昭和61年
年次経済報告
国際的調和をめざす日本経済
昭和61年8月15日
経済企画庁
第1章 円高下の日本経済
円高,原油安という60年度にもたらされた大きな変化は,交易条件の改善によって,我が国需要の構造を中期的には外需から内需ヘシフトさせるという変化をもたらすと考えられるが,こうした効果が現れるにはタイムラグが伴うこと,企業が支出の転換に対応するのに調整コストを伴うこと等から,短期的・過渡的には,貿易数量変化によるマイナス効果が現れる可能性がある。
本節では,円高,原油安が国内経済に与える様々な影響とそれに対する対策について述べる。
円高が国内経済に与える主要な影響としては,①貿易数量の変化に伴うデフレ効果と②交易条件の改善に伴う実質所得の増加効果の二つを挙げることができるが,ここでは輸出数量の減少,輸入数量の増加に伴うデフレ効果についてみることとし,後者については次の2においてみよう。
(円高の貿易数量調整効果)
一般に,円高はドル建て輸出価格の上昇を通じて輸出数量を減少させる効果を持つと考えられるが,その程度は円レートの上昇に伴う輸出価格の上昇率や,輸出数量の価格弾性値等に依存することになる。前節でみたように今回の円高局面においては,為替レート上昇分の約5割がドル建て輸出価格に転嫁されているが,こうした価格の上昇に伴い輸出数量は減少し,一方円建て輸入価格の下落に伴い輸入数量は増加すると考えられる。円高の輸出に対する効果は,円高により内外相対価格が輸出に不利化することから生じる輸出数量の直接的な減少に主として依存するが,円高により国内価格が下落することによって,内外相対価格が輸出にやや有利化することから輸出が若干増加する間接的な効果も考慮すべきである。相対価格要因に卸売物価の相対比価と為替レートを用いた輸出数量関数等によって円高の数量効果を試算してみると,他の条件に変化がなければ,10%の円高(実効レート・ベース)によって輸出数量は直接的には7.6%程度減少する計算になるが,国内物価の下落を考慮すれば,6.6%程度の減少と試算される(付注1-4参照)。
しかしドル建て輸出価格がすぐには変化しないことや,各種の調整に要する時間の遅れ等が存在することから,こうした影響が出尽くすまでには,一定の期間を要すると考えられる。輸出数量に対する効果が現れるまでの期間がどれほどになるかは,契約の更新がどれほど速やかに行われるのかという価格面の遅れのほか,①運搬・流通等の配送上の調整,②需要動向に応じた在庫調整,③企業の全体的な経営計画からみた生産調整などの遅れにも依存し,一概には言えないが,輸出数量関数によって試算すると,円高とともに輸出数量減少の効果が出始め,次第にその効果が強まり,最終的に出尽くすまでの期間はおよそ1年から1年半程度となっている。
こうした動きを実質GNPの構成要素としての輸出入の動きでみてみよう。
実質輸出等は60年7~9月期以降前期比減少に転じており,実質輸入等も弱含みで推移しているものの,実質経常海外余剰のGNPに対する増加寄与度を前年同期比によってみると,60年4~6月期,7~9月期には1.5%,10~12月期は0.2%の増加要因になったが,61年1~3月期には,マイナスO3%と減少要因になった。このことは輸出入等の動きが国内経済にとってマイナス的に作用するようになったことを意味する。こうした動きには為替レート以外の要因も影響していることには注意する必要があるが,円高の貿易数量調整効果が次第に現れ始めているものと考えることができよう。
(円高の中期的影響)
我が国の輸出財産業と考えられる製造業の資本コスト,賃金をアメリカと比較してみると,1980年代前半におけるドル高・円安局面において,日本の資本コストはアメリカと余り変わらない一方,賃金はアメリカに比べ,特に安いという状況が生み出されてきたことが分かる(第1-19図)。これは,資本については国際的な移動が可能であることから,資本の要素価格は国際的に均等化する力が働く一方,労働は移動しにくいこと等もあり,必ずしも均等化しないためと考えられる。
円高は,輸出関連企業の賃金等を含む労働コストをドル建てでみて引き上げ,より国際的に均等化させる働きをすると考えることができよう。
これに対し,一般的には,個別の輸出関連企業や輸入品と競争している企業は,価格競争力を維持しようとして,まず,既存の設備等を所与とした場合,労働コストを引き下げるという対応が考えられる。また,更に,資金余力のある企業は,合理化設備投資等を通じて労働生産性を上げることが考えられるが,これも輸出関連企業等での労働需要にマイナスの影響を及ぼし,労働需給の緩和を通じて労働コストを低下させるよう作用する。しかし,これらの部門での労働コストの抑制は,再び我が国の輸出関連産業等の労働コストを国際的にみて低め,一層の円高による調整を招く可能性がある。
以上のように中期的にみて,輸出関連産業や輸入品と競争している企業のすべてが労働コストを圧縮し,価格競争力を持ち続けようとすることは困難である。このため,円高の結果,価格競争力を失う限界的な輸出関連産業等については,内需拡大を図っていく中で,内需関連産業等への事業・雇用転換が考えられなくてはならない。
そこで,こうした観点からみると,円高に対する中期的対応策は,次のようになるだろう。第1は,輸出関連産業のドル建て労働コストは上昇せざるを得ず,価格競争力の減退は避けられないとの認識の下に産業構造の転換を促し,その際雇用訓練等,雇用転換の円滑化のための環境整備を図ることである。
第2は,円高・原油価格低下のメリットを,広く国民に均霑させること等によって,これに見合った新しい価格体系を定着させることである。これによって,家計の消費が増大し,新たな産業構造に見合った内需の拡大に資すると考えることができる。
次に,円高が国内経済に与えるもう一つの主要な影響として交易条件の改善による実質所得の増加効果についてみよう。交易条件の改善が実質所得の増加をもたらすのは,交易条件の改善によって輸出財1単位と交換できる輸入財の量を増やすことができるため,実質的な購買力が増加するからである。この効果は,例えば輸入原材料コストの低下が生産物価格の低下を通じて家計の実質所得を引き上げたり,輸入最終財の価格を直接低下させることによって企業や家計の購買力を引き上げたりすることなど多様なルートを通じて現れる。
(52,53年度の円高局面の経験)
前回の円高局面における我が国経済の状況を振り返り,交易条件改善の効果がどのように現れたかみてみよう。52,53年度の我が国経済は,第一次石油危機から4年を経て,第1次石油危機前後の内外経済環境の変化によってもたらされたインフレ,不況,国際収支赤字のいわゆるトリレンマからの脱却を終え,国際収支の不均衡が解消に向かう中で,内需主導型の成長を遂げた時期であった。この時期の円レートの動向をみると,52年1月から53年11月のアメリカのドル防衛策の発表による円安への転換まではほぼ一貫して円高が進行した。
まず物価情勢をみると,卸売物価は52年度の0.4%の上昇の後,円高等の海外要因を主因として53年度は2.3%の下落と一層の落ち着きを示した。また,消費者物価も,52年度の6.7%上昇の後,53年度は3.4%の上昇にとどまり,一層の落ち着きをみせた。こうした中で経済成長率は52年度5.3%,53年度5.2%と同程度となったが,急速な円レートの上昇による輸出数量減等によって,外需(経常海外余剰)は53年度に入ると国民総支出の伸びに対してマイナスの寄与となった(52年度0.8%,53年度-1.9%)が,それに対して,国内需要は52年度から53年度にかけてプラスの寄与を高め(52年度4.5%,53年度7.1%),内需中心の成長が実現した。以下では国内需要が大きく伸びた要因についてやや詳しくみてみよう。
まず第1は,民間最終消費支出が52年度の4.2%増から53年度の6.2%増へと伸びを高めたことである。この要因の大きなものとして耐久消費財支出の急増が挙げられる。これは,過去のストックの更新というストック調整要因に加え,第1次石油危機に際しての激しいインフレ,雇用不安等のため消費を手控えていた消費者が,消費者物価の落ち着きによる実質購買力の上昇等によって消費に向かったためであると考えられる。
第2は,民間設備投資が52年度は0.8%増と微増にとどまったが,53年度に入ると電力等の非製造業を中心に9.0%増と高い伸びとなったことである。
これには,52年度は上期,下期とも足踏みを余儀なくされた企業収益が,国内需要の拡大を反映して売上数量が着実な伸びを続けたことや,円高による原料価格の低下によって53年度にはかなり目立って改善したことが寄与した。業種別にみると,電力業が備蓄用ウランの緊急輸入等の特殊要因もあって大幅に伸びたことに加え,公共事業の大幅な増加に誘発されて建設業や運輸業等における投資がかなり増加したこと,個人消費の堅調やサービス需要の多様化を背景に小売やサービスなど,個人消費関連の設備投資が拡大を続けたこと等非製造業設備投資の伸びが高かった。これに加えて,減少を続けてきた製造業の投資がようやく下げ止まり,年度下期には緩やかながら増加に転じたこともプラスに働いた。
第3に,財政政策の寄与が大きかったことも忘れてはならない。すなわち,52年度は当初から財政支出を通じた積極的な景気浮揚が図られ,年度中には公共事業等の追加等を内容とする二度の補正予算が編成された。53年度にも,厳しい財政事情の下であえて臨時異例の大型予算が編成されるとともに,10月には公共事業等を主内容とする53年度補正予算が編成された。この結果として,GNPベースの実質公的固定資本形成は,52年度,53年度でそれぞれ前年度比14.7%増,13.4%増の高い伸びとなっている。ただし,この間の積極的な財政政策は一方において景気浮揚をもたらしたものの,他方では財政の赤字幅拡大を加速することとなった。
以上でみたように,円高によって外需は成長への寄与を低めたが,そのかわり国内需要が盛り上がったため,結果として景気は着実な拡大を続けることができたものと考えられる。もちろん,景気が拡大を続けたことには,52年末までに在庫調整が終了していたことに加え,52年には輸出がアメリカ向けを中心として好調だったことにも留意する必要がある。
これまでみたように,52,53年度の円高は,我が国経済に対し①物価の安定に寄与し,実質可処分所得の上昇によって個人消費の堅調な伸びに貢献したこと,②輸入価格の低下による輸入原材料コストの低下によって企業収益の改善に寄与し,それが民間設備投資の増加に結びついたこと,③国際収支面では,外需を減少させるとともに,交易条件の改善によって民間設備投資,個人消費等の国内需要の拡大をもたらし,経常収支の均衡化に寄与したこと,等の影響を及ぼしたと考えられる。
(円高・原油安による交易条件の改善)
以上のように,52,53年度の円高局面では交易条件の改善が支出の拡大に大きな役割を果たした。今回の円高局面でもこうした効果が現れることが期待される。そこで今回の円高局面において,円高に伴う輸出入価格の変動に伴い交易条件がどの程度改善したかについてみておこう。一般に為替レートの上昇は交易条件の改善をもたらすと考えられるが,改善の程度は,為替レートの上昇分のどの程度をドル建て輸出価格に転嫁できるか,また,その時々の国際商品市況等により円建て輸入価格の低下がどの程度実現するかに依存して決まる。
既に第2節でみたように前回の円高局面では,円建て輸入価格は海外市況の上昇から為替レート上昇分の8割程度の低下実現率に止まったものの,輸出の円建て価格も円高分の7割がドル建て輸出価格に転嫁されたため,その低下幅は円高分の3割に止まり,この結果,交易条件はある程度改善した。これに対し今回の円高局面においては,円高分のドル建て輸出価格への転嫁は,61年3月時点では5割程度に止まっている。しかし海外商品市況が低迷を続けていることから円建て輸入価格の低下実現率が10割を超えており,やはり交易条件は改善している。しかも,今後原油価格下落の影響が現れてくると期待されることから,より一層交易条件が改善することが見込まれる。このように前回,今回いずれの円高局面においても,交易条件はある程度改善しているが,その態様は大きく異なっている。すなわち今回の円高局面は,輸出面での転嫁が余り進まず価格変化による受取減が大きいのに対し,円高と原油価格下落が同時に進行したことから輸入面に大きな価格変化による支払減が生じており,前回と比べ支払減と受取減の偏在が著しいのが特徴である。今回の円高局面における支払減,受取減の偏在は業種別の収益動向に複雑な影響を与えることになろうが,この点については項を改めて分析する。
(交易条件改善による実質所得増加効果)
以上のように今回の円高局面においても交易条件は改善しているが,その効果をみるため,交易条件改善による実質所得の増加額が実質GNPに占める割合を試算してみよう(第1-20図)。これよれば,第1次石油危機,第2次石油危機のいずれの時期においても,原油価格の急上昇等による交易条件の悪化によって各四半期ごとに対実質GNP比1~2%の実質所得の低下が起こっていたことが分かる。それに対して52,53年度の円高局面には逆に0.2~0.4%の実質所得増加効果があったことが示されている。今回の円高局面でも,実質所得増加効果は60年1~3月期から次第にプラス幅を高めており,61年1~3月期には0.4%となっている。
また,こうした効果を累積したものをみると,48年10~12月期,53年10~12月期から8四半期の間に,それぞれ年率で3.8%,5.7%の実質所得が低下した。これに対し,前回の52年7~9月期から5四半期の間には1.4%の,今回の60年4~6月期から61年1~3月期までの一年間においては0.8%の実質所得増加があったことが分かる。今後,原油価格低下の効果が次第に現れてくると考えられることから,実質所得の増加幅は更に拡大するものと考えられる。
こうした実質所得の増加は,タイムラグを伴いながら,支出を増加させる効果を持つと考えられる。
そこで,交易条件の改善が支出に与える効果について,多変量時系列モデルを用いて分析してみよう。交易条件,実質国内企業需要と実質国内家計需要,実質外需,国内民需デフレーターの5変数の自己回帰モデルを42年1~3月期から61年1~3月期のデータで計測した上で,交易条件の対前年同期比1%の上昇(改善)が各変数に与える影響をシミュレートしたのが第1-21図である。これによれば,交易条件が独立に1%改善した場合には,①当初国内民需デフレーターが低下し,実質外需が減少するのに対し,実質国内需要は増加するこxと,②実質国内家計需要は当初より回復し,長期にわたって増加を続け,実質国内企業需要は実質国内家計需要に比べると回復は遅れるものの,次第に増加に向かうこと等が分かる。
このように,交易条件の改善は,実質外需の減少を招くものの,中期的には実質国内民間需要を拡大する効果を持つことから,中長期的には我が国が当面している対外不均衡の改善に役立つことが分かる。
円高・原油安に伴う交易条件改善のメリットを実際の支出増加に結び付けるために何よりも重要なことは,国内物価の一層の安定を達成することにある。
これによって円高・原油安のメリットを広く最終需要者に均霑することが可能になるからである。こうした観点に立って以下では円高・原油安が60年度の物価情勢に及ぼした影響についてみよう。
(安定続く物価情勢)
円高,原油価格の低下の中で,物価は極めて安定した状態にある。
総合卸売物価は,58,59年度ともに安定した状態を続けていたが,60年度に入っても4~6月期以降4四半期連続して前期比下落を続け,7~9月期以降は前年度水準を下回って推移し,60年度では2.9%の下落となった。
その内訳をみると,国内卸売物価は,円高の進展や海外一次産品市況の低迷による石油製品,非鉄金属の下落,及び半導体市況の低迷による電気機器の下落等から,前年度比では1.5%の下落となった。輸入物価は,円高の急速な進展により下期以降,下落率を拡大し,61年には原油価格の下落が加わったことから更に大幅な下落となり,60年度では8.7%の下落となった。一方,輸出物価については,円高の進展に従い下落を続け,10~12月期には円高の急速な進展により前期比6.8%と下落率を拡大したが,61年1~3月期には輸送用機器,電気機器をはじめとして円高調整値上げが行われたことから,前期比3.7%へ下落率が縮小し,60年度では6.1%の下落となった。
こうした卸売物価の動向を反映して消費者物価も落ち着いた動きを続けており,60年度平均は前年度比1.9%の上昇となった。その内訳を商品,サービス別にみると,商品は1.1%の上昇と前年度(1.6%の上昇)を下回ったのに対し,サービスは3.3%と前年度と同じ上昇率となった。
(円高,原油価格下落の波及)
以上のように総合卸売物価の安定には円高,原油価格の低下が大きな影響を与えているが,為替レートの変化が総合卸売物価へ及ぼす直接効果をみると(第1-22図),円高の進展が60年4~6月期以降連続して総合卸売物価が前期比下落を続けたことに大きく寄与したことが分かる。さらに,その他要因も60年度を通じて低下要因として寄与し,特に,61年1~3月期には原油価格の低下もあって,その寄与が拡大している。これに対し前回の円高局面(53年度)においては,為替要因自体は低下に寄与していたが,その他要因が上昇に寄与した点が,今回とは対照的である。
こうした円高,原油価格の低下は第一次的には輸入物価の下落に反映されるが,これが国内物価に波及する経路としては,①輸入素原料価格の下落によるコスト低下が中間財,最終財へと順次波及していく経路,②輸入品価格の下落とそれを通じて国内競合財の価格を低下させる経路の二つが考えられる。そこで第1の経路を通じる効果について産業連関表を用いて試算した国内卸売物価(理論値)を現実の国内卸売物価(現実値)と対比させてみよう(第1-23図,付注1-5)。
参照)。なお,この試算は55年の産業構造を前提としていること,瞬時に全ての波及が完全に行われると仮定していること,需給関係,流通コスト等を考慮していないなどの限界があることに留意する必要がある。特に商品分類別に比較する場合は,個別の需給関係が反映されていないこと等に一層の注意を払う必要がある。
まず,今回の円高局面についてみると,60年2月から9月までの緩やかな円高局面においては,むしろ現実値が理論値よりもやや上回る下落を見せており,9月以降の急速な円高局面においては現実値が理論値をやや下回る下落率を示している。他方,原油価格が大幅に下落した61年3月以降理論値と現実値に大きな乖離が生じており,原油価格下落の効果はこの段階では十分に国内卸売物価に及んでいないと言えようが,今後次第に効果が波及してくるものと期待される。
これに対し前回(53年)の円高期についてみると,現実値は理論値を下回る低下となっており,両者の乖離は今回の円高期と比べると大きなものとなっている。しかも,53年末から商品市況は非鉄金属中心に反騰し,更に53年末に第2次石油危機が起こり原油価格が急騰したこともあり,円高のコスト低下効果が一部相殺され国内卸売物価の下落は小さなものにとどまった。
商品分類別にみると,今回の円高期では,各商品とも理論値に沿った形で低下しており,特に繊維製品,非鉄金属では市況の軟化を反映して理論値よりも大幅な低下となっているのに対して,前回の円高期には市況の低迷からパルプ・紙が理論値を上回る下落となったものの,鉄鋼,窯業・土石等では商品市況が堅調に推移したことから理論値とは逆に上昇を示した。以上のように,今回の円高は世界的なディスインフレーションの流れの中でもたらされ,一次産品市況も軟調に推移していることから,円高に伴うコスト低下に加え契約通貨ベースでの輸入財価格低下もあり国内卸売物価の下落は大きなものとなっている。ただ,61年3月以降の安値原油入着に伴う原油価格低下の効果についてはまだ十分には波及していないと言える。
次に,円高,輸入価格の下落の影響がどの程度波及しているかを,需要段階別物価指数の動きによってみよう(第1-24図)。60年2月を基準とすると,61年4月までに卸売物価のうち素原材料は37.5%,中間財は8.0%,最終財は1.4%の下落をそれぞれ示している。こうした中で消費者物価も落ち着いた動きを示しており,円高,原油安の効果の波及が現れはじめている。消費者物価を構成する商品のうち約半分は工業製品であり,これらは消費財卸売物価との関連が深い。このため,素原材料卸売物価の下落が消費財を含む最終財卸売物価に波及していくにつれ,また輸入品との競合が高まるにつれ消費者物価にも一層の円高の効果が現れることが期待される。
政府としても,円高による輸入品価格下落及び原油価格下落の効果が市場メカニズムを通じて国内販売価格に適正に反映されるよう努めることが重要である。既に,主要百貨店・スーパーに対する円高活用プランの策定指導等を行っているが,こうした対応を通じて,今後とも国民が円高メリットを享受しうるような環境整備に努めていく必要がある。
経済企画庁,大蔵省,農林水産省,通商産業省「輸入消費財価格動向等調査」(61年4月30日公表)によって消費財を中心とする主要37品目の価格動向をみると,円ベースの輸入価格が下落している品目については,過半のものについてその小売価格が低下している。なお,小売価格は国内需給関係等により変化するものであり,また,在庫,流通,加工等のコストの存在,企業の販売戦略などから,円高の効果がそのまま小売価格の低下に結びつかない場合もある。
また,高級ブランド品の中には,商品差別化政策等の販売政策が採られていて関係企業の価格引下げ意欲が乏しいとみられるものがある。
このような中で,円高の効果が適切に反映されていくためには,市場における競争条件の整備が重要と考えられる。
(公共料金等の改定)
円高,原油安の効果を消費者物価に速やかに波及させるためには,公共料金等の適切な改定が必要である。
原燃料のほとんどを輸入に依存している電力,ガスについて円高の進展,原油価格の下落等により大幅な差益が見込まれることになった。こうした差益については原価主義と需要者間の公平という電力・ガス料金の決定原則に即して,料金面での還元措置という形で需要者に還元することが適切である。61年4月8日の「総合経済対策」において,電力9社及びガス大手3社の差益は需要者に暫定的料金引下げ等の形で還元することとし,その具体的方策について早急に検討を進め,6月から実施することを決定した。これを受けて関係審議会等による検討の結果,①差益の還元は61年度を対象とした応急的かつ暫定的料金引下げの形で行うこと,②還元の方法は公平の観点などから基本的には単位使用量当たりの一律料金引下げによることなどの方針が固まり,61年6月1日から料金引下げが行われた。この措置の結果還元される料金措置対応額は電力9社,ガス大手3社計で1兆859億円である。今回の値下げは61年度の全国消費者物価指数に直接,間接の影響を与えるが,このうち直接的影響は,寄与度で約0.2%程度と考えられる。今後も円高,原油安の動向を踏まえつつ,適切な対応が必要である。
また,牛肉,豚肉,乳製品などの畜産物については,その価格を安定させるために安定価格帯などの行政価格が毎年設定されているが,61年度については円高効果を含む生産費の低下などを反映して,食肉については,中心価格(安定価格帯の中心)ベースで,国内牛肉の約7割を占める乳用種牛肉については安定価格制度発足以来はじめて2.3%の引下げを行ったほか,豚肉についても7年ぶりに5.6%の引下げを行った。
乳製品については,加工原料乳の保証価格を不足払い制度(加工原料乳生産者補給金制度)発足以来はじめて2.8%引き下げたほか,製品であるバターの安定指標価格も4.0%引き下げた。
輸入牛肉については従来から畜産振興事業団の指定輸入牛肉販売店及び肉の日における特別販売が行われているが,61年5月からその小売り目安価格を市価の10~20%安から20~30%安に引き下げるとともに肉の日の拡充を図った。
また,61年のゴールデンウィーク期間に全国主要都市において,新たに牛肉の特別販売を行うビーフウィークを実施した。さらに,全国的なミートフェア・秋のビーフウィークの実施等の流通・消費対策及び畜産振興事業団の売渡予定価格の引下げ,指定輸入牛肉販売店の増加等の対策を実施することとしている。
その他の公共料金についても,円高,原油価格の低下及び物価の安定基調にかんがみ,可能な限りその引下げに努めていくとともに,引下げが困難なものについても,当該事業の収支状況等を勘案しつつ料金の長期安定,サービスの改善等を通じて円高等による差益を還元していくことが今後とも重要である。
以上のように①円高の進展に伴うコスト低下分については比較的速やかに国内卸売物価に波及しているが,原油価格低下分についてはこれからの一層の波及が期待される状況にある。②消費者物価については,円高の効果の波及が現れはじめている。さらに今後,円高,原油安の効果の一層の波及が期待されるが,公共料金の厳正なる取扱い,市場の競争条件の一層の整備とともに輸入品の価格動向に十分注意していく必要がある。こうしたことを通じて,円高,原油価格低下のメリットが広く国民に均霑されることが重要である。
円高は一般に輸出入数量及び価格の動きを通じて企業収益に影響を与え,それが設備投資,生産,雇用等に波及することが考えられる。ここではこうした影響についてみよう。まず円高は,輸出面では円ベースの輸出価格の低下を通じ,あるいはドル建て輸出価格を引き上げた場合には輸出数量の減少を通じて,円ベースの輸出手取額を減少させる。一方,輸入面では円高は円ベースの輸入コストを減少させる。また,製品の輸入数量を増加させる。さらに,輸入価格の低下を通じた製品輸入の増加は,国内生産を代替したり市況を低下させることにより企業収益に影響を与えるものと考えられる。
次に,原油価格の低下が企業収益に及ぼす影響についてみると,原油の国内供給のほとんどを輸入に依存する我が国の場合,輸入支払額の減少という大きなメリットを発生させる。
以上のように円高,原油安はメリット,デメリット両面の影響を及ぼすが,これを業種別にみると,その影響は均一に現れるわけではなく,偏在する形をとる。また,輸出採算の悪化や輸入コストの減は,輸出入関連産業のマインドに影響を与え,それが設備投資活動に影響を与えることが考えられる。
その結果円高は,生産面では輸出数量の減少が直接,間接の輸出向け生産を減少させるとともに輸入数量の増加が国内競合財の生産を減少させる。一方,円高は交易条件改善に伴う実質所得増加効果を通じて生産にプラスの影響を与える。また,これらは,設備投資,雇用にも影響するものと考えられる。
(業種別にみた収益に対する影響)
そこで円高や原油安が産業別,業種別に異なる影響を及ぼすが,この点について分析してみよう。その影響の程度は,為替レートの変動や原油価格の動きに伴い,①原材料輸入価格低下まで含めて円ベースの輸出入価格がどの程度増減するか,②輸出数量がどの程度増減するか,③輸出入産業に発生する収益増減がどの程度川上,川下部門に波及していくか,といった条件により大きく異なってくる。ここでは以上のような条件にいくつかの仮定を置いて,円高,原油安を背景とした現実の輸出入価格,数量の変化が業種別の収益にどのような影響を及ぼすかを,59年延長産業連関表を用いて検討しよう(第1-25図)。なお,この分析は,現実の価格,数量の変化を用いているため,需要動向,世界経済の拡大等の円高,原油安以外の要因が含まれていることに注意を要する。
ドル建て輸出価格は円高に対応してある程度引き上げられており,一方ドル建て輸入価格も原油安等により低下しているものがあって,我が国の交易条件は改善している。そこで,現実の輸出入価格の変化(通関輸出入価格指数の60年3月から61年4月までの変化)を用いて輸出入業者が直接に受ける収入やコストを試算したのがケースIである。この場合に,輸出入数量は不変,また収入の減少やコストの減少は川上,川下部門へ波及はしないものと仮定している。
ケースIの試算の結果をみると,当然のことながら,輸出比率の高い加工組立産業においてデメリット(輸出・生産額の減による企業収益の減少。以下,5において同じ)が,原料輸入のかなりある素材産業(除金属)については,かなりのメリット(原材料コストの減少による企業収益の増加。以下,5において同じ)が出ている。また,原料を輸入し国内で販売する石油精製や燃料の大宗を輸入に依存する電力等については,大きな円高差益がある。
現実には,ドル建て価格を引き上げれば輸出数量の減少が生じよう。そこでケースIの想定に加え,現実の輸出数量変化(通関輸出数量指数の60年4月から61年4月までの変化)も考慮に入れて試算したのがケースIIである。ここでも収入の減少やコストの減少は川上,川下部門へ波及しないものとしている。
ケースIIの試算結果によると,①金属で輸出,生産減が原料減を上回りデメリット額の方が大きくなったこと,②加工組立のマイナス額が,ケースIの約1.5倍に拡大したことが注目されるが,その他の産業については,輸出数量の変化がほとんどないことから,ケースIとほぼ同様の結果となっている。以上は,直接の輸出入者が受けるコストや収入に限った試算であるが,現実には輸入者が円高や原油安によって得る収益増加分は,市場での競争や国内取引先との価格交渉のプロセスの中で,価格の低下を通じて川下部門に波及していく。また,輸出者が被る円建て価格低下や数量減による収入減も,原材料購入量の減少や購入価格の引下げ等を通じて川上部門に波及していく。ケースIIIは,こうした波及プロセスが完了する最終状態を想定し,国内波及の効果を考慮して試算したものである。ただケースIIIの試算における輸出産業での輸出額減の波及の計測に用いたモデル(均衡産出高モデル)と,輸入産業での原材料費減の波及の計測に用いたモデル(均衡価格モデル)とは本来整合的なモデルではなく,一概に両者の結果を比較することには慎重でなければならないが,一応両者の結果を差し引きしたものを円高,原油安等のメリットとして表示している。ケースIIIの試算結果によると,加工組立のデメリットがケースIIに比し約半分に減少する一方,素材(除金属),金属等のメリットが縮小,デメリットが拡大した。また,建設・サービスでメリットがケースIIの約2.7倍に広がる一方,電力・都市ガスでは約13%に縮小し,石油製品ではメリットを全部掃き出してマイナスとなる。
第1-25②③図は,上記の分析を26の業種に分解してみたものである。この図で45゜線上はメリットとデメリットが等しいことを意味し,この線の上方に位置するほど円高,原油安のメリットが大きく,下方にあるほどデメリットが大きいことを示している。ケースIIでは,石油製品,食料品(飼料も含む),電力等において大きなメリットが生じている一方,その他の輸送機械,電気機械,一般機械,鉄鋼等において大きなデメリットが生じている。すなわち先述したとおり,輸出比率の高い産業でデメリットが大きく,輸入原材料比率が高く国内販売が中心の産業においてメリットが大きく出ている。
これに対し国内波及を考慮に入れた次にケースIIIをみると,一般機械,電気機械などの加工組立産業のデメリットがかなり縮小する一方で,川上部門の石油製品,鉄鋼,非鉄金属,繊維等のデメリットが拡大している。また,素材産業でも石油を多く消費するパルプ紙などはケースIIと同様45゜線の上方に位置し,また窯業土石は,ケースIIでは45゜線の下方であったのが,ケースIIIでは上方になった。また建設,食料品(飼料も含む)も,メリットの方がかなり大きい結果となっている。
以上,円高の企業収益に与える影響を三つのケースに分けてみてきたが,これらのケースは,いずれもコスト等の波及プロセスにつき極端な仮定を置いたものである。また,価格や数量の変化の想定値に実績値を用いているため,あくまで現時点での理論値であることに注意を要する。仮に,輸出数量の減少幅が今後拡大することになれば,企業収益面で更に厳しい状況になることもありえようし,更なる原油安の効果が浸透すればこの面からの企業収益の効果が現れよう。また,ケースI~ケースIIIのどのケースが現状に一番近いかについても,波及のラグの判断が難しく一概に言えないが,61年3月決算期についていうと円高の状態が急速に進展してからまだ6か月程度しか経っておらず,国内における波及はまだ十分に浸透していないと考えられることから,ケースIIが最も近いのではないかと考えられる。また,ケースIIIにおいては,原材料コスト低下のメリットが,産業内に止まらず最終消費財にも波及していることから,日本経済全体としてみた場合には消費者も利益を受けた形になっていることに留意が必要である。
(企業の対応)
上記のように,円高は輸出産業の収益性には厳しい影響をもたらすが,これに対して輸出関連企業はどのように対応しているであろうか。円高への企業の対応としては,①輸出価格面での対応,すなわちドル建て輸出価格の引上げ,②企業内の合理化など当面のコスト削減等の努力,国内販売の強化などがあり,また,より長期的な対応として,③販売先の国内市場への転換,④海外現地生産への移行,部品・材料の海外調達の増大なども考えられよう。ここでは主として①及び②について,61年2月に行われた当庁「昭和60年度企業行動に関するアンケート調査」(注)結果により,企業サイドから見ていこう。
まず第1に,2月時点で円高への輸出価格面での対応措置(外貨建て契約価格の引上げ,円建て契約価格の引下げ等)を採ったか,または採る予定があるか,という点については,既に採った企業は製造業全体の34%,今後採る予定の企業が29%,計63%の企業が価格面での対応措置を採るとしていた。このうち,外貨建て輸出価格については,価格を据え置く企業9%,引き上げる企業91%であるが,そのうち円高差損の一部のみカバーするところが66%,半分程度カバーするところは5%にすぎず,円高分の価格転嫁はなかなか難しいようである。一方,この調査対象製造業企業では輸出額のうち円建て契約が52%(外貨建契約48%うち米ドル建ては全体の40%)であるが,円建て契約では価格を据え置く(従って円高分だけドル価格が上がる)ところは40%にすぎず,60%は価格を引き下げるとしている。もっとも,その大部分は円高分の一部だけ引き下げるとしており,円建て手取額減少分はドル建て輸出分に比べて少ないようである。なお,これら価格面での対応措置は割合早くから採られており,外貨建て価格の引上げでは12月末までに約4割の企業が実施している。
第2に,価格面以外での企業の円高対策を同調査によってみると(第1-26図),「購入部品,原材料の単価切下げを要請する」,「生産工程の見直し,原単位の向上等」の二つが多く,これについで「為替の先物予約を行う(増加させる)」が多かった。「購入部品,原材料の単価切り下げ要請」を今後行う企業は51%に上り,とくに精密機械(68%),重電(67%),化学(64%)などで高い。「生産工程の見直し,原単位の向上」は49%で,とくに一般機械(69%),非鉄金属(68%),重電(67%)などで高い。
円高に直面して,製造業企業が設備投資を抑えるのか合理化・多角化などのための設備投資を積極的に行うのかは,今後の景気動向を占う上でも重要なポイントである。「今後」の対策のうち「設備投資計画を縮小する」とする企業は13%で,「これまで」縮小した企業割合6%に比べ上回っている。しかし一方で今後「合理化・省力化のための設備投資を強化する」企業29%,「多角化・新分野進出のための設備投資を強化する」企業13%と,生き残りのための設備投資への積極姿勢もみられる。なお,「合理化・省力化のための設備投資強化」は加工組立型業種に多いのに対し,「多角化・新分野進出のための設備投資強化」は素材型業種(造船,窯業・土石,鉄鋼など)の方が高く,素材型業種の方が相対的に多角化,新分野進出の必要性を強く感じていることがうかがわれる。
以上のように,円高に直面して輸出企業は輸出価格の引上げを図ろうとするものの円高分の大部分をカバーすることは難しく,一方でコストの切下げ努力(購入資材単価切下げ,生産工程の見直し等),為替差損を回避しようとする努力(先物予約,円建て契約への変更要請等),生き残りのための設備投資,など様々な努力を払っているということができよう。
円高が,産地及び地域の面で最も大きな影響を与えるのは,いわゆる輸出産地といわれる地域である。こうした地域又は企業は,これまでの異常なドル高の中で今日まで比較的順調な発展を遂げてきた。しかし,今回の円高の急速な進展は,前回の円高を上回り輸出産地型中小企業に対し大きな影響を及ぼしているといえよう。
(円高の輸出型産地中小企業への影響)
円高の輸出型産地中小企業への影響は,新規成約の減少,成約価格の低下,受注残の減少,資金繰りの悪化等様々の形で出てきている。中小企業庁「輸出型産地への円高影響調査」(第1回60年10月~第5回61年4月)によると,61年4月時点では55の輸出産地中35産地で新規成約がストップした企業が出ており,うち大阪の鋼索,姫路のチェーン,田辺のボタン,岡山のポリプロ花莚の4産地では,新規成約がほとんど全面ストップしている。また,4月末時点の受注残はほとんどの産地で適正とされる水準を下回っており,44産地で適正水準を50%以上下回っている。また価格面をみてもかなり多くの産地で新規成約価格が前年同月を10%以上下回っており,栃尾の合繊織物,東京のシガレットライター,西脇の綿織物等16産地については新規成約価格が前年同月を20%以上下回っている。経常利益の今後の見通しについて(61年度上半期),170円/ドルで推移した場合及び160円/ドルで推移した場合の2ケースについてみると,170円/ドルでは北海道の合単板,大阪の鋼索,田辺のボタン等13産地でほとんどの企業が赤字となるとしており,160円ではこれが20産地に拡大するとされている。
(雇用面への影響)
当庁が61年1月の中旬から下旬にかけて主要な輸出型産地について面接調査をした結果(「円高の主要輸出型産地への影響」調査報告)によると,円高に対する雇用面の対応としては,①パート化を積極的に進める(大阪の自転車,人造真珠,作業工具),②新規採用の手控え(新潟の金属ハウスウェア,鳥取の缶詰),③人員削減(愛知,岐阜の陶磁器,兵庫の三木金物)などがみられる。
また,労働省が61年4月末から5月初めにかけて輸出比率の高い業種の集積する40産地について実施したヒアリング結果をみると,16地域で円高に関連して既に一時休業,解雇といった雇用調整が実施されている。その内容をみると,3分の1の産地で一時休業が実施されており,また多くの産地で解雇者が発生している。残りの24地域では,現在までのところ,目立った雇用調整はみられないものの,そのうち17地域については,今後新規成約,受注の減少といった状況が続けば雇用にも影響が及ぶとみられており先行き懸念が強まっているとされている。
(輸出産地型中小企業の対応)
次に,円高の進展の中で輸出産地中小企業がどのような対応を採ろうとしているのかを前記の経済企画庁調査報告によって,当面の対応策と中長期的な対策に分けてみてみよう。当面の対策としては,輸出面では円建て価格の値引き,外貨建て価格の引上げ(神奈川のスカーフ等),新製品による適正価格の設定(東京の玩具)などで対応するとしている。また,為替リスクについては為替予約の徹底(新潟の金属ハウスウェア等)と円建て契約の増加(大阪の人造真珠,作業工具等),資金面については国,自治体の特別融資制度の活用を図るとしている。次に,コスト削減・合理化については,多くの産地で生産性の向上を挙げており,また,雇用面については,パート化(大阪の自転車,人造真珠等),人員削減(愛知,岐阜の陶磁器),新規採用の手控えなど(鳥取の缶詰め等)で対応するところが多い。設備投資については,総じて消極的であり,過剰設備の廃棄・削減を挙げているところもある(福島,石川,福井の織物等)。
中長期的な対応としては,製品の高付加価値化,高級化,新製品の開発,内需,海外新市場の開拓,さらには多角化・事業転換などが挙げられている。まず,製品の高付加価値化・高級化については,ほとんどの産地で重要とされており,特に多品種少量生産への対応(岐阜の刃物,陶磁器等),自主ブランドの開発(新潟の作業工具等)などが課題とされている。コストダウンについては,省力化・合理化機械の導入などによる生産性向上(東京の双眼鏡等)を図るとしている。新製品開発については,市場ニ-ズに対応したデザインの開発,新素材への対応(福井の眼鏡等)が言われている。国内市場の開拓については,困難とするところが多いが,見本市,展覧会などによる市場開拓が図られている(新潟の金属洋食器等)。海外新市場開拓については,共産圏への進出を図ろうとしている産地(大阪の作業工具等)があるほか,多くの産地で海外見本市等を通じた市場開拓を進めている。多角化・事業転換については,多くの産地で必要性は認めるものの,資金力の乏しい小規模企業が多いことなどから容易ではないとしている(愛知の陶磁器等)。また,海外生産についても,多くの産地で「資金力が乏しい」あるいは「リスクが大きい」として消極的である。
産地としては製品差別化に努めるとともに内需向けへの転換を急ぐ必要がある。前回の円高時に比べ,合理化余地等に乏しく,内需の伸びも緩やかな中で,資金,人材等の経営資源面で大企業に比し制約の多い中小企業が今後「事業転換・事業多角化」,「製品の高級化・高付加価値化」,「新製品の開発」という新たなる分野への進出を行うことは容易ではない。しかし,円高への対応は避けて通れない道であり,積極的な対応が望まれるところである。
為替相場は各国経済のファンダメンタルズを反映した形で原則として市場によって決定されるべきものであるが,今回の円相場の上昇のように為替相場の変動が急激かつ大幅な場合には,円高のデメリットが早く出るとともに,国内の輸出関連産業,産地に大きな困難をもたらすことになり,政府としても対応が求められる。
これに対する対策としては,為替相場の安定に努める一方,国内産業が為替相場の変動に対応して円滑な調整ができるよう環境整備を行いつつ,産業構造の内需志向型又は国際協調型への転換を図ることが求められる。
(産業構造の転換)
円高に対して,我が国経済に求められる中期的な対応については,第2章で詳しく論じることとするが,企業としては,事業転換等新たな方向についての模策が必要であり,また,政策的にも,内需拡大による経済の拡大均衡を図りつつ,産業構造の内需志向型又は,国際協調型への転換を図ることが基本である。しかし,こうした構造転換には時間を要することも事実であり,円滑な調整のためには急速な円高のもたらすマイナス効果を一時的に和らげるという視点も必要である。
(内需拡大策)
政府は,内需を中心とした景気の持続的拡大を図るため,60年10月及び12月の2度にわたり「内需拡大に関する対策」を決定したが,61年4月8日にはさらに,内需を中心とした景気の維持・拡大を確実なものとするため,「総合経済対策」を決定した。この対策は,引き続き適切かつ機動的な財政・金融政策の運営を図るとともに,円高及び原油価格低下によるメリットを経済の各方面へ浸透させることにより,我が国経済全体に均霑させ,また,規制緩和等による民間経済の活力ある展開のための環境整備を一層進めていくとともに,住宅建設の促進を図り,さらに,中小企業等が厳しい国際経済環境の変化に積極的に対応しうるよう環境整備を進めることをねらったものである。さらに,5月30田には,これに加え「当面の経済対策」として中小企業対策,雇用対策,円高差益還元策等を決定した。このうち,雇用対策については,第4節「3.雇用と労働時間の動向」で記述しており,円高等の差益還元策については本節「3.物価への影響と対策」で既に述べたところであるので,以下では中小企業の環境整備についてみよう。
(中小企業の環境整備)
中小企業の環境整備については,60年12月2日からとりあえずの緊急対策として特別融資制度の創設(貸付金利:6.8%-61年1月20日に5.5%に引き下げ,貸付規模:1000億円程度)等からなる中小企業特別調整対策を実施した。61年に入ってからは,事業転換(注)の円滑化を図るとともに,あわせて緊急の経営危機を回避することにより中小企業者が国際経済環境の変化等に適応できるようにするための対策を盛り込んだ「特定中小企業者事業転換対策等臨時措置法」が2月15日成立(2月25日施行)した。また,同法に基づく業種指定に伴い,従前の特別融資制度を拡充した「中小企業国際経済調整対策等特別貸付制度」(貸付金利5.5%,貸付規模3,000億円程度)を3月4日付けで創設した後,上述の経済対策を受けて4月8日,6月2日の二度にわたり貸付金利を引き下げた(事業転換資金:5.0%→4.85%,経営調整資金:5.3%→5.0%)
こうした中小企業の環境整備に関する諸措置に対し,諸外国とりわけアメリカから,①輸出業者に対する補助を行うことにより,輸出競争力の回復を図ろうとするものではないか,②その結果円高にもかかワらず日本の対米輸出は減少に向かわないのではないか,との指摘がなされるとともに,かかる問題意識から日本はガット16条の規定に基づき,措置内容をガットに通報すべきであるとの注意喚起が行われた。
中小企業は,我が国経済社会に大きな比重を占め,その経営の安定は我が国経済社会の健全な発展にとって不可欠であるが,一方,大企業に比べ信用力,担保力の不足,取引条件の格差等に加え,経営基盤も弱いことから,急激な環境変化には厳しい対応を迫られる。また,政府の実施している今回の円高関連の中小企業対策は,円相場の急激な上昇により倒産の危機に陥っている中小企業者に対し,円高を所与の前提として,当面の経営危機を回避しっつ事業転換・内需転換等の企業経営の調整を円滑化することを目的としており,積極的産業調整策としてOECDのPAP(積極的調整政策)の方針にも反していないものと考えられる。なお,緊急経営安定対策については,中小企業者に対し,倒産を回避しながら事業転換・内需転換等の企業経営の調整を行っていくための余裕を与える激変緩和のための緊急避難的措置として位置づけられる。
日本政府は,こうした観点から種々の場において本措置に対する考え方を説明するとともにガット事務局にも,ガット16条に該当するものではないが,透明性の確保の観点から措置内容に関する通報を行い,諸外国の理解を深めることができた。
我が国中小企業が,今後持ち前の企業家精神を活かし,併せて以上のような対策を積極的に活用していくこと等によって,現下の円高に積極的に対応していくことが期待される。
産業構造の転換を図り,内需中心の持続的成長を定着させるためには,為替市場がファンダメンタルズを反映した形で安定することが重要である。しかし,為替相場の安定についてば,我が国の政策努力のみでは達成不可能であり,国際的な取り組みが必要である。変動相場制の下で為替相場の安定を図るためには,基本的には先進各国それぞれがインフレなき持続的成長を目指し,良好なパフォーマンスを維持することが必要であり,このためには各国間の相互理解と協調が求められる。また,市場がファンダメンタルズを反映せずに,無秩序な状況に陥った場合には,短期的乱高下を抑えるため介入を行うことも有効たりうる。
このような認識の下に85年6月及び86年4月の10か国蔵相会議並びにIMF暫定委員会では多角的サーベイランス(監視)の一般的強化が提案された。
さらに,86年5月の東京サミット(主要国首脳会議)においては,経済の基礎的諸条件をより良く反映するような為替レートの顕著な変化があったこと,協調の進展は,整然かつインフレを生じることなく為替レートの再調整と金利の低下をもたらす上で有効であったことが評価される一方,効果的な協調のための手続きの一層の強化を確実にするため,追加的な措置を講ずることが合意された。すなわち,サミット7か国の蔵相はそれぞれの国の経済目標及び見通しの整合性を検討するため,例えばGNP成長率,インフレ率等の指標を活用し,共同してその吟味を行うこととされた。また,特にSDRを構成する通貨を有する諸国(5か国)の蔵相及び中央銀行総裁による多角的な監視を強化していく上で,IMFと協力するとの82年のヴェルサイユ・サミットにおける約束をあらためて確認し,そのような監視を実施する際に,当初意図した進路より相当な乖離が生じる時は常に適切な是正措置につき了解に達するよう最善の努力を行うものとしている。また,有用であれば為替市場に介入するとの約束を再確認しつつ,是正努力は何よりも基礎となる政策要因に焦点を当てるように勧告するとともに,為替レートの安定性の向上を図ることを協調の進展を図る目的の一つとして,明示している。
我が国としては,今後こうした国際的な枠組みの中で,適切な国際通貨価値の安定をいかに図っていくかという政策課題に積極的に取り組んでいく必要がある。