昭和59年

年次経済報告

新たな国際化に対応する日本経済 

昭和59年8月7日

経済企画庁


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第2章 経常収支の動向とその要因

第4節 国際収支段階説と経常収支

1. 国際収支段階説

一国における国際収支構造の長期的なパターン変化を説明する仮説として,いわゆる「国際収支段階説」がある。

この段階説は,一国経済における国内貯蓄と国内投資のバランスが経済の発展段階に応じて変化していくことに着目する。この点で国際収支発展段階説は,中期的な経常収支の決定要因をより長期的な視点に立って,国内における資産,(ストック)の蓄積過程として理解しようとするものである。

この段階説の提唱者の1人として知られているクローサーによれば,一国経済はその経済の発展に応じて,対外的な債務国から債権国へ,さらには債権回収国へと六つの発展段階を経験するとされている。第2-16表は,この六つの発展段階とそれに対応する投資収益を除く「財・サービス収支」,「投資収益収支」,「経常収支」及び「長期資本収支」の動きを示している。

一国経済は,経済の発展段階の初期においては,まず資本輸入国として登場する。それは経済発展の初期には国内貯蓄が不十分で開発に必要な資本は外資に頼らざるを得ないからである。資本輸入国の長期資本収支はこの時黒字となるが,その裏返しで経常収支は赤字となる。すなわち,フローだけでなくストック(経常収支の累積和としてのネットの対外資産)でも債権国であるため,投資収益も支払い超過で赤字となるほか,投資収益を除く財・サービス収支も輸出産業の未発達から赤字となっている。

経済の発展とともに財・サービス収支はやが黒字に転ずる(債務国としては成熟段階),それが投資収益収支の赤字を上回る段階に達すると,この国の経常収支は黒字に転じ,その裏返しとして長期資本収支は純流出に転ずる。この段階でこの国はストックにおいてはなお債務国であるが,フローとしては債務返済国にならている。

次に債務がすべて返済され,その後も経常収支の黒字,すなわち長期資本収支の赤字(流出)が続くとこの国はストックでみて債権国に転じ,その結果投資収益収支が赤字から黒字に転ずる。言い換えると債務国と債権国とを分かつのは,投資収益収支である。

やがて財・サービス産業の国際競争力が衰えて財・サービス収支が赤字に転じる (債権国としては成熟段階),この財・サービス収支の赤字が投資収益収支の黒字を上回るようになると,経常収支は赤字に,すなわち長期資本収支は黒字に転ずるが,これはこの国がそれまで蓄積した債権を回収する段階に入ったことを意味している。

以上の過程を通ずるネットの対外資産の動きは,年代別の家計の資産形成の動きと類似している。すなわち,段階説は若い世代においては借金をして教育,住リカ,西ドイツ,日本宅のための投資を行うが,中年世代においては子弟のための教育や老後に備えて貯蓄を行い,老年世代においては蓄積した資産の収益および取り崩しによって生活するといった家計の貯蓄行動(ライフ・サイクル仮説)と多くの類似点を持している。

(イギリス,アメリカ,西ドイツの経験)

この「国際収支段階説」を裏付ける例として,しばしばイギリス,アメリカの歴史的な経験が引用される。例えば,ヴィクトリア王朝時代(1837~1901年)のイギリス,第1次大戦前後のアメリカでは,債務国から債権国への転換が生じている。

イギリスについては,その経常収支は1800年代の初めから黒字であったが,1851~1890年には経常収支黒字の名目GNP比率は平均3.8%と極めて大幅なものとなった。この間に貿易収支は赤字基調で推移したが,海運を中心とするサービス収支,および投資収益収支の大幅黒字がこの経常収支黒字をもたらした。こうした経常収支黒字を背景にイギリスの長期質本輸出は1800年代後半に本格化し,第1次大戦直前にピークに達した。

しかし,1920年代に入ると経常収支黒字は減少し始め,1926年には経常収支は遂に赤字化した。従って,この時期以降第2次大戦までイギリスは「債権回収国」の段階にあったことになる。

第2次大戦後には,イギリスの国際収支構造は投資収益収支の黒字を主体とした経常収支黒字を維持しており,「成熟した債権国」の特徴を備えていたところが,1970年代後半には国際競争力の低下からイギリスの経常収支は赤字に転じた。しかしその後1970年代末の北海油田の発掘から貿易収支が大幅に改善し,経常収支は,再び黒字を計上している。このことは,自然資源の発掘によって一国の国際収支構造が発展段階説と乖離した動きを示すことがありうることを示す例と言えよう。

一方,アメリカは1870年代まで「財・サービス収支」は赤字であり,経常収支も1880年代までは赤字であった。また投資収益収支が黒字化したのはようやく1910年代このとである。このことから,アメリカは1870年代以前は「未成熟の債務国」,1870年代から1890年代にかけて「成熟した債務国」であり,1890年代から1910年代にかけて「債務返済国」の段階にあったと言えよう。その後,1910年代に投資収益収支が黒字化すると共に「未成熟の債権国」に移行したと考えられる。そして,第1次大戦を境にしてアメリカはイギリスに代って世界における主要な資本ないし貯蓄供給国へと発展していったのである。

戦後においては,1960年代末には投資収益収支の黒字により経常収支の黒字を維持するという「成熟した債権国」の段階に達している。この間に,経常収支黒字の対名目GNPが大幅であったのは1911~1940年であったが,その比率は2.4%とイギリスの場合と比べて相対的に小さかった。この間のアメリカの長期質本の流出は,第1次大戦後及び第2次大戦後に政府部門の長期質本流出が大幅であったこと,また先進国向け直接投資の比率が高かったこと等の特徴があった。

さらに最近では,1982年以来アメリカの経常収支は赤字化し,1983年にはその赤字幅は408億ドル(対名目GNP比で1.2%)に達しており,84年には800億ドルに上るとの予想もなされている。ところで,83年末におけるアメリカのネットの対外質産は1,250億ドルと推定されている。こうした大幅な経常収支赤字が2年続く場合には,アメリカのネットの対外質産はマイナスとなり,アメリカは対外的な「債務国」の状況に陥ることになる。1910年代以来「倹権国」として70年にわたって蓄積して来たネットの対外質産は,アメリカ国の実質高金利とドル高等によっていまやゼロになろうとしている。

しかし,こうした国際収支構造の変化が永続的なものになるとは断定できない。それはこうした現在の大幅な経常収支赤字は,既にみたようにアメリカのドラスティックな租税政策の実施と大幅な財政赤字による実質高金利といった政策要因および他国との景気局面の相違による部分も大きいと考えられるからである。以上のイギリス,アメリカの歴史的事例に照らしてみると,以下の3つのことが言えよう。

まず第1に,両国とも戦争,自然質源の新たな発掘,税制の大幅な変更等による乖離はあるものの大まかに言って国際収支構造の段階的な発展を経験してきたことである。

第2に,両国が主要な債権国として世界に資本を供給した時期には,名目GNP比でみて2~4%ものかなり大幅の経常収支の黒字を計上したことである。

第3に,両国とも「未成熟の債権国」から「成熟した債権国」に移行するまでに約半世にわたる長い期間を要したことである。

なお,戦後の西ドイツについても「通貨改革」後の1951年を境にして,債務国から脱却し,債務返済国へと移行している。西ドイツの投資収益収支がプラスとなり,「未成熟の債権国」となるのは,1970年代に入ってからのことである。また,「未成熟の債権国」になってからの西ドイツの経常収支黒字は石油危機の影響もあって,対名目GNP比では0.5%と,それ以前の時期(1.3%)を下回っている。

(日本の国際収支構造の変化)

こうした国際収支構造の長期的な変化は,日本の場合にも観察される(第2-17図)。

まず戦前については,明治維新(1868年)から1880年代にかけて財・サービス収支は赤字であり,経常収支も日清戦争 (1894~95年)及び第1次大戦の時期我が国の国際収支の長期的推移(戦後)(1914~1920年)を除くと赤字傾向で推移した。他方,投資収益収支は中国大陸への直接投資拡大もあって,同じく第1次大戦時以降黒字化している。アメリカは,国じ時期に世界における「未成熟な債権国」としての地位を築いた。日本が一時的にせよ「未成熟な債権国」としての経験としたのは,第1次大戦時の輸出ブームによるところが大きいと言えよう。

戦後においては,戦後復興期に「財・サービス収支」は赤字であり,それが黒字化するのは昭和30年以降である。さらに投資収益収支は赤字でありながらも,経常収支は昭和40年以降黒字化している。この後,投資収益収支も昭和40年代なかば以降黒字化している。こうした推移をみると,戦後日本は「債務国」から出発し,昭和40年には「債務返済国」へ,また昭和40年代なかばには「未成熟の債権国」の段階に達したとみられる。その後,既に第3節でみたように2回にわたる石油危機があり,経常収支,投資収益収支は一時赤字化したものの,危機後には経常収支,投資収益収支とも再び黒字基調を維持している。

2. 国際収支段階説の検証

これまで日本を含めた主要先進国の国際収支構造の変化が,大まかな形では国際収支段階説に対応したものであることを述べてきた。果たして発展途上国も含めた世界各国の国際収支構造が,経済発展の段階に応じた変化を示しているかを次に調べることにしよう。

まず,1970年代始め(1970~72年)と1980年代始め(1980~81年)の期間について,先進国,産油国,非産油発展途上国(各期間各々合計77カ国,65カ国)を一人当たりGNP水準,非農業部門のGDPに占める割合,出生時平均寿命,成人識字率などの指標を用いて八つのグループに分類する。さらに国際収支の段階も六つの各段階をそれぞれ二つに分け12段階とする。この経済の八つの発展段階と,国際収支の段階の並ぶ順位がどの程度の対応関係を示しているか調べると,両者の並ぶ順位には統計的にみて有意な関係がある。しかも,その有意性は,1980年代においてより明瞭である()。このことは,2回にわたる石油危機と変動相場制の採用があったにもかかわらず,国際収支段階説の想定する経済の発展段階に応じた国際収支構造の変化が緩い形ではあっても存在し続けたことを意味している。すなわち,石油価格の変動は短期的には各国の国際収支構造に対する攪乱要因となり得るが,経済の調整が進むにつれて国際収支構造は経済の発展段階に応じた正常な姿に戻ることを示唆している。

(国際収支の発展段階を生み出す要因)

このように,経済の発展段階に応じて国際収支構造の変化が生ずるのはそれぞれの国により違いはあるものの,おおむね以下の理由によると考えられる。

まず第一に,国内に実物質本の蓄積が不足している段階では,資本の限界生産力は高い。しかし,経済の発展段階が進むにつれて,資本の限界生産力は逓減してくる。これは国内における投資機会が減少し,投資性向が低下することを意味している。

第二に,国内貯蓄は経済が未発展の段階では国内の投資をまかなうには不足しており,海外からの借入れに頼ることが多い。日本は,近代化を開始して以来戦争の時期を除くと海外からの借入れに依存するところは少なかったが,現在多くの発展途上国は巨額の対外債務を抱えている。しかし,経済が発展し,所得水準が上昇するにつれて国内の貯蓄率は高まりを示す。これは,家計の貯蓄率が中高年期にピークに達することと類似した現象と言える。

第三に,一国が債務国から債権国へと転換していく主要な動機は,海外における資本の限界収益率が国内の資本の限界収益率を上回ることにある。この時,資金を国内で投資するよりも海外で運用する方が有利となるため,経済収支の黒字を通して対外資産を蓄積するようになるのである。

もとより,国内,海外への投資資金の源泉は国内貯蓄にある。国内貯蓄率の高さは人口の高齢化の程度や消費者にとっての現在の消費と将来の消費の相対的な重要性の度合いなどに依存している。将来の消費がより重視される国では,国内の貯蓄率は高くなる傾向が生じよう。国内の貯蓄率が高い国は,国内のみならず海外における有利な投資機会に資金を運用できるという意味で,債権国となるための条件を備えている。日本もまたその例外でなかったことは,第3節においても既に見たところである。

(世界の経常収支の分布)

1980年代における世界の経常収支の分布をこの「国際収支段階説」に従って分類してみると次のようなことが言える。

まず第一に,ほとんどの発展途上国は「未成熟の債務国」の段階にある。また,産油発展途上は先進資源保有国と共に「成熟した債務国」に分類される。ただ,これは特殊要因によるところもある。

第二に,「債務返済国」には石油輸出国の一部が属している。

第三に,主要先進国はほとんど,「債権国」のグループに属している。なかでも,アメリカ,スイスは「成熟した債権国」と言えよう。

従って,大局的にみれば「債権国」である主要先進国が「債務国」である発展途上国に対して貯蓄を供給することによって,発展途上国の貯蓄不足を補っている姿となっている。ところが,アメリカは既にみたごとく1982年より経常収支は大幅な赤字に陥っており,世界の経常収支の分布パターンに大きな影響を与えている。

2回にわたる石油危機にも世界の経常収支分布の大きな変化が生じた。この時は石油輸入国のOPEC向け輸出の増加,オイルマネーの円滑な還流等から,経常収支分布の変化は景気回復への大きな障害とはならなかった。しかし,今回の場合,各国ともアメリカ向け輸出の増大によって,当面国内景気回復の傾向が生じている反面,アメリカの国内投資超過傾向が強いこともあって世界の実質金利は高止まりしており,それが世界経済の持続的発展に対する1つの大きな制約要因となっている。

3. 貯蓄率・投資率の今後の動向と我が国の役割

我が国は,現在「未成熟の債権国」という発展段階にあり,中長期的な要因に基づくかなりの経常収支黒字を生み出している。今後我が国が対外資産の蓄積を通じて更に「成熟した債権国」への道を歩んでいくにしても,その過程で我が国は世界経済の発展に対しどのような役割を果たすべきなのか,それを探るためには,まず国内の貯蓄率,投資率の今後の動向を考えてみなければならない。

(家計貯蓄率の長期的動向)

まず,貯蓄率については(1)戦後みられている人口構成の高齢化と(),公的年金制度の成熟化に伴い中長期的に低下を示していく可能性があるものとみられる。人口の高齢化は,出生率の低下と死亡率の改善の双方の要因で進展する。前者は,子弟の扶養・教育のための貯蓄動機を弱めるため,家計の貯蓄率を低下させ,後者は,貯蓄率の低い高齢者を増加させる面では,貯蓄率を低下させるよう作用するが,他方老後のための貯蓄動機を強めるため家計の貯蓄率を高めるよう作用する。ここで人口の高齢化がどの程度家計の貯蓄率の低下の要因となっているかをみたものが第2-18表である。

まず,我が国においても,世帯主年齢階層別の貯蓄率をみると,29歳以下の層,及び60歳以上の層で貯蓄率は低く,中高年層で高いという傾向がある。このことは,各年齢階層の貯蓄率が不変である限り全世帯主数に占める老年齢層の割合が高まるにつれて,家計の貯蓄率は低下することを意味している。ちなみに60歳以上の世帯主の占める割合は,昭和58年の20.2%から,75年には29.6%まで高まると予想される(厚生省人口問題研究所の推計に基づく内国調査第一課試算)。こうした人口の高齢化の家計の貯蓄額への影響を世帯の年齢構成が5年前と変化しなかった場合との比較によって試算すると,年齢階層別貯蓄率が不変と仮定すれば,昭和75年にかけて,貯蓄額は,高齢化によりある程度低下することが分かる(第2-18表,特に(4)及び(4)′行参照)。

過去の動きをみると40年から45年にかけて年齢分布不変の場合と比べて家計の貯蓄額は5%強低下した。これは戦後のベビー・ブームの影響から昭和40年代前半に29歳以下の若年世帯主の占める割合が急増したためである。その後昭和55年までは,中高年層世帯の増加と老齢層世帯の増加の影響が相殺し合って世帯の年齢構成の変化は家計の貯蓄額をほとんど変化させなかった。

一方,特定の年齢層の世帯が増加すると,その層の労働供給が相対的に増加することから,年齢階層別の労働需給が各年齢階層の賃金決定に影響を与える限り,その層の相対的な平均所得水準が低下する。この特定層の相対的な平均所得水準の変化もまた家計の貯蓄額に影響を与える。

そこで世帯主の年齢分布に加え,年齢別の所得分布も不変と仮定した時の貯蓄額と現実の貯蓄額との差を調べることにより次のようなことが明らかとなる(第2-18表(5)行)。

まず先に見たとおり40年から45年にかけて世帯主の年齢別構成比の変化は一世帯当たりの貯蓄額を5%強減少させる方向で働いたが,相対的な年齢別所得分布も同時に考慮するとその効果はほとんど相殺されてしまうことが分かる。この間貯蓄率の低い若年層が増大したにもかかわらず現実の貯蓄率が低下しなかったのは相対的な所得分布が貯蓄率を押し上げる方向に変化したためである。

相対的な年齢別所得分布が将来どう変わり,それが貯蓄額にどのような影響を与えるかを探ることは極めて困難である。そこでここでは,59年以降は各年齢層の可処分所得が,53年から58年までの全世帯の平均増加率と同じ率で増加するものと仮定して相対的な所得分布が貯蓄に与える影響をみると,それが一世帯当たりの貯蓄額に与える効果は小さく,年齢別構成比の変化による高齢化の影響がそのまま現れてくることが分かる(第2-18表(5)′行)。

さて,人口構成の高齢化に加えて,現存する社会保障制度,とりわけ公的年金制度の成熟化が進展している。この公的年金制度の成熟化も家計貯蓄率に様々な影響を与える。

すなわち,まず公的年金制度は,その普及に伴い家計に老後のための貯蓄の必要性を認識させたり,貯蓄目標の実現可能性が増すことにより家計の貯蓄意欲を高めたりする可能性がある。また世帯主に子孫のための遺贈を増やそうとする動機を与えたり経済活動からの引退を促進させるということを通じて老後貯蓄への意欲を高めるという効果を有すると考えられている。

しかしながら他方で,公的年金が家計貯蓄に置きかわる効果や老後の不確実性を減らして貯蓄を減らす効果,並びに労働供給を減少させてその間,貯蓄を減らす効果が生じ得る。さらに,年金制度は貯蓄率の高い中高年世代から貯蓄率の低い老年世代への所得再分配をもたらし,貯蓄率を低下させる要因として働く。

このプラス・マイナスの要因のいずれかがより強く働くかは,実証分析の結果に待つほかはない。

今,家計の貯蓄率を可処分所得・社会保障給額付,家計の保有する金融資産,企業の貯蓄率によって説明してみよう。ここでの社会保障給付額の増加は,人口の高齢化要因も含まれるので,年金制度の成熟化のみの効果を反映したものではないが,ここでの試算では社会保障給付額の家計可処分所得に占める割合が増加すると,ある程度家計の貯蓄率が低下する要因として寄与していることがみてとれよう (第2-19図)。

なお,公的年金のみならず個人の保有する金融資産に占める企業年金資産が昭和50年代に入って高まりを示していることも注目されよう。昭和58年現在で企業年金(適格年金,厚生年金基金)給付額が公的年金(厚生年金,国民年金)給付額に対する割合は約1。3%と小さい。しかし,企業年金資産の個人金融資産残高に対する割合は,約5%に上っており,企業年金加入者も全雇用者の約30%に達している。

企業年金資産の増加は,やはり家計による老後のための貯蓄の代わりの役割を果たし,家計貯蓄率を低下させる要因として働くと考えられる。しかし,企業年金の場合はそれが賦課方式でなく積立方式に基づくものであることなどから公的年金と比べて経済全体の貯蓄率に与えるマイナスの効果は小さなものになる可能性が強い,よく知られているように賦課方式()の場合には拠出された年金保険料は,そのまま退職者に分配されるので積立金とならないため,一国全体の貯蓄は減少することになる。積立方式では給付があらかじめ拠出された積立金によりまかなわれるため,経済全体の貯蓄に対する影響はより小さなものとなる。

(民間投資比率の方向)

一方,国内の投資性向については第3章で詳しくみるように新たな技術革新や産業転換に対応するために設備投資の果たす役割は大きい。これまで我が国は,新たな技術革新に対応した産業構造の変化を円滑に進めていくために民間設備投資比率を維持し,高めるための努力を行ってきた。今後とも先端部門における自主的な技術開発力の向上など技術立国としての役割を果たすためにも研究開発投資を始め民間設備投資活発化のための環境調整を進めることが必要である。

また,住宅投資について住宅資産額の対国民所得比率並びに住宅資産額の対国内総資本ストック比率をみると,それぞれアメリカ,イギリスの半分程度,7割程度にとどまっており,住宅及び住宅環境改善のための潜在的ニーズは大きい(第2-20図)。この潜在的な需要を満足させるためには,「昭和58年度年次経済報告」でも述べたように,①住宅宅地の供給および公有用地等の有効利用を図ると共に,土地価格を安定させる方策を探ること,②借地方式による土埠利用を進めて土地用役の供給を増やすこと,③民間開発事業の活動しやすい環境をつくること,④上記方策とあわせて,土地税制を通じて土地の有効利用を促すとともに,開発利益の適切な吸収を図ることといった対策を探ることが必要である。

現在我が国には,国内貯蓄を国内において有効に活用する余地はまだかなり残されており,中長期的な観点からみて,民間の投資比率を高めていく努力は今後とも続けていく必要がある。そうした努力を続けることは,同時に国内民間需要を中心とするインフレなき安定した力強い成長を実現する上でも不可欠の条件にもなっているのである。

(資本供給国日本の役割)

こうした国内における貯蓄率の低下傾向及び投資機会拡大の余地を考慮するとしても,日本の貯蓄供給能力は今後ともなお国内投資を上回るものと見込まれる。

既にみたとおり,現在世界経済は,それまで主要な資本供給国であったアメリカと0PEC諸国が資本輸入国に転じていることもあって貯蓄不足傾向を示している。これに対して,現在資本供給国としての役割を果たしうる国は,日本を除くと西ドイツ,イギリス,オランダ,スイス等である。こうした状況の下では,資本供給国としての日本の役割は従来にも増して高まっている。

もとより,とりわけヨーロッパ諸国を中心として失業率が高止まりしている状況の下では,日本が経常収支黒字を背景に,資本供給国としての役割を演ずることについて国際的な理解が得にくい面があることもまた事実である。

さらに経常収支赤字国が,現在の国際資本市場における資本移動の不完全性や長期借入れの困難さから自国の経常収支赤字幅を一定の範囲にとどめようとするのはそれなりの根拠がある。しかし,だからといって発展途上国を含めた世界各国の経常収支をそれぞれバランスさせようとすることはむしろ資源配分上問題があると言えよう。それは,資本が最も必要とされる国への資本移動を阻害し,資本の効率的な利用を妨げることになるからである。

現在,我が国の海外直接投資残高(許可・届出ベース)は西ドイツを上回っているが,対名目 GNP比でみるとなお相対的に低い水準にとどまっている。海外への直接投資は貿易相手国の雇用を拡大し,対外経済摩擦の解消にも寄与しうるものであることを考慮すると今後一層の拡大が求められていると言えよう。また,資本の供給,技術の移転を通じて発展途上国の持続的な発展に寄与し,世界経済の拡大と再活性化に貢献していくことは,我が国にとって重要な課題と言えよう。

こうしたことから今後も,企業による海外直接投資等を一層円滑化するための環境を整備することが必要とされていると言えよう。他方,海外における資金のより効率的な運用を可能とするためには,日本の金融の国際化を進めていくことが肝要である。