昭和61年
年次経済報告
国際的調和をめざす日本経済
昭和61年8月15日
経済企画庁
第3章 ストック充実の課題
(所得水準の上昇)
我が国の所得水準は戦後40年間を通じて着実に高まってきた。国民1人当たりGDPは1955年には270ドル(旧国民所得統計ベース)で,アメリカ(2,450ドル)の9分の1にすぎなかったが,1984年には10,445ドルでOECD諸国の第10位,アメリカの68%に,1985年には11,138ドルで第6位,アメリカの69%に達した。1986年4月時点の為替レート(170円/ドル)で計算すると,我が国の1人当たりGDPはほとんどアメリカと並んだものとみられる。
もちろん,現実の為替レートを用いて比較した2国間の所得水準が,必ずしも両国の国内における購買力の大きさを正確に表わすとは限らない。このため,国連やOECD等においては,加盟国のGNPやその構成項目の実際の購買力を比較するための購買力平価を計測するプロジェクトを推進している。ここでは,OECDが1980年について推計した各国の購買力平価を用い,1985年の購買力平価を試算して,我が国と他の主要国との1人当たりGNP(実質購買カベース)を比較してみた(第3-1表)。これによると,1980年には我が国はアメリカの71%,西ドイツの84%だったのに対し,1985年にはアメリカの78%,西ドイツの93%へと近づきつつある。同様に国民1人当たり個人消費支出額をみると,1985年にはアメリカの65%ではあるものの,西ドイツの93%にはなっているとみられる。我が国の家計貯蓄率が他国に比べ相対的に高いことを考慮すれば,家計の所得の消費購買力の他国との差は更に縮まっているとみることができよう。もちろん,国際比価の高い商品・サービスの生産性向上努力等が要請されることは言うまでもない。
(ストック充実のニーズ)
こうしてフロー面ではかなり望ましい生活水準が維持できるようになってきたこともあって,国民のストック(資産)充実へのニーズが一層強まっている。
一口にストックといっても,様々なものがある。国民経済計算によれば(第3-2図),昭和59年末の資産残高は3,607兆円,うち有形資産(在庫,住宅,企業設備,土地など)1,697兆円,金融資産1,910兆円となっている。このうち,国内での債務や株式を相殺した正味資産(国富)は1,714兆円であり,このうち国内の有形資産以外の部分は対外純資産17兆円である。
有形資産のうち,在庫や土地などを除いた純固定資産は658兆円,うち民間部門400兆円,公的部門257兆円である。また資産の形態でみると,住宅155兆円,その他の建物・構築物393兆円,機械設備109兆円となっている。
このほか,国民経済計算上資産には計上されていない各種の無形ストックがある。これには,企業会計で無形固定資産として扱われる「のれん」などのほか,企業の経営能力や企業組織,技術知識やソフトウェア,個人の持つ知識・知恵・創造力などのストック,さらには政治・経済・社会システム,国際的平和・安全・繁栄(国際公共財と言われる),文化なども含まれよう。
これら様々なストックのうち,本章では,長期的な観点から将来世代も含めた国民生活の一層の充実のために政策課題として良質なストックの形成が求められているものを中心に,住宅,社会資本,人的能力,対外金融資産を選び,その課題を分析した。
(住宅・社会資本の充実)
住宅,社会資本などのストック充実へのニーズは特に強い。現実に我が国の住宅ストック額や住宅の質は他の主要国に比べて低水準である。また,我が国は欧米を遥かに上回るスピードで社会資本投資に精力を傾注してきたにもかかわらず,社会資本の本格的整備の歴史の浅さ等もあり,世界第二の経済大国としては,現在の社会資本の整備水準は,下水道等にみられるように欧米主要先進国の整備水準と比較しても低い。
我が国がこれらストックを充実させていこうとする場合,現在は貴重な時期である。すなわち,人口の年齢構成をみると労働人口比率が高く,将来に備えての貯蓄を積極的に行っている時期に当たっている。また第2章でみたように我が国経済の適応能力が高く,生産能力が需要変化に弾力的に対応できる余地があり,民間投資のクラウディングアウトや経常収支の構造的な悪化を生じる可能性がそれだけ低いと考えられる。今後人口の高齢化が進み,またそれに付随して貯蓄率が低下する可能性がある。そのような場合には,これら好条件が次第に失われていく可能性があることを考慮すれば,その前に将来にわたる生活の一層の充実のため,人々のニーズに合った,良質のストックを蓄積しておくべきであろう。その際,将来世代の支払うコストに十分見合う便益が生ずることが重要である。
さらに,我が国は今後一層内需中心の成長を図り,その中で国民の生活水準を高めるとともに,世界経済の発展に貢献していかなければならない状況下にあるが,内需拡大のための方策の一環として,民間活力も活用した社会資本整備,良質な住宅・住環境整備等により国内の投資機会の創出を図る必要がある。
こうした物的なストック充実の課題を,より具体的に,本章第1節で住宅ストックについて,第2節で社会資本ストックについて,述べることとする。
(ソフト化時代のストック蓄積)
ストックの蓄積は物的資産や金融資産にとどまらない。とくに,ソフト化の時代と言われる現代にあっては,新たなストックと言えるものが重要性を増している。
「昭和60年度年次経済報告」においては,ソフトウェアの蓄積や技術知識ストツクの蓄積が企業のストツク蓄積の中で重要であることを指摘し,仮りにソフトウェア開発を一種の設備投資と考えた場合,59年には民間企業設備投資額の10.5%に達していること等を述べた。ただ,技術は,最も本質的には人間に体化されるものと考えられ,その場合には日々更新され,更に発展を遂げることが期待できる。そこで,本年は人的能力という形で人間に体化された技術を中心に,第3節でその蓄積の重要性を指摘している。
他の形態のストックと同様に,人的能力の蓄積も本来投資である(現実には個人消費,政府消費等に含まれ,あるいは企業の中間的コストとして処理されている)。したがって,現在が他の形態の投資にとって好ましい環境であるならば,人的能力の蓄積にとっても好ましい環境であるはずである。企業によるOJT(職場内訓練)中心の職業能力開発だけでなく,多様な形態の人的能力開発が目指されるべきであり,労働時間短縮など,そのための環境整備が急がれなければならない。
(対外金融資産の位置づけ)
対外資産についても同様な位置づけができる。対外資産は我が国の経常収支が黒字である限りその分だけ年々蓄積していく。そして,経常収支の黒字は,我が国が優良な商品やサービスを世界に供給してきた結果でもある。また,対外資産の内容は,各経済主体が収益性,流動性,安全性などを評価しつつ行う合理的行動の結果でもある。
対外資産の蓄積は,経常収支黒字分を世界に対して還流させた結果生じたものであり,我が国の高い貯蓄を世界に対して供給することである。今日の世界には,発展途上国をはじめ,資本の供給を必要としている国が多く存在する。
これらの国の経済発展に資することは我が国の国際的責務を果たすことでもある。さらに,資本供給のうちでも直接投資は,第2章でも述べたように,我が国の経済構造を国際協調型に変えていくためにも,その重要さが強調されなければならない。
他方,対外資産の貯蓄は,現在の対外購買力を将来のために蓄積することにほかならない。「昭和60年度年次経済報告」に述べたような,今後の人口の高齢化という観点からも,また,第2章で述べた我が国産業・貿易構造の発展段階からみても,現在の我が国の経常収支黒字構造は長期的にみれば過渡的な性格の強いものである可能性がある。また,災害のような不測の事態の発生もあり得ないことではない。したがって,国内物的資産の蓄積が将来にわたる生活の一層の充実のために行われるように,対外資産,とくに流動性の高い対外金融資産を蓄積し,それから収益を得るとともに,不測の事態が発生した場合も含め経常収支に問題が出た時に取り崩せるようにしておくことも,その重要性が評価されなければならない。このためにも,対外金融資産のリスクが適切にコントロールされていること,また,安定的な国際金融市場が常に存在することが重要である。こうした点を第4節で述べている。