九~五〇年および五〇~五一年はそれぞれ四六〇億ルピー,五一~五二年は四七〇億ルピー,五二~五三年は四八〇億ルピーとなるとしている。このように修正を加えると,一九四八~四九年を基準として五五~五六年までの第一次産業部門の所得の七カ年間の成長率は一〇・七%となり,したがつて実質国民所得の成長率は,一七・一%であるから,平均年率では二・四%ということになるわけである。
昨年七月発表された,第一次五カ年計画の成果についての第五回目の公表資料“Review of the First Five-year plan”と,純国民総生産は一九五〇~五一年の八八七億ルピーから五五~五六年の一,〇四二億ルピーヘ,一人当り純生産では二四六・三ルピーから二七二・一ルピーへと増加したことになつている。つまり純国民総生産の五カ年計画期間中における成長率は一七・五%であり,一人当りのそれは一〇・五%,平均年率ではそれぞれ三・五%と二・一%となつている。この報告では計画期間中の産業部門別の成長率は第一部産業部門一四・七%,鉱工業部門が一八・二%,商業,運輸,通信が一八・六%,その他サービス部門が二三・七%となっており,ここでも,一般的な発展形態に示されているものに比べて第一次産業部門の成長率の高いことが知られる。この資料では,五カ年計画期間中の増加率一七・五%のうち一三%までは最初の三カ年間に達成されたもので,特に一九五三~五四年の増加率が大きかつたが,それはその年の農業生産の増大によるものであつたとしている。しかし,さきに見たような理由によ第一次産業部門の生産統計が過小推計であつたとすれば,第一次五カ年計画は基準年次に一九五〇~五一年をとっているので,公表されている成長率の数字はさらに小さく,第一次五カ年計画の純国民総生産の成長率は一四・三%程度,つまり平均年率では二・八%と推定される。しかし,いずれにしても,インドにおける戦後の成長率は比較的順調であつたといいうるであろう。