昭和60年

年次経済報告

新しい成長とその課題

昭和60年8月15日

経済企画庁


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第2章 新しい成長の時代

第1節 経済成長環境の変化

世界経済は1960年代後半以降物価の上昇,成長の鈍化を経験した。さらに2度にわたる石油価格の大幅な上昇により,こうした傾向は一層激化した。70年代後半から80年代初めにかけて,インフレ抑制のためとられた強い引締め策の効果もあってインフレは鎮静に向かったものの,1930年代以来と言われる不況と失業率の高まりを経験した。

我が国もまたこの例外ではよなかった。昭和30年代から40年代前半にかけて,「投資が投資を呼ぶ」高成長,耐久消費財の急速な普及を中心とする,大量生産・大量消費の時代を迎えた。しかし,こうした時代はほぼ40年代半ばに終わり,これに代って40年代後半は資源・エネルギー制約,技術進歩要因の枯渇,貿易摩擦の強まりなどが強く意識されるようになった。そして40年代後半から50年代半ばにかけ,世界不況の影響を強く受けて景気は停滞した。

こうした困難を経て,世界経済及び我が国経済は,1980年代半ばを迎えた現在,新しい成長の姿を展望できる地点に立っている。この節では,グローバルな視点に立って,世界及び我が国の経済成長環境のここ10年余りの変化を把握し,現時点での問題点を示すこととしたい。この場合,かつて経済成長を制約すると考えられた要因として,①資源・エネルギー制約,②生産性の停滞と技術革新シーズの枯渇,③環境保護面からの制約,④公的部門の拡大による民間部門との資源の競合,⑤設備投資・消費等需要サイドの将来にわたる伸び悩み,⑥世界経済の拡大の余地の狭まりと摩擦の拡大,等が指摘されてきたが,この節では①,②,④を中心に扱い,③については①との関連で一部触れる。

また,⑤,⑥については,本章第3節で詳しくみる。また,④のうち長期的な課題については,第3章の主題となっている。

1 国際経済環境の改善

(スタグフレーションがらの脱却と残された問題)

昭和50年代は「石油危機とインフレの10年間」であった。世界経済は石油をはじめとする物価の上昇と低成長に悩まされながら,インフレとの苦しい闘いを続けてきた。

インフレの体質の定着は1960年代に遡る( 第2-1図 )。60年代は,世界経済の中心だったアメリカ経済(1960年のアメリカのGNPはOECD全体の55%を占めた。)の好況持続にリードされて,世界的にみて大きく成長率が高まった時期であった。しかし,そのアメリカでは,60年代半ばから「偉大な社会」とベトナム介入強化との両方を追求し,しかも必要な増税を行わなかったことの結果として,アメリカ経済の弱体化,インフレの加速が始まった。欧州においても,財政金融政策の失敗に加え,エスカレーション条項の採用などインフレを「内生化する」各種制度により,インフレ体質が定着した。我が国においても,60年代に低生産性上昇部門の価格が上昇する形で消費者物価が持続的に上昇するようになっていたが,70年代に入って過剰流動性の発生等から物価上昇が加速した。

こうしたインフレ体質の強まりは,また供給側での弱体化と軸を一にするものであった。とくに,アメリカ等における労働生産性の上昇率鈍化は,高い成長持続の可能性を摘み取るとともに,インフレの常態化を助長するものであった。

2回にわたる石油価格の大幅な上昇は世界的なインフレをもたらしたが,インフレ体質の定着がインフレの克服を困難なものとしていることが認識された。

すなわちインフレ体質からの脱却は,強く植えつけられたインフレ期待を解消しなければ不可能であり,インフレ期待が解消するにはインフレが鎮静しなければならないからである。物価上昇による不確実性増大は,消費の停滞をもたらすとともに,安定的な投資を阻害し,供給側の弱体化をますます助長することが広く認識された。

こうして,各国とも,まず物価上昇を止めることが最優先の政策課題と考えられ,抑制的な金融政策と財政支出の抑制が図られたため,インフレ期待の解消が遅れ賃金や物価の下方硬直性が残っている国においては,景気の後退や失業の増加という高いコストを生じることとなったが,我が国やアメリカ,西ドイツ等では明確な物価上昇率の低下となって現れ,世界的にも物価の鎮静化傾向は明らかになりつつある。

アメリカ経済が1982年末から景気上昇に転じたことにより,対米輸出の増加を主因に他国の景気も回復に転じ,世界経済は明るさを取り戻しつつある。しかし,いくつかの問題点を指摘しておく必要がある。第1に,この過程でアメリカの大幅な財政赤字による高金利からドルが著しく強くなり,経常収支の赤字が巨額となったことである。アメリカの「双子の赤字」が解消の方向に向かわないと,今の景気拡大も持続しないおそれがある。

第2に,欧州諸国を中心に供給面の改善の遅れから雇用情勢は依然として厳しく,保護主義圧力の根源となっていることである。

第3に,我が国においては経常収支黒字が巨額であり,内需中心の持続的成長を図るとともに,市場アクセスの改善,輸入の促進等に努める一方,アメリカのドル高是正を求める必要がある。

第4に,債務累積問題は一応鎮静をみているが,基本的に解決されたわけではなく,その解決のためには,まず債務国自身が厳しい自助努力による経済調整を進めることが基本であり,また,先進国においては,インフレなき持続的成長を図りつつ,高金利を是正するとともに,債務国の輸出増大のため,保護主義を排除し,開かれた市場を維持していことが重要である。

今日,世界中でインフレ期待はかなり弱められつつあるとみられ,名目需要の増加が大部分物価の上昇に吸収されるという事態はかなり改善されたとみられる。しかしインフレ期待を正確に把握することは不可能である。特に現在のような高失業下でインフレが再燃した場合,それを抑制するための社会的コストが非常に大きいことを考えれば,インフレ再燃に十分注意を払うことは依然重要であろう。

こうした観点から,ボン・サミットではインフレなき成長及び雇用の拡大を維持するために節度ある財政金融政策の実施,市場機能の活性化などの共通の原則を合意し,それを基礎として,上記の問題等に対処するための国別の優先的な政策分野を示した。こうした各国の努力が実を結んでいけば,世界経済の明るさは今後も続いていくと期待できよう。

2 資源・エネルギー制約の克服

(先進国での石油需要と石油危機)

1960年代を中心とする高成長の中で,エネルギーの需要増加,安価な石油へのシフトの結果として石油需要が急増した。

OECD全体として,一次エネルギー需要は1960~73年の13年間に91%増加したが,その約7割は石油の供給増によりまかなわれた( 第2-2表 )。

1973年には,需要の急増の結果需給がひっ迫したことを背景に価格の急騰を生じたが,その後も供給国による人為的な供給制限さえ懸念される中で,OE CD全体としては,第2次石油危機までの6年間(73年~79年)は石油需要はなお7%程度増加した。このうち,産業用需要はやや増加したもののその伸びは著しく鈍化し,民生用その他の需要は減少しており,需要の増加はもっぱら輸送用(73年において最終需要の43%を占めていた)の増加によるものであった。このように,第2次石油危機が起こったのは世界的な石油需要の増加が背景にあったのであって偶然のことではなく,また,各国が省エネルギー努力をいかに行っても避け得なかったような必然的事態でもなかったことは,その後の推移が証明している。第2次石油危機を契機とする各国の省エネ努力と,長引いた不況の結果として,1979年以後石油需要は急激に落ち込み,OECDでは最終需要で17%減少した。

この間の石油需要減少の約2分の1は産業用需要の減少によってもたらされたものであるが,それまで大幅な伸びを続けた輸送用需要が減少に転じたことの寄与も見逃すことができない。石油の輸送用需要は現在のところ石油から他のエネルギーへの代替がほとんど効かないから,減少に転じたのは,もっぱら石油需要全体の削減が図られたことによる。(これに対し,産業用では,エネルギー投入全体の減少と石油から他のエネルギーへの代替がほぼ同程度減少に寄与した)。輸送用需要の減少のうち,大部分はアメリカでの減少によるものであり,その7割はアメリカの道路輸送用需要の減によるものである。こうして,アメリカの道路輸送用石油需要の推移は,多少誇張して言えば世界全体の石油需給,エネルギー価格の動向を左右しかねない重要性を有する。アメリカにおける石油価格の規制撤廃の効果もあって乗用車の小型化が目覚ましく進行したことを主因に,アメリカの乗用車1台当たりの燃料効率は78年から83年の間に19%向上しており(石油1ガロン当たり走行距離,連邦エネルギー省資料による),79年から81年にかけての乗用車1台当たり走行距離の減少もあって,乗用車1台当たり石油消費量は同期間に19%減少した。最近はガソリン価格の低下などから走行距離が増加に転じており,燃費の改善傾向がどこまで続くかが注目される。

(我が国の石油需要)

我が国の石油最終需要は,昭和35年にはOECD合計の3%にすぎなかったが,その後の高度成長の結果,我が国の一次エネルギー需要は48年までの間に3.7倍となり,その増加分の92%が石油でまかなわれた。この結果,48年には石油最終需要はOECD合計の11%とそのシェアを高め,石油の大量輸入国としての我が国の需要が世界需給に及ぼす影響も飛躍的に大きくなった。

第1次石油危機後は,産業用石油最終需要は伸びが止まる一方,輸送用,民生用その他は増加が続いた。そして第2次石油危機後は,産業用は54~58年の間に39%減少し,輸送用は55年に減少に転じた後,その水準で横ばいで推移している。産業用の減少には,エネルギー投入量全体の減少とともに,他のエネルギーへの代替が同程度寄与している。

第2次石油危機後,産業用の石油需要が著しい減少を示した背景には,企業による省エネ投資および代替エネルギー投資の努力があったことは言うまでもない。ここでは,エネルギーを資本,労働と同様一つの生産要素と考え,生産要素間で相対価格が変わった場合に生産要素の投入の組み合わせがどう変わるか(生産要素間の代替の弾力性)をトランス・ログ型生産関数により計測してみた( 付注2-1参照 )。 第2-3図 は,それによる三つの生産要素間の代替弾力性の経年変化をみたものである。それによると,①資本と労働の間の代替性は強く,かつ著しく安定している。②労働とエネルギーとも代替的であり,エネルギー価格が上昇するとやや代替性が強まる。③エネルギーと資本の間の関係をみると,第2次石油危機前には補完関係にあった(第1次石油危機後一時的には補完関係が弱まったものの,再び補完関係を強めた)が,55年から代替関係に変っている。これは,54年までは省エネルギーに大きな進展がなく,エネルギー投入の節約は生産水準全体の抑制によってもたらされていたのに対し,55年からは省エネルギー投資及び産業構造の変化によって大きく進展したことと符合している。ただし,ここ数年代替性は低下傾向にあり,省エネルギーの進展が緩やかになっている可能性があることを示唆している。景気の拡大もあって,産業面での石油需要がこれまでのように減少を続けることは難しくなってきているものとみられる。

(世界の石油需給)

以上,先進国の石油需要を中心にみてきたが,今後の動向を占う上で重要なのは発展途上国の動向である。自由世界の石油消費の約四分の一(1984年で24.9%)を占めるOECD以外の諸国の石油消費は,1979年以後も緩やかに増加している。しかし生産(発展途上国の)の増加の方がテンポが速いため,純輸入は減少傾向にある。短期的には,なおこうした傾向が続くとみられるが,なお,木材,わらなどのエネルギーに大幅に依存している途上国の潜在的な石油需要は大きい上,石油価格の低下で途上国の石油生産の増加テンポが鈍る可能性が大きいため,長期的には上のような傾向は逆転する可能性が少なくない。

このため,省石油,省エネルギー努力を続ける必要があろう。しかし中期的には石油の需給がひっ迫するような事態は,大きな突発的事故などがない限り起こらないとみられる。そして,こうした石油の需給緩和に対しては省エネルギー技術が大きな役割を演じ,成畏制約を緩和していることが特に強調される必要があろう。

(我が国の環境問題)

環境問題については,我が国においても40年代に危機的状況を迎え,社会問題化した。しかし,企業の公害防止努力と公害関係法制の整備により,近年は環境の状況は全般的には改善を示してきているが,大都市圏を中心に改善の遅れている分野が依然残されている。ただ,公害防止投資の全設備投資に占める比率の推移をみると,50年にピーク(17%:通商産業省「設備投資計画調査」)を示した後,50年代後半は5%程度の安定的水準で推移している。

(世界的な環境・資源問題)

石油価格の上昇に伴って,その他資源の価格も1974年,80年の2度にわたって大きく上昇し,いわゆる資源制約が大きな問題となった。特に1972年にはローマクラブ,次いで1980年にはアメリカ政府が「2000年の地球」で,全世界的な環境・資源問題を訴え,大きな影響を与えた。

現在のところ世界的な不況や産業構造の変化もあって,こうした資源制約の多くは現実化していない。もともとこの種の制約は表面化するまでかなり長期間を要するから,このことは当然とも言える。しかし,これらの報告で訴えられていた問題のうち,森林面積の減少,砂漠化による飢饉の発生など,既に深刻化している問題もある。したがって資源制約が表面化せず,むしろ当面需給の緩和さえみられるのは,やはり産業構造の変化等に加え技術革新による省資源の効果が大きいと考えられる。

例えば,銅の最も主な用途は電線としての使用であるが,光通信技術の発達により,通信用の電線は近い将来に大幅に光ファイバーによって置換されることが予想されている。こうしたこともあってマクロ的に見た銅の原単位(自由世界の銅消費量/先進国の鉱工業生産と仮定する)は低下しており,これが銅価格低迷の原因の一つとなっている。

その他の資源の中には一部の稀少金属のように,技術の発展とともに新しい需要が開拓されているものもある。しかし,大部分の一次産品については,技術進歩による省資源や,代替品の出現の効果が大きく,需給のひっ迫から価格が大幅に上昇するような状況は,当面考えられない。また供給国側の多くは,発展途上国で外貨を必要としており,価格が下落するとむしろ増産に走るものさえあることも,当面の需給が緩和基調を続けるとみられる理由である。

しかし,中長期的に見た環境・資源制約は依然なくなってはいないと考えられることは,政策の選択に際しても考慮されるべきであろう。

3 生産性・成長力と技術革新

(アメリカにおける生産性の停滞)

1970年代の世界経済の大きな問題は生産性の停滞であった。こうした状況が特に深刻であったのもアメリカである。1973~78年の実質GNP成長率は平均年2.5%にすぎず,しかもそれは労働力人口と雇用の急速な増大の結果として達成された。労働時間当たり生産量の成長トレンドは年率1%程度へと鈍化した。もっともこうした鈍化傾向は60年代後半から既に明らかにみられたものである。

政策的には,生産性の鈍化の原因として設備投資の停滞が最も重要だとされ,供給側からの対応が重視されるようになった。さらに1970年代前半の研究開発活動の停滞も鈍化の原因として重要であることが認識された。

こうした停滞は70年代後半に逆転し,1970年代後半にはアメリカの研究開発投資は盛り上っている。これが新しい技術革新の原動力となり,80年代に入ってから労働生産性を上昇させているとみられる。また規制緩和なども資本コストの引下げを通じ,設備投資を増加させる方向に作用した。

こうして,生産性の停滞と技術革新の枯渇は問題でなくなり,1980年代は新しい技術革新が投資を下支えする時代に入りつつある。

(我が国における生産性の停滞)

我が国でも,1970年代に入って労働生産性の上昇率は低下した。高度成長期の我が国の技術進歩,生産性の上昇は,①低廉・豊富な資源・エネルギーを前提とし,②海外からの導入技術を軸にして,③規模の大型化による効率性を追求する形で,達成されてきた。とくに,昭和40年代には,生産性上昇は,規模の利益を徹底的に追求することによって進められてきた。例えばエチレンプラントの場合,昭和30年代に建設されたものは10万t未満の規模であったが,40年代後半には30万t規模,50年代に入って40万tのプラントが建設されている。単位当たりエチレン生産コストは規模の拡大に伴って低下し,10万tプラントを100%稼動した時のコストと40万tプラントを60%稼動した時のコストが等しいとされている。こうして,スケールメリットがぎりぎりまで追求された。

これに対し,40年代後半以降,とくに第1次石油危機を経験してからは,①資源・エネルギーの高価格時代を迎え,また②導入技術はもとより技術革新のシーズが枯渇しつつあるとの認識がみられた。さらに,③スケールメリットが技術的にもそろそろ限界に近づいたと考えられていたところに,石油危機による需要の落ち込みと需要構造の変化に直面して,基礎素材産業を中心に規模の利益の追求が限界に達したと考えられた。

こうした技術面の成長制約要因は,エレクトロニクスを中心とする技術革新の成果が開花するに及んで相当程度克服された。その中心となるものは情報化関連技術であり,その基礎の上に高度情報社会がつくられつつあるが,その詳細は本章第3節に譲ることとし,ここでは我が国産業の技術開発努力とその成果としての経済成長力の高まりについて,マクロ経済的視点から分析する。

(我が国企業の技術開発努力)

50年代後半になって,ハイテクを中心とする技術進歩のシーズ出現に触発された企業の研究開発への人材・資金投入が活発化した。40年代からの製造業の研究開発費(実質)をみると( 第2-4図① ),研究開発への資金の投入は40年代前半に急速に伸びた後,40年代後半から50年代初にかけて停滞局面を迎えた。しかし50年代半ばから再び高い伸びを回復している。

企業の支出した研究開発費は,企業の技術知識として蓄積され,ある程度のタイムラグを置いて生産能力や付加価値を高めるように働くはずである。この考え方に基づいて企業の研究開発への資源投入を一定のタイムラグと陳腐化を前提として累積し,これを企業の技術知識ストックと考えると,これは40年代後半に成長が加速し,50年代に入ってやや伸びが鈍化したもののその後も着実に推移している( 第2-4図② )。

以上のような研究開発費の投入の動向は企業の技術力・技術開発力を決定する重要な一要因であるが,さらに従業員全体と比較してどの程度研究者を抱えているか,また技術の海外からの導入や逆に海外への技術輸出の動向なども,企業の技術力・技術開発力を総合的に判断するための要素である。そしてこれら総合力の動きは,業種によっても大きく異っているとみられる。そこで,昭和40年代後半からの業種別のこれら指標から,主成分分析により業種別に総合的指標を作り,比較した( 第2-5図 )。図のヨコ軸(第1主成分)は総合的技術開発力指標を示し,タテ軸(第2主成分)は自主開発力要因(図で上へ行くほど自主技術開発,技術供与が大きくなり,下へ行くほど技術導入依存が強くなる)を示していると考えられる。これによると,総合的技術力においては化学,電気機械,輸送機械などが高いが,多くの業種で技術力の伸びが目立ち,一般機械,鉄鋼なども伸びてきている。また自主開発要因は強まってきており,これら業種では総じて右上がりの軌跡を描いている。これに対し,繊維,パルプ・紙ではこの間大きな変化がみられず,やや停滞気味である。

(技術進歩による成長力)

こうした産業の技術開発努力は,技術進歩を通じて経済成長力を高めるように働くはずである。ここでは,CES生産関数を用いて,我が国の経済成長をもたらした要因を分析し,技術進歩が経済成長に果たした役割をみることとする。生産要素としては資本と労働を採り上げるので,技術進歩要因は全要素生産性として表される。なお,労働や資本の質の変化は考慮していないので,これらも全要素生産性の変化に含まれている。また,第1次石油危機前後を比較するため,生産関数は2期間に分けて推計した( 第2-6図 )。

この結果から,次のことが分かる。①40年代に比べ,第1次石油危機後の50年代には,技術進歩の寄与度はやや小さくなっているが,経済成長率が低下していることから,経済成長に占める技術進歩のウェイトは高まっている。②資本の寄与度は,40年代には年4~5%であったが,50年代には1%前後と小さくなっている。③労働の寄与度は,40年代,50年代を通じて小さい。以上から,50年代の経済成長の鈍化は,資本の増加率が大幅に鈍化したことの影響が大きく,その鈍化を技術進歩が補ってきたと言えよう。また,④CES生産関数中の規模パラメータをみると,第1次石油危機前の0.91から危機後の0.31へと大幅に低下しており,我が国の生産構造において,規模の経済性による効果が弱まっていることが伺われる。なお,59年には設備投資の活発化によって資本の寄与が高まっており,技術進歩要因も伸びているところから,経済成長率も高まっている。

次に,技術開発努力が特に活発に行われている製造業について,業種別に,技術進歩によって実質付加価値生産増がどの程度引き起こされているかを見よう。ここでは,技術進歩を企業の研究開発努力の蓄積された成果と考え,先に推計した技術知識ストック( 前掲第2-4図② )を陽表的に導入し,生産要素を資本,労働,技術知識ストツクとするCES生産関数の推計を行った。従って,この分析における技術進歩は技術知識ストックの生産増への寄与分のことである( )。

結果は, 第2-7図 に示されている。製造業全体をみると,技術進歩の寄与は40年代後半に高まり,50年代に入って小さくなっているものの,着実に伸びており,成長率の低下は資本の寄与の低下によるところ力状きい。加工組立型産業を素材型産業とを比べると概して加工組立型産業の方が技術進歩の寄与が大きく,とくに電気機械では高い寄与をしている。他方,素材型産業においても,化学などを中心に活発な研究開発活動が行われていることを反映して着実に推移しており,成長率低下の主因は,資本要因,すなわち資本ストックの伸びが低く,稼動率も年によっては低下したことによるものである。

以上みてきたように,我が国の経済成長は資本ストックというハード面の増加と技術知識ストックというソフト面の増加によって支えられてきており,50年代に入っての成長率の鈍化は資本の寄与低下を主因とし,ている。既にみたように産業での技術開発は50年代半ば以降再び高まりをみせており,これが最近の技術進歩の寄与を高める要因となっているが,今後我が国経済が新しい成長を遂げていく上でも,技術開発の果たす役割は大きいと言えよう。

このような技術革新の開花,資源・エネルギー制約の軽減,さらに他の制約要因の軽減などを背景に,我が国の企業経営者の中期的な期待成長率は,第1章でみたように,50年代に低下トレンドを描いてきたのに対して,最近はやや上昇に転じた可能性がある(前掲 第1-27図 )。

4 市場の復権への政策課題

(市場の復権の時代)

「新しい成長の時代」は市場の復権の時代でもある。第1に,インフレが鎮静化したことは将来見通しに対する不確実性を除去し,各経済主体は積極的な行動を強めつつある。第2に,新しい成長を支えるエレクトロニクスを中心とする技術の波は,情報のコストを著しく低下させることにより,経済主体の活動範囲を拡大し,また中小企業や個人が大企業に伍して活動できる領域を切り拓いたことにより,競争を活発化する方向に働いていると見られる。第3に,主要先進国を中心に各国政府は市場指向型の経済再活性化策をとり,それが概ね成果を挙げつつある。

こうした状況下で,我が国においても,財政の厳しい状況,内需中心の持続的成長への要請,そして長期的な経済活性化の観点から,民間活力活用問題がクローズアップされ,各種の検討が行われている。民間活力導入の考え方は,①民間事業部門等における市場・競争原理発揮のほか,②個人や家庭など個人生活面での自立・自助,③社会公益のためのボランティア活動,なども含んだ広範な概念として捉えられているが,ここでは,市場の復権による新しい成長のための環境整備という観点から,①について取り上げることとしたい。

(政府規模の拡大とその縮小努力)

1970年代を通じて各国の財政規模は大きく増大し,とくに社会保障移転,公債利子負担などの増大が目立つようになった。政府部門の規模の拡大は経済全体のパフォーマンスにもろもろの悪影響を与えているとの反省が強くなっていた。さらにこれに関連して種々の過剰な公的規制,介入が民間の活力を阻害しているとの批判も強まった。

こうしたことから,1970年代末から各国とも財政支出を削減した。とくにアメリカやイギリスでは,失業率を高める一因となっているともみなされた社会保障関係支出が厳しく削減された。こうした努力の結果,最近に至って欧州各国の財政状態についてはかなり改善がみられた国もあり,西ドイツでは減税の実施を計画するに至っている。また,各国とも種々の規制緩和を進めている。

この点については次項で述べるが,ここでは特に社会主義国の中国において著しい生産水準の上昇の原因となっていることに注目しておこう。

日本の場合,西欧諸国に比べればまだ政府規模は小さい。しかし,第3章でみるように今後高齢化の進行,年金制度の成熟化などのため,急速に政府規模が大きくなるおそれが強い。我が国の公債依存度が高いことも,当面の財政支出の負担感を弱め,支出削減を困難にさせる傾向を強めている面もあるとみられる。

こうしたことから考えると,節度ある財政政策を維持し,公共支出に対する確固たる管理を行うことが重要であろう。

(主要国の経済再活性化政策の効果)

第2次石油危機後,先進各国では,スタグフレーション体質から脱却して持続的成長の基盤を確保するための経済政策の柱として,供給面の強化を目的とした経済再活性化のための政策パッケージが相次いで導入された( 第2-8表 )。

これら規制緩和による効果をすべて定量的に捉えることは困難であるが,例えばアメリカでは,国産原油価格規制撤廃は原油生産の減少傾向を逆転させるとともに石油消費のGNP原単位を5%以上低下させたとされている。また,このほかにも,トラック輸送,金融業などでも倒産の増加等はあったものの新規参入が促進され,トラック運賃,平均の株式購入手数料などが低下した。

(1983年版アメリカ経済白書による。)さらに,規制に伴う大量の文書作成のコストが減少したと考えられる。

(我が国の経済活性化政策の課題)

我が国においても,民間活力の活用を中心として経済の再活性化を図っていく方向が取り組むべき課題とされ,検討されている。その具体的方法は,①規制の緩和・見直し,②公的事業分野への民間活力の導入,③公的部門の民間部門活動に対する補完機能の重点化,等である。

(公的規制の緩和)

公的規制は,民間企業が活動する際の制約となるものであり,その政策目的の必要性や政策手段の妥当性,競争要因を導入する可能性等について見直しを行い,必要最小限のものにとどめる必要がある。とくに,技術革新,情報化,都市化,国際化等の変化により,公的規制の必要性や妥当性が変化してきているものもあり,こうした経済社会の変化に適切に対処した見直しが必要である。

公的規制の中でも,参入,設備,数量,価格等の規制(いわゆる「経済的規制」と呼ばれることもある。)については,規制目的にも配慮しつつ経済社会の変化に適合すべく必要最小限にとどめるべきである。また,特定の事業に限らず広く社会的目的から行われる規制についても経済社会の実態変化に照らして規制目的の合理化や規制範囲・手段の妥当性等を見直し,極力合理化を図っていく必要がある。

我が国でも参入,設備,数量,価格等の規制下にある分野は経済の中でかなりの部分を占めると考えられる。法律に基づき,参入,設備,数量,価格等について何らかの事業規制が行われている分野のGNPに占めるウェイトを産業連関表により見ると,55年度で53.3%に及ぶ。この中には規制の著しく弱いものも含まれているが,さらに政府規制の強い分野のウェイトをみても25.0%となっている( 第2-9表 )。アメリカにおける規制分野のGNP比は1975年で23.7%と,我が国の規制の強い分野(50年度26.2%)とほぼ同水準にある。両国の産業構造や規制方式が異なるため,単純に比較することは必ずしも適切でないが,上記業種について現在も何らかの規制が行われていることを考慮に入れても,アメリカの現在の規制産業のGNPに占める比率は,1975年に比し低下しているものと思われる。

参入,設備,数量,価格等の規制については,自然独占規模の経済性,幼稚産業保護など,競争のみに任せては「市場の失敗」が生ずる可能性のあることが一つの重要な判断基準となっているが,経済社会の構造変化,とくに,技術革新によって従来自然独占と考えられた分野が競争的になっていくケースは多い。電気通信分野においてはこうした観点から電気通信法制の改革によって公社を民営化し,さらに民間部門の参入の途が開け,我が国経済社会の情報化の進展に大きく貢献すると期待されている。これ以外の分野においても,民間の自主的な活動に委ねた方がより適切に対応できる面が増大しており,また産業構造の変化により大きな比重を占めるに至ったこれらの分野における事業活動の活性化を進めることが,今後の経済社会の発展のため避けて通れない課題となっている。

(公的事業分野への民間活力の導入)

公共的事業分野への民間活力の導入については,①財政制約の下で,経済社会の活力を維持し,快適な国民生活を実現するための基礎となる社会資本の着実な整備を進める必要があり,その際民間活力が最大限に発揮されるよう環境を整備することが必要である。また,とくに,②国民のニーズが高度化,多様化してきており,民間企業の活力も生かしながら,重点的,効率的な整備に努めることが適当と考えられるようになったことも大きい。

ただ,民間事業主体が参加していくためには,事業の公共性と採算性の確保が不可欠であり,そのための環境整備の具体化が期待される。

(創造的技術開発と公的部門の役割)

民間部門の活力増大の観点から,公的部門による民間部門に対する助成等補完機能も,真に必要な分野に重点化していく必要がある。ここでは,その主要な例のひとつとして,技術開発分野における政府の果たすべき役割について述べる。

我が国の技術力,技術開発力については,本節で既に詳しく分析しているとおりであるが,次のような問題点がある。

第1に,技術開発の主力が開発段階に注がれ,技術水準でも欧米に比し比較的優位に立っているが,応用,基礎段階については全般的に優位に立つ部分は少なく,とくに開発リスクの大きい基礎段階では欧米に比べて立ち遅れが懸念されている。

第2に,分野別にみると,いわゆるハイテク部門の中でも,我が国の技術水準にはばらつきがみられ,エレクトロニクスにおけるIC技術の基礎的研究,バイオテクノロジーにおける遺伝子工学関連技術,新素材における構造用ファインセラミックス技術など,基礎的研究の蓄積を必要とする分野で欧米諸国に比べて立ち遅れが懸念されている。

第3に,産業別にみると,総じて対外技術への依存度がなお高い。我が国の技術貿易は,最近は輸出もかなり増加しているが,鉄鋼を除きほとんどの業種で入超となっており,対外技術への依存度がなお高い状況にある一方で,最近になってハイテク分野での国際競争激化から海外からの技術導入は次第に困難になりつつある。また基礎的段階の研究開発を含む幅広い知識の蓄積と独創的能力が必要とされるソフトウェア技術や設計技術等においては,我が国の技術は概して低いとみられる。

こうした状況にある我が国としては,創造的な基礎的段階の研究開発やそのための環境基盤整備を進めていくことの重要性がますます高まっている。しかしながら,とくに基礎的段階の研究開発の中には,資金が巨額に及ぶこと,リスクが大きいこと,リードタイムが長いこと等,民間企業では対応困難なものが少なくない。また基礎技術は民間の一企業のためだけでなく,むしろその恩恵が広く一般に及ぶと考えられること,国際的にも我が国が基礎的段階の研究開発に力を入れることは大国の義務と言えること等から,公的部門の関与が必要と考えられる。

我が国は,政府負担の研究費に占める国防研究の割合が低く,また,租税負担率や民間の活力の差異もあり,単純な比較は困難であるが,研究費総額のうち政府が支出した額の割合をみると 第2-10図 のとおりである。

こうした観点から,とくに,独創的・革新的技術シーズの創出の源泉となる基礎的研究を強化することが重要であり,また,今後の政策対応においては,以下の点に重点を置く必要がある。まず,産学官が各々の特色を生かし密接な連携の下に基礎的研究を重視し推進することである。また,将来の産業の中核を形成すると期待される分野(エレクトロニクス,バイオテクノロジー,新素材等)の技術開発を図ることである。これらに関する民間の自主的研究開発については,目的,効果等を総合的に勘案して諸施策を進めるとともに,ディレギュレーションの一環として技術開発の推進上制約となっている現行諸制度の見直し・改善に努める必要がある。また,民間部門の新しい技術開発の設備投資への体化を通じて産業構造の高度化を図る必要がある。