昭和59年
年次経済報告
新たな国際化に対応する日本経済
昭和59年8月7日
経済企画庁
第4章 進展する金融の自由化・国際化
昭和48年の変動相場制移行と,同年の第1次石油危機をきっかけとする安定成長への移行は,我が国の金融システムにおいて,市場メカニズムの働きを拡大する誘因となった(付表1参照)。まず安定成長への移行は,財政赤字を拡大し,国債の大量発行の契機となった。国債の大量発行及び残高累増は,その発行条件の弾力化や発行形態の多様化,さらには公社債流通市場の拡大を通じて,金融の自由化を促進する要因となっている。また変動相場制への移行は,介入や金融政策の有効性を高める観点からの為替管理の必要性を薄れさせ,国際的な資本取引のニーズの高まりとあいまって,徐々に国際的な資本取引の自由化を進展させた。これは金融の国際化を促進し,我が国の金融市場に対する海外市場の影響力を強めた。
さらに最近注目されている,マイクロ・エレクトロニクスと通信技術の進歩は,金融取引に要するコストや時間を今後更に大きく低下させることが見込まれている。こうした金融上の技術革新は,各金融市場ないし金融商品間の裁定を活発化し,自由化への強い圧力として働いていこう。
そこで本章を,我が国の金融の自由化・国際化が進展してきた足取りをその背景とともに概観することから始めることとしよう。
48年の第1次石油危機を一つの契機として,日本経済の高度成長の時代は終わった。安定成長経済への移行は,設備投資を中心とする法人部門の資金需要を低下させるとともに,安定成長への構造的対応の遅れた公共部門の資金需要を拡大した。第4-1図にみられるように,法人部門は49年頃までは,GNP比6~8%程度の資金不足を示していたが,50年以降は2~4%程度へと大きく資金不足を低下させた。これに対し公共部門(中央政府〔特別会計を含む〕,公社公団及び地方政府)は,49年頃まではGNP比2%程度の資金不足しか出していなかったが,その後8~10%へとその資金不足は大きく拡大した。こうしたマネー・フローの変化は,国債を中心とする既発債市場の拡大等を通して,我が国の金融システムに強いインパクトを与えた。
国債の発行額がさほど多くなかった50年頃までは,市中銀行等が引き受けた国債は,日本銀行が経済成長に伴う現金通貨需要の増大に見合って行う債券の買いオペレーション(市中からの買入れ)によってほとんど吸収されていた。ちなみに,50年末の市中保有国債は,その1年後には約90%が日本銀行によって吸収されていた。また市中銀行等の引受国債は,日本銀行のオペレーションに応ずる場合を除いて売却を制限されていたため,長期国債の市場売買高は少額にとどまり,引締め期の短期金利急騰期においても,長期国債の流通利回りは極めて安定していた(第4-2図)。
(国債流通市場の成立とその背景)
しかし国債の大量発行が続くにつれて,金融機関の国債保有高が増大したため,52年4月には銀行による発行後1年以上の特例国債の市中売却が容認されるようになった。その後52年10月には発行後1年以上の建設国債の売却が容認され,さらに売却制限期間が徐々に短縮されていった。この結果,自由金利市場である既発国債の流通市場が急拡大することになった。また既発債市場の拡大と平行して,かねてより存在していた短期の自由金利市場である債券現先市場(一定の期間後に一定の価格で買い戻すことを約束した債券の条件付売却が行われる市場)も,51年末の2兆円(残高)から53年末には4兆円へと急拡大した。これは,証券会社の既発債の在庫保有をファイナンスしたいというニーズと,企業のより有利に運用したいというニーズが合致したからである。
当時の銀行部門にとっては,企業や機関投資家等からの資金吸収手段としては,規制金利商品とごく限られた枠の中での売り現先しかなかった。このため,大口の預金がより金利の高い現先や既発債という自由金利商品ヘシフトしはじめていた。そこでこれに対応して,都市銀行の売り現先枠は53年10月より段階的に拡大された後,55年4月には撤廃された。また54年5月には自由金利商品であるCD(譲渡性預金)の取扱いが認められた。このような,現先,CD等の自由金利市場の拡大に伴い,企業の余裕資金の自由金利商品への運用も拡大してきている。
また自由金利市場の拡大につれて,それまで必ずしも市場の資金需給の変化に敏感に対応できなかったコール・手形市場の建値制が廃止される等,インターバンク市場(金融機関相互間の資金過不足を調整する市場)の金利弾力化が53~54年にかけて徐々に行われた。
国債の流通市場が拡大するにつれて,53年には日本銀行の債券オペについても,それまでの上場相場を基準とした方式から入札方式へ移行したほか,資金運用部による国債の入札売却や中期国債の公募入札発行が行われるようになった。
またこのころから,国債の発行条件も市場実勢にあわせて,より弾力的に変更されるようになった。
55年頃には,中期国債の入札発行が定着し,個人消化も進んできた。また預金と,短期の債券流通市場との間を裁定(金利の安い市場で資金を調達し,高い市場で運用することで利益を得ること)する性格を持つ中期国債ファンドが55年1月に発足し,特に57年頃からその利回りの良さと流動性の高さが注目され,急速な伸びをみせている(56年末0.6兆円→58年末4.2兆円)。こうした証券会社による,預金よりも高い利回りを提供する,投資信託形式による新金融商品の急拡大は,米国でみられたMMMF(短期金融資産投資信託)の急速な拡大と一面で相通ずるものがあるといえよう。
こうした証券会社による新金融商品の開発に対し,銀行も証券業務の拡大等によって,顧客のニーズに対応する動きをみせている。まず58年4月には,銀行の証券業務の拡大の一環として銀行の窓口でも新発長期国債等の販売(いわゆる公共債の窓口販売)がなされるようになり,同年10月には中期国債等の窓販も始まった。同年8月には預金と国債を組み合わせた,国債定期口座も発売された。さらに本年6月には,一部の銀行による,公共債のディーリング(営業として行う既発債の売買)が開始された。近い将来,50年以降大量に発行された国債が満期を迎えるため,預金と直接競合する可能性の強い期近債という自由金利商品が出回ることになれば,預金金利自由化の促進要因となろう。
国債の大量発行と並んで我が国の金利自由化を促進したのは,金融取引の国際化であった。日本経済においては戦後のIMF,GATT体制の下で国際貿易が拡大したほか,現在の債券投資などの資本取引についての自由化と比較して極めて限られたものであったが,直接投資や経常取引に関連する資本取引の自由化が進展した。こうした中で,銀行の国際業務は貿易決済のためのコルレス業務(海外の銀行と契約を結んで行う外国為替業務)や貿易金融を中心に順調な拡大を続けた。その後46年頃からは,本邦企業の海外進出ブームとなり,こうした企業の現地での資金調達のニーズを賄うため銀行の海外進出が相次いだ。この結果,邦銀の海外支店数は40年度末に52支店だったものが50年度末には101支店へど倍増した。
日本経済の国際化に伴って,内外の資本移動も拡大した。固定相場制下においてはボートフォリオ投資はかなり規制されていたが,経常取引の支払を早めたり遅らせたりする操作(いわゆるリーズ・アンド・ラグズ)によって,貿易を行う企業は国際的な資金移動の調整・操作をかなりの程度行うことができた。こうした中で,米国の景気はベトナム戦争の拡大に伴う戦費の増大などから過熱気味となり,これに伴って我が国の経常収支も昭和40年代前半から基調的な黒字を示すようになった。このため円についても,海外からの切上げ圧力が強まり,資本の流入も激化した。さらに46年8月には米国がドルの金との交換性を停止した結果,主要国の通貨はフロートに移行し,我が国も円相場を一時的にフロートさせることで対応した。同年12月には米国のスミソニアンで,新平価による固定相場制への復帰がなされたが,これも長く続かず48年春には主要通貨は変動相場制へ移行した。
(変動相場制移行と為替管理の自由化)
固定相場制下においては,IMF協定により固定平価を維持するための介入を義務付けられていたことから,経常取引や直接投資以外の資本取引は各国ともかなり厳しく規制していた。我が国では,旧外国為替管理法により資本取引は原則禁止とされていたほか,比較的規制が緩やかだった西ドイツでも,1972年以降,資本流入を規制するために外国からの借入れについては無利子の中央銀行預け金を課していた(バールデポ制度)。また英国でも,資本流出を規制するために,経常取引と資本取引で異なった為替レートを適用する二重相場制を採っていた。
さらに基軸通貨国である米国においても,ドル価値の防衛のために,1963年には資本流出に対する金利平衡税を導入していた。こうした為替管理は,固定相場を維持するだけでなく,独立した金融政策を行う上でも必要であった。これは固定相場制下で為替管理がなければ,自国の名目金利を海外と異なった水準に誘導しようとしても,たちまち大量の資本移動が発生し,巨額の介入が必要となるからである。
しかし変動相場制移行に伴い,為替管理は介入や金融政策の有効性を高める観点からの必要性が薄れ,時として対外取引を阻害するマイナス面が感じられるようになった。また変動相場制下で厳しい為替理管が行われていると,外国為替市場の需給が不均衡になった場合に民間の資金移動によってこれが十分には調整されず,為替レートの形成がゆがむ可能性があることも徐々に認識されるようになった。こうしたことから,我が国を含めて変動相場制を採用している先進主要国では,国際的な資本取引のニーズの高まりとあいまって,為替管理の自由化が進展してきた。まず海外の例をみると,1974年には米国で金利平衡税が,西ドイツでバールデポ制度がそれぞれ撤廃された。また英国では,1979年10月に為替管理が全廃された。
我が国でも,一時的な為替管理の強化はあったものの,円高期には資本流出規制が弱められ,円安期には流入規制が撤廃される形で徐々に自由化が進展してきた。すなわち52年から53年の円高期には,52年6月に居住者による短期外貨証券の取得を自由化したほか,53年4月には円を原資とする300万円までの外貨預金設定を容認した。もっとも対内投資については,極端な円高期であったこともあり,規制は一時的にはかなり強化された。すなわち52年11月には,非居住者自由円勘定に対して50%の増加額準備率が設定されたあと,53年3月にはこれが100%まで引き上げられ,事実上の付利禁止がなされた。また53年3月には,非居住者による円建債券(期間5年1か月以下,円建外債は除く)の取得が禁止された。この結果非居住者による円運用が著しく困難になり,為替管理がない場合にはほぼ一致するはずのユーロ円金利と現先金利は,52年秋から54年春にかけて大幅な乗離を示した(第4-3図)。
しかしこれらの対内投資規制は,53年秋からの円安期には緩和され,54年2月までにはすべて廃止された。また54年5月には輸入ユーザンス(輸入業者が支払う輸入代金についての銀行等からの外貨の借入れ)期間の延長,短期インパクト・ローン(使途に制限のない外貨貸付け)の解禁,非居住者による現先市場への参入解禁,非居住者も参加者とするCD市場の創設がなされ,この結果,内外の資本移動は一段と活発化した。これは,第4-3図に示されたように,それ以降ユーロ円金利と現先金利がほぼ一致していることからもうかがうことができる。さらに55年3月には,海外の公的機関の保有する自由円預金に対する金利規制が撤廃された。
こうした為替管理の緩和は,55年12月に施行された新外国為替管理法により,法的に確立された。この法律により,旧法の為替取引に対する原則禁止が原則自由に転換されたほか,新たに居住者による外貨預金および為銀からの外貨による借入れ(インパクト・ローン)が完全に自由化された。また本年4月には実需原則が撤廃され,企業等は,より弾力的な為替リスク対策を行えるようになった。
国内における外貨建金融取引は,先物為替によって為替リスクをヘッジすることにより,実質円建の金融取引どなることから,外貨建金融取引の拡大は,特に短期円金融の金利自由化を促す一つの要因となっている。すなわち,外貨預金はそれ自体では為替変動リスクがあり,円預金とは代替商品であるとはいえないが,先物契約で為替変動リスクを回避した場合には,実質的に市場金利の円預金となりうる。またインパクト・ローンについても,先物でカバーを取ることによって,実質的に市場金利の円借入れとなり,また日本銀行の窓口指導の枠外になる。もちろん,こうした取先には為替取引に伴うコストがかかるものの,ある程度以上の大口取引については取引コストが相対的に小さいので,外貨預金やインパクト・ローンの自由化は,市場金利の円預金および円借入れが自由化されたことに近い効果を持った。
(国際的資金運用・調達活動の利点)
こうしたカバー・ベースの取引と並び,先物によるカバーなしでの外貨の運用・調達もまた別に重要な意味を持つものである。円資金でしか運用・調達ができない場合に比較して,外貨による運用・調達が自由化されると,為替相場や物価などの予期せざる変動から発生するリスクをヘッジしたり,分散したりすることが可能となるばかりでなく,より高利回りでの運用ないしはより低利での調達の可能性が開けてくる。ちなみに,アメリカが新金融調節方式を採用しインフレ抑制に本腰を入れた54年第4四半期から58年第3四半期までの期間について,国際的な資金の運用・調達活動を行うことによって得られるリスクと収益の関係を推定してみると,第4-4図が得られる。すなわち,円でしか運用・調達ができない場合には,実質利回り4%,物価や金利の変動からのリスクを示す標準偏差1.7%の点しか選択できなかったのが,スイス・フランと米ドルでの運用・調達が可能になることによって,AA線上のすべての点が選択可能となる。事後的な計算ではあるが,仮に自己資金100に加え110をスイス・フランで調達し,この210の資金のうち90を米ドルで,残りの120を円で運用した場合には,標準偏差で測ったリスクは2.5%に増大するものの,為替レートと物価の変動を考慮した実質収益率は11%以上にまで向上するという計算結果が得られる。
このように,国際的な資金管理には大きなメリットの可能性がある。現に我が国の生命保険会社,簡易保険等の機関投資家は,外債投資を積極化しており,企業のスイス・フラン建転換社債による資金調達も急増してきている。こうした国際的な運用・調達のメリットは海外の機関投資家や企業にとっても言えることであり,我が国における円資金の調達や円での運用は急増を見ている。この結果,我が国の対外資産・負債残高の対GNP比率は,50年の資産12,0%,負債10.6%から58年にはそれぞれ23.1%,19.9%へと増加しており,その水準もユーロ市場のセンターであるイギリスや伝統的な資本輸出国であるスイスには遠く及ばないものの,アメリカや西ドイツに近い水準に達している(第4-5表)。
こうした国際的な金融取引の増大は,我が国の金融慣行にも大きな変革圧力となっている。例えば,最近において本邦企業による海外市場での起債が増大しており,これは基本的には金利差によるものであるが,このほか,発行にかかる慣行がより有利となっている事情も影響しているものと考えられる。
(銀行業務の国際化と円の国際化)
こうした資金の運用・調達活動という,資金の出し手ないし取り手自体の活動の国際化と同時に,本邦の銀行(以下邦銀)による国際的な信用仲介業務も進展してきた。伝統的な国内銀行業務は,国内の預金者等の資金の出し手と企業等資金の借り手の間を仲介するものであった。しかし,2度の石油危機による発展途上国の国際収支赤字をファイナンスするニーズの高まりに加え,邦銀の資金量の拡大と国内の資金需要の減少から,邦銀による海外政府等への中長期対外貸付が53年以降急増している。すなわち,50年末には89億ドルにすぎなかった邦銀の中長期対外貸付残高は,58年末には775億ドルに増大した。
このような国際証券投資や,邦銀の国際業務の拡大とともに,円の国際化(国際取引における円の使用及び保有)も徐々に進展してきた(後出第4-16表を参照)。しかし,我が国の輸出入の円建比率は58年中でそれぞれ34.5%,3%程度と,特に輸入についてはなお低いものとなっている。また各国の外貨準備に占める円のシェアは近年我が国経済に対する信認の高まり等を映じて上昇してきており各国通貨中第3位となってはいるが,57年末で3.9%とドル(71.4%),マルク(11.6%)に比較してなお相対的に低いものにとどまっている。このうち輸出入の円建比率が低いことについては,(1)我が国の輸出先の大宗はドル圏に属しており,円建取引に対する馴染みが薄いこと,(2)輸入に関しては一次産品が多いが,一次産品の取引はドル建が慣行化していること,が主因であると考えられる。また円が準備通貨としてさほど保有されていないのは,円の取引通貨化が進んでいないことに加え,円の為替レートが比較的大きな動きを示したため,海外からみた円の保有に伴うリスクが大きいと考えられていたこと等によるものであろう。なお我が国の通貨当局としては,円の国際化は避げられないと考えつつも,急激な資本取引における円の国際化は国内金融市場を混乱させる懸念もあり,自然の進展に委ねるとの態度をとってきた。
金融機関は信用の仲介と取引の決済を集中して行っているため,情報産業の側面が強い。企業の銀行口座であれば,取引先からの代金の入金情報や手形決済の管理が必要とされるほか,資金運用・調達のアドバイス等多くの情報が銀行を通じて提供される。また家計の口座であれば,給与の振り込みや公共料金,クレジット利用代金の支払等が銀行を通して行われる。このため金融機関は早くからコンピューターを導入して,事務処理の合理化と利用者の利便を図ってきた。
例として銀行のシステムをみると,40年代以降には第1次オンライン化が行われ,それまでは預金した店舗でしか引き出せなかった預金がその金融機関のどの店舗でも引き出せるようになったほか,キャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)が導入された。また50年頃からの第2次オンライン化では,各行のコンピューターのネットワーク化により,同一業態の他の銀行の店舗でも預金の引き出しができるようになったほか,ATM(現金自動受払機)の導入と機械稼働時間の延長が行われた。さらに現在進行中の第3次オンライン化では,銀行のコンピューターや家計の電話等とを直結させることによる,ファーム・バンキングやホーム・バンキングの充実・拡大等が目指され,オンライン処理による限定的な形の資金移動取引も開始されている。
アメリカでは,すでにVAN(付加価値通信網)を利用して,複数の銀行にまたがる多くの口座を同時に把握できるマルチバンク・レポートと呼ばれる資金管理システムが導入されている。また個人預金についても,MMMFでは入金は即座に利回りの良い投資信託に振り替え,出金は即座に投資信託を解約することにより,当座預金の残高を常にゼロに保つサービスが行われている。
こうしたサービスは,技術的には我が国でも可能で,すでに一部で企業と銀行のコンピューターを直結して資金の効率的運用と事務の合理化を図る資金集中サービスが実現しているほか,最近の大蔵省の調査によれば,本年中にはファーム・バンキングの急速な普及が見込まれている。ちなみにパソコンを利用したファーム・バンキングをみると,58年6月では一行も実施していなかったが,本年末には計画分を含めて47行が実施する予定となっている。また,全国に支社のある企業について,支社の口座残高を直ちに本社に集中する資金集中サービスや,決済性預金が一定残高以上になると,自動的に利回りの良い勘定に振り替える,いわゆるスイング・サービスも,一部で導入されている。今後,こうしたサービスが証券会社や金融機関において活発化するとともに,会社や家庭にいながらにして資金の運用が行えるようになると,これまでよりも小さな金利差で多額の資金移動が発生することが見込まれる。
金融の技術革新は,一般的には金融取引に要するコストと時間を低下させ,各金融機関ないし金融商品間の裁定を活発化させることにより今後ますます金利自由化を迫る圧力になると考えられる。
しかし金融の技術革新は,家計や企業の利便を大きく高める反面で,コンピューター・システムの障害による影響を拡大するほか,十分な安全対策が取られないと,システムを悪用した犯罪を招きかねない。このため,金融機関にはそのシステムの信頼性・安全性を高める努力がこれまで以上に求められる。また,これまでの紙に書かれた証票を基礎にした取引から,磁気記憶装置の上の記録による取引に変化していくため,従来の法律解釈では対応の難しい紛争が発生することが予想される。